第5話 交換しよ
隣にいて、正面を向きながら座っているのに会話もなく重い空気が流れる。助け舟を出せるであろう栄太は長尾さんと共に戻ってくる気配はない。
――何とか間を持たせなければ……。
大きく息を吐いて唾をごくんと飲み込む。
「小松さん。今日は……読みたい本見つかった?」
やっと出てきた言葉はこんな感じだった。でも俺から言葉をかけたことで少し落ち着いたのか、彼女が俺の方へ顔を向けてくれた。表情は先ほどと違ってどこかぎこちない笑顔ではあるけど。
「え~と……まだお店見てないので……」
「あ、そっか……じゃぁ見て回って来たら? 俺が荷物を見ててあげるから」
「…………」
ちょっと首をかしげてホホに手を着きながら何やら考えているようで返事は無かった。
「小松さ……」
「宮城さん。まずその小松さんていう呼び方やめません? 私達がここで出逢ってから結構な時間が経ちましたよね?」
「へ?」
意外な言葉が出てきたので面くらい、頭のてっぺんから声が抜けたような返事を返してしまった。
くすくすくす……。
彼女はいつかのように肩を少し揺らして笑い始めた。その様子を見てようやく先ほどの気の重さが解けたように感じた。
「小松さんはそうやって笑っている顔が良く似合うよ……」
俺は感じた事、思った事をそのまま口にした。
「また……」
肩を揺らしながら少しホホを赤く染めた小松さんが俺を見ると、小さく呟いた。
「どうした?」
「由衣……」
「え!?」
グッと体を突き出してきて俺の前に顔を近づけてくる。
――ち、近い!! くっ!! 本当にかわいいな……いやいやいや、ダメだダメだ。うん。しっかりしろ俺!!
「私も宮城さん事を聖さんと呼ぶんで、私の事は由衣って呼んでください!!」
胸の前で両手をグッと握る彼女。ちょっと鼻息が荒くなってるようなので、けっこう興奮状態になってるようだ。
「えと……由衣……ちゃん?」
彼女が首をプルプルと左右に振った。
「由衣です!!」
「…………由衣」
「はい!!」
ぱぁっと明るい表情になったかと思うと凄くいい笑顔で俺の呼ぶ声に返事を返してきた。
「じゃぁ一緒に本を探しに行きましょう!! 聖さん」
俺の腕を握るとグイっと引っ張って立たせようとする。俺は机に脚がぶつかりそうになるのを何とか回避して、二人分の荷物を両手に抱えた。小さな声で由衣が「ありがとう」とお礼を言う。それだけの事なのになんだか無性に嬉しくなった。
――ちょっと……まずいかもしれないな……。まさかこの娘に俺が……?
自分の心の底に沸き起こる感情を感じ取る。
「どうしたんですか?」
俺の先を機嫌よく歩く由衣が俺が付いてきてない事に気付いて立ち停まり、ふわっとした笑顔と共に振り向いた。
「……いや、何でもない。行こうか由衣」
停まっている由衣の隣まで歩いて行くと、ホホを少し赤く染めた由衣が上目遣いに覗き込んできた。その顔に俺も自然と笑顔になる。
それから二人で並びながら本を探しに奥の棚へと歩いて行った。
棚に並ぶ本を女子高生と並びながら見ている。はたから見ているとエンコ―とか言うやつの二人にみえたりしているかもしれない。そんな事が頭をよぎりつつ由衣の後を追うように歩く。
それまではスススっと目で確認するだけで素通りだったけど、一つのコーナーで由衣はサッとスカートに手をかけるとヒザを折り、腰を下ろしながらまじまじと表紙の題名と作者を見つめ始めた。
棚のタグには[ラノベ]と表示されており、この前ここで見せてもらった本も見つけることが出来た。
「なぁ由衣……」
ちょっと気になったので聞いてみる事にした。
「何ですか?」
振り向きながら返事をした由衣の顔が、腰を下ろした俺の顔に近づいた。
「「っ!!」」
由衣は眼を見開くと直ぐに立ち上がった。俺は少し恥ずかしさもあってそのまま顔と共に視線を由衣がいる方向とは逆に振るのがやっとだった。
「そ、それで、さっきの質問って何ですか?」
