9 キッカケ
石塚のストーカーはあの日が最初で最後ではなかった。あの日俺とルミーナがいきなり消えたせいか、より何か隠し事しているんじゃないかと思われ、ストーカー行為がヒートアップしている。というか、常に密着して行動するような、ダイレクトアタック作戦を実行している節がある。
ストーカーの定義が分からなくなってきた中、数日このような状況が続くので、碌に鍛錬も出来ず、徐々にストレスも溜まって行き……俺とルミーナは一週間も滞在しないうちにまた異世界に旅立つこととなった。せめて禎樹から辞書を受け取ってから異世界に行きたかったんだが……予定を狂わせたあの悪しき女、次の来日は覚えてろよ。学校でも無視してやるからな。
ルミーナの中でも石塚に対する好感度が俺と同じくゼロに達したらしく、史上二人目の石塚に対する好感度ゼロという快挙を果たした当の本人は今頃地球でくしゃみをしているところだろう。そんな中、俺とルミーナは異世界の自宅に転移してきている。
「流石に何も変わってないな」
逆に変わってたら困るようなことを呟きつつ、まずはミミアント商会に出向くことにした。地球に帰っていたので、色々と案を思いついたからな。
ミミアント商会との商談が終わり、朝方に転移してきたこともあり、昼時で賑わう所謂商店街を歩く俺とルミーナは、どこで昼飯を食べようか店定めをしていたところ……俺の首元がいきなり噛みつかれた。あまりに強力な戦力を感じなかったので、わざと噛みつかれる形となり、ルミーナはそれを見つめる形になったが。
「これでコントラクトコンプリートネ……」
人通りの多い商店街で首を噛むなり意味不明な発言をしだしたのは……赤色のおかっぱ頭に、二段階に綺麗に揃った前髪で片目を隠している、身長150程の女性だった。しかも会った事がない。
知らない人にいきなり首元を噛まれ、契約完了とか言われたぞ?
「いきなりなんだよお前。殺すつもりだったんなら威力なさすぎじゃ無いか?」
壊滅的なファッションセンスを誇っているらしく、貧乳でくびれたボディにテディを着ており、その上にテディと似たハイレグの服……異世界でも無理がありそうなセットが重ね着されている。しかも片足だけタイツを履いている謎なこだわり様だ。そんな彼女は……腕に沢山の切り跡があるし、何故か体に刺繍があるし、全指先に包帯が巻かれているし、俺の血を吸う? ぐらいだし……目に見えて血に飢えている。
「吸血鬼ね」
「それでか」
異世界の事なら詳しいルミーナが、彼女が俺と同じ人間じゃないことを教えてくれる。
「……あ、あれっ。どういうことネ! コントラクトできてないネ!」
方言扱いされてるのか、≪トラスネス≫越しなのに何故か所々英単語で聞こえる口語体のおかしな彼女は、契約できなかったことに驚いているらしく、パッツン前髪で隠したオッドアイの瞳が見えるぐらい動揺している。しかも……二つ裂けた舌すら見えている。気持ち悪。
「契約って主従契約の事か? それだと俺が認めてないとできないぞ」
「そうね」
「それでアルか……」
俺とルミーナが契約するにあたって必要な条件を説明すると、中国人っぽい語尾すら加わった無知の彼女は納得するような頷きを見せるが……コイツってそんなに親しみ深い奴だったか? コイツとあった記憶は一切ないぞ。
「とりあえず誰だよ。自己紹介と行動の目的を言えよ」
「殺すネ!」
「は?」
説明を求められるとキレる厄介な性格なのか、背後に回った彼女は首元狙ってとりだしたナイフを刺そうとしてくるが――
「こういう街中で騒ぎを起こすなよ、目立つだろうが」
初期のルミーナより鈍間な攻撃なので、しゃがみ込むだけで避けれてしまった。
「で、名前は何よ」
衝突して失速する算段だったらしく、彼女は勢いそのまま飛んでいく。だが、軌道上にはルミーナがいて……首をがっしり掴んで勢いのまま逃げられるのを阻止した。
「リュリスネ。マイフレンドになってアイデアをシェアするネ!」
「おめーも盗みかよ」
「うんざりだわ……」
まーた情報や金を盗みたがる輩が来たか。石塚のせいもありイライラが爆発しそうになる。ていうかミミアント商会のセキュリティーどうなってんだよ。名誉や知名度なくして稼ぎたいって言ってんのに広まってたら意味ねーじゃねえか。
「妾はいつもバックをターゲッティングしていたネ。そしてトゥデイにマジックでコムパルションコントラクトするスケジュールだったネ! でもコントラクトできないネ! どういうことネ!」
