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大男の住まいは王都のはずれの、そのまたはずれにあった。はずれとはいえ都ではあったから、以前よりかなりましな場所だったといえるだろう。
彼は大酒飲みの博打うちで、そのふたつの事柄に全力を注いでいたため、その他のことには大変寛大な性格だった。
大穴を当てれば誰彼となくおごってまわり、私にも甘いお菓子をふるまってくれる。負ければ黙って飲み明かし、翌日にはけろりと忘れ去っている。
「幸運の数字をさずけておくれ、お姫様」
安物の蒸留酒を片手に、彼はそう言うのだった。
「今日の俺はついているかい? ちょいと多めに賭けたい気分なんだがね」
大当たりしてうかれた晩などに、彼は私を連れて酒場に向かうこともあった。テーブルの上に私を座らせ、これが俺の「運命の娘」なのだと常連客に紹介した。
彼は出歩いていることが多かったので、私は空いた時間を好きなように使って過ごした。一枚一枚のカードの意味をきちんと暗記したのも、このときのことである。
私が彼にとって運命の娘であるなら、カードこそ私にとって運命のカードと呼ぶにふさわしいものだった。
きっと、どんなにか由緒正しく高価な品物なのだろう。高名な占い師が旅の途中で落としたのか、それとも盗み出され、めぐりめぐってがらくたの中にまぎれこんだのか。
とにかく普通であれば、絶対に私の手元になど渡らない品だったにちがいない。それを何の苦もなく、偶然拾い出したなんて。
何という幸運! おかげで雨風の入らない暖かな部屋で、三食ついた暮らしができる。
手引書を暗記したのは、そんなカードに敬意を表してのことだった。だが最後のページ、最後の一文字を読み終えたとき、私はカードの持つ力すべてが自分の中に流れ込んだかのような感覚を覚えた。
いつのまにか、カードは自分の掌の延長のようにしっくりとなじんでいた。ぞっとするほどしっくりと──といってもいいかもしれない、いま思えばの話だが。
ともあれ、私の占いはますます的中率をあげ、やがて評判は中央にまで届いて、恰幅のいい見知らぬ紳士を王都のはずれまで呼び寄せた。
紳士は手ぶらで来たわけではなかった。彼が合図をすると、下男とおぼしき男たちが荷車から樽や酒壜をどんどんおろして、部屋に運び入れ始めた。
酒場の一番高い棚におさまり、いつもは眺めているだけでしかなかった銘柄が、壜のラベルから読み取れる。これが私をこの家から引き取るための対価というわけだ。
私は大男の赤ら顔が、飲んでもいないのに酔いしれたような色に染まっていくのを見た。対価は彼を満足させることができたし、同時に、彼との暮らしに飽きはじめていた私の気持ちも満足させた。
そうして私は、王都の中心へと赴いていくことになったのだった。
恰幅のいい紳士は世界をまわる貿易商だった。何人もの水夫たちが彼に雇われ、大きな帆船を動かしていた。
彼が住んでいるのは目抜き通りに面したお屋敷で、そこでは夫人と二人の愛娘が、使用人に囲まれてぜいたくな暮らしを楽しんでいた。
私は離れの部屋をあてがわれ、清潔な衣裳を身につけて、髪には香油をすりこんだ。
商人は各地で仕入れた美しい布地を、私のためにしばしば持ち帰ってくれるのだった。そしてテーブル上に地図を広げて、私の言葉を待ち受けた。
彩色された大きな地図には、濃いクリームの陸地とそれを取り巻く青緑色の海があった。海と陸をつないで、帆船の航路が優美な曲線を描いている。
その曲線を指し示しながら、私はカードの意味するところを告げるのだった。たとえば方角は東南東、出航は二十日後の日の出の時刻、積み荷は衣料──食品はまたの機会を待つように──。
商人が私の言葉をどのくらい本気にしていたのかはわからない。しかし商いは順調に進んでいるようだったし、苦情を言われたことも一度もなかった。
とはいえ、お屋敷内でもっとも私を必要としていたのは、商人ではなく彼の娘たちであっただろう。
人形のようにかわいらしい巻毛の姉妹は、両親にかくれて離れに顔をのぞかせては、私に占いをねだるのだった。
それは恋の占いだった。
お目当ての殿方と語らう場所、時刻、身につける服や靴や小物の色。別れの気配、そしてあらたな出会いの予感。
私をみつめる姉妹の眼差しには尊敬と羨望の色があった。
「どうしてそんなに腕がいいの?」
「いったい誰に習ったの?」
「ねえ、教えて」
誰に習ったわけでもないし、特に腕がいいわけでもない。ただカードを手に入れる幸運が私にあっただけの話だ。
だから、巻毛の姉妹が無邪気に私の部屋に入りこみ、カードをいじりまわしているのを見たときは、少なからずどきりとしたものだった。
手引書をめくる二人の姿に、私はこの豊かな生活が終わりを告げることを覚悟した。本さえあれば誰にだって占える。大金を使って私を雇う必要など、どこにもない。
ところが──。運よく、というのか何というのか、姉妹の占いはまったく当たらなかったのだ。
これには姉妹よりも私のほうが驚いた。けれどもちろん、その驚きはすぐに喜びにかき消された。
私はまだ運に見放されてはいない、路頭に迷うこともない──それに、この件について深く考える暇は私に与えられなかったのである。
ある日、お屋敷の前に到着したのは、二頭立ての白馬にひかれた馬車だった。金色の天蓋、頑丈な車輪、窓にさがった布には王家の紋章が縫いとられている。
私は、自分の評判がいつのまにか、王家からの使者を呼ぶほど響き渡っていたことを知った。
振り向くと、貿易商人やその娘たちが平伏していた。私は彼らの役に立ってきたし、いままた私を王宮に送り出す名誉やそれ相当の報酬を与えることができただろうと思った。
そこで私は金色の馬車に乗り込んだ。丘の上にそびえる王宮に向かって、馬車は軽快に進んでいった。