第12話 後はあなたの気持ち次第
「じゃぁ……また……おやすみ」
『はい、それじゃぁ……また。 おやすみなさい』
日常であった事を少しだけ話して由衣との電話を切った。もっと話したいことも有ったのだけど、声を聞いただけで満足してしまった感が有り、長く話すことが出来なかった。電話するときの癖も出てしまい、経過時間と電話した時間帯が気になったというのも一つの要因かもしれない。
ただ電話口で話す由衣が少し元気がなかったような気がする。
――何かあったのかな……?
気にはなったけど、突っ込んで聞いていいのか悩みに悩んで、結局はクチに出せずに終わった。
ブブブ ブブブ
由衣との電話を切って数分。目の前のテーブルに置いたスマホが震える。もしかしたら由衣が折り返し電話してきたのかと思い、食いつき気味にスマホを取り急いで画面表示を見た。また名前の知らない番号からの着信。でも今度は真利亜からでは無いみたいだ。マリアの番号は登録してある。
――まぁ電話番号を変えていたら分からないけどな……。
ブブブ ブブブ……
震えるスマホを見ながら考える。
「はい……」
意を決して電話に出た。
『あら……すぐに出たわね。久しぶり……聖』
アルト掛かった優雅な話し方の女性。
「……義母さん……」
電話の相手は宮城由美恵。義理の母親だ。
三十五年前――。
東北の南部にある少し大きめな都市に、俺は両親と三人で暮らしていた。両親は同じ会社に勤めていて、母の方が上司だったと聞いている。
両親の名は中条義徳・由紀恵といい、母の旧姓は宮城といった。今の義父の妹だ。
五歳になったばかりの俺はこの当時の記憶があまりない。ただ後になって父方の祖父母から聞いた話によると、両親ともにとても仲が良く、もちろん俺の事も大事に愛情をこめて育ててくれていたと言っていた。
そんな俺たち一家を悲劇が襲う。熱を出して寝込んでいた俺を祖父母に預けて会社からを命じられた二人は、俺の事を出発間近まで心配しながらも「すぐ帰るから」と言い残し、イギリス・アメリカ・南アメリカ大陸と、一度も日本によることなく飛びまわった。
そして最後に行った南アメリカのアルゼンチンにて事故にあい帰らぬ人になってしまった。
当時は俺の事について相当揉めたらしい。会社の命令にて海外に行きなく亡くなったという事で祖父母が手放そうとせず、会社の幹部としても家族の一員としても亡くなった母方の実家が養育すると言ってきたかららしい。
母方の実家は曽祖父そうそふ時代に関東圏にて公共事業などで財を成し、建設会社としても資材レンタルやレンタルトラックなどでも事業を展開していて、財力的にはじゅうぶんに養って行けるだけのものが有った。
そして俺が養子として宮城家に引き取られることになる一つの要因として、この時すでに宮城家には俺よりも二つ上に男の子がおり、その子の遊び仲間としても良い環境になるだろうという事だった。宮城家では本当の家族として迎え入れられて、楽しく過ごし引き取られた二年後には義理の妹まで出来た。
しかし楽しかったのは小学校を卒業するまでだった。次第に二つ上の兄と何かと比較するようになっていった義父とは仲が疎遠になり、比べられる本人同士もまたクチを聞く事も少なくなっていった。
そんな中でも救いだったのが二つ年下の義妹が俺になついてくれている事と、俺について心から接してくれた義母の存在。
家族には本当に感謝しているけど、歳をとってくるとともにどこか遠慮が出て来ていた。その中で知らずのうちに会社的なモノが有るからと義父に婚約者と言われる女性をあてがわれ、いやになって婚約者の事も何もかも投げ出して家を出た。それから今に至るまで約十年程実家には帰っていない。時々妹から連絡は来るし、俺の住んでいるアパートに遊び来ることも有る。
だいぶ前に嫁に行ったにもかかわらず、義理の兄である俺にまだ懐いてくれているのが嬉しい。
しかし、その妹にも言ってあり、承諾している事。
[実家には連絡先を教えないでくれ]
何故このタイミングで義理の母から電話が来るのか、どこから連絡先を入手したのか分からない。完全にパニックに陥っていた。
『落ち着きなさい聖』
「え? あ、あぁ……」
電話越しから久しぶりに優しい声音が聞こえる。
『今日は突然ごめんなさいね。でも言っておきたいことが有ってね』
