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籠の鳥  作者: 夜宮
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籠の鳥 ~エリー

 私が九つの時に母が亡くなった。

 

 二つ年下の妹は母が亡くなったことに酷く動揺し、しばらくの間は食事も取れず憔悴するばかり、一時は妹まで失ってしまうのではないかと目を離す事もできないような状態だった。


 父は愛する妻の死に打ちのめされながらも私達の生活を守るために仕事を疎かにはできない。それでも不器用ながら私達にそれまで以上の愛情をみせてくれていた。


 私は、というと私も父や妹と同様に悲しみに打ちひしがれてはいたものの私よりもずっと酷い状態の妹の世話をしなくてはならないという責任感と、少しでも父の助けになれるよう母の代わりに家のことに気を配れるようにならなければという気持ちで一日一日を精一杯すごす日々。


 しかし、数年たてば、癒えない悲しみの中にも秩序が生まれた。


 父は悲しみを乗り越えてきちんと親としての責任を果たしてくれていた。


 妹も立ち直ってくれたようだった。


 元々、内気で控えめな性格であったため外に出て友人を作ったりということはなかったが、家の中で本を読んだり刺繍をしたりと好きなことをして過ごすことに楽しみを見出しているようだった。


 私は父から婿を取って子爵家を継ぐ準備のための勉強を教わりながら、祖母や叔母などの助けを借りて屋敷の小さな女主人として奮闘していたが、もうすぐ成人するという頃に、面倒をみてくれていた叔母から婚約者にどうかと一人の青年を紹介された。


 ローガンは伯爵夫人となっていた叔母の親友の息子なのだが、子爵家の次男であるため婿入り先を探していた。真面目で人当たりがよく年頃も家柄も釣り合う相手だ、と叔母はこの縁談にとても乗り気だった。


「初めまして」


 彼は優し気な目をした落ち着いた雰囲気の人だった。


 私は彼に恋をしたわけではなかったが、それまでとにかく気を張って、弱音を吐くこともなく、早く一人前にならなければと焦っていたところのある私が、力を抜いて寄りかかっても良い立場になるかもしれない人として好感がもてた。


 ローガンが私から見て大人っぽいのは当たり前で、私よりも三つ年上の彼は既に成人していて、社交界などのしきたりにもだいぶ慣れた頃合いだったのだ。


 だから私にとってはまだ話に聞くだけで馴染みのないエスコートの仕方や携えてくる小さな贈り物一つとっても洗練され社交慣れした大人のやりように感じられたものだった。


 こういう人とならば上手くやっていけるかもしれない、と私はこの縁談を前向きに考えるようになっていた。


 だが、父はこの縁談に最初からそれほど乗り気ではなかったようだった。


 というのも、私の容姿はそれなりに整っていて、所作やふるまいも格上の伯爵家の令嬢たちと比べても遜色がないと言われているくらいだったし、実家である子爵家も父の手腕で祖父の時代よりも潤ってきていた。


 祖父の代ですら叔母を伯爵家に嫁がせていたのだから、父としては私の相手だけでなくミアを嫁に出す場合も、最低でも伯爵家以上の家柄の男性と縁を繋げればそれに越したことはないと考えていたのだと思う。


 だから、とりあえずは叔母の顔を立ててローガンとの縁組は保留というかたちのまま、彼はまるで親戚のうちの一人のような扱いで定期的に我が家を訪れる立場に落ち着いた。私達は叔母の息子達と同じような感覚でローガンと過ごすようになったのだ。


 ローガンは人見知りな妹のミアにとっても優しい兄のような存在として受け入れられたようだった。


 ローガン兄さま、と呼ぶ愛らしいミアの声が今日も聞こえてくる。


「ミア、これを君に」


 ローガンは屋敷に来るときには私やミアに小さな手土産を持ってくるのが常だった。それは社交的な意味合いも多分にあっただろう。


 しかし、彼がミアのために持って来るものは値段の張るものではなかったがいつもミアの好みを反映した心のこもったものだった。


「嬉しい! 見て見て、お姉様。ローガン兄さまにとっても素敵な色の糸と可愛らしい柄の布を貰ったの」


「そう、良かったわね」


 無邪気に喜ぶミアの笑顔はとても可愛らしい。そして、それを見つめるローガンの様子は愛おしいものを見る顔そのものだ。


 別に私が彼に失恋したというわけではない。


 私はローガンに対して恋心を抱いていたわけではなかったから。


 ただ、私の相手にどうかと言われて少しその気になっていた部分がなかったわけではない。


 その意味では全く胸が痛まなかったと言えば嘘になるが、だからといって可愛い妹に嫉妬するというわけでもなかった。


 ローガンは私にとって、婿にどうかと打診されていたにしても実質的な交流という点では叔母の息子たちと同じような、親しい従兄弟のようなものでしかなかったからだ。


 少しだけ、ほんの少しだけ何故私ではないのだろう? という女としての自尊心のようなものを傷つけられたような気持ちを感じたのは確かだったけれど、それもすぐに消えてしまった。


