第15話 渦巻く感情
「私を……泊めてくれませんか?」
沈黙した部屋の外。窓に打ち続ける雨は激しさをまず中で、俺の心と頭の中にも爆弾の嵐が投下され続けていた。由衣の方はというと、少し顔を下に向けたままもじもじと動いている。
「え、え~っと……もう一回言ってくれるかな? おじさん聞き間違ったかもしれないから」
やっと出せた言葉はそんな陳腐で取ってつけたようなセリフ。自分でも笑ってしまう。
由衣に視線をロックしたままそらさないように気を付けているが、なぜか体をくねくねさせて悶えてる感じがする。
――いや、悶えたいのは俺の方なのだが……。
そんな由衣がかわいいと思ってしまう俺はすでにアウトなのかもしれない。
目の前に居る少女ははっきり言うとかわいい。そんな娘がこうして同じ部屋に居るこの奇跡的空間。いままでで一番贅沢な時間だと思わないでもない。
「ごめんその……今、泊まりたい……とか言わなかった?」
いつまでも沈黙していても進まないので更に重ねて聞いてみた。
「あ、あの……あはは……うん。そう!! 今日、私を泊めてください!!」
なぜか笑われた。
――やっぱりかぁ……う~んどうしようか……。
これはいわゆる青少年なんちゃらに抵触する可能性があるからなぁ。
そうなると彼女を泊めていいのかどうかといわれると、俺個人的には泊めることには可能ではある。そして今の状況を考えるとそれがベターかとも思う。
外は出ることもためらわれるほどの雨で、電車も動いていない。タクシーもバスもダメとなると歩きということになるけど、こんな時間にこのようなかわいい女子高生を一人で歩きで帰すことはためらわれる。そして俺は免許は持っているが車は持っていない。
――う~ん……どうするか……。
由衣から言われた言葉を頭の中で整理していく。その過程でいつの間にか胸の前で腕を組んでいた。
「それに……明日は休みだし、お母さんに今日は雨にあたって濡れちゃったからトモダチのところに泊めてもらうってさっき連絡しちゃったし」
「へ? もうそんな連絡してたの? いつの間に……。で、お母さんは何て?」
考えている最中に言葉をかけられ声が裏返る。
「ほら」
いつの間に連絡をしていたのか気づかなかったけど、確かに由衣から見せられたスマホのアプリ画面にはそれらしき形跡があり、確かに母親らしい人物は承諾していた。
「ほ、本当だ……。え? というか……友達って俺?」
「うん!! そうだよ!!」
――そうか……由衣的に俺は友達だと思われているなら、それは当たり前にできることなのかもしれないなぁ……。なら俺にできる選択はもう決まってるのかもしれない。俺は自分の中でだけ考えを自己完結させた。
「う~ん……わかったよ。この雨じゃ帰れなさそうだし……こんな中を女の子を放り出すわけにもいかないし」
諦めた様に呟く
「え? いいの……? 本当に……?」
「うん。もちろん全然いいよって言いたいけど、これだけは守って……というか、ちょ、ちょっと由衣近い!!」
俺の声を聞いた由衣はじりじりと迫って来ている。
「あ、ごめんなさい……」
ハッとした顔とともに桜色だった顔をさらに朱に染めながら少し下がった由衣に、ほっとしつつ崩れたベッドに倒れそうになっていた態勢を戻す。
「これだけは守ってもらう」
「なに?」
やっと体勢を立て直し右手の人差し指だけをたてながら話し出す。目の前の少女の瞳は濡れたように揺らいでいるが何かを期待しているようにも見える。
――泊めるにしても譲れないことだけは言っておかねばならない。
「俺が寝ている場所には近づかないこと。それから明日の朝になったら家に帰る事」
力強く由衣に注意を促していく。
「いいね!!」
「う、うんわかった。守るよ」
由衣も分かってくれたのか力強くこくんと頷いてくれた。
「よし!! ならとりあえずはメシだな……」
「あ、それなら、冷蔵庫開けていい? 私が作ってあげるから!!」
決まったこととともに、今の状態の空気感を壊したかった俺は思いっきり話題を変えた。喫茶店では飲み物しか飲んでないし、いい加減に腹が減ってきたというのもその理由ではあるけど。
台所にトトトと小走りする由衣の後ろ姿を見ながら、少しだけ「いいなぁ」なんて思ってしまった事は決して由衣には言えない。
――これが今時の娘と俺たちの違いなのかな?
