第14話 二人部屋の中
改めて玄関に顔を出すと、顔を真っ赤に染めた由衣が手に持った傘を俺に差し出していた。頭からつま先まで、雨の滴がぽたりぽたりと落ち、雨粒が一つの場所に集まって一筋、また一筋と線となりながら流れ落ちていた。強い雨風にさらされた足は寒いのかわずかに震えている。そんな状態にもかかわらず、ホホを赤く染めて俺の顔を見上げている姿を見ていると、胸の奥から熱いものが湧きあがって吹き出しそうになる。
――危ない危ない!! こらえろ俺!!
そのままにしておくのもかわいそうなので、とりあえず差し出されている傘を受け取り、靴と靴下を玄関で脱がせる。その間に大き目のタオルを二枚用意してシャワーを浴びることを勧めた。もちろんやましい気持ちなんてこれっぽっちも……ないとは言えないけど、そのままにしておいたら風を引いてしまうだろう。
わざわざ来てもらったのにそんなことにさせるわけにはいかない。なんてことを思っていると、ふとある疑問が頭に浮かんだ。
――今はそれどころじゃないな。とりあえずシャワーだ。
「由衣、そのままじゃ風邪ひいちゃうかもしれないから、恥ずかしいかもしれないけどシャワー浴びておいで。ここに着替えを置いておくから、濡れた制服は脱水と乾燥してあげるからさ」
「え!? そ、そんな悪いよ。だ、大丈夫だか……ら?」
と小さなくしゃみを一つ由衣がする。
「ほら、いうこと聞いてくれよ。大丈夫。絶対何もしないから。何なら外に出てるしさ」
言いながら玄関から外へ出ようとした。
ぎゅっ
ドアノブに手をかけようとした時、後ろから逆の腕を由衣につかまれた。
「聖さんが外に行くことはないですよ。大丈夫です聖さんならいて欲しいくらいです。 あれ? 何か変な事言ってます私?」
かぁ~っと顔を赤くしながらタオルをもって脱衣所へと入って行った。それを無言で見送る俺。
――落ち着け……あのドアの向こうで由衣が……JKが服を脱いでる。いかんいかん!! 落ち着け俺の理性!!
ブツブツと唱えるように言葉を吐きながら、脱衣所からどんどん離れていった。その間にも聞こえてくるシャワーの水音。
――どんな精神攻撃よりも効くなこれは……。
一人モンモンと理性と格闘すること数十分。頭にタオルを巻いてホカホカな由衣がダブダブな俺のスウェット身に着けて脱衣所から出てきた。
「あの……聖さん」
「あぁ……上がってきたんだね。うん、いま、乾燥機の使い方教えるから制服とか乾燥させてくれ」
なるべく由衣の方を見ないようにしながら脱衣所へ向かう。横を通りすぎると湯上りの石鹸の香りと女の子の香りが鼻孔を通り抜けていく。くらくらしそうになる頭をぶんぶんと振りながら由衣に使用の仕方を教え、素早くその場を出る。その数分後、乾燥機をスタートさせた由衣が髪を拭きながら戻ってきた。
「それで……なんで傘を持ってるのに使わずにずぶ濡れだったの?」
「あの……さっきの傘は聖さんの誕生日プレゼントなんです。だから私は使うわけにいかないんです」
髪を拭きながら歩いてきた由衣が、おもむろにテーブルの前に腰を下ろした。
「そんな……せっかくあるんだから使わないと……」
「いいえ!! 聖さんのだから!! 絶対に譲れません!!」
タオルを肩にかけてホホを染めた顔を向けてくる由衣。
「そ、そうか……ありがとう……由衣」
「はい!!」
出ましたキラースマイル。にっこりとほほ笑むその顔は反則だ。
「……萌える……」
「はい?」
俺がぼそっと口にした言葉を拾ってしまった由衣。聞かれた恥ずかしさをごまかすようにテレビをつけた。
『今日のゲリラ豪雨により、現在〇〇線、○○線は運転を見合わせている模様です。なお、落雷の影響により復旧のめどは立っておりません――続いてのニュースです』
「あの……」
「ん?」
「電車が停まって帰れないみたいです……」
――なにぃ~~~!!
