第8話 由衣の仄かな想い
カランカラン――
入り口に着いた鈴が店内に鳴り響いた。入った店内は昔ながらの喫茶店という感じで、照明は少し抑えられていてギラギラしすぎない落ち着いた感じと、いたるところに観葉植物が置いて有って心にも体にもとてもリラックスできそうだ。
「いらっしゃいませぇ。お二人様ですか?」
入り口付近に立って店内をきょろきょろと見回している俺達二人に気付いた女性の店員さんが声を掛けてきた。
「あ、はい。二人です」
ビクッと二人で肩を震わせるとそれだけがようやく口から出てくれた。
「どうぞ。お好きなところへお掛けください」
「ありがとうございます」
由衣と顔を見合わせてふふっと小さな声で笑い合うと、席を探して店内を歩き始めた。いつも行っている本屋さんとはまた違った雰囲気が有って自分にはすごく落ち着く感じがするけど、かなり年の離れた十代の女の子にはどうなんだろうかと隣を並んで歩く横顔ををチラチラと伺う。
――あれ? 意外と受けてる?
目を輝かせた由衣が、どこの席がいいか一生懸命に悩む表情を見せながら歩いている。その姿もまた微笑ましい。
「聖さんここでいいですか?」
由衣が選んだのは窓側で一番奥から二番目の席。「どうしてここ?」と聞いたら「なんとなく?」と疑問形で返されたから本当に何となく決めたんだろう。
席に座ると直ぐ店員さんがグラスに入った水とメニューを置いてくれた。
「お決まりになりましたらお呼びください」
ゆっくりとお辞儀して去っていく後ろ姿を見送り、由衣の方へ顔を向けるとなぜかホホを膨らませて俺を睨んでいた。無言のままお互いに向かい合わせになるように分かれて座る。
――え!? なに? 俺何かした!?
心当たりのない俺が頭を抱え込みながら考え始めると、一足先にメニューに目を通していた由衣がすでにパサッとテーブルの上にメニューを置いた。そして上着をいそいそと脱ぎ始めた。
太陽も高くなりつつあるので暑くなってきたのかと内心で思う。そして考え込んでいた頭を上げて由衣の方へ視線を向けた。
――なっ!?
上着を着ていたから分からなかったけど、下には肩が出るほど結構大胆なワンピースだったようだ。その肌の白さと大胆さ、そして何より少し潤んでいるような瞳で俺を見つめる由衣の姿に、また不覚にも心がドクンと高鳴る感覚を感じてしまった。
「…………」
そのまま何も言わずに見る由衣。
「あ、その……似合ってるよ……その服」
「え!? 本当!? すごく嬉しい!!」
きゃ~と言いながら胸の前でこぶしを握り締め、目をバッテンにしながら凄く明るい笑顔で喜ぶ由衣。
――またやられた……キラースマイルに……。
俺は両手で自分の顔を覆い隠した。もちろん自分の表情を由衣に見られないようにするためだ。そしてその事を悟られない様にと声を掛ける。
「何にするか決まった?」
「あ、うん!!」
すいませぇ~んと声を掛けながら右手を上げて店員さんを呼ぶ。すぐに気付いてくれて注文を聞きに来てくれた。俺はアイスコーヒーを頼み由衣はアイスミルクティーとバナナいっぱいタルトというスイーツも注文していた。
もちろんすべて払うつもりでいるから何を頼んでもいいけど、甘いものもしっかりと頼む辺りはやっぱり女の子だと思って笑ってしまう。
注文したものが届くまでの間は他愛もない会話をして待った。
数分後――。
「お待たせしました」
女性店員さんの声と共に注文したものが届いた。
「ごゆっくりどうぞ」
再び深いお辞儀と共にそう言い残して去って行った。
とりあえず二人そろって飲み物でのどを潤した。
「はぁ~……生き返るぅ~……」
一息ついた由衣がそんな言葉を発した。
「そんな大げさな……」
俺もコーヒーを飲みながらそんな由衣に優しく返した。
「そんなことな――」
カランカラン
由衣の言葉はお店の入口が開く鈴の音色で消されてしまった。そしてその後について入ってきた人たちを見た由衣が息をのむのが分かった。
「あれ? 由衣じゃん!?」
「ほんとだぁ」
そんな言葉と共に女の子数人とその後に男の子がワイワイ話しながら俺と由衣の席に近づいてきた。由衣の表情は明らかに動揺の色を見せていた。
俺というよりも由衣に対して声を掛けてきた、見たところ目の前の由衣とそれほど年頃的に変わらなそうな数人の男女のグループは、そのままスタスタとこちらの方へと歩いて近づいて来てくる。
由衣の表情は明らかに動揺していた。声をかけてきた少女たちの方から目線を外すように急に顔を窓際に逸らす。
何も言わない由衣にちょっと顔をこわばらせながら近づき、俺達の座るテーブルまで来るとそこで先頭の自分部tが立ち止まる。それに合わせるように後ろのメンバーも静かに止まった。
「えっと……君たちは?」
なかなかこの世代の子達が自分の目の前に集ってとどまっているという事がない。その事で少しの圧迫感を受けた俺は自然とそんな言葉が出ていた。
「ちょっと由衣!! 聞いてんの!?」
「あ、なに? それともシカト?」
何も言わない由衣にイラっとしたのか先頭で席の前に来た、このグループのリーダーと思われる女の子Aが表情を気にしようとせずに声を荒げると、それに合わせたように
後ろに居た取り巻き的少女Bが合の手を入れるかのように言葉を繋ぐ。
「シカトなんて……してないじゃん」
顔は合わせようとしないけど、小さな声でそれだけを口にする由衣。
俺が見る限り、どうみても由衣はこの子らと話したいとは思っていないらしい。ただ完全に拒否することもまた出来ない状況にあるのかもしれないと様子を見ているだけで気が付いてた。
――こいつら……俺の事は眼中にねぇのか……?
