第11話 例えばの話
「あなたが……由衣さんね?」
「え……?」
まるで小さい子供に微笑みかけるような表情のまま近づいてくる女性。
「そ、そう言うあなたはどなたですか?」
――なんだろう……その顔に騙されちゃいけないような気がする……。
ワタシは無意識のうちに胸の前でぎゅっと腕を組んでいた。
「失礼しました。私は橘真利亜と申します。聖さんと婚約させていただいておりました者です」
「え……? こ、婚約?」
私の前に来てスッと綺麗なお辞儀をすると、また見た目の表情では笑っている顔を向けてきた。
そのあまりにも堂々とした態度に、私は橘と名乗るこの女性が発した言葉の意味を良く理解することが出来ず、言葉尻の方までよく聞くことが無いまま一つのフレーズにのみ心を掴まれていた。
私の方を見て片方の口角が上がる。
「あなたは小松由衣さんで間違いありませんよね? はっきりと聞いておきたいことが有るのですけどよろしいですか?」
「え? えぇ……何でしょうか?」
「あなた聖さんとはどういうご関係ですか?」
「聖さんとの……関係?」
先程と変わらない表情のままで、腕を胸のあたりで組み、少し足の位置を広げて、まるで威圧するような仕草を見せる。
数分の沈黙が二人の間に訪れた。
――なに……何なのこの女性……突然来て、何を言い出すんだろう。
住宅街の上に見えていた紅く染まった夕日が姿を消し、自己主張をする煌めく星が目で見ただけで確認できるようになってきた時間帯。身体に涼しく気持ちのいい風が吹いているけど、私の背中には冷たい汗が流れていた。
沈黙を破ったのは彼女の方だった。一つため息をついた後に言葉を紡ぎだした。
「由衣さん……あなたまだ男を知らないんでしょ?」
「え? 男って……」
言われた意味が初めは分からなかったけど、理解が追いついてくると同時に体がかーっと熱くなるような感じがした。
「その様子だとその通りみたいね」
「そ、それが関係あるんですか!?」
少し見下されているような気がしたので、返す言葉に怒気がこもって大きな声になった。
「あのね由衣さん。よく考えてね。大人の事を知らないあなたに、まして女子高生のあなたに聖さんが本気になると思う?」
「そ、それは……」
「背伸びをしてよく知らない世界に足を踏み入れようとしている、恋愛ごっこをしている子供に相手をしている時間なんてないのよ?」
「…………」
私は握ったこぶしを更にギュッと握りしめたまま、言葉を発することが出来ずに俯いてしまった。
「まぁいいわ。今日は姿を確認して挨拶だけしておこうと思っただけだから、この辺で引き揚げさせてもらいますけど、この先の事……よく考えてみてね?」
じゃぁねと右手を上げてひらひらと振りながら自分の横を通り過ぎていく彼女の顔を、まともに見ることが出来なかった。
彼女が完全に見えなくなってもまだ動くことが出来ず、その場に立ち尽くしていた。
――聖さん……会って話がしたいよ……。
瞳にたまった涙をこぼさない様にする事だけで精いっぱい。それ以上の事は出来なかった。
橘真利亜と名乗る女性との、鮮烈な出会いと会話から少し時間をおいて心が浮上したところで、公園を後にしてとぼとぼと自宅に向けて歩き出した。
――婚約かぁ……そりゃぁそういう女性がいても不思議じゃないんだろうけど……何だろう心がチクチクする……。
両手を胸に持って行ってギュッと掴むように力を入れるけど、その痛みは治まる様子を見せず、更にチクチク度が増していく感じがしている。
公園からそんなに距離のない所に有るはずの自宅がかなり遠く感じる。ようやく着いた家の前で、入るためだけに一呼吸置いた。
「ただいまぁ!!」
いつもの自分らしく元気に家の中へと入って行った。
「おかえりぃ~」
いえの奥の方からお母さんの声が聞こえる。じぶんのスリッパを棚から出して、履いていた通学用の靴を下駄箱へ収納する。パタパタと音を立てながらリビングへと歩いて行った。