由衣の声がちょっと上ずっていた。
「え? あ、うん。その……由衣って好きな作家さんとかいないのか?」
情けないことに俺も少し動揺していたのか、噛みながら質問を口にした。
頭の後ろをポリポリと掻きながら由衣の方を見ると、制服を着て座っている時には気付かなかったけど、立つとちょっと大き目な膨らみが目に飛び込んできた。その膨らみの前で両腕を組み、目をキラキラと輝かせて俺の方を見ている。
「そ、それを聞いてくれますか!!」
「え!? あ、うん。もちろん……」
先程の恰好のままで俺の方へグングンと近づいてきた。そして俺の前で両足をダンッと音をお立てるようにそろえて止まり、見上げるようにして下から俺をのぞき込んできた。
「私が好きなのは……」
「すきなのは……?」
なぜか俺はごくりとつばを飲み込んだ。
「この作者さんです!!」
「そ、そうなんだ?」
「うん!!」
俺の目の前に本を掲げながら、凄くいい笑顔で見上げてくる
「この作者さんは……こういう冒険物書いてる作家さんなの?」
俺はすぐ横に並べてあったカラフルな表紙に男の子や女の子が描いてあるイラストの本を手に取りながら聞いた。
「ううん!! この作者さんは現役大学生で……から……で、すごいの!!」
ぎゅ~っと胸の前で組んだ手を握りしめながら熱く語る由衣を俺は微笑ましく見ていた。話の内容はそんなに覚えていない。いや……聞いてなかったんだと思う。
――熱くなったりするんだなぁ……。
俺はまた一つ由衣の事を知った感じがして嬉しくなった。
そしてその作者の本が置いて有る棚にたどり着くと、由衣は眼をキラキラとさせ始める。棚の前に特集というポップと共に三列に積まれている本を一冊手に取った。表紙には帯もついていて先生方のレビューなどが書かれていた。
俺は本の中身をパラパラとめくってみる。そして先ほどのポップを見てみる。
「おい由衣……」
「ん?」
凄くいい笑顔のまま振り向いた由衣の顔にドクンと胸の奥でまた何かが弾けた気がした。
「こ、これ……」
俺はポップの横に貼ってある手書きのポスターみたいな紙を指さした。
「え!? ほんとに!? すごいすごい!!」
そこには[○○先生のサイン会整理券配布]と書いてあった。
「行きたいか?」
「もちろん行きたい!!」
ぴょんぴょんと少しだけ俺の目の前で跳びはねる由衣。その仕草がちょっと子供っぽくて自然と笑顔になった。
「じゃぁ早く買って整理券貰おう!!」
「え? 宮城さんも買うの……?」
「一緒に行こう……。ダメ……かな?」
俺の言葉に由衣の顔がぱぁっと明るくなったような気がする。少しホホも赤くなっている。
「うん!! 一緒に行こう!!」
俺と由衣は一冊ずつ手に持って、そのままレジに向かって歩き出した。
本を購入してテーブルと椅子のある場所まで戻ると、栄太と春奈が腕を組みながら立ったまま待っていた。
俺と由衣は何故だか申し訳なくなって謝りながら近づいて行ったのに、一方的に俺だけが二人から文句を言われ続けた。「どうして俺だけ?」と聞いたら二人からは「何となく……」という理不尽な答えが返ってきた。
でも隣に立っている由衣はそんなことお構いなしのように笑顔をずっと崩すことは無かった。そしてその様子を見ていた春奈が由衣の体をぎゅ~っと包み込むように抱きしめた。由衣は眼を大きく見開いて顔を少し赤くしながらワタワタと手を動かしてもがいていた。
俺と栄太はそんな二人を見て、ふ~っとため息をつく。
それからおじさん二人は椅子に座って荷物を監視することにし、テーブルに荷物を置いていると女の子二人でまた本の棚の中へ消えて行った。
「で?」
突然、栄太が俺の肩をツンツンしながらそんな声を掛けてきた。
「なんだよ……?」
何となく言いたいことは分かったけど、言葉にしてこない限りはシラをきる事にする。
「いやだってさっきのお前たち……いい感じだったからさ」
「いい感じ……? 本当か?」
――その辺りを詳しく!!
