04.
「クロー、今日は何日かしら?」
採取の途中、瑠璃色の壺型をした花をみて魔女のニュイはふと暦が気になった。夜の森は人間が迷えるほどに広いが、住み慣れたニュイには庭同然だった。どの時期のどこに何が自生しているのか把握している。だから、魔術に必要な素材の在り処へ的確に向かえる。
『日付を気にするなんて珍しいわね。三月二日よ』
人間の定めた細かな暦を正確に把握しようとするのは、ニュイには珍しい。普段は月の満ち欠けと気候から把握するので事足りる彼女だ。しかし、クローディーヌは使い魔なので、主の問いには正確に答える。
鈴なりに咲くムスカリで思い出した。この花が咲く頃に彼は生まれた。誕生日は数日先だ。ニュイは誕生に立ち会っていない、彼が分別のつく歳になってから引き合わされただけだ。長く生きすぎて一年歳を重ねる重みすら感じない彼女がミエルの誕生日を覚えているのは、彼からおねだりされるからだ。
毎年、対価のいる魔女への依頼ではなく、ニュイ自身で叶えられるささやかなわがままをきく。
その日は頭を撫でるや、膝枕をするなど、触れ合いの時間を長くもつようなおねだりがほとんどだ。彼の方が身体が大きくなってからは、一日を彼の腕のなかで過ごすなんてものもあった。あれは、自身の成長を実感したかったのだろうか。
言葉を乞われたことはない。きっと魔女の性質を理解してのことだろう。意図的な言葉は、言霊となり魔女の口からでたそれは呪いにもなりかねない。
だから、ニュイは祝いたいと気持ちが湧いたときに彼におめでとうという。加護も呪いも何も込められていないそれに、ミエルは蕩けるような笑みを浮かべるのだ。気持ちだけお魔女からの祝福をあんなに喜ぶのは彼ぐらいのものだろう。だが、悪い気はしない。
恒例となった行事を思い出し、不意に気付いた。
「人間の誕生日って贈り物をしたりするものよね?」
魔女の場合は、成長に応じて魔術を教えられる。身体に負荷のかかる術や、精神的に未熟だと取り込まれかねない魔導具などもあるからだ。あらかた覚えたあとは個々で魔術を極めるのみなので、歳を数えなくなる。命の限りが人間より長いため一年ごとの節目を噛みしめることがないのだ。
『ええ、そうね。パーティをしたり、食事を普段より豪勢にしてプレゼントをもらう日だわ』
クローディーヌは使い魔になる前は、気まぐれに人間に飼われたりもしていた。だから、ニュイより人間の営みに詳しい。今もニュイが必要最低限しか使い魔としての役割を求めないので、人間の街まで散歩の足をのばして観察することもある。
魔女のニュイの使い魔になって長く生きているが、そういう風習はどの国でもいつの時代も変わらないのが面白い。数えられるだけの知性と寿命をもつ生物とはそういうものなのだろう。
「そうよね……」
使い魔からの肯定を受け、ニュイは自身の認識が現代でもずれていないことを知る。ずっとしてこなかったが、もしや自分も何か物を贈った方がよいのだろうか。ニュイは今さらそんな疑問をもった。
自分が魔女だからと、ミエルは最初からそのような期待をしていないのかもしれない。人間の風習に付き合う必要はたしかにないが、もしミエルにそう思われているなら、なんだか癪に障る。多少の悔しさのようなものがもたげるのだ。
たまにはそれぐらい付き合ってもいいのに。
思い立ち、ニュイは採取した薬草を売るついでに彼への贈り物を買うことに決めた。夜の森からでて、最寄りの町へ向かう。森の出入口を通る前に紛らわしの術をほどこした魔導具を首にかけておく。ペンダントにされたこの魔導具は、身に着けたものの認識を曖昧にする。会ったものは知人の友人や遠い親戚など顔に見覚えがある程度の誰かと認識して、別れたあとは記憶の片隅に追いやり出会った事実を忘れたも同然となる。