 しかし、ここで問題がおきた。


 叔母の嫁いだ伯爵家とローガンの実家の子爵家と我が家の間で提携する事業の関係上、叔母とローガンの母が親友という以上の繋がりを持たせるために婚姻関係が求められる事態が発生したのだ。


 もしかしたら、伯爵家やローガンの実家では最初からそういう意図があったのかもしれなかったが、とにかく、両家からの圧力もあって父はローガンを私の婿にすることについて真剣に検討する必要が出てきたのだ。


「でもお父様、ローガン様は私ではなくミアを想っているようですわ」


「……そうか。だが、例えローガンにそういう淡い感情があったとしても、お前との婚約が決まればまた違ってくるかもしれない。お前はどうだい? ローガン殿のことを伴侶として愛せると思うか?」


―――妹のことを想っている方をどう愛せと?


「できればお断りしたいと思います。元々、お父様だって最初から叔母様の意見に納得はされていなかったでしょう?」


「確かにそうだが……エリー、私もよく考えてはみるが、家のために我慢してもらうことがあるかもしれないということは承知しておいてほしい」


 私は曖昧に微笑んでその場を後にした。


「お姉様! この花束をお姉様にお渡ししたくて待っていたのです。お父様とのお話は終わりまして? これね、私がが全部自分で作ったのですよ。とても上手にできているでしょう?」


「まあ、ありがとう。素敵ね、よくできているわ」


 私はミアが差し出す花束を受け取り、色とりどりの花々に癒された。


 政略結婚をするのは私の義務だ。他に想う相手がいる人や愛人を何人も囲うような人と夫婦としての体裁を保つことも貴族女性としての嗜みの一つだと教育されてもいる。


 私は恵まれた生活をしているのだから、家のために受け入れたくないことも受け入れて尽くすべきなのだろう。


 そうは思えど、心の奥底で否定的な感情が燻っていた。


 どうしていつも私だけ? という醜く暗い感情。


 父のことも妹のことも愛しているし、彼らからの愛情を疑ってはいないが二人に対して理不尽な苛立ちを感じてしまう自分がいるのだ。


 もちろん、そんな感情を持つことは間違っている。二人は私にこれまで何かを強制したことなどないのだから。私は自分が望んで自分のために頑張ってきたという自負もある。


 だからそれは自分自身ですら認めたくない、そんなものがあると信じたくないようなほんの小さな固く閉じた蕾のような感情だった。何もなければ咲かずに枯れてしまうような小さな小さな不満の塊。


 だが、確実に私の心に根付いたものであったのを思い知らされたのはそれからしばらくしての事だった。



 父から婚約の話を前向きに検討していると聞かされた頃からローガンのほうでも親から何か言われたのかぎこちない様子でいることが多くなった。


 彼は彼で苦悩しているのだろう。


 家のため、爵位を得るためとはいえ想う人の姉と結婚するというのは悪夢のような話だろうからだ。


 私の事を特段嫌ってもいないだろうが、彼は私を選ばなかった。


 彼がミアのどこに一番惹きつけられたのかは知らないが、私から見て守ってあげたくなるような可愛らしい見た目のミアを選んだくらいだから、容姿についてだけ考えても私は彼の好みのタイプではないだろう。


 私はどちらかというと冷たく見えるような、人からは可愛いというより美人だと言われるような見た目で、言動も令嬢達に揉まれて逞しくなっているようなところがある。


 控えめだが明るい性格でふわふわと綿菓子のように柔らかい態度で人に接するミアとは正反対だ。


 人の好みは色々でミアに惹かれるローガンの気持ちはなんとなく私にもわかるのだが、とにかくローガンの好みのタイプはミアのような女性だからあまり私には魅力を感じないのだろうとは察せられた。


 政略結婚に気持ちは関係ないとはいえ難しい状況ではある。


 私は私で辛い立場ではあるが、妹に叶わぬ恋をしている分だけローガンの辛さは私には想像できないようなものがあるのではないかと同情しないでもなかったが、そんな彼に追い打ちをかけるような事が起こった。


「あのね、お姉様、実は私、好きな人ができたの」


 ミアはローガンが教えられた町の手芸店に出かけた際に出会った男性に一目ぼれしたのだという。


 その男性は隣国の裕福な商家の跡取り息子なのだそうだ。


「私ね、こんな気持ちになったのは初めてでどうしたらいいのかわからないけれど、できれば、その、彼と結婚できるといいなと思っているの」


 聞けばミアの想いはまだ相手にも伝わっていない一方通行の片思い、男性とは手芸店で言葉を交わして以来、その商家での買い物の際に姿を見ることがあるかないかという間柄だという。


「あのね、お姉様、思い切ってお父様に相談してみたの。そしたら彼を家に呼んで話をしてみてからのことだって。頭ごなしに反対されなかったから望みはあるのかなって思うのだけどどうかしら?」


