71. 舟の上
「足元に気をつけて、ゆっくり降りてください」
「お、おう……よっと」
木にぶらさがっていたおじさんが、どすんと音を立てて舟に着地する。定員いっぱいの舟がぐらぐら揺れた。
やがて揺れがおさまって無事に済んだことがわかると、周囲から安堵のため息がもれる。
シホさんたちとわかれた後、私たちは避難所となっている冒険者ギルドへ向かって舟を進めていた。
その途中で、周囲に目を配っていたキリオンさんが木にしがみついている人影を見つけたのだった。
「いやー、助かったぜ。泳いで行こうと思ったんだがよ、おっかねえやつが泳いでるのが見えてな。危うく食われるところだったぜ。ハッハッハ」
キリオンさんは最初、このおじさんのことを魔物だと思って撃とうとしていたのだが、そのことはおじさんには黙っておいたほうがいいだろう。
「笑い事じゃありませんけどね。ともかく無事で良かったですよ。それと、あなたを見つけたのはあちらにいるキリオンさんですので、礼なら彼女に」
「おお、そうかい。ありがとな、お嬢ちゃん!」
「い、いえ……」
キリオンさんは控えめに目礼した。
それにしても、キリオンさんには驚かされることばかりだ。遠くの要救助者を見つけた目の良さはもちろんだが、なによりもあの魔法だ。射程距離と正確さが他の魔法使いとは比較にならないほど頭抜けている。
飛竜を倒したと聞いたときは本当にそんなことができるのかと疑う気持ちもあったが、こうして目の前で実際に見せられると納得するしかないのだった。
パァン、と鋭い破裂音が空気を震わせた。
「なんだ、ありゃあ!?」
「鳥……? いや、人だ」
救助した人たちが空を指差して騒いでいる。
あれは……クリスさんだ。こうして下から見上げていると、気持ちよさそうで実にうらやましい。もっとも、あまり長い距離は飛べないらしいが。
クリスさんは、舟を追い越したと思ったら横道にそれてどこかへ行ってしまった。丘へ向かうなら真っ直ぐ行くのが近道のはずだが、なにかあったんだろうか。
舟の上はみっしりと隙間なく人が詰め込まれている。だから隣り合うリルカさんが密着するのは仕方ないのだが、それにしてもくっつきすぎというか……触れてはいけない部分が当たっているような……。
私はささやくような小声でリルカさんに呼びかけた。
「あの、リルカさん……」
「ふぇ……なに? エミリーさん」
リルカさんは蕩けたような表情を浮かべて私を見つめた。
「その……」
いや、何を言えばいいんだ?
下手なことを言えば、私がリルカさんをそういう目で見ているみたいじゃないか。それに、他の人に聞こえれば妙な誤解を生む可能性も捨てきれない。
…………。
「いえ、なんでもありません」
結局私はなにも言えなかった。
とにかくもう少しの辛抱だとじっとしていると、リルカさんに小さく名前を呼ばれた。
「あっ……え、エミリーさん」
「はい、なんでしょうか」
振り向くと、リルカさんがいたずらっぽく笑った。
「えへへ……呼んでみただけ」
どういうこと……?
いや、待って、何か既視感がある。
そうだ、ギルドの受付で見たバカップルの――
『ねーねー、たーくん』『なんだい、ひーちゃん』『ううん、呼んでみただけ』『こいつぅ』こつん『えへへ~』
――という一連のやりとり。間近でこれを見せられたときには思わず手が出そうになったのだが。
もしかしてこれか?
私がリルカさんに、このやりとりをしかけたと思われている……?
いや、違うから!?
と叫びたかったけれど、別に誰に聞かれていたわけでもないし……聞かれてないよね?
なんだか舟の上がさっきから妙に気まずい空気になってるけど。さっきの木登りおじさんが、ぽっと頬を赤らめて私から目をそらす。聞こえてました? なんて聞く気もなれず。
どっと汗が吹き出した。
「あ、暑いですね、今日は……」
「おお、まったくだ」
話題のないときは天気の話に限る。
水面から顔を出している坂道の途中に舟を寄せていくと、舟底が軽くこすった。水際には野次馬がたくさんいて、舟から人が降りるたびに歓声をあげて迎えていた。
私は一度舟からおりてリルカさんを抱き上げた。小さい体は相応に軽く、子供であることを再確認させられる。
「がんばってね、エミリーさん」
おろすとき、耳元でそんなことを言われた。
「ええ。任せてください」
まだまだ見回りは終わっていない。
汗を拭おうとしたら、腕から甘ったるいリルカさんのにおいがして息が詰まった。
あんなに小さくても、しっかり女の子なんだ……。って、いや、いやいや。子供相手に何を考えているんだ、私は。
頭を振って煩悩を振り払う。
ドーン、と重低音が響いた。見ると遠くで大きな水柱が上がっている。
「いまの爆発は……!?」
「……クリスさんが飛んでいった方向……?」
「ですね」
私はキリオンさんの言葉にうなずいた。
何かがあったのは間違いない。おそらくはサメとの交戦だろう。
クリスさんのことだから大丈夫だとは思うけれど、状況が状況だけに、どうも気になる。
「行きましょう、キリオンさん」
「う、うん」
私たちは爆発のあった場所へと舟を向けた。