「なんだよ?」
『……真利亜さんと由衣さんの事についてよ……』
俺の意識は刈り取られたかの如く真っ白に飛んだ。
『ちょっと聖? 聞いているのかしら?』
何度か電話口の向こうから掛けられる声に反応できないまま数分くらいは経った頃、ようやく頭の回転が回り始めた。
「はっ!! 義母さんどこからこの番号を!?」
『はぁ~……やっぱり聞いてなかった。いいわ。また説明してあげる』
「ごめんなさい。よろしくお願いします」
凄く深いため息をついた義母に申し訳なくなり、スマホを持ったままペコペコと頭を下げた。
『まず、真利亜さんの事だけど』
「うん」
『最近になってまた家の方へ顔を出すようになって、今も尚婚約者然とした態度で亜香里たちにも接しているようよ。何故かお父さんと和仁には気に入られているみたいだけどね』
久しぶりに母から最近連絡もしていない兄と妹の名前を聞いた。
「あぁ……アイツは昔から男に取り入るのは上手かったからな」
昔を思い出してふぅ~っとため息をついた。
『この番号もね、真利亜さんが[お母様にだけに教えますわ]って聞いてもいないのに教えてきたのよ。まぁそのおかげでこうして久しぶりに聖とお話しできるんだから、その点には感謝ね』
「そうだな……それで由衣の事って何だよ?」
――こちらが聞きたいことの本命だな。
すると電話の向こうで義母がしばし沈黙した。
「……義母さん?」
『聖……あなたの好きな人ってその由衣さんというお嬢さんなの?』
「え!? その……好きというか……まだ分からないというか。う~ん……歳が離れているから本気に取られてないというか……」
またしても電話越しから沈黙が訪れる。
『聖』
「は、はい!!」
突然名前を呼ばれて背すじが伸びた。
『もし……このままあなたが何もしないでいたら……真利亜さんに外堀から埋められて既成事実のようにされちゃうわよ?』
「え!? そこまでは……さすがにしないだろう……」
『何言ってんのよ!! 婚約破棄したのに未だに私たちに接近してくるんだから、あの娘ならそこまで……いえそれ以上に仕掛けて来るわよ。亜香里もそう言ってるし』
「真利亜だからなぁ……」
『そうよ? だからその由衣さんをどうにかして一度連れてらっしゃい。婚約者って事にして』
「はぁ~!?」
唐突な申し出に虚を突かれて甲高い声が出てしまった。慌ててクチを手で塞ぐ。
『ぐずぐずしてると外堀は埋まっちゃうし、もしかしたら由衣さんだって他の男に獲られちゃうかもしれないでしょ? あなたの為に言ってあげてるのよ?』
こういう人だったなぁって思い出して心から笑いが込み上げてくる。
義理の父と兄が俺から疎遠になるにしたがって、母と妹はそれ以上に俺に良くしてくれた。親身になって相談も乗ってくれたし、女性と付き合うような年ごろになると進んでアドバイスも送ってくれた。
――まぁ二人して楽しんでいた気もするけどな。
「そっか……義母さんありがとう」
『当たり前じゃないの!! かわいい息子なんだから。いくら……離れちゃったとはいえ幸せになって欲しいものなのよ』
「うん。ゴメン」
『なぁ~に謝ってるの!! 聖がしなきゃいけないのは由衣さんをモノにする事でしょ? 私も亜香里も聖の味方だからね!!』
「あぁ~っと……その事なんだけど。実は由衣はまだじょ……」
『JKなんでしょ?』
「ぶふぅ~~!!」
会話の間にクチを湿らす為ちびちび飲んでいたビールを、出て来ると思わなかった単語に驚いて吐き出した。
「何で知って……」
『真利亜さんが言ってきたのよ。いいんでしょうかって』
「アイツか……」
俺的に敵認識確定の瞬間である。
『いいんじゃない? 本気で好きになっちゃったら……歳なんて関係ないものよ……。今回私からはそれだけ。後はあなた次第なんですから、上手くいくことを祈ってるわ』
「ありがとう義母さん」
『ううん。亜香里にも連絡してあげてね。あの子も寂しがっていたから』
「わかった。しかし義母からまさかJKなんて単語を聞くことになるとは思わなかったよ……」
『あらそう? ふふふ義母だっていう時は言うわよ。じゃぁ……またね』
通話を着る時は昔みたいな優しい義母の声になっていた。切れた電話の先で少しだけ義母の顔を思い出す。
――それにしてもアイツ……何を考えてるんだ!!
