26. キリオンふたたび
「ひとつください」
「はいよ。3リムだよ」
美味しそうなにおいに引き寄せられて、気がついたら屋台の前に立っていた。
あれ? いま私注文してた?
硬貨3枚と引き換えに、ほかほかと湯気の立つパンを受け取った。
細長いパンが縦に割られ、間には煮込まれてホロホロにほぐされたお肉が挟まっている。
食欲を刺激するスパイスと脂のにおいにあてられて、私はたまらずかぶりついた。
ざくっとした歯ごたえのあるパンのすきまから、お肉のスープがじゅわりと染み出してきた。こぼれないように、ちゅっとすする。
ねっとりと舌にからみつくようなスープは旨味そのもので、パンに染み込むことでひとつの究極が完成していた。
具材となっているとろとろのお肉は、もはやパンがなければ存在を保てないほどに柔らかく、口の中に入ったとたん溶けてしまう。
もはやこれは飲み物……!
一口食べ進めるごとに塩気と脂のガツンとしたうまみが脳を刺激して幸せ度を上昇させていく。なんともジャンクな味わい。
「ん~……っ」
夢中になって食べていたら、いつのまにか手元からパンが消えていた。
魔法みたいだ。
なくなってしまったことに名残惜しさを感じるけど、いまの私にはそれを受け入れる必要もなかった。
「お姉さん、とっても美味しかったです! もう一つください。今度はお肉多めで!」
私は食欲の求めるままに追加注文を決めていた。自分一人の食べ歩きなので、こんなことも好きなだけできてしまうのだ。
「あ、ありがとう。お肉多めね。はい、2個めだから増量の分はサービスだよ!」
「わあっ、ありがとうございますっ」
屋台のお姉さんから、こぼれんばかりのお肉が挟まったパンを受け取る。我慢できずにかぶりつきながら歩き出すと、通行人の目が私に向いていた。
う……わあ、なんか、すごい笑顔でパンにかぶりついているところを見られちゃった。
気恥ずかしくなって食べるのを中断してその場を立ち去ると、後ろから「俺も一つくれ」「うまそうだったな……」「あたしも、肉多めで!」と注文する声が聞こえてきた。
冷めないうちにいい場所を探さなくちゃ、と思ってパンを両手で抱えながら歩いていると、見覚えのある姿が目に入った。
真っ黒なローブを着た女の子が、通行人にぶつかりそうになりながらふらふらと歩いている。
私は手を振って呼びかけた。
「キリオンさ~ん」
キリオンはびくっと肩をすくめて立ち止まり、きょろきょろと自信なさげに周りを見回した。
近づいて話しかける。
「私です。シホです。ほら、ライカ亭で会った。覚えてます?」
恐る恐る私に向けられたキリオンの目がぱっと大きく開いた。
「あっ、おっ、覚えて、ます」
「良かった。あのあとどうしてるかなって心配してたんですけど、お店に来てくれないし会えなかったので」
キリオンは、以前ライカ亭を訪れた際にかなりの大金を置いていったのだ。
割ってしまったお皿の補填としても多すぎる額だし店で預かっていたのだけど、結局キリオンに返すことができないまま数日が経っていた。
そのことを伝えようと思ったら、キリオンの顔から、さっと血の気が引いていった。
「あ……ごっ、ごめんなさい、おっ、お皿……」
「お皿のことは気にしなくていいんですよ。割れちゃうものなんです。お皿って。私も割ったことありますし」
私が言うと、キリオンの顔色が少しだけ戻ったように見えた。
「キリオンさんが置いていったお金もちゃんととってありますから。お返ししますよ」
「かえ……? で、でも、弁償……」
「弁償なんてしなくていいんですけど……。どちらにしても多すぎるので、おつりを返したいんです」
気のせいかもしれないけど、キリオンは前に見たときよりもやつれているようだ。
ちゃんとご飯食べてるのかな……。
「お……つり……」
「いま、お時間があれば店に行きませんか? あ、もちろん忙しければ今度でもいいですし、こっちからうかがっても――」
「だっ、だいじょぶ。いくっ、いまっ」
すがりつくような目でキリオンが私を見た。
「じゃあ――」
――ぐうぅうう
行きましょう、と言う私の声と異音が重なった。
「あっ、あっ……」
――ぐぅぅぅうううううう
キリオンが自分のお腹をおさえて固まった。
お腹が鳴った音だったらしい。
「キリオンさん、お腹すいてるんですか?」
迷うように視線を泳がせてから、こくりとうなずいた。
そういえばさっき見たときもふらふらしていたけど、よっぽど空腹なんだろうか。
――ぐううぅぅう
一度鳴ったお腹の音が止まらない。キリオンが、私の手元をじっと見つめていた。目線の先にはお肉のサンドイッチ。そういえば手に持ったままだった。
「あ、よかったら、食べます? ……ちょっと食べちゃったんですけど、いやじゃなければ」
「い、いいの……?」
「ええ、もちろん。これでよければ」
私が差し出したパンをキリオンは両手でうやうやしく受け取った。指先がかすかに震えている。
ぱくりと小さな口でかぶりつく。ろくに噛まずに飲み込むと、また一口かぶりついた。
その両目が潤んで、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「えっ、大丈夫ですか? なにか嫌いなものでも入ってました?」
慌てて聞いた私に、キリオンはふるふると首を横に振った。パンは両手でしっかりと握られている。
「……とりあえず、ちょっと端に行きましょうか」
道の真ん中では目立つので、私はキリオンと一緒に道端に寄った。
キリオンは背中を丸めて休みなくパンを食べては涙をほろほろと流している。
時間をかけて食べきったころには涙も止まっていた。
私がハンカチを出して顔を拭っていくと、顔色も少し良くなっていた。
「足りなかったら、もうひとつ買ってきますよ」
「も、もう、だいじょうぶ」
「そうですか。少食なんですね、キリオンさんは」
おやつならともかく、空腹のときにパンひとつで足りるなんて。私なら3つでも足りないと思う。
「あっ……あの、ありがとう……」
「どういたしまして。では、ライカ亭に行きましょう」
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