「お帰り……」
「あれ? お父さん!!」
なかなか時間が合うことが無く、自分が家に帰ってくる時にはいる事が珍しいお父さんのがすでに食卓の椅子に座って待っていることに驚いた。
「お兄ちゃんは?」
「まだ大学から帰ってきてない」
「そっか……」
久しぶりに父親にあった事で、何を話していいか分からなくなって会話が続かない。父親の方も目の前の娘に多少の圧力を感じて会話が続かない。特に二人は仲が悪いわけではなく、むしろいい方だと自分達も周りの家族も思っている。
その様子を会話に混ざることなく、外側から見ていた母親が、二人分のご飯を茶碗に盛り付けて持ってきた。
「さぁさぁ……由衣もそのまま座ってご飯にしましょ」
「う、うん。それじゃ食べる」
「はい」
「「「いただきます」」」
母親の言葉を合図に、三人揃って声を出して食べ始めた。
小松家の食卓は特に何も規制はなく、おしゃべりしながらでもテレビを見ながらでも食べる事は何も言われない。
元々仲がいい家族なので、食事中の会話は当たり前のようにある。
「はぁ~……」
ふと会話が途切れた瞬間にため息をついてしまった。
「どうした?」
そのため息に気付いた父親が、みそ汁を呑む手を止めて質問してきた。
――う~ん……どうしよう……聞いてみようかな?
「あ、あのね……」
「うん?」
未だに停まったままの父親。
「た、例えばの話なんだけどね」
「なぁに?」
母親はニコニコと笑っている。
お父さんもお母さんも私の言葉を待っているようだ。
「た、例えばよ? 例えば……お父さんもお母さんも、私がお父さんくらいの歳の男の人を二人に紹介したらどう思う? ほ、本当に例えばの話よ?」
「ぶふっ!!」
「あらあら?」
お父さんは口に入っていたみそ汁を少し吹き出し、お母さんはそれを布巾でふきふきしながらニコニコと笑っている。
「なぁに? 由衣はそういう人がいるの? ふふふ」
お母さんはずっと私の顔を見ながらニコニコしているけど、お父さんは下を向てしまった。それからしばらくは気まずい時間が流れて、耐え切れなくなった私が「ごちそうさま」と言って席を立った。
その足で、自分の食べた食器をシンクまで持って行き、リビングから出ようとカバンを持ち上げた。
「由衣……」
「ん?」
下を向いたままのお父さんから声を掛けられた。
「例えば……例えばそういう男をお前が連れてきたとしたら……お父さんとお母さんはちゃんと祝福してあげるよ」
「え!?」
お父さんの横にお母さんが静かに座る。お父さんの言葉にビックリした私は、持ったカバンをまた下に落としてしまった。
「自分たちの信じている娘が、その人を信じて連れて来るんだから、お父さんとお母さんはその男の人を信じるさ……だから安心しなさい」
「そうねぇ……」
お母さんの肩を静かに抱き寄せるお父さん。
「お父さん……」
不意打ちともいえる父親の[娘を信じてる]発言に感動した私は、目頭が熱くなって次第に涙が溜まり始めた。
「でも、そう言う事を言うって事は……あらあらあら?」
「もう!! お母さんったら!! 例えばの話だってば!!」
「そうなのか由衣!?」
「もう!! お父さんまで!!」
お母さんの目が女の目になっている気がして、見通されている感じが伝わってくる。お父さんは真剣な言葉の奥で、少し残念そうな表情をしている。
「あらあらあら?」
「もう!! 止めてよ!!」
――そっか……気にしないのか……ふふふ。
自分でもびっくりする位、沈んでいた気持ちが両親のおかげでスッキリした。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、心の中のもやもやが晴れていくような感覚がわたしの中で広がっていく。
そんな私の様子を二人は黙って見つめ、見守ってくれているようだった。
――時々……自分の居る場所が分からなくなるな……。