どこにもぶつけようのない怒りが湧いてきたが、缶の中に残ったビールを一気に飲み干すことでなんとか払おうとした。
勿論それは失敗に終わりもう一本追加で飲んだけど、次の日になっても怒りから来るイライラがおさまる事は無かった。
俺はあの真利亜の言うことがいまいち分かっていなかったらしい。
彼女との付き合いの中で、性格や行動などを知っているつもりでいたから、ある程度は何かをしかけて来ると思っていた。それはもちろん俺自身に対してであって、どこかでソレは無いと思い込んでいただけ。
それが目の前で崩れ落ちた。由衣と一緒に居る真利亜を見てしまった時に――。
まさかの義母から電話を受け取ってからた数日しか経っていない平日の夕方。何時もと同じコンビで会社周りをしていた。午後から回り始めた会社で思いのほか担当者と話が合い、自社製品の事だけではなく趣味の事などを話し込んでしまった。しかもそれは俺自身ではなく隣の相棒である栄太がではあるが。
ようやくその会社を後にしようと玄関まで出た時にはなんとすでに午後四時を回っていた。こんな時間から回れるところなんて近間の会社に限られてしまう。しかし本日の予定には行ける場所など入っていなかった。
二人で相談した結果、本日の内に伺うと決めてアポイントを取っていた会社へお断りの連絡と、改めて伺う日時を相談する。
勿論それは俺の仕事で、こうなった責任の栄太は隣で何かをジーっと見つめていた。ようやく向こう側から承諾が有り、ふぅ~っと大きく深呼吸をする。
――そろそろ戻るかな……。
左腕に巻かれた腕時計に目を向けるとすでに十数分経っている。
「そろそろ会社に……」
横に並んでいた栄太に顔を向けそんな言葉を出したが、その言葉は栄太が見ている視線の先を追いかける事で止まってしまった。
少し先に出来たばかりの喫茶店がある。その入り口前にいた女性二人組に目が釘付けになった。
――あれは……真利亜と由衣……なのか?
「おい聖……あれってもしかして真利亜さん……なのか?」
そう言う栄太の腕をグイっと引きながら、二人から見えない位置まで急いで歩き身を潜める。ただし視線は二人から逸らさない様にそのままで。
――何だろう……もめてる?
店の前にいた真利亜と由衣。初めは向かい合って口論していた感じだったのが、今は真利亜が由衣の右腕をギュッと掴んで引っ張っている。
「なんだか揉めてるみたいだぞ……」
自分の隣でそのまま見入っている栄太がボソッと口にする。確かに見た感じ二人はまだ何かを話している様だし、何より真利亜が前に言っていた事を少し思い出して由衣の元に行こうと一歩踏み出すと、ギュッと腕を掴まれて引き戻された。
「痛いな栄太!!」
抗議の声を掛けつつ栄太を見ると何やら顔がニヤけている。
――あ……コイツがこういう顔をしている時はイヤな事を考えてる時だ。
「まぁもうちょっと待て聖。少し様子を見てみようぜ。それに今お前が行ったら余計こじれそうな気がする」
「あ? あぁまぁ……そうだな」
一応は栄太の言い分に納得はしたけど、あの嫌な顔を見てからでは何か腑に落ちない。それでも栄太の言う通り二人の方に視線を戻した。
「お!?」
直ぐに栄太の声が聞こえたと思うとぐいぐいと袖を引っ張られた。
その先では二人が頷き合ったかと思うとそのまま新しく出来た喫茶店の中へと入って行く姿があった。
「おい聖、会社に連絡して直帰するって言っておけ」
「あ、いやそういう訳には……」
急に真面目な顔をした栄太が提案してくる。しかし時間的にはまだ十分に会社に戻れる時間。しかも戻ったら本日の事を書面にして提出しておかねばならない。後に回すと記憶があいまいになるので実に厄介なモノなんだけど、それを彼は今日はやらないと言っているようなモノ。上司の立場としてはそれは許すことは出来ない。
「じゅうぶん戻れる時間だ。そういう訳にはいかないぞ。実際今日の事の報告だって……」
「お前……この後が気にならないのか?」
俺からの抗議の言葉を途中で遮られただけではなく、俺も感じていた事を言葉にされてしまう。
「…………」
「どうなんだ聖。いや、まぁお前がダメだって言うなら俺は従うぞ。それも会社員の務めだし、お前は上司だしな」
言葉は完全に友達口調だけどな、なんてツッコミは入れられなかった。
「……会社に電話する」
「やっぱり聖は話が分かるな。それじゃ俺は先に入って席を確保しておくぜ」
ポケットからスマホを取りだしている間に、すでにそう言い残して俺の横から消えていた栄太。
真利亜に対しての考えが、あまりに鈍感だった俺は栄太の行動のおかげで少しだけ目を覚ますことが出来た。
――真利亜はやっぱり危険だ。
そう思いながらスマホから聞こえる事務員さんの声に集中するのであった
お読み頂いた皆様に感謝を!!




