第13話 傘
はやる気持ちを抑えながら、会社へ直帰することを報告する。まだ帰ることを報告するには時間的に早く、後ろめたい気もするけど現状の俺にはどっちを取ると聞かれたらこっちが最優先事項と返答する一択しかない。
それに何より、先に席を確保するといいながら店に入っていった栄太の事もちょっとだけ心配していた。
数分間という短い通話なのに、数十分に感じてしまうくらい心の中は焦っていた。
「……はい……お願いします……はいお疲れさまでしたぁ」
――よし!! これで憂いはなくなった。あとは目の前のことに集中するだけだ。
大きく息を吐いてお店の扉を開けて中へと入っていった。入り口付近で店内を見回していると、不審に思ったのか女性の店員さんが近寄ってきた。ちょうどその時こちらに向かって手をちいさく振る見慣れた顔を見つけて、店員さんへ少し手を挙げてあいさつした。
「すいません。ホットコーヒーを一つ。彼と同席でお願いします」
「はい。かしこまりました。しばらくお待ちくださいませ」
近寄ってきた店員さんは見たところ由衣と変わらぬ年頃に見えた。たぶんバイトか何かだろうけど、その割に営業スマイルがしっかりと出来上がっていることに驚いた。まだ自分がいるところから二人の様子は伺うことができない。
「どうなってる?」
栄太の座るボックス席へと音をたてないように移動しつつ小さな声で聞いた。
――知らない人から見たら不審者だな間違いなく。
「それがなぁ……なんというか……言い争っているようにも見えるし、仲良さそうに話し込んでいるようにも見えるんだよ」
通路を二本挟んで由衣と真利亜から見えづらい場所からそっと覗き込む栄太。俺もどのような状態なのか気になり、パーテーションの植物から少しだけ顔を出して覗いてみた。
「おい、心配だからってあんまり顔出すなよ?」
「わかってるよ」
栄太とそのまま数分間覗き込んでいると、背中側から注文していた品を持った店員さんに声をかけられた。
――まずい……かなり怪しまれてる……。
コーヒーカップを丁寧にテーブルに置き、請求書を端に置く瞬間合わさった眼は完全にジト目だった。慌てて顔を戻してコーヒーカップを持ち上げ、口に近づけて一口含む。
「あつっ!!」
「お前……バカなの?」
あきれた声と顔をしながら俺を見る栄太。
――お前に言われたかないわ!!
なんて心の中で悪態を返すが決して口には出さない。
「しかし……義母さんが言ってたことってこういう事なのか……?」
「おばさん何か言ってたのか?」
ぼそっとつい口から出てしまった言葉に、栄太が食い気味で聞き返してきた。
「あぁ。気をつけろってな……」
「あぁ~なるほど……」
一人わかったような顔をして向かい側で腕を組んだ。
「なんだよ?」
「これって……由衣ちゃん? か真利亜ちゃん? どっちかからどっちかへの宣戦布告じゃね?」
「宣戦布告……」
二人そろって由衣と真利亜の方にゆっくりと顔を向けた。俺の背中にはえもいわれぬ汗が一筋だけスーッと滑り落ちていった。
実はずっと悩んでいた――。
聖さんの誕生日から結構な日にちが経ってしまっている。どうにかプレゼントとともにあの日の事を含めたお礼がしたいと思っているのだけれど、全く決まらない。いや正直に言うと男の人への贈り物なんて何を渡していいのかこれっぽっちも考えたことがないのだから、今の状況は当たり前なのかもしれない。
――はぁ~……これじゃ真利亜さんに笑われるのも当たり前だよぉ……。
今日も今日とて春奈には付き合ってと言えず、一人でプレゼント選びをしながらお店を回っていた。
――あれ? 向かい側から歩いてくる女性って……やっぱり!!