ホホを赤く染めながら上目遣いに俺を覗き込む由衣。天使のような微笑から、悪魔のような一言が聞こえた。
言われている意味が即分からないまま、由衣の顔を見つめて固まる。
「あ、あの……聖さん? お~い……あれ?」
目の前を何かが右に左に行ったり来たりしている。無造作にそのものをギュッと掴んだ。
「きゃ!!」
――きゃ? ……あれ? なんか柔らかいものを掴んだような……。
「聖さん?」
聞き覚えのある自分の名を呼ぶ心地いい声。少しずつ考えと同時に見の前が鮮明になっていく。
「おわっ!!」
「っ!?」
ビクッと体を震わせながら、濡れたような瞳が淡く揺らぎつつ、自分自身が映り込んでいるのがわかる。その瞳は見上げるようにじっと見つめていた。
「ゆ、由衣!?」
完全に覚醒した俺の目の前に、だぶだぶなシャツを纏った由衣が頬を桜色に染めつつ覗き込んでいた。
「あ、あの……聖さん。手……」
「手?」
「はい……」
見つめたままの瞳が、本当にすまなそうに一瞬だけ揺らぎ少しだけ影を帯びた。言われるままに下へと視線をゆっくりと下げていく。
――手……手……て?
先ほど感じた柔らかいものの正体とは由衣の右腕だったらしい。手首の少し下をものの見事に掴んだままの自分がいる。
「おわっ!! と……ごめん痛くなかった?」
すぐにぱっと離すと由衣はその右腕を胸の前に持って行き、殻になっていた左腕を回して自分をグッと抱きしめるような恰好をした。
――これは……警戒されちまったかな?
「だ、大丈夫? 本当にごめんね。ちょっと考え事してたみたいで……」
それらしい理由を付けて言い訳をしてみるがかなり苦しい。自分で言っていて残念な人間だとげんなりした。
「あ、あの……だい、じょうぶ……です」
胸の前で腕を抱きしめたままの状態ので、さらに上目遣いに見上げてくる由衣。黒く……いや揺らいで何色にも変化している瞳に吸い込まれそうになって再び固まった。
少しに沈黙が二人の間に訪れる。
「あ、あの……」
由衣の小さなつぶやきが沈黙を破る。沈黙で気まずくなった雰囲気を察した行動だとすぐにわかった。
こんな小さなことなのに自分が気づけなかったこと、目の前に居るまだ少女の歳の由衣に気を使われたことがまた自分の中で恥ずかしさをこみ上げさせた。
――何をやってるんだ俺!! しっかりしろ!!
「えっと、何かな?」
かなり上ずった声が出たことは自分でもわかった。それでも恥ずかしがってなんていられない。今は由衣から発せられる言葉を聞き逃すわけにはいかないから。その先を考えて行動することが大人な自分がするべき最優先事項なのだ。
「ど、どうしたらいいですか? 電車が動いてないんです……」
「う~ん……そうだなぁ……じゃぁタクシー……」
「それが、運休になった振替でバスが動くらしいんですけど、乗れない人たちがタクシーに殺到してるみたいなんです」
由衣が先ほど少しいじっていたスマホからの情報を俺に報告してくれた。
「うん? という事は……え? 帰れない? 本当に……どうしようか」
ようやく回りだしたポンコツな頭は状況を飲み込んでパンク寸前になっていた。そのおかげで俺自身が体を持て余して部屋の中をウロウロとしたり、落ち着かなく動き回った。
「ふふふ……」
そんな俺を見ていた由衣が先ほどの格好から手を口の前に移動させながら柔らかく笑っている。
「え、な、何かな?」
落ち着きのない心と頭を総動員するように動かし、由衣からの言葉を待った。
「聖さんって……かわいいですね」
――あれ? 今、かわいいって言ったか? 俺が?
