第16話 味噌汁
由衣の視線に怯えるような自分の様子に、なぜか少しだけ面白くなってきた。
――誰かとこんな言い合いなんていつぶりだろうか?
由衣の言う事だから……そんな気がしてきて、その気持ちに従おうとする。今まで隣に居た女性に感じた事のない安心感というか……当たり前に受け入れられる自分がいる。
「私、何かおかしいところあります……?」
「え?」
声をかけられてはっとする。由衣を見ているままで顔がニヤついてしまっていたらしい。
そのままベッドの上で全身を慌てて見はじめる由衣。布団を押し退けて、スッと立ち上がったり座ったり後ろ向いたり、屈んだり。
――おいおい……あんまり激しく動いたら……服がデカいから見え……っ!? なんか二つの白い丘が見えたような……うん! たぶん見えた!!
「ゆ、由衣!!」
急ぎ慌てながら由衣のいるベッドから視線を外して後ろを向き、声をかけてから自分の寝る布団の方へ向かう。
「ん?」
「その! あ、あんまり激しく動くな……その、見えちゃう……ぞ?」
後ろから流れる空気が変わる。ひゅっと息を吸い込む気配がした。
――あぁ……そりゃ叫ぶよね……。そして明日以降の新聞案件だな……。
空気感に耐えきれずにのどがごくりと鳴る。
しかし、身構えてまっていたのにもかかわらず、いくら待っても後ろから上がるはずの声は聞こえて来ない。それに、ベッドの上で自分自身を確認するために動きまわっていた気配もピタリととまったままで、振り返るのが怖いくらいに静かになった。
自分が寝るために敷いた布団の上から、恐る恐る後ろを振り向く。時間をかけて少しずつ。
――っ!? なんかかわいい生物が俺の部屋にいる!!
赤くなったままにペタンと女の子が座る形に腰を下ろし、俺のベッドの上で、俺が枕代わりに使っているクッションを胸の前に抱きしめている。
「あ、ゆ、由衣?」
「…………」
名前を呼ぶと、ゆっくりと視線が上がったり下がったりを繰り返す。
「由衣さ~ん……?」
「あ、あの……」
小さい声だけど、ようやく会話のキャッチボールをかえしてくれた。
「ん? どうした? 大じょ……」
「見ました?」
じぃ~っと俺を見る視線と俺の視線が重なる。すぅっと背中に流れる汗。
――ここはどう言うべきか……。正直に?いやいやうまく誤魔化して……でも由衣にはあまり嘘をつきたくはない。ならば迷うことはないよな……。
「いや。見えてないよ」
――ああぁぁぁぁ!! 俺のばかぁぁぁ!! へたれかぁ!!
「……なら、良いです……」
由衣はまだ赤い顔をしたままテレビの方へと体の向きを変えた。
そんな由衣を見て、ホッとした俺は、今後何も目にしないように床に敷いた布団を被り、由衣とは反対方向を向いて丸くなった。
「えっと……そのままそのベッド使っていいからね」
「えっ!? でも……」
「大丈夫! な、何か欲しいものあるかな? あ、枕……は」
近くにあった真新しクッションを由衣に差し出す。前に栄太が泊まるときに買って置いていったものだ。結局は飲みつぶれて使わずにそのまま部屋の隅に忘れさられていたもの。
買ったままなのでビニール袋に入れられたままだから綺麗なはずだ。
「え? でもクッションならここに……」
「いやこれはおれが使ってたやつだから新しいの使っていいから」
「あ、ありがとう……でも、私は聖さんの使ったまま……」
「え? 俺のがどうかした?」
自分の寝る布団を用意しながら再度由衣の方へ顔を向けた。
「いえ!別に何でも!!」
両手をぱたぱたと振りながら、ホホをうっすらと赤くする由衣。
「ん?そう……?あ、テレビとか観たいなら自由にしていいからね」
「……ありがとう」
寝る前まで少し時間があるので、食事していたテーブルを自分の布団の近くまで移動して、あまり部屋では起動させないノート式パソコンを立ち上げる。
――何かしてないと間が持たん。
画面を覗きながら由衣の方をチラッと見る。
ちょうど由衣もこちらを見たらしく、頬を更に赤くして慌てた様子でテレビの方へ顔を向けた。
それを見た俺も何故か恥ずかしくなってパソコンに視線を戻す。
――こういう時は何を話したらいいんだろう……さっきのこともあるし話しづれぇ……。
部屋で女性と二人きりという状況はよく体験していたけど、それはあくまでも交際している事が前提にあったから。しかも成人している相手だった。
今、自分の部屋でテレビを観ながら笑ったり怒ったりしている相手は――。
心の中で何も考えないようにして、再度パソコンに視線を移す。いつしかそのまま寝付いてしまった。
数時間後――
眠る聖の背中の前でうずくまる小さな影。声をかけるわけでも無く、ただ眠る聖を見ていた。
「聖さんのエッチ……でも信じてますよ」
小さく呟いた言葉は、深い眠りについていた本人には届くはずもなかった。
――いつの間にか寝ていたのか……。
体が痛いのは……そうか昨日は床に布団で寝ていたからな。外を元気に飛びまわりながらも、可愛いく囀る鳥たちの声を聞きながら、寝起きで回りきらない頭を少しずつ起こしていく。いつもの休日の朝とは少し違う見える景色。
くんくん――。
そしてそれ以上にちがう部屋の中に漂う匂い。
くんく――。
まだぼんやりとしか見えない目を擦りながら、どうにかして下りようとして来るまぶたを気合いでおし留める。
ピリッと痛む体を何とか回して部屋の中を見渡すと、台所に見慣れぬ人影を確認した。
――女の……子?