「真利亜さぁ~ん!!」
腕をぶんぶんと振りながら近づいていくと、お目当ての人はギョッとした顔をしながら後ずさりしていた。
「真利亜さん!! ちょうどいいところで会えました!!」
「ちょ、ちょっと由衣さん……かしら? 私とあなたってそんなに仲良くは……」
なおも後ずさりながら話す真利亜に体をぐんと伸ばしながら追いかける。
「あ、あの!! 聖さんのことでご相談があるんですけど!!」
真利亜の腕をグイっと引っ張ってしまった。
「聖の? て、うわぁちょ、ちょっと放しなさい、離れなさい!!」
頭をつかまれグイっと引き離されそうになりながら、グッとこらえる。
「お願いします!! 未熟な私にアドバイスしてください!!」
「アドバイスねぇ……」
無理やりな形にでも、敵になる人にでもこれ幸いとチャンスを逃すわけにはいかなかった。クラスメイトが教室で噂していた新しい喫茶店も近くにあることだし、そこに連れ込めば何とかなるだろうと安易な考えが浮かんでいた。
真利亜の方もそれほど抵抗を見せることなく一緒に店に入ってくれた事には自分からびっくりしてしまったけど、こうなったら心を決めてかかるしかない。
――よっし!!
胸の前でむんっと力を込めて気合を入れる。体面に座った真利亜さんはすでにあきれているような顔をしていた。
「それで? 聞きたいことって何かしら?」
優雅に足を組みつつ頼んだ紅茶を静かに口に持っていく動作は、さすがに大人の女性の色香を感じた。それに引き換え私は――。
――コーラってどうなの? 私!! しっかりしろ!!
がっくりと肩を落としつつも気合を入れなおす。
「あ、あの……男の人ってプレゼントに何を選んだら喜んでくれますかね?」
「はぁ~あぁ?」
完全に呆れられてしまった。「何言ってるのこの娘」って顔に書いてある。
――やっぱり敵になると思う人に聞いたのは間違いだったかなぁ……。
下を向きつつ手をいじっていると向かい側で一つ大きくため息をついたのがわかった。
「いいわ。アドバイスしてあげる」
「ほ、本当ですか!?」
意外な答えが返ってきた。
「そうねぇ……実用性があるものがいいんじゃないかしら」
「実用性ですか……」
「聖って営業職っていう事は知ってるわよね?」
「はい……一応……」
何かちょっとお説教されている感じがした。
「なら……傘……なんてどうかしら?」
「傘ですか?」
「そう。聖の事だから、バッグとかに入る折りたたみできる傘しか持ってないんじゃないかしらね。軽い持ち運びに便利だし。でも普段お出かけ用の傘なんて買わないでしょうからいいんじゃない?」
「お、おおう……」
そんな声が自然と漏れ、そのまま真利亜の顔をじっと見つめる。
「な、なにかしら?」
「いえ……その……真利亜さんっていい人だなぁって思って……」
「っ!?」
少しだけホホを赤く染めるとプイっと顔をそらした。
――あれ? 照れてるのかな?
「ありがとうございます!! 早速見に行ってきますね!!」
「あ、ちょ、ちょっと!! 行っちゃったわね……」
お金をテーブルに置いてすぐに席を立ち、ダッシュするようにお店を後にした。後ろで真利亜が何か言っていたような気がするけど、すでに頭の中には買いに行くことしか浮かんでいなかった。
「傘か……うん!! いいかも!!」
どんな色がいいか、どんな柄が似合うか考えているとニヤニヤが止まらなかくなった。
「あ、ちょ、ちょっと!! 行っちゃったわね……」
はぁ~っと大きなため息をついて、テーブルにあった請求書を手繰り寄せ、彼女が置いて行ったお金を自分のバッグから出したお財布の中にしまう。そのまま立ち上がってバッグを持ち直し、すたすたと歩きだした。
そして――。
「はいこれお願いね」
「「えぇ!?」」
ふたりで座っていた反対側で体を小さくしながら目立たないようにしていた男性二人組のテーブルの上に、先ほど手繰り寄せ握った請求書をさも当たり前のように置いた。そのままキッと男性二人を睨むように視線を落とした。
「敵に塩を送っちゃったからこのくらいいいでしょ?」
「何のことだ? というかいつから気づいてたんだお前……」
本当にびっくりしたような顔をして、私の顔と請求書を行ったり来たりと視線を動かす聖。
「お前っていうのやめてよね。あ、そうだ!! 聖、今、折りたたみの傘持っているでしょ?」
「持ってはいるけど……相変わらず人の話聞かないな真利亜」
訝しみながら顔を見つめる聖。そんな顔を見ていたらだんだんと腹が立ってきた。
「よこしなさい!!」
「はぁ?」
「いいから、その傘を出してよこしなさいよ!!」
何が何だかわからない様子ながら、渋々と折り畳み傘をカバンから取り出して目の前に挙げている。
その傘をグッと握りしめ、踵を返して店の入り口へと歩きだした。
「お、おい真利亜!!」
「ごちそうさまぁ~」
――このくらいはいいわよね?