いつもの様に仕事から部屋へと帰ってきた俺は、冷蔵庫に向けてまずは歩き出した。一人暮らし用のこじんまりとした冷蔵庫の扉を開けると、ビールを一本取り出す。残数が少なくなってきているのを確認すると、箱買いにし横に置いたままにしたビールを数本取り出して、開けたままの冷蔵庫へと乱雑に投げ入れる。
出した缶ビールを持ちながらふらつくように歩きベッドの縁に腰掛けて、ふぅ~っとため息を着いた。
カシュッ
音を立てプルを開け、クビッと喉を潤した。
ブブブ ブブブ
胸ポケットに入れたままのスマホが震える。
仕事中の癖がついてマナーモードのままにしていた事に気付いて、取り出して表示されている画面を覗き込んだ。そこに映し出されているのは着信を示していて、スマホもまだ震えている。
登録のされていない番号からの着信は、未だに続いていた。
――誰だ? でもこの番号は見たことが……確か前にも…。…
「はい? どちら様でしょうか?」
相手を伺うように、少し低い声で対応する
『やっと出たわね聖』
思ってもみない、相手の女性の声。
「……誰?」
『あら? 私の声を聞き忘れちゃったのかしら?』
「君は誰だ?」
イライラしてちょっと声を荒げる。
『真利亜よ』
最近はその存在すらも忘れていた存在の名が聞こえた。
「マリア? あの……真利亜か?」
『声だけじゃ信用出来ないみたいね? あなたの婚約者のマ・リ・アよ』
「……元……な」
『っ!!』
スマホの前で相手が息をのむ感じが分かった。
「どうやってこの番号を……」
『あなたなら分かるでしょ? そういう立場の人間なんだから……。でも誰にも言ってないわよ?』
「へぇ……。で、何の用だ?」
『相変わらず私には冷たいのね。まぁいいわ。あなたの大事にしてる娘にも挨拶してきたし。これからまたよろしくね』
向こう側で小さくふふっと笑う声が聞こえた。
「大事な? まさかお前……由衣に……」
『その事だけであの娘って分かっちゃうんだ……ちょっと本気?』
真利亜とは結構長い期間付き合いがある。だからこれだけの会話の中でも感情の浮き沈みには機微になってしまっていた。そしてこの言葉が出た時の声は、怒気をはらんでいるようだ。
「さぁどうだろうな? というかもう君には関係ない話だと思うけど」
『聖……あなたまだ私の事を良く知らないみたいね。と言うか、知ろうともしてなかったみたいだけど、今の事を聞いた以上は私にも考えもやりようも有るって事を少しは考えてみた方が良いわよ?』
「前とはもう関係性は変わってるんだ。君になんか言われる筋合いはないと思うけどな?」
『そう? ふふふ……ならそうやって大きく構えてればいいんじゃない? まぁどうなっても知らないけどね。じゃぁねぇ』
ガチャ――ツーツー
「ちっ!! あいつ言うだけ言って勝手に切りやがった!!」
スマホを手に持ったままあまりよくない感じが沸き上がって来た。急いで画面をタップし、ある人へ電話を掛けた。
ガチャ
『はい!! 聖さん?』
「あ、由衣か?」
向こう側から聞こえるいつもの元気な由衣の声に少しほっとした。
とある住宅街の一軒家で――。
お風呂から上がったら机の上に置いたままのスマホが震えていた。マナーモードにしていたスマホはもうすぐ落ちそうなほどの位置で頑張って耐えていてくれたみたい。ずーっと震えるのが止まらないからどうやら電話の着信のようだ。時間も時間だし、誰だろうと画面を見つめる。
宮城聖さん
名前を見ただけで反射的に出ちゃった。
「はい!! 聖さん?」
「あ、由衣か?」
――どうしよう……。
声を聞いただけで泣きそうになってしまう自分に驚いた。
お読みくださりありがとうございます!!
このお話の中で、、由衣のお父さんのは由衣に言われた『お父さん位の歳の人』という言葉で、自分と同じ歳くらいの男と勘違いしてしまいます。
前作中では、聖が40歳手前設定だったため、この表現になっていますが、今作でも同じようにしておきます。まぁ面白そうだからという理由だけですけど(笑)