 普段のミアらしくない積極的な行為に父も驚いたのだろう。私も驚いたが幸せそうなミアの様子にそれもいいのかもしれないとは思った。


 まだ父は態度を保留しているが断り切れずに私がローガンと結婚した場合に、ミアがこの家にいるというのもローガンにとっても私にとっても気まずいものがあると思っていたし。


 人見知りなところがあるミアが好きだというのだからその人と纏まるならそれも縁だと。

 

 後日、父が理由をつけて呼び出したその商家の男性が商品を山ほど携えてやってきた。


 父はミアには自分の部屋にいるように言いつけたが、私には同席するよう求めてきたのでその場で私はミアの想い人だという青年を観察することになった。


「ご婚約の準備と伺いました。私どもの商会の品をご検討いただけるとは光栄です」


―――ここで言う父が想定しているだろう私の婚約は”まだ”正式には決まっていないけれどね


 私は勝手に婚約の準備と偽ったらしい父を見たが、父は私ではなく青年のことを入念に観察しているようだった。


 その日はいくつかの商品を手に取り、気に入ったものもあったのでそれらを購入して彼を帰した。


 父は事前に隣国に本店を構えるという彼の実家である商家の経営状態や彼自身の人物調査などをしていたようで、本人に会ってみても悪い印象は持たなかったようだった。


 しかし、本来、そこそこ裕福で歴史もある貴族の我が家から裕福とはいえ隣国出身の平民に娘を嫁がせるなんてことは外聞が悪いし、何にしてもあまり歓迎すべき事ではないため父もできればミアの気持ちが一過性のものであり、すぐに忘れてくれればそれが良いというような気でいたのだと思う。


 だが、それとは別に、彼の商家で扱う品や商売のやり方などはとても信頼できるものであったため商家との付き合い自体は継続することになった。


 近く婚約しそうな私のために商品を持ってこさせているという名目で。


 そのうちに、父は彼を気に入り、考えも少し変わっていったようだった。


「お前とローガンのこともあるし、なりよりミアはあの通りの娘だから、貴族の家に嫁にやっても苦労するかもしれないしな。あの子がどうしてもあの青年が良いというのなら考える余地はあるかもしれん」


 私はそれを聞いて素直に頷くことができなかった。


 ミアの幸せを邪魔したいなどどは少しも思っていない。それだけは確かなのだが、当然のように幸せだけを願われるミアに嫉妬する気持ちがあった。


 何故私にはより高いものを当然のように求めてくる父が、妹にはあれほど細やかに対応するのだろうか。


 私には家のために妹を愛する男と結婚しろと言った口で、妹には彼女がありのままの状態で幸せになるために好いた平民との結婚を許すようなことを。


 父の愛情を疑ったことはないが、それでも、私の心は何かに侵されていくようだった。


 私は籠の中で飼われている憐れな鳥のように、孤独に耐え、与えられるものだけを受け取るしかなく、献身的に仕えることを求められ続ける。たとえそれが私自身が望んでそうしてきた過去から続くものであったとしても。


 それなのに、妹は……。


 妹のことを恨んではいない。私はそんなことを考えたりしない。


 だけど、私だって母が亡くなって悲しくてどうしたらいいかわからなくて、誰かに寄りかかりたくて、何もかもを投げ出したくなった時もあった。


 それに、子爵夫人として夫を支えられるようにと厳しい教育を受け、祖母や叔母について家内のことを取り仕切るための勉強をし、同じ年頃の令嬢たちとの交流に神経をすり減らしながら泣きたい時があった。


 誰かに代わってもらうことも、誰かに頼ることもできずに。


 何のために私はそれらに歯を食いしばって耐えてきたのだろう。


 本当は私にだって何の憂いもなく夢を見る時間があったはずなのに。


 そんな時間をもつこともなく、妹のことを好きな男性と夫婦としてやっていくことを半ば強制的に決められてしまうような不幸をさも当然のように受け入れることになるなんて。


 もしも、籠の中から飛び立っていけるなら。


 一人では寂しい。


 誰かがこの手を掴んで引っ張り、そばにいて支え、決して離さないで私の幸せを願って一緒になって考えてくれたなら。


 このような私の鬱屈として晴れない気持ちに父も妹もローガンも気付かなかったが、一人だけ、気が付いてくれた人がいた。


「僕と一緒に行こう。何もかも捨ててここから飛び出すんだ」


 それは、若さゆえの浅はかで馬鹿馬鹿しい誘惑だった。


 でも、抗いがたい魅力で私に迫る、それまでの人生で最高の瞬間でもあった。


 私は、彼の手を取って、決して離さないという思いで握りしめ、後ろも振り返らずに飛び立った。


 いつか、後悔するかもしれない。


 いや、既に、課せられた義務も、親子の情も、妹との絆もそれ以外の培ってきたすべてのものを捨てるという決断を後悔していない訳がない。


 でも、それでも、私は鳥籠の中から飛び立つことを選んだ。


 未来に向けて。


 隣で手を引いてくれる人の温もりを今だけは固く信じて。


 自分一人の力では飛べなかったとしても、今この瞬間だけでも彼がいてくれたことに感謝して。

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