たとえば食用の茸と、それと見間違えやすい毒性のある茸だったり、多種のよく似た二つのものを材料に必要とするため、魔導具を錬成するまではかなりの手間がかかる。だが、逐一変装したり、姿を変える術を使うより楽なのでニュイは俗世に赴くときに重宝していた。
誰もニュイを魔女だと思わないので、薬草は難なく売れ、昼下がりなこともあり喫茶店に寄る。得た金銭の価値を確認するのに、軽食はちょうどよかった。
紅茶と果物が添えられたパンケーキを頼んだが、ミエルが普段作るものの方が美味しいと感じた。どちらも出来たてで味もよい。それでも、ニュイの好みに合わせて作られた彼の手料理の方が優勢だった。彼以外が作ったものを口にして、どれだけ彼が料理上手になっているか実感した。
「ナゼール様はいつになったらご成婚されるのかねぇ」
「あれだけできた領主様はそういないってのに」
「しかも、いい男じゃないか。なのに、隣の領地のご令嬢に言い寄られても、学者先生との仲を取り持ったりして」
「麦を改良したって先生だろ。もっさりしてたってのに、恋したおかげか垢抜けたよねぇ」
「ご令嬢もまんざらでないそうだし、よかったけど」
婚約者すらいないのがもったいないという、婦人らの歓談が耳に入る。この地に住む者たちの領主の話題なので、つまりはミエルのことだと、ニュイはしばらくして気付いた。
ニュイの背を抜かしてからずいぶん経った。彼は一体いくつだったか。十にも満たない頃に顔合わせしてから、彼の誕生日をともに祝ったかを指折り数えて、正確ではないが二十はすでに過ぎているところまでは理解した。
よくよく考えると、家族や友人もいるだろうに誕生日当日に数時間から半日を魔女と過ごしていいのだろうか。侯爵家なのだからパーティなどもありそうだ。今さらながら、彼の優先順位が不思議だ。
近くのテーブルの婦人らの話からすると、領主であるミエルは結婚適齢期で異性にモテるにもかかわらず、浮いた話がないという。自身に秋波を送る相手がいたとしても、気付けば領地繁栄に貢献した人物と良縁を結んでしまう。結ばれた二人はその後仲睦まじく過ごしているそうなので、相性のよい相手同士を結びつけるのが巧みなのだろう。
ニュイは、運命の赤い糸がみえる魔導具は作ったことがないな、と思った。そのような魔導具を彼から依頼された覚えもない。魔導具なく人間同士の相性が判るなら、ミエルは占い師をやっても成功しそうだ。
もう結婚適齢期といわれる歳になったのか。時が経つのは早いものだ。彼が飼っている魔女ばかりに構うものだから、そんな気配が微塵もなく想像もしていなかった。
誰かと家庭を築くミエルを想像してみようと試みたができなかった。かわりに、飼い主面して自分に構う楽しそうな表情が思い出される。
猫好きの伴侶ならともかく、魔女好きの伴侶をみつけるのは至難の業ではないだろうか。
さすがに伴侶はプレゼントできないわね。
魔女の魔術や魔導具を使っても困難だ。
やればできる子、とよくいうが、ミエルは実際にやろうと思ったらなんでも熟せる。だから、富も名声もすでにもっているし、宝石や服なども彼自身で手に入れられる。また、一般的に人間が喜ぶそれらを得ても彼は興味がない。
贈り甲斐がないというか、何を贈ればいいのかわからない。
紅茶の最後の一口を飲み切り、ニュイは喫茶店をあとにした。贈り物が浮かばないので、ぶらりと商店の並ぶ通りを歩く。
立ち寄った雑貨店で、もう日用品でいいのではと思った。何を贈っても同じならそれなりに使うものがよいだろう。
不意にマグカップのあるデザインに目が止まる。シルエットで猫が描かれ、尻尾の部分が取っ手になっている。黒地に白と白地に黒、白猫と黒猫の対になっていた。
シンプルだが可愛らしいこのマグカップで飲むミエルを思い描いてみた。立派な青年になった彼が可愛い食器を使う様は、なんだか微笑ましい。
その光景がみてみたくて、ニュイは猫のマグカップの購入を決めた。