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ひよわな私の異世界ぐらし  作者: ささみし
ひよわな私と長い雨
68/75

68. 空

 私はクリスの背中におぶさって、離れないように自分の手をぎゅっと握りしめた。こうしてクリスにおんぶされるのも考えてみれば久しぶりだ。


「いい? しっかりつかまってるのよ?」

「はい。大丈夫です。ばっちりです」

「……本当に大丈夫かしら。シホが言うとなんか不安だわ」

 

 ぶつぶつと呟きながら、クリスがバルコニーへ出て周りをぐるりと見渡した。さっきまでいたボートの魔除けが効いているのか、辺りにサメの気配はないようだ。

 

「行くわよ」


 そう言ってクリスが膝を曲げて体を沈める。大きく足を踏み出す、と同時に激しい破壊音が響き、クリスと私はすごい勢いで空へと打ち上げられた。

 強風と圧力が頭上から襲ってくる。とても目を開けてはいられなくて、ぎゅっと目をつぶる。

 その風は徐々に弱まっていき、下に押し付けるような圧力も消えていった。目を開けると、360度の真っ青な空が目に飛び込んできた。

 足元に地面はなく、下には水に沈んだ町が広がっている。

 

「わあっ、すごい……! 本当に空を飛んでます!」

「喋ってると舌噛むわよ」


 クリスの言う通り、落ち着いて見ていられたのは一瞬だけだった。

 胃の持ち上がるような浮遊感がやってきて、間近で何かが破裂したような音と共にクリスの体が前へ飛び出した。

 

「きゃっ!」


 突然の衝撃に、私の握力は耐えられなかった。つかまっていた手が、ぱっと離れて上半身が置いていかれる。

 そして私の脚を掴んでいたクリスの手もつるりと滑ってすっぽぬけた。町の上空で、私は身一つで投げ出された。

 

 落ちるっ!?

 下は水? それともどこかの家!?

 

 焦りながら下を向こうとすると、突然、後ろから現れた腕がお腹に回された。

 ぐるりと世界が回る。下から引っ張られるような衝撃を受けて、抱きしめられたお腹がぐぐっと凹んだ。やがて、また浮遊感が訪れる。

 腕が離れて、私の体は空に浮かびながらくるくると回った。そしてクリスの顔が見えた。

 

「あぶないわね! つかまっててって言ったでしょ!」

「く、クリスがぐるぐるまわってます……」


 三半規管がめちゃくちゃになりそうだ。目が回ってしまって焦点がさだまらない。

 クリスの両手は私の膝下と胸の横をがっしりと掴み、抱き寄せた。体が安定した気がする。

 軽く頭を振って、正気を取り戻す。

 今度は落とされないようにと、クリスの首に両腕を回してしがみついた。

 

 再び破裂音が空に響き、私たちはぐんぐんと空に上がっていく。

 一瞬の静寂が訪れて、私はやっと自分がどういう格好になっているのかがわかった。

 

 これって……お姫様だっこだ!

 だけど感動している暇もない。何度も上下に揺さぶられながら、私は落っことされないよう、必死でしがみつくしかないのだった。

 

 

 洪水はかなり広範囲に及んでいた。

 私はクリスに抱きかかえられながら、その被害を上空から見下ろした。

 ギルドのある丘以外は、町全体に水が広がっているような状況だ。

 場所によっては建物がほとんど水没してしまって、茶色い湖のようになっているところもある。

 

 ゴロゴロゴロ……

 

 どこからともなく重低音が鳴り響いた。さては雷かと思って空を見る。だけど空は雲ひとつない快晴だ。雷雲なんてどこにもない。

 いまの、なんの音だったんだろう?