俺は由衣のひたむきに前を見て、今を楽しんでいるような振る舞いがすごく輝いて見えた。
とんとんとん――。
ことこと……ぐつぐつ……。
自分以外が立つ台所。それが女性で有るならば、後ろ姿を見るだけでも何だか落ち着くのはなぜだろうか……。
俺が小さいときから食事は席に着くとすぐに運ばれて来るものであったし、それなりに成長して女性とお付き合いをしているときも、家に来てまで手作りの料理をしてくれる人はいなかった。
まぁある程度の家格がある方々の娘さん達だったからそのせいなのかもしれないが、昔の若い俺はその付き合いを何とも思ってはいなかった。
――当たり前だとさえ思っていたんだ。
何が自分を変える切っ掛けになったかは覚えてはいないけど、ある時からそれを疑問に思った俺は家を飛び出した。
初めてする一人暮らしに当初は戸惑いだらけで、その頃既に結婚していた栄太・奈緒夫妻に多大な迷惑をかけつつ、コンビニ飯を含めながら自炊するように心がけ何とか暮らしてきた。
その時に既に真利亜という形ばかりの婚約者はいたが、彼女は俺の生活が理解できないと離れて行った。
今住んでいるアパートには既に十数年いるが、彼女がこの部屋に入ったことはない。住んでいる場所を教えてなかったんだから当たり前と言えば当たり前の事。
だから今目の前で楽しそうに動き回る少女が、この部屋に入った初めての女性であり、初めて台所に立つ女性でもある。
触れば壊れてしまいそうな、小さく細いその後ろ姿を微笑ましく思いつつ、心の中で喜びと緊張がせめぎ合っていた。
「聖さん。冷蔵庫に有るもので勝手に作ってるけど、たいした物じゃないから期待しないでね」
リズミカルに動きつつ振り向き様に笑顔を見せる由衣。
「大丈夫さ。有るものは覚えてないけど、良い物があったわけじゃないだろうし、それに……」
「それに?」
不思議そうな顔を向けている由衣。俺からの次の言葉をちょこんと顔を傾げながら待っている。その反応が、何とも言えない気持ちをまた沸き上がらせる。
「それに……君に……いや、作って貰えるだけでも嬉しいよ」
「っ!?」
目を見開いたまま少し固まった由衣。
「由衣? 大丈夫か?」
「えっ? あ、うん大丈夫……です。もう……聖さんはずるいです」
――何か悪いこと言っちゃったかな?
少し頬を染めたような由衣はぷいっと振り返り、また小さくリズムを取りつつ台所作業に勤しみ始めた。
俺はまたその後ろ姿を微笑ましく眺める。
――こんな気持ちは初めてかもしれないな……。
部屋の内側でテレビの音が響く中、飽きることなく見続けていた。
数分か数十分かは分からない。
ようやく器に盛りはじめた料理を手にしながら笑顔でよって来る由衣を見て、我に返り手伝いを始める。
できることといえば箸や茶碗など小物を用意するくらいしか出来ないけど、それでも何かをしていないと由衣をまともに見ることが今は出来そうに無かった。
「ありがとうございます」
「あ、いやいや。作って貰ったんだからこのくらいはしないとね」
すっと柔らかい表情の由衣がお礼を口にした。不意に由衣は言葉遣いが丁寧に変わったりする。いつものフランクな感じも悪くない。
でもこういう小さな事を見たり聞いたりするに、しっかりとした家のお嬢さんだと察することができる。どちらにしても俺の思いは変わらない。たぶん本人は無意識なのだろうけど……。
並べ終わると、それが当たり前の様にテーブルを挟んで向き合って座る。
「「いただきます」」
合わせたわけじゃないのに掛け声が合い、思わず二人の間に柔らかい空気に包まれた感覚がした。
「美味いな……」
有り合わせで作られた料理に名前はない。野菜炒めのようなものに卵焼き、お浸しのようなものとお味噌汁と派手というよりかなり質素なものが並ぶが、俺は基本的に食べられたらその辺は気にならない。そして箸をつけたものに対して本心からの言葉を口にした。
「そう? よかったぁ!!」
パッと花が開いたような笑顔を向ける由衣。
「っ!?」
――その笑顔は反則だぞ!!
俺は慌てて目を逸らし、箸を次のおかずに動かした。
――なんだか幸せを感じる。この感覚……俺が感じてもいいのだろうか……?
