28. 名前
どこまでも続くような畑地をキリオンと二人、並んで歩く。
途中で休憩しながら先へ進んでいくと、前方に木々の茂った森が見えてきた。畑の終点だ。
畑と森の間は空き地になっていて、キリオンの進む先には丸太で組まれたやぐらと巨大なテーブルのような台が置いてあった。
キリオンはやぐらの前まで歩いていくと、「こっち」と私に向かって呼びかけた。そして、やぐらに立てかけられたはしごをするすると上っていく。
「え、これに上るんですか?」
高さは3,4メートルくらいだろうか。丸太とロープだけで井桁に組み上げられた簡素なやぐらだ。まっすぐに上まで伸びたはしごをのぼるキリオンは慣れた様子で、もうてっぺんに辿り着こうとしていた。
はしごなんて、のぼれるかな……。
若干の不安をかかえながら木で作られたはしごに手をかける。体重を預けてみると、見た目よりもしっかりしているようで微動だにしなかった。一段一段、足を踏み外さないようゆっくりとのぼっていく。上からキリオンが顔をのぞかせて、不安そうにこちらを見下ろしていた。
大丈夫と伝える感じでにこりと笑ってかえしたけど、笑顔が引きつっていたかもしれない。地面に近いところはよかったけど、上に来るにつれてはしごの揺れが大きくなる。それに、やぐら本体はほとんど骨組みのようなものなので、はしごだけが宙ぶらりんになっているみたいな感じがして心もとないのだ。
なんとか頂上までたどり着くと、キリオンが手を貸してくれた。
「だ、大丈夫……?」
「は……はい。なんとか」
キリオンは、あっと驚くような強い力で私の体をぐいっと上まで引っ張り上げてくれた。
私よりも細いくらいなのに、どこからそんな力が出ているんだろう。
「力が強いんですね。キリオンさん。びっくりしました」
「そ、そんなこと、ないと思うけど……」
キリオンが握っていた手をぱっと離す。
やぐらの上は板張りになっていた。寝転ぶことはできないにしても二人が並んで座るには十分な広さがある。側面にも手すり程度の高さまで板が張り付けられていて風よけになっている。おまけに屋根までついているのだった。
「なんだか、秘密基地みたいですね」
「う、うん………………。あ、あの……」
なにか言いたげにキリオンが私の顔をちらちらと見てくる。
「どうかしました?」
「……な、名前…………自分の……あんまり、好きじゃなくて、呼ばれるの」
名前?
「お、男の子みたい、で、だから……」
「そうだったんですか。それは、気付かなくてごめんなさい」
キリオン……男の子っぽいんだ。
気にするようなことでもないと思うけど、私がそう思ったところで本人の気持ちが変わるわけでもない。
「ち、ちが……全然! あ、あやまることじゃ……」
「まあ、知らないこととは言え、嫌だと思うことをしていたわけですから……。あ、でもこれからなんて呼んだらいいんでしょうか」
「あ、あだ名~……みたいな……」
あだ名か。
うーん……………………。こういうの考えるの苦手かもしれない。
けど、なんか、キリオンがすごい期待の眼差しを向けてくる。どうしよう。
と、とりあえず安直なものから提案して、反応が気に入らなそうだったらもうちょっと考えよう!
「あー、じゃあ……キリちゃん、とか……」
「う、うん! それ、いい!」
そう言ったキリオンの表情はきらきらと輝いて、気を使っているわけでもなく喜んでいるようだった。
いいんだ。これで。……まあいっか。
「そういえば、キリちゃんは私のことなんて呼んでましたっけ」
「え……えっと……」
ちゃん付けではないはず。呼び捨てとは思えないし、シホさんって呼ばれてた?
んー……………………。
考えてみると、そもそも名前を呼ばれた覚えがないような気がする。
「では、私のことはシホちゃんと呼んでください」
「えっ!? あっ、あの……し…………シホ……ちゃん……?」
「はい、キリちゃん」
「し、シホちゃん」
特に行き場のない名前呼びラリーに、気恥ずかしいような照れの笑いがどちらともなくこぼれた。
「さて、せっかくこんなに眺めのいいところに来たことですし、お茶にしましょうか」
照れ臭い空気を払うように、ひとつ手をたたく。
「え?」
私は背負ってきた小さなリュックから金属製の水筒を取り出して、ふたになっていたカップにお茶を注いだ。
保温能力のない水筒なのでぬるくなっているけど、良い香りはそのままだ。
「うん、美味しい。キリちゃんもよかったら飲みませんか? ハーブティーです」
「えっ、あ、い、いただきます」
慌ててカップを受け取ったせいで取り落としそうになりつつ、キリオンは喉を鳴らしてお茶を飲んだ。
「あ、ありがとう。シホちゃん、お、美味しかった、です」
「おそまつさまです。良かったら、クッキーなんかも持ってきたんですけど、どうですか?」
私はリュックの中に入れておいた小さな包みを取り出した。自作だったら格好良かったけど、これはもともと買いおいていたものだ。
「クッキー?」
「ええ。甘い物が嫌いでなければ」
「き、嫌いじゃない」
「よかった。近所のお店で買ったんですけど、バターが効いていて美味しいんですよ」
いい景色を眺めながらお茶菓子を食べる。いい休日って感じだ。
キリオンは一枚のクッキーを大事そうにかじっている。両手を使って一生懸命食べる仕草が小動物みたいで可愛らしい。
どうやら甘い物は好きみたいだ。口数は少ないけど、顔を見ていると表情がころころ変わるので、何を考えているのかは意外とわかりやすいかもしれない。
クッキーを飲み込んだキリオンが私の顔を伺うように口を開いた。
「あ、あの……そろそろ、する……?」
「え? なんでしたっけ……。あ、魔法。そっか、キリちゃんは仕事をしに来たんですよね。すみません、くつろいでしまって」
ゆったりした空気に流されて、つい目的を忘れかけていた。
「ううん。でも、もしかして……忘れてた?」
キリオンがひかえめに表情を崩してくすりと笑う。
「居心地がよかったもので……。えーと、害獣駆除のお仕事なんですよね」
「うん。そう」
やわらかな笑顔を浮かべながら、キリオンはローブの合わせを開いて腰に落とし込んでいた黒い杖を取り出した。なにをする気だろう。
外の景色に目を向けると、顔つきが真剣なものに変わった。じっと一点を見つめたかと思うとまた別の方向に目を向ける。同じことを何度か繰り返して、キリオンが口を開いた。
「いた。あそこ」
森の中に向かって指をさす。
「えっと、どこですか……?」
じっと見ても、木の影ばかりで動物の姿は確認できない。
「見てて」
そう言ったキリオンが杖の真ん中あたりを左手で支え、視線の先に先端を向けて杖を水平に構えた。
右手にはローブの中から取り出した小さな石が指の間に握りこまれている。その手を頬の近くに寄せて杖の端に添えた。
キリオンの動きがぴたりと止まった。張り詰めた空気が伝わってくる。
そして、シュッという小さな風切り音が聞こえた。
「やった」
キリオンが呟いた。右手にあったはずの小石はいつの間にか消えていた。
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