そうだ……昨日の雨で由衣を泊めたんだっけ……。
そのままぼぉ~としながら後ろ姿を見ていた。
くるっ
「「!?」」
なにげ無しに振り向いた由衣の目と目がバチッと音を立てたと錯覚するほどに合う。お互いにそのまま黙り込んだ。
「あ、あの……」
「ん!?」
「起きました?」
「え? あ、うん起きたよ。ありがとう」
何がいったいありがとうなのかわからないけど、出てしまった言葉は消せやしない。
「ありがとう?」
「あ、うん。なんとなく……」
「ふふふ。変なの」
語尾が上がり、疑問形な感じでかけられた言葉を後に、由衣はまたくるっと顔を台所の方へ向けると何やら楽しいそうに手を動かしはじめた。
「な、何をしてるんだい?」
のそのそと芋虫状態の布団から這い出して由衣に声をかける。由衣の方から鼻に漂う匂いの正体を確かめたかったのもある。
――単に由衣の側に行きたいと思っちゃったんだよな。思っていい事じゃないかもしれないど……。
「えっと……。昨日泊めてもらったので、そのお礼というか……。朝ごはんを作ろうと思って。あ、勝手に台所使ってごめんなさい!!」
あせあせと手を動かしながらペコっと頭を下げる由衣。
「朝ごはん……そうか。すっかり忘れてた……」
昨日の夜は[泊める]という事しか頭には無かった。俺の生活のサイクルには朝ごはんを食べるという習慣はない。毎日起きたら少し砂糖を落としたコーヒーをすすり、頭を起こして動き出す。そのまま着替えて出勤――。
だから朝に何かを食べるという概念が抜けていた。由衣から言われて改めて生活習慣の違いに気づく。
由衣はしっかりと三食摂取する生活を送っている。
――ちゃんとした家庭の中で育っているんだな。俺の今の生活とはやっぱり違う……
「あの……聖さん?」
由衣の方を見ながら何も言わず黙って立っている俺をすぐ隣から覗き込んでくる。
――顔……ちっちゃいなぁ……しかもかわいい……あ、いやいや何を考えてるんだ俺!!
「あ、いや。全然気にせずに使ってもらって構わないけど。けど……そんな朝メシ作れるほど冷蔵庫に物入ってたかな?」
「はい。大丈夫でした。ある物で申し訳ないんですけど、そんなに大したものは作って……」
下を向いて本当に申し訳なさそうにする由衣。
「何言ってるんだよ!! これ味噌汁でしょ? キミが作った味噌汁なら毎日でも飲んで……」
頭に浮かんだことをそのまま口にした俺。
「…………」
「あ……」
途端にホホから赤く染まっていき、顔全体が赤く染まる。耳まで真っ赤にした由衣。
――俺は今何を言った!? 何を言ったんだ!!??
沈黙が落ちる二人の前で味噌汁だけがぐつぐっと音を立てている。
「「あの」」
同時に声をかけて共にびっくりし、そのまま顔を見合わせて笑いあう。
「そろそろご飯にしましょうか」
由衣が微笑みながら隣の部屋にあるテーブルを指さした。
振り向いた俺はテーブルの上に並んでいる品を見て驚いた。
「こ、こんなに? あるもので作ったのの?」
自分一人ではぜったに並ぶことが無いであろう数の品々。ざっと五種類はある。
――由衣はいったい何時から起きてたんだろう……。
促された通りに食べる用意をしながらそんなことを思った。由衣の方を見るとまだ顔がうっすらと紅く染まっている。桜色――そんな表現がぴったりだ。
数分後――
二人体面に座って食べ始める。「うまい!!」「ありがとう」そんなことを言いながら楽しく朝ごはんを食べることができた。何年振りかの女の子と二人だけの朝ごはんに少し緊張しながらだったけど、うまく由衣には悟られる事なく済んだ。
後かたずけまで由衣がするといってくれたけど、帰りの支度をしなくちゃいけないだろうと由衣を説得して、俺が使った食器などを台所で洗う。
後ろの方で布がしゅるしゅるとこすれる音がする。由衣が着替えているのだろうけど、ここに男がいるのにと思いつつ振り返りたい気持ちをグッと我慢する。
そして、とうとう由衣が部屋を出る時間になった。
荷物をもった由衣トントンとおとを立てて靴を履く。玄関に立つとクルっと振り向いた。そのまま部屋の中をゆっくりと見回す。
「あの……ありがとうございました」
ゆっくりと身体を折って頭を下げる由衣。
「いや……こんなところでごめんね……」
「そんなことないですよ!! 楽しかったし……嬉しかったし」
「何が?」
――そんな嬉しい事なんてあったかな?
「な、なんでも!!」
顔を赤くして両手をバタバタと振る由衣。
「そ、それじゃかえりますね」
「お、送っていくよ……」
「い、いえ大丈夫です。あんまり側に居ると帰りたくなくなっちゃうから」
それじゃって言い残すとたたたと軽快な音を立てて走っていく。
急いで靴を履き、外に出ていくと由衣がこちらを向いて立っていた。
「さっき言ってくれた言葉……本気にしちゃってもいい……ですか?」
「え!?」
「ふふふ……それじゃまた!!」
そんな言葉を言い残し、今度は振り向かないで走り去っていった。
後姿をずっと見送る俺。
――本気って……!?
由衣の言い残した言葉を考えて動けなくなってしまった俺はそのままただただ立ち尽くしていた。
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