食べながら俺は考えてしまった。由衣にとってはこういう事に慣れてるのかな? 初めてには見えないし。他の誰かに……。
心の中で複雑な感情がぐるぐると渦巻きだした。
感情の正体がわからぬまま胸を押さえつけるように服を握る。それでも視線は台所に立つただ一人のことを追っていた。楽しそうに鼻歌を交えながら台所にて洗い物をしている由衣の後ろ姿を静かに見つめた。
女の子と二人きりしかいないと頭ではわかっているのに、そういう気持は全くなく心の内は至って凪いでいた。
――自然というか……落ち着くのはなぜだろう……。
時々食器を水切りする場所へ重ねるときに見える横顔にドキッとしちゃうのは許してほしい。由衣にはそんな俺の顔を見られたくない。たぶんだらし無くふにゃっとしていると思うから。
先程、二人で食べた夕食の量から考えても間もなく洗い物は終わるだろう。
俺は自然と片足ずつ立てながら立ち上がって、おもむろに昨日まで自分が寝ていたベッドの横まで歩いて行き、シーツから全てをゆっくりと剥ぎ取った。
それから剥いだものを一旦洗濯物籠と洗濯機の中に入れ、部屋に戻ると物置の襖を開けて、袋に入ったシーツと圧縮された布団を二セット取りだしベッドまで運んだ。
「あの……聖さん……」
「ん?」
名前を呼ばれて振り向くと、大きな目をさらに開けた由衣が台所と居間に繋がる境目から覗き込んでいた。
「どうした?」
「あの……私が床で寝ますから……布団そのままで良かったのに……」
由衣は手をわたわたと振りながら申し訳なさそうに小さな声で呟いた。
「いや。お客様に対してそういう訳にはいかないよ。君はベッドを使ってくれ。直ぐに新しいシーツと布団を用意するから」
「え!? いや…その申し訳ないので床で良いですよぉ~」
居間の中に入ってきた由衣が俺の左腕を引く。
「いやいやダメだってば……」
「いえ聖さんが使って下さい!!」
引っ張られては引き返しの繰り返しを何回かした後、ようやく由衣が納得しのか諦めたのか急に力を抜いた。
「お!?」
「きゃぁ!!」
ばふっ
俺が引いた拍子に二人でベッドに倒れ込んだ。と、いうか俺がベッドに引き倒した形になった。
「………」
「………」
倒れた拍子に由衣は目を閉じたらしく、そのままじっとしている。由衣よりも先に目を開けた俺は現状を確認した。
――何か……顔の前が柔い……。
ふにっ
右手は由衣にの下になっているみたいで動かない。左手は動いたので態勢を立て直すためにベッドに手を着いたつもりだった。
ふにふに
「きゃぁぁ!!」
「え!?」
手応えの柔い物の感触を確認したと同時に、俺の頭の上から凄い悲鳴が聞こえて、ズザザザっと音が聞こえてくる勢いで由衣が俺の下から這
い出し壁の方へと移動した。
キーンと鳴り響く耳が落ち着くまで、左手に残る感触を考えていると、呟くような小さな声が聞こえてきた。
「ひ、聖さん……」
「…………」
顔を上げた俺の目に映る由衣。
耳まで顔を真っ赤に染め上げ、両腕を胸の前でクロスさせて防御姿勢をとり、足をがっちりと組んで固めていた。潤んだ瞳で俺を見つめている。
右手に残る感触
ふに
それから、きゃぁぁ!!
そして今……。
回りはじめた頭よりも先に、ベッドの横へ瞬時に移動して由衣に土下座した。
「本当に……申し訳ございません………」
「ございませんって……」
高速で土下座し、頭を床にこすりつけながら、由衣の顔を見ることが出来ず、ただただ頭を下げつづけた。
「あ、あの……聖さん?」
「わざとじゃないんだ……本当に申し訳な……」
「聖さん!!」
小さな声だった由衣の綺麗な声が、少し力のこもった強い物となり、俺の声にかぶせるように俺の頭のすぐ近くから聞こえた。そろっと頭をあげる。
由衣は顔を赤くし、怒気にも羞恥にも見えるような表情で、俺の方を見つめていた。
「聖さん……」
「な、何かな……何でも言ってくれ。何でもするから」
視線を合わせたまま由衣の口から発せられるであろう言葉を待つ。
「だ、大丈夫です。聖さんがわざとそんな事する人じゃないと知ってますから……」
「…………」
「だから……気にしないでください。そ、そう!! 今のは事故!! 事故ですから」
「いやでも……」
まだ手のひらに残る感触に自然と視線が自分の手のひらに向かう。
「ひぃ・じ・りぃ・さぁ~ん!?」
「ひっ!!」
そろそろと顔を由衣の顔を見ると部屋中を凍てつかせるような冷たい視線を放っていた。
お読み頂いた皆様に感謝を!!