俺はツンツンする指をギュッと握ると栄太は「ぐぎゃ!!」とか言っていた。
「脈はあるんじゃないか? 上手くやればな……」
「上手くやればかぁ……」
さっきまで嬉しかった心は、その言葉を聞いてズンと一気に重くなったような気がした。
それから十数分ほど待っていると、春奈が手に袋を抱えてほくほく顔をしながら戻ってきた。由衣は春奈の後ろを笑顔のまま両手を後ろに回して歩いてきた。
「で? これからどうする?」
栄太が俺の顔を見ながら声を掛けてきた。
「俺はもう少しここで休んでいくよ」
「わ、私も少し休んでから帰ります!!」
俺の言葉尻がまだ言い終わらない前に、由衣が言葉を被せてくる。
「あ、じゃぁ私も……」
「それじゃぁ俺は春奈ちゃんを駅まで送ったらそのまま帰るわ」
栄太は俺の方を見ながら目により合図を送って来た。自分の言葉を言い終わる前に栄太に「いいから、いいから」と言われながら店の外に一緒に連れられて行く。
今でも奥様loveな栄太だから、女子高生の春奈ちゃんと一緒だからって何かあるわけじゃないだろう。だからアイツが送っていくというのであれば俺は安心していた。
「あぁ~あ……」
そんな声が俺の口から洩れていた。
くすくすくす
顔の前に手を当てながら面白そうに笑っている由衣。俺はこの顔を見るのが凄く好きな事に気付いた。
――この子は自然な笑顔が一番かわいい。
そんな事を思っていると目の前にスッとスマホの画面が現れた。
「ん?」
訝し気な声と共に顔もちょっと怖くなっていたかもしえない。
くすくすくす
それでも笑い声は絶えず続いていた。そしてスマホの画面はだんだんと俺の顔から離れていき、制服を着た女の子の胸の前で止まる。
もちろんその女の子は由衣である。
「宮城さん!! 連絡先交換しよ!?」
――っ!!
勿論すごくかわいい笑顔でそんな事を言われたら、俺の心が射抜かれないわけがないのだ。
偶然の遭遇から三日が経とうとしている――。
新しいとは言えないアパートの一室。二階の角部屋にある自分の部屋の中。狭い部屋に似つかわしくないほどに大きめのベッドに敷きっぱなしになった布団。その中に入って一人でゴロゴロと転がりながら考え事をしている。
手に持ったスマホの画面をタップして彼女の名前が載っているアドレス帳を見つめたり、時間が経って暗くなった画面を再度触って起動し、教えてもらったアプリを起動すると何か書き込みが無いかと確認する。そして何もないと知って落胆し、スマホを布団に投げ捨てるように置く。時間が経てばまた気になってスマホを手にする。その繰り返し――。
いい加減に落ち着こうかと、ゴロゴロしていて体に絡まった布団をはぎ取るように離し、そのままベッド脇に足を出して座ると、一つ深呼吸した。
――何をしてるんだか……。
まるで初恋をした時の中学生にでもなった気分を思い出して、重くなった頭をブンブンと左右に振る。そしてまた気になってスマホをのぞき見してしまう自分に苦笑いした。時間を確認するように壁に掛けてある時計に目を走らせた。時刻はまだ午後九時を過ぎたばかり。
クーラーが聞いている室内は半そで半ズボンで過ごすにはちょうどいい温度になっている。その中で仕事から帰ってきて飯を食べ、シャワーを浴びて少しゆっくりしようかとベッドに入ったはいいけど、そのままのたうち回るようにしていたら結構時間が経ってしまっていた。
ベッドからスッと腰を上げてそのまま歩いて行き、冷蔵庫の前にしゃがみ込むとドアを開けて冷やしてあった缶ビールを手に取ると、後ろを向いてそのまま立ち上がり、テーブルの横まで移動して腰を下ろす。
ブシュっといい音を立てながら栓をあけ一気にゴクゴクと身体に流し込む。意外とのどが渇いていたらしく半分程の量を飲み干した。
――なんだかこんな気分になるのは久しぶりだ……。
高校時代は部活に夢中になりながらも彼女の存在はあった。自分から想ったわけじゃなく相手から告白されたものをそのまま受けて付き合った。それも長続きせず付き合っては別の子と付き合ったり。自分にはその当時部活の事が大事過ぎて女の子の事を気にかけることが出来なかった。
大学に進学してもサークルではなく部活として入ったところで楽しい日々を過ごした。そして恋をした。初めて自分からその女の子が好きだと実感した。でもその子にはすでに隣にいつも同じ男がいた。自分の気持を封じ込めてその二人を応援することに決めた。ただ思っていた事にはどうしてか進んでいかず、なぜかその男と親友のように仲良くなってしまった。いや……懐かれてしまったというべきか。
ソイツとは今も関係が続いている。先輩後輩という社会的な関係になった今も尚。
――俺に恋はなんて向いてないのかもな……。
独りで物思いに更けながらビールをのどに流し込んでいると、ベッドの上に置きっぱなしにしていたスマホが所在なげにブーブーと震えているような音を立てた。こんな時間に自分あてに電話してくる相手なんてしれている。どうせアイツだろって心の中で舌打ちしながらスマホを拾うべく身を乗り出してベッドに手を伸ばした。
――え!? なんで!?
手の中で早く出てくれと催促するように震えるスマホの画面には、小松由衣と表示されていた。
お読み頂いた皆様に感謝を!!