 下手に首を動かすと衝撃で痛めそうだったので、心の中で首をかしげる。

 

「ちょ、ちょっと休憩!」

 

 上ずった声でクリスが言った。

 クリスは身体にじっとりと汗をかいている。空を飛ぶなんて優雅そうに思えるけど、たぶん相当な体力を消耗するのだろう。

 水の及んでいない高台までは、まだ少し距離があった。

 

 クリスがきょろきょろと下を眺めた。着地場所を探しているのかもしれない。

 見えない段差を踏むように空中を何度か跳ねていく。そうやって徐々に高度を下げていき、やがて廃屋のような2階建て小屋の屋根へ着地した。なだらかな切妻屋根の勾配が少し不自然に見える。小屋は少し傾いているようだった。

 

 クリスにおろしてもらうと、足元がふらついた。空の上で飛んだり落ちたりを繰り返したせいか、なんだか地面に足がついていないようなふわふわした感じがする。

 歩いたら転びそうだったので、とりあえず座ろうかと思って手をついた。

 

「あっつ……!」


 屋根は黒い石瓦で覆われていて、太陽光を吸収しきった瓦はまるで焼けた鉄板みたいに熱くなっていた。これじゃあ、とても座ってなんかいられない。

 

「す、すぐ戻るから!」


 声に振り向いたら、クリスの後ろ姿が屋根の下に消えていった。

 

「えっ、クリス?」


 落ちちゃった!? いや、まさか?

 私はクリスがいたところまで歩いていって、屋根の下をのぞきこんだ。

 眼下にはベランダのような張り出しが見えた。クリスはここに降りたんだ。私も追いかけよう。

 

 でも、結構おんぼろだけど大丈夫かな。踏み抜いたりしないよね。

 屋根の縁に腹ばいになって、足を下ろしていく。宙ぶらりんになった足で手探りならぬ足探りに足場を探していると、おそらくベランダの手すりが、こつん、と爪先にぶつかった。

 手すりに乗って、ゆっくりと体を下ろす。つかんだ石の瓦が熱くて手を火傷しそうになりながら、なんとか部屋に潜り込んだときにはすっかり息が上がっていた。

 

「ふうっ……私だって、やれば結構できるんですよ」

 

 屋根から家に入るなんて、気分はまるで冒険家だ。

 

 家の中は荒れ放題で、生活の気配は感じられなかった。廃屋になって何年も経っているようだ。

 ぎしぎしという家鳴り、足音? が聞こえた。クリスはこんなところに入って何をしているんだろう。

 明るい外から薄暗い室内に入ったせいで、なかなか目が慣れない。壁に手をついて歩いていく。建物が傾いているせいか、床にわずかな傾斜を感じた。

 真っ暗な廊下を進んでいくと、苦しそうにうなる声が聞こえてきた。

 これはクリスの声……?

 廊下の先に階段を見つけた。下に目を向けると、階段の途中にうずくまっている人影が見える。

 

「クリス……? 大丈夫ですか?」

 

 ほとんど光が届かないせいでうっすらと輪郭が見えるくらいだったけど、すごい勢いで人影が振り向いたのがわかった。

 

「は!? ちょっ……こ、こないで! あっちいって!」


 やっぱりクリスの声だった。

 だけどクリスが発したのは拒絶の言葉。そして、私を追い払うような仕草だった。

 

「えっ……?」

 

 想像していなかった反応に、私の足が止まった。

 ショックだった。来ないで、なんて言われるとは思わなかったから。

 

 だけど、さっきの苦しそうなうめき声は一体なんだったんだろう。

 まさか、私が見ていない間になにか怪我をしたのでは。そして、クリスはそれを隠そうとしている……?

 薄暗い不安がむくむくと膨らんでいく。

 傷を負っているならきちんと手当をしなくちゃいけない。それなのに、どうして私に隠そうとするんだろう。

 

「そんな……。駄目です! 隠さないでちゃんと私に見せてください!」

「見せるわけないでしょっ!!!?」


 ――ちょろろろろ

 

 水の流れるせせらぎのような音が階段の狭い空間に反響する。それに、この匂いは……。

 あっ……

 クリスが何を焦っていたのか、やっとわかった。

 

「トイレだったんですね。すみません。えっと……ごゆっくり」

「ばっ、ばかあ!!」


 廃屋の中にクリスの声がこだました。

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