75. 長い眠り
肩に刺さったナイフをエミリーが引き抜くと、ジュースの栓を抜いたみたいに血がどばっと溢れた。
血肉を内側から圧迫していた異物感が抜けて、ぽっかりと空いた傷口に新鮮な空気がひゅうと入ってきたように感じた。痛みがじくじくと広がっていく。
エミリーが傷口を押さえながら言った。
「では回復魔法を使いますよ」
私はうなずいて了承の意を示す。
エミリーの手が青白い光をまとったかと思うと、激しい熱とともに
「いっ――!?」
傷口の中に溶けた鉄の棒を入れられたようだった。信じられないような激しい熱と痛みが襲ってきて、私の意識はぷっつりと途切れたのだった。
目が覚めると夜が明けていた。エミリーかだれかがベッドまで運んでくれたらしい。
体を起こすと、肩にかすかな鈍痛を感じた。傷口を見るとわずかにピンク色の盛り上がった線があるだけで、すっかり治っている。腕を動かしても特に問題はなさそうだった。
それにしても痛みで気絶するなんて。もっと痛そうな目にあったばかりなのに。あのときはずっと頭が冴えていた。脳内のアドレナリンとかが働いていたんだろうか。
「あっ、目が覚めたんすね」
ドアが開いて、見覚えのある女性がひょっこりと顔を見せた。
「あなたは……」
たしかエミリーと一緒にいた人だ。名前は知らないけど、あどけなさの残る表情や仕草に子供っぽさを感じる。たぶん、歳は私とそれほど変わらないと思う。
「ランロペっす。さっきはエミリー先輩が申し訳ないことをしたっすね。あの人も悪気がやったわけじゃないんで、許してやってほしいんすけど」
「過ぎたことですから。誤解が解けたならそれでいいです。でもグール……って言ってましたっけ、なんなんです?」
「グールは魔物っつーか伝染病っつーか……それに取り憑かれると人肉を食う魔物になっちゃうんすよ。グールに噛まれた人はグールに感染して、どんどん数が増えていくっす。グール一匹で地図から消えた集落も珍しくないんで、反応が過剰になりがちっつーっか」
「そう……だったんですか」
地図から消える?
住人が全員居なくなったっていうことだよね……。死者が徘徊する町を想像してぞっとした。そんな恐ろしい魔物がいるのなら、あのエミリーの反応もわかる気がする。
異様な怯え方をしていたキリオンのこともそれで納得できた。エミリーと同じように私のことをグールだと思ったんだろう。
「おっと。目が覚めたらつれてこいって支部長に言われてるんで、とりあえず服着たら一緒に来てほしいっす」
「支部長、さん……?」
「このギルドで一番えらい人っすよ。シホさんって、なんか呼び出されるようなことしたんすか?」
呼び出しかあ。心当たりは……まあそれなりにあるのだった。
ランロペの後をついて歩いていく。廊下の一番奥、少し立派な扉をランロペがノックすると、返事はすぐに返ってきた。
「おー、入れ!」
予想外の甲高い声に招かれる。ランロペが扉を開き、部屋に入るよう促した。私が部屋に足を踏み入れると背後で扉が閉まった。ランロペの姿はない。ただ案内をしてくれただけらしい。
この部屋に閉じ込められたようで、ちょっと息苦しさを感じる。
突き当たりには立派な年代物らしい机があり、そこにかけているのは年若い女の子だった。その脇には実直そうなメガネの女性が立っている。
女の子が口を開いた。
「わしがアルメイリアのギルドマスター、ユーミィじゃ。こっちは副長のマーゴ」
ユーミィに紹介されたマーゴが頭を下げたので、私もつられたようにおじぎをし返す。
自分でギルドマスターと名乗ったユーミィはどう見ても子供にしか見えなかった。
「えっと、こんにちは。シホです」
「あっ、いまわしのこと子供だと思ったじゃろ。わしエルフじゃからな。こう見えてもお主よりよっぽど年上なんじゃぞ」
「えっ? あ、すみません」
エルフ……ってなんだろう?
よくわからないけど、この人は年上、ということだけ頭に入れておこう。
「うむ。まあよい。わかっているとは思うが、いまはなにかと忙しいからの。前置きは抜きにして聞かせてもらう。……おぬし転移者じゃろ。おっと、隠しても無駄じゃぞ。わしはうそを見抜けるからのう」
なにがおかしいのか、ユーミィが愉快そうにくふふと笑う。
だけど私には、ユーミィの言ったことが何の話だかよくわからなかった。
「……あれっ? 違うのか?」
「転移者ってなんですか?」
「お、おう。別の世界からやってきた者たちのことじゃけど……。ん? おぬし、本当にちがうのか? わしの早とちり?」
ぽっかりと口をあけているユーミィに、マーゴが言った。
「支部長、調査によればシホさんには転移者特有の怪力や戦闘能力は皆無のようです」
「ば、ばかもの、それならそうとなぜ早く言わんのじゃ。それとわしのことはギルドマスターと呼べと言っておるじゃろうが」
「何も聞こうとしなかったのはあなたでしょう」
とマーゴ。
「だって、生き返ったり自己再生する能力持ちなんて転移者だと思うじゃろが。あ、でもでも、町の住民全員を眠らせたのは? あれもお主の能力なんじゃろ。幸い大した被害は報告されておらんけど、なんでそんなことをしたのか説明してもらおうじゃないか」
ユーミィが私を指差した。
「眠らせた……? どういうことです?」
「昨夜のことじゃよ! わしを含めギルドにいる者全員が眠っておった。この非常時に夜勤や見張りも含めて一斉に眠るなどありえん。調べを進めたらその範囲は町全域に及んでおったのじゃぞ! ……あれ? もしかしてこれも違う……?」
ユーミィは首を傾げて不安そうにマーゴを見上げた。マーゴは表情を変えずにじっと私を見つめている。
町に住んでいる人、全員が眠った?