「おい傘は!?」
「後でいい事があるわよ色男。じゃぁねぇ~」
そのまま店を出て、本来行こうとしていたところへと向かいだした。
――私もどうかしてるな。
考えただけで自然と笑顔になってしまった。なにより、あの娘のまっすぐな姿がまぶしく思えて断ることができなかったのだ。
「確かに……不思議な娘ね……ふふ……」
そんな気持ちが自然と湧いてきてつい言葉として口から出てしまった。自分でもなぜかそんな気持ちが嫌じゃなかった。
真利亜に見ていることがバレ、しばらくは俺と栄太二人でまったりと過ごし、喫茶店を出てそれぞれの自宅へと帰路についた。
なぜか両方の会計を俺が出すという謎の奢り事件が発生したものの、由衣もいたから仕方ないと納得することにする。
喫茶店を出る時は確かに晴れていた。いや、もしかしたら曇り始めていたのかもしれないが、雨粒が落ちてくることはなかった。
アイツが俺のバックから傘を取っておってしまったからか、帰り際の最寄り駅についた時から雨が降り出した。
――マジか……さっきまで天気よかったのに……。
降り出した雨はすぐにゲリラ雷雨とまではいかないまでも、そこそこ強い雨が体を打ち付ける。風も強くなって思うように足が進まず、駅から近いはずの我がアパートに倍程度の時間がかかって到着した。もちろん上から下までびちゃびちゃである。
――アイツ呪いでも掛けやがったか?
愚痴りながらも急いでバッグから鍵を取り出し、急いでドアを開けぐっちゃりと足に重く乗っている靴と張り付くズボンやワイシャツを次々と脱いでは洗濯機の中へ放り込んでいく。
タンスからタオルを取り出し、まずは頭から滴り落ちる雨露をわしゃわしゃと乱暴に拭いて次に体を拭いていく。
ピンポーン
部屋のインターホンが鳴った。
――あれ? 誰だこんな時に……。
俺はインターホンが一回しか鳴らなかったときは出ないことにしている。一回で諦める人は用事的には大したことがないだろうと思っているから。二回以上鳴らす人は確実に用事があって押してるはず。その時は声を出して居ることをアピールする。
――さて……今回はどうだろうか……。
ピンポーン
二回目のインターホン。間違いなく俺に用事があるらしい。
「はぁ~い……ちょっと待ってください」
体を拭いていたタオルをまた洗濯機に放り込み、急いで濡れた下着とズボンをはき替えてドアの前へと急いだ。
ピンポ――
ガチャ
「どなたですか?」
三回目のインターホンが鳴り終わる前にドアを開けた。
「え!?」
「きゃぁ!?」
勢いよく開けられたドアの前で両手を顔の前に持ってきて驚く女の子。しかもなぜか全身が濡れている。手に傘にを持っているのにである。
「えぇ~っとごめんなさい!!」
なぜか恥ずかしそうに謝る女の子。
――なぜ謝ってるんだろう?
自分の格好を見ながら考えて、ようやくその謎がわかった。上半身が裸のままだからである。そして同時にその女の子が見たことのある制服に身を包んでいることにも気が付いた。
――え? もしかして……。
「由衣……なのか?」
「う、うん……」
まだ顔を手で覆ったままの彼女は小さく声を出しながら頷いた。
「どうして……いや、とりあえず入って!! 全身濡れてるじゃないか!!」
「あ、ありがとう。その……おじゃましま……す?」
俺はドアから身を離し、由衣を誘導するように部屋の中へと入った。なぜか唯は玄関から中へ入ってこようとしない。
「どうした?」
「そ、その……はだか……だから」
――あぁなるほど……恥ずかしいのか。
あまり部屋に客も来ない俺は裸でいることに何の抵抗もなかった。来たとしても野郎ばかりである。そんな物は見慣れている。
しかし目の前の女の子は違うのである。完全に失念していた。急いで中に入ってТシャツを頭から被る。
改めて玄関に顔を出すと、顔を真っ赤に染めた由衣が手に持った傘を俺に差し出していた。
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