62. キリオンと石
夏のような暑さにみまわれたかと思ったら、翌朝は急な冷え込みが襲ってきた。季節が反復横とびをしているみたいだ。
天気は朝から曇り空。お昼になるころにはとうとう小雨が降り出して、つめたく湿った風がお店の中に吹き込んでくるようになった。
「シホちゃん、悪いんだけど扉を閉めてくれる?」
「はい」
「雨のせいかしら。また寒くなってきたわねえ」
私はライラに言われて、開け放しにしていた入り口の扉を閉めに向かった。
表に出たとたん、ひゅうと風が吹いて体が縮み上がる。吐く息が白い。こんなに寒くなるなら、上着がないとつらいところだ。
ストッパーを外そうと扉に手をかけたところで、怪しげな人影が目に入った。
店の前をうろうろと行ったり来たり、ふらふら歩いている。しかもその格好は足の先から頭のてっぺんまで黒ずくめなのだった。
フードを被っているせいで顔はよく見えないけど、誰だかわかった。
「キリちゃん、ですよね?」
声をかけると、黒ずくめの人影はぴたりと歩みを止めた。
足元が迷うように動いて、そろそろとこちらへ近づいてくる。
「……シホちゃん、こ、こんにちは」
「なにをしていたんですか? こんな雨の中で」
「え、えっと……」
「まあとにかく中に入ってください。びしょ濡れじゃないですか。寒かったでしょう」
「えっ、あ……」
私はキリオンを引っ張って店の中へ入った。
ライラからタオルを借りて、濡れねずみのキリオンをざっと拭いていく。
ローブは脱いで乾かしたほうが良いんじゃないかと思ったんだけど、ローブの下はかなり薄着……と言うかほとんど下着だったので、とりあえず着たままで居てもらうことにした。
「そんなに薄着で寒くありませんか?」
「う、うん。このローブあったかいから」
あまりあったかそうには見えないけど、本当かなあ、とちょっと疑いながら席へと案内する。だけどキリオンは途中で立ち止まり、椅子に座ろうとはしなかった。
「キリちゃん?」
「あ、あの……」
キリオンがしょんぼりと眉をよせてうつむいた。
「どうかしました?」
「えっと……あの…………ごめんなさい……。お、お金、なくて……」
ああ、薬の詐欺で取られちゃったお金、まだ返ってきてないんだ。
お金がないからって、またご飯を食べないとか無茶な節約の仕方をしてるんじゃないかって、ちょっと心配になる。
「それなら今日は私がごちそうしますよ」
「そ、そんな……よくないよ……」
キリオンが首を横に振った。
ああ、そうだった。キリオンは奢られるのがあんまり好きじゃないんだっけ……。
でもだからといってこのまま帰すのも……あれ、っていうか、ご飯を食べに来たんじゃないならキリオンは何をしにここへ来たんだろう?
そんなことを考えていたら、テーブルの上に料理の盛り付けられたお皿がどかっと置かれた。
「ライラさん?」
「ごめんね、話聞こえちゃったから。お金がないからってご飯を食べないのはだめよ。それとも、お腹は空いてない?」
「う……」
キリオンは否定することができずに目をそらした。
やっぱり、あんまり食べてないみたいだ。
「お腹が空いてるとね、心までひもじくなっちゃうの。だからご飯はきちんと食べなくちゃ。どうしてもただで食べるのが嫌だったら、キリオンちゃんには少し働いてもらおうかしら。ちょうど洗い物が貯まってきたところだし、お皿洗いとか。ね、どうかしら?」
「あっ、し、します……! 働かせて、ください」
「よかった。じゃあまずは腹ごしらえからね。このご飯はまかない料理だから、遠慮しないで食べてね」
「あ……ありがとう、ございます……」
キリオンは少し涙ぐんでいた。
ライラのはからいでキリオンはご飯にありつけて、ライラは労働力を得た。一石二鳥っていう感じ?
いつも働いているところにエプロン姿のキリオンがいるのは、なんだか少し不思議だった。
お昼の営業が終わって床の掃除をしていると、厨房のほうから声が聞こえてきた。
「ありがとう、キリオンちゃん。すごく助かっちゃった」
「そ、そんな……全然……」
「キリオンちゃんさえよかったら、明日も来てくれていいのよ。冒険者のお仕事って、収入が不安定な時期もあるでしょう。私も昔やってたからわかるのよねえ。そうだわ、いっそここで少し働いてみない? もちろん冒険者のお仕事があるときはそっちを優先してもらっていいわ。ときどきでも手伝ってくれたらうちも助かるし。どうかしら」
キリオンがライカ亭に?
友だちと一緒に働くなんて、それってなんだか楽しそう。
私は二人の会話にとびこんだ。
「キリちゃんもここで働くんですか!?」
「あらあら。シホちゃんったら。まだ、どうかしらって聞いただけなのよ」
「……そ、そっか、シホちゃんと一緒に……。やっ、やりますっ」
「あらあら」
そんなわけで、ライカ亭の臨時従業員にキリオンが加わったのだった。
キリオンは帰る間際に私を呼び止めた。
「し、シホちゃん……! こ、これ……っ」
キリオンが両手を私の前に差し出した。手のひらの上には、小さな黒い石が乗せられている。
これ、と言われてもどう反応したらいいのかわからない。なんだろう、くれるのかな……。
「えっと?」
「あっ、あげる……」
合ってた。
「え、あ、ありがとうございます」
ちょっと困惑しながら小石を手にとってみると、手触りがつるつるとした丸い石で、黒いのに不思議な透明感があるのだった。
「きれいな石ですね。光が透けて見えるみたい」
キリオンはもじもじと落ち着かない様子で、ローブの合わせ目を手でこねくりまわしている。
「あの、この前ひろって。すごく、珍しいから……。いままで拾ったなかで、一番……かも……。真っ黒できらきらしてて、えと、その……し、シホちゃんみたいで、き、きれい……だから……あげたいなって、思って……」
それじゃあ、もしかして今日来たのはこれを私にくれるために……?
「良いんですか? こんなにきれいな石をもらってしまっても」
「う、うん! シホちゃんに持っていてほしい、から……」
「ありがとうございます。大切にしますね」
私が言うと、なんだかキリオンのほうが嬉しそうにしていた。
「キリちゃんはこういう石をどこで見つけてくるんですか?」
「え、えっと、川の近くとか……。よっ、よかったら、一緒に、行かない?」
「連れて行ってくれるんですか? いいですね。楽しそう」
「ほ、本当!?」
「ええ。今度のおやすみの日にでも」
「うん! 行く! や、約束っ」
「はい。約束ですね」
キリオンがこぼれそうな笑顔を見せた。