「それに、いい解決方法があります」
「そ、それは?」
先ほどまでの柔らかい表情から一変して、少し緊張した面持ちになった由衣。それから手を下に下ろして今度は胸の前で両手をギュッと結ぶ。口は横に閉められている。
「な、なんだろう? 俺にできることなら……」
「私を……泊めてくれませんか?」
俺の頭の中に先ほどよりも大きな爆弾が投下された。
ようやく口にできた言葉を心の中で「グッジョブ!!」と思うのと同時に、恥ずかしさが自分自身に襲い掛かってきた。
――言っちゃった!! で、でも……ここ、ここからどうしよう? この後なんて考えてなかったよぉ~。聖さんはまた固まっちゃってるみたいだし。
そんな考えでモジモジシテいたら、聖さんの方から声をかけて来てくれた。
「え、え~っと……もう一回言ってくれるかな? おじさん聞き間違ったかもしれないから」
――え~~~~!! それはないよぉ聖さぁ~ん!! 私、今精いっぱい頑張ったのにぃ。うぅ……恥ずかしいなぁ、また言うとか考えてなかったよぉ。
「ごめんその……今、泊まりたい……とか言わなかった?」
かなりカチコチになった聖さんの顔を見てたらなんだかおかしさが込み上げてきた。
「あ、あの……あはは……うん。そう!! 今日、私を泊めてください!!」
私の言葉を聞いた聖さんは再び腕を組みながら考え事をし始めた。
――これは……もう一押しでは?
「それに……明日は休みだし、お母さんに今日は雨にあたって濡れちゃったからトモダチのところに泊めてもらうってさっき連絡しちゃったし」
「へ? もうそんな連絡してたの? いつの間に……。で、お母さんは何て?」
すごく裏返った声の後に聖さんから疑っているような声で質問された。
「ほら」
そういいつつ先ほど聖さんが固まっている間に、お母さんとしたやり取りの残っているアプリを見せる。
「ほ、本当だ……。え? というか……友達って俺?」
「うん!! そうだよ!!」
本当はそうじゃないかもしれないし、そうなのかもしれない。自分の心がわからないから、こんなチャンスは逃したくない。だからこその作戦で、お父さん世代の人たちには連絡こそが大事だと聞いた事がる。だから事前に了承を得ていた。これならお母さんも安心するし、勝手に女の子の友達だと勘違いしてくれるだろう。これまで私が男の子の話をしたのなんて数回あるか無いかだし、そんな話題がうちの中で出たこともない。
――あとは聖さんの了承さえあれば……。
「う~ん……わかったよ。この雨じゃ帰れなさそうだし……こんな中を女の子を放り出すわけにもいかないし」
自分が思っている以上にしんなりと決まってしまったことに少し呆気に思う。
「え? いいの……? 本当に……?」
再度確認するように質問をする。
「うん。もちろん全然いいよって言いたいけど、これだけは守って……というか、ちょ、ちょっと由衣近い!!」
自分では気づいていなかったみたいだけど、質問するあたりからじりじりと聖さんの方へにじり寄っていたらしい。今では目の前で見上げるようにして立っていて、聖さんはベッドに押し倒されそうになるのをグッとこらえている状態だった。
「あ、ごめんなさい……」
体も顔もかぁ~っとなって熱くなっているのが自分でもわかる。
――この気持ってなんだろう……?
「これだけは守ってもらう」
「なに?」
やっと体勢を立て直した聖さんが右手の人差し指だけをたてながら話し出す。
「俺が寝ている場所には近づかないこと。それから明日の朝になったら家に帰る事」
聖さんの眼は真面目な光をともしながらも力強かった。
――きれい……。
「いいね!!」
「う、うんわかった。守るよ」
自分が何を考えていたのかハッとしながらたどたどしく答えた。
「よし!! ならとりあえずはメシだな……」
「あ、それなら、冷蔵庫開けていい? 私が作ってあげるから!!」
言いながら返事も聞かずに冷蔵庫のある場所へとかけていた。今までに感じた事の無い軽い心で空を飛んでいるような気持ちのままで――。
お読み頂いた皆様に感謝を!!