最初に自分が投げかけた言葉を完全にスルーされたことにふつふつと怒りが湧いて来てもいた。
「ちょっと悪いんだけど邪魔しないでくれるかな?」
スッと立ち上がって先頭でじぃ~っと由衣を睨みつけているA子ちゃんに向けて、怒気を含めて声を掛けた。
「何だよこのオッサン!!」
B子ちゃんが俺に吐き捨てるように言う。
「あんた由衣の何? お父さん? お兄ちゃん?」
今度は後ろで様子を見ていた男の子C男君が言ってきた。
「マジで何なん? まさか……カレシとかじゃないよね? こんなオッサン」
もう一人の男の子D男君が後半部分を吹き出すように言葉を吐いた。それに同調したように目の前の人達は一斉に笑い声をあげた。小さなお店は他のお客さんもいたけど、そんな事お構いなしにその声は響いていた。
「ち、違う!! カレシなんかじゃ……ないよ……」
声を打ち消す為か、それとも俺との関係を目の前の人達に誤解されたくないのか、由衣が大きな声を上げながら立ち上がり、身体の前で大きく両腕を交差させるように振りながら否定
した。
――だよな……そんな事は分かってる。わかってるはずだけど……腹がたつんだよなぁ。
目の前でたむろう子達に言われても今の自分では腹は立たなかっただろうけど、由衣に目の前でそう言われると無性に腹が立つのは何故だろうか。自分に沸き起こる心の鼓動をどうしても理屈や理由を探してしまう自分が嫌になる。
「いい加減にしてもらおうか。君たち結構失礼なことしているのは分かってるよね? ここはお店の中だ。用が無いなら出て行きなさい」
由衣を背中に庇うように立った俺は目の前の集団に先ほどよりも更に強い怒気を含めた低い声で話しかけた。
「な、なんだよ………このオッサン。由衣!! 後で覚えてなさいよ!!」
「由衣!! 忘れんなよ!!」
そんな捨て台詞を残し、入ってきた道を通って店の外へ集団のまま出て行った。
「なんだ……アイツらは……」
もう見えなくなった背中に向けて俺は怒りの納まらない気持ちをぶつけた。
「ごめんなさい……ありがとう……」
背中を向けているから表情は分からなかったけど、由衣がか細い声でそうささやいたのが分かった。
――何がごめんなさいなんだ?
店から完全に奴らが見えなくなったことを確認した俺は、くるっと体を反転させると由衣の姿を正面から見つめた。
笑った時のような明るい表情ではなく、悲しそうな目をして俯く由衣は静かに震えているように見えた。その体が小刻みに肩を揺らす由衣を見つめる。
――どうすればいい? 何を言ったらいいんだこういう時は……。
焦る頭の中とは裏腹に、何も言えないでいる自分が情けなかった。だから自分に出来ることをする。静かに彼女の両肩に手を置いて、そして精一杯の言葉を紡ぐ。
「泣いてもいいんだ……こういう時は」
俺にもこういう言葉が出て来る事に自分でも少し驚く。
「彼女……一番前にいた娘だけど、去年は……一年生の時は仲良かったんだ……」
俺の言葉を聞いた由衣は驚いたように目を大きく見開いた後、俺の顔を見つめ、またしても小さな声で呟いた。
小さく呟くように言葉を紡ぎ出す由衣。小さな体を震えさせるこの子にも、俺達の知らない……いや、俺達も通って来たであろうその世代の関係性の中でいろいろと有るんだと再確認した。
――ん……? 去年一年生だと?
