第49話 「大切な声」
思い返せば一年と少し。異世界に来てから短い年月だった――なんて、振り返ってる場合じゃない!
「なんとか、こっから出てナナと合流することを考えないと……」
力が抜けて手錠は外せない。眠過ぎて集中できないから神器も呼び出せない。
考えに考えて少し経った後、俺はあることに気づく。
「……そういえば、あのケーキをたくさん食ってたのはアリシアもだったよな」
俺の次に食べていた。俺が致死量だったとするなら、アリシアの身も危険なことになる。
「一緒に脱出方法を考えよう。アリシアも危ないんなら、利害は一致するはず――」
「――なんで?」
「……へ?」
「私は、別に生きたいなんて思ってないよ?」
アリシアは指先一つ動かしていない。ただ死を受け入れる……と、言ったのだ。
「死にたいって言ってるのか……?」
「死にたいとは言ってないじゃん。ただ 、生きることに執着してないだけだよ」
死ぬ気はないけど、生き残ろうとも思っていない。
確かに、アリシアが最初に俺を窮地に追いやった時だって、ナナを追う兵士に殺されそうだった。
俺だけじゃなく、アリシアも殺される可能性があった。それなのに、俺を巻き込んだのを考えると、アリシアの言葉は真実だ。
「……はぁ、うん。そろそろ見栄を張るのもしんどくなってきた」
アリシアは壁に寄りかかると、辛そうに荒い息を吐く。
「痩せ我慢とか、得意だったんだけどなぁ……結構、しんどいねこれ……」
体質の影響とかあるんだろうか。俺より食べた量が少ないアリシアの方が辛そうだ。
「カイリは……まだいけそう、なんだね……これも神様のおかげ、なのかな。はは……ずるいや」
神の使徒として覚醒した後から体質が変わったのは自覚がある。
アリシアの息が上がっていく。
「アリシア、早く……治療しないと」
「……本当に、どこまでも優しいんだね、カイリは」
優しいなんて、自分をそんな風に思ったことはない。
アリシアはパーティーメンバーで、俺と一緒に来てくれて……性癖こそ拗らせているが、言ってしまえばそれだけだ。
「仲間を助けたいって思うのは……普通だろ……」
顔を動かすのも精一杯。今の俺にはアリシアを助けるだけの力はない。
「『仲間』、か……あんなことをしても、まだそう言ってくれるんだね」
「そうだよ。仲間だよ。アリシアはまだなにもしてない。全部未遂で終わってるんだ。それに、これかだって……」
アリシアが悪さをしようとしても、俺だけならなんとでもなる。
他の人が巻き込まれても全員助ければいい。
神の使徒の力があれば、それができる。だから、俺の中では今でもアリシアは仲間なんだ。
「優しいな……本当に、カイリは優しくて、強くて……だから、私もこんなに好きに――」
そこまで言ったところで、アリシアが倒れる。
「……そろそろ……本当に、やばいかも……」
「もう少し、頑張ってくれ。俺が、なんとかするから……」
方法は全く思いついてない。気休め程度の言葉だってこと、俺が一番分かってる。
「……カイリ、泣いてるの……?」
アリシアに言われて気づいた。
「おかしいよ……私のために泣くなんて……。私がどういう人間か分かってるはずなのに……」
分かってるよ。全部分かってる。アリシアは善人じゃない。人に危害を加えようとする人間だ。
「分かってても……どうしようもないだろ」
どんなに悪いことをしたとしても、俺はパーティーを抜け出して来てくれたことが頭に残ってる。
たとえ俺を油断させるためだったといえど、アリシアが俺を好きで、俺を大切に思ってるって気持ちは――偽りなんかじゃないから。
「……こういう時、私が優しい子だったら、カイリのことを気遣った言葉をかけるんだろうけど……私は自分の欲に正直だから」
「――」
「死の瞬間まで私のこと引きずって。私という存在を忘れないで。ずっと――私を助けられなかったことを覚え続けて。……私が最期に望むとしたら、そんなところかな」
「……あぁ、分かった」
「最期まで自分勝手だよね。でも……それが私だから。最初から最後まで自分のエゴを他人に押し付けて、そのエゴで自分すら追い詰める……最高に綺麗な終わり方、じゃない……?」
俺には理解できない思想だ。
ずっと、アリシアはそうだった。俺の理解できる範疇を超えていた。
「ははっ……そんな悲しそうな顔しないでよ。でも、私の死でそこまで辛そうにしてくれるなら……最初から、こうしておけば良かったかもね……」
パーティーから追放されて、アリシアしか味方がいない状況でアリシアに死なれてたら……間違いなく、立ち直れない傷を負っただろう。
アリシアからすれば、最高の死に方なんだろうが。
「でも、最後の最期に……カイリが悲しんでるところを見られて、私は幸せだよ。結局……私だけの力じゃ……無理だったし」
「……そうか」
「――あぁ、生きてて、良かったぁ」
アリシアはゆっくりと目を閉じ、それから二度と開かなくなった。
アリシアの皮膚は氷のように冷たくて――「死」の感触を、初めて味わった。
「次は……もっと、良い人生を送れるといいな……」
日本には「生まれ変わり」という概念があった。
この世界にあるかは分からないけど、もしアリシアが生まれ変わるのなら……こんな、「呪い」のような嗜好を持たされることなく、普通の人として生きられるように。
俺は心の中でそれを祈った。
◇
どれくらい時間が経ったのだろうか。もはや両手両足の感覚がなく、思考もまともに働かなくなっていた。
まるで夢でも見ているような、ふわふわとした感覚。
アリシアの最期の瞬間……あの時も、こんな感覚だったのかな。
「――様! カ――様!」
どこか遠くから、誰かの声がする。
聴力が弱っているから誰の声かは分からない。誰の声だろう。誰が、なにを話しているんだろう。
「――カイリ様!」
その声は、まるで俺の氷を溶かすように……熱く、必死な声だった。
俺の意識が暗闇に包まれ、あらゆる感覚がシャットダウンされる直前――
「――絶対に、治します!」
――そんな声が、聞こえた気がした。