まさか。でも、そうなのかもしれない。
足りない魔力を吸収するときにクリスが眠っていたように、髪の毛の再生に多くの魔力を必要としたように、私が生き返るためにさらに多くの魔力を吸収したとすれば。
そのために必要な魔力は、きっと髪の毛の比較にならないものだろう。
「いえ、それはたぶん、私のせいです」
「たぶん? どういうことじゃな?」
私は自分で理解できている限りのことをユーミィに説明した。
ユーミィは深く唸った。
「なるほどのう……。記憶がないとは言え、自己再生能力に付随して広範囲を強制的に眠らせる能力とは恐ろしい力じゃな」
「おそろしい、ですか?」
「はーっ。おまけに自分の脳力も把握しとらんのじゃろ、怖いわ! 敵陣に突っ込んで自殺すればどんな強固な城とてハリボテ同然。敵が寝てる間に攻略してしまえばいいのじゃからな!」
「敵陣、攻略って……。私、そんなことするつもりありません」
「あほう。おぬしにそのつもりがなくても、能力を知った何者かに利用される可能性はあるじゃろが。いいか、悪用すれば国を滅ぼすことだってできるんじゃぞ! おぬしはそういう力を持っとる。その自覚を持て」
指を突きつけられる。
いきなりそんなことを言われても、困惑しかないんだけど。
でもやろうと思えばそんなこともできる……のかな……。いや、思わないけど。
「まあいきなり理解しろと言っても難しいじゃろうけども。……あ、それと、この能力のことを誰かに話したことはあるか?」
「えっと、クリスには言いましたけど、それだけです」
「……ふむ。嘘は言っとらんな。いいか、このことは他言無用! 決して他の誰にも話すでないぞ!」
「わ、わかりました」
なんだかいきなり重い責任がのしかかってきたような気がする。いや、人に話さなければいいだけのことなのか。クリスはわざわざ人に言うとも思えないし。でも一応伝えておいたほうが良さそうだ。
「そういえば、クリスはどこにいるんでしょうか」
目が覚めてからクリスの顔を見ていない。早く会って生きていることを知らせないと。
気になると言えばキリオンのことも気がかりだけど……。
「さあ、わしは知らんけど。マーゴ、知っとる?」
「エミリーが連れてきたあと、医務室に寝かせたはずです。そのあとのことはわかりませんが」
「わかりました。医務室ですね!」
私はユーミィに頭を下げて、支部長室を飛び出した。
「あっ、まだ話は終わっとらんぞ!」
という声が聞こえてきたけど、それはあとにしてもらう。
「医務室、医務室……ってどこでしょうか」
場所がわからなかったので、人に聞いて医務室へ向かった。
医務室にはベッドがいくつか並んでいて、それぞれがカーテンで仕切られている。
そもそもクリスがまだここにいるとは限らないのでは? と思い始めたところでちょうどクリスの姿を見つけた。
クリスは眠っていた。さっきのマーゴの話では昨日運ばれたはずだけど、いつから眠っているんだろう。
ベッドのそばに立ってクリスの顔を見つめた。すやすやと気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。
なんだか初めて会ったときのことを思い出した。
起こしていいのか少し迷ったけど、昨日から眠っているのならむしろ寝すぎというものだ。
私はクリスの肩をゆすった。
「クリス……クリス、起きてください。私です。シホです」
なかなか起きない。すこし不安になってきた。
もしこのまま眠り続けて目を覚まさないとしたら……。背中がひやりとした。
「クリス、クリス……!」
両肩をつかんで体を揺さぶっていると、
「う……うん……」
クリスが眩しそうに目を開いた。なんだ、べつに心配することなんてなかった。安心したら胸のつかえがとれたように力が抜けてしまった。
私は覆いかぶさるようにクリスをぎゅっと抱きしめた。
クリスの体はいつだって子供みたいに温かくておちつくにおいがする。私は汗と体臭の入り混じったにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。
「すー……はー……。よかった……目が覚めて」
「え……? え?」
寝起きで状況がわかっていないのか、クリスは困惑したような声をあげる。
「あっ、大丈夫です。私、ちゃんと生きてますから。心配かけてしまってすみません」
「ちょっ、ちょっと!? なに、なんなの!?」
クリスが私の体をつかんで引き離した。
「いっ、いきなりなにするのっ!? っていうか、あなた誰よ!?」
真っ赤に染まったクリスの顔には、焦りと困惑の表情が浮かんでいた。
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