「ちょっとは落ち着いた?」
「うん……」
震えていた方は確かに収まっているようだ。ただ、まだ下を向いていることに変わりはないけど。
「そう。なら座ろうか……」
「うん……」
俯いたままの彼女が椅子へ腰を下ろすのを見届ける。先程まで両手の内に感じていた彼女の温もりが離れてしまう寂しさが、俺の胸にチクッと小さな痛みをもたらしていた。由衣が座り落ち着いたのを見届けると俺も元いた場所へ腰を下ろした。
「由衣……ちょっと確認なんだけど……」
「ん?」
首をちょっとだけ傾げて俺を見つめてきた。
「由衣って今……二年生?」
「そうだけど……?」
「と言うと十六?」
「ううん春に十七になったよ」
「そ、そうか……」
目の前に有るカップを持ち上げて口へと運ぶ。
――そうか……十七歳かぁ……
世間体的には完全にアウトだと告知されているような気がした。
「それが……どうしたの?」
「う~ん……どうっていうか……良いのかぁって思ってさ」
俺の言葉の意味を理解できずにいる由衣は、頭の上にハテナが出ている感じでキョトンとした表情のまま、俺の事を見ていた。
――こういうところはやっぱりまだ子供っていうか……。
「いや。俺みたいなオジサンといるより、さっきのヤツラみたいな同じ年代の子といる方が楽しいんじゃないかと思ってさ」
「そ、そんなことない!!」
言うとテーブルに両手を着くなり立ち上がって大きな声で反応した。
ハッと意識が戻った由衣は辺りをキョロキョロとすると、ホホを少し赤くしながら腰を下ろした。
「そ、そんなことないよ。私……聖さんといる方が楽しいって思ってるから」
恥ずかしそうにしながらカップをおもむろに持ち上げ、グイっと勢いをつけるように口の中へ飲み物を流し込む。
その姿を見た俺は、目の前にいるこの娘を、由衣の事を守ってやりたいと思ってしまったのは、やっぱりいけない事なのかな?
ちょっとの間何も言わず沈黙の時間が続くと、俺達の様子を伺っていた店員さんが頼んでいたケーキを持ってきてくれた。
由衣がケーキをおいしそうに幸せそうな表情をして頬張る。俺はその様子を微笑ましく見ていた。
――遡る事数週間前。
「あ……飛行機雲だ……」
何となくクラスの窓際からぼんやりと空を眺めていた。授業もすべて終わった放課後の教室はもう誰もいない。
独りで静かに好きな本を読むにはちょうどいい。通っている高校はこの辺では有名な進学校で周りは常に[敵]とかいうキツイ視線と共に毎日を過ごしていく。一年生の時は割と仲が良かった人も二年生に上がった途端に変わる。成績と進路によって編成される二年生のクラスは自分以外には興味が無いと言わんばかりの人達が集まっていた。
授業自体は分かりやすいし校風もそれなりに厳しく物でもない。でも進学クラスと言われるこの教室の中の雰囲気だけは夏休みもすぐに迫った今になっても、今の自分には合わないように感じていた。正直息がつまる。そんな高校生活を私は送っていた。
――このまま流されていくんだろうか……。
そんな感情が自分の中で毎日のように沸き上がっては消えていった。
クラスの中で仲良くなった人なんていない。だから今のところ、友達と言えるのは一年生の時に仲良くなった数人だけ。その中でも春奈は何かと私を気にかけてくれる。なんというか……お姉さん的な感じ。
今も彼女が部活を終わりをただ静かに本を読みながら待っていた。
自分が今一番好きな本[ラノベ]を読みながら――。
「それで?」
「え?」
部活の終った春奈が教室に迎えに来て、一緒に並んで歩きながら下校している。彼女の手に持つバッグには部活で使う野球グラブが場所を主張するように鎮座していた。突然振られたそのフレーズの意図が分からなく小首をかしげる。
「もう!! だからその本屋の人よ!!」
「あぁ……」
春奈の言う彼とは、最近よく言うようになった店内で本が読めるスペースのある本屋さんの中で逢う男性の事。最初はなんとなく席を譲ってほしそうな顔をして見られたから、自分のいた席を譲ろうとしたんだけど、そのままお話をして時間をつぶしてしまった。
それから毎週のようにその店で逢うようになり、今ではそれが当たり前になりつつある。そしてそれを私自体がそのこと自体を待ち望んでいるような感じがしていた。
――なんでだろう?
「別に……何もないよ。いつもと一緒。本読んでお話を少しして……それだけ……」
――なんでだろう? 自分で言っていて少し胸がチクッとするのは……。
春奈の質問に答えた。ただただ素直な気持ちを話しただけなのに……そのはずなのに、気持ちが晴れないのは何故だろう?
「もう!! 今まで恋とかしたことないんでしょ?」
ショートボブで少し日焼けした、見や目からして健康優良児な彼女が白い歯を見せながら笑顔でのぞき込んできた。
「恋? 恋って……どんな感じなんだろう……?」
「さぁ? あたしもわかんないから由衣に聞いたんだよ。でもね……」
ちょっと何か含んだような笑い方をした春奈を訝し気に見つめる。
「でも……今の由衣を見てるとなんというか楽しそう? だから……それが恋の始まりなんじゃないかぁって思うんだ」
「っ!!」
春奈の言葉に胸の奥で何かが跳ねる様な感じがした。
そのまま何も言わずに私は下を向いてしまった。なぜか突然恥ずかしくなってきたから。
「今日は?」
「ううん。いかないよ」
「そっか……」
二人で顔を見合わせてふふって微笑むと、そのまま帰路についた。
「恋……かぁ……これがそうなのかなぁ……」
春奈に聞こえない様に小さく呟くと、沈む夕日をしっかりと見つめていた――。
お読み頂いた皆様に感謝を!!
この物語は不定期更新です。
改稿が終わり次第に掲載していきますので、次回予告はできません。あしからずm(__)m