喋り方に難があり過ぎるリュリスは石塚の異世界版みたいな発言をかますが、盗むためにまずは友達になるとかちょっとは良心がある盗人みたいだ。言動が合致してないが。
「例の気配はお前か。殺意を抱かないと相手しないぞ」
リュリスから感じたのは学校で向けられるのと同じ好意だった。まずは友達からなら確かに正しいのかもしれないが、自らストーカー行為をして、盗みをしようとしていることを明かしちゃダメだろう。それで友達になろう! って返す程バカな奴はいねえ。
「はいはい帰った帰った。殺されたくなけりゃここで引いとけ。今なら見逃してやるからよ」
地球で碌に飯を食っていない俺とルミーナは早く飯を食いたいので、リュリスを放って歩き始めようとするが……
「本当にその判断でいいアルか? リグレットしても知らないヨ」
「後悔するのはお前の方だと思うぞ」
英単語に変換される原因はなんだろなーとか思ってたらあまりの騒ぎに人だかりができつつあるぞ。早くこの場から立ち去りたいが、リュリスは全く引く気がない。
「ならマックスパワーでいくネ!」
友達は諦め、殺して財産を漁るつもりなのか、前髪で隠した方の瞳が閃光した。
「≪ヴレズレン≫ね。発光した瞳を見た相手に何でも一つ言う事を聞かせる事が出来るような魔法よ」
怪訝そうにリュリスを眺める俺に、魔法に詳しいルミーナは説明してくれるが……
「ちょっと待て。なら俺直視したからまずくねえか?」
「そうでもないわ」
ルミーナがいうなら正しいんだろうが、それでも体が勝手に動くんじゃないかと不安になる。
「これでフレンドになるアル」
それでもなお友達になろうとする変に律儀なリュリスはにやけ顔だが、
「≪ヴレズレン≫は一人でも主従契約を結んでいる人相手には効かないわ」
初めて強制的に魔法を被弾することになるかと思っていたら、うんざりするような情報をルミーナが言ってきた。確かに盗人と友達にならなくて済んだが、そこは魔法で対抗するような異世界らしい対処法を見せてほしかったな。
「コントラクト……済……⁉」
要は必中の強制的な関係性築き技が無効になり、役者のような完璧な驚きを見せるリュリスはいら立ちを覚えたか、
「ふふ……ふふふ……」
吸血鬼らしく尖った牙を見せつつ不気味な笑みをこぼし、隠れていない方の目は下を向き、隠れている方の目は前髪の間からこっちを凝視しだした。隠れている目の方が暗い色なので、雰囲気さえよければ安いホラーぐらいにはなる印象だ。が、そんなのには一切怯えもしない。
「そこまでして盗み取りたいかよ」
盗みに来る人は大体最終的には引くし、最近はルミーナ以外の対人戦が少なかったこともあり、少し殺る気になってきた。
「今後一生盗みを働けないように腕をへし折ってやろうか?」
挑発的な笑みを浮かべ、指をくいくいしてやると……寧ろ清々しいぐらい挑発に乗ってくれたリュリスは一直線に突撃してきた。魔法陣から火の玉を数発飛ばしつつ。
火の玉は主に俺に、物理攻撃はルミーナ目掛けて仕掛けられたが、俺とルミーナの得意分野はそれぞれ逆だ。たまたまかもしれないが、どうせなら得意分野で相手したいので……俺とルミーナはクロスするように、蹴りと直径一メートルぐらいでレーザーのように続く水の攻撃をする。俺が元居た場所に飛来してくる予定だった火の玉は消防車より高威力の水攻撃を受けて消化され、ただ水だけが天高く飛んでいき、俺はルミーナの前に出るような形で、突進してきたリュリスの横っ腹に空中でローキックをかました。リュリスはまさか俺が攻撃してくるとは思っていなかった上に、見えない速度の攻撃を防御する暇はなく、諸に攻撃を受け……蹴りの勢いで予期せぬ方向に吹っ飛んでいき、石造りの壁を凹ませる勢いで激突した。
「ヤベッ、やりすぎたッ」
ルミーナと鍛錬するのが習慣で、最近はそれ以外に戦う事がなかった。その影響で力加減を誤り……これでも手加減しているつもりだが、傍から見ると本気で蹴ったようになってしまったな。あまりの威力に驚いた人々が一目散に避難していく。いやこれ、こっちが悪者みたいになってないか?
「生きてはいるけどやりすぎね。あれを自分でもできるようになった私も私だけど」
修理系の魔法で凹ませてしまった壁を直しているルミーナは二つの意味で呆れている。
「安心しろ。対フレームアーマー戦じゃあんな蹴りは役にたたん」
自分で言っときながら安心できる要素がない返しをし、血を吐くリュリスの元に寄る。
「腕はあった方がいいぞ?」
出来る限りのいやらしいニコニコ笑顔を浮かべると……
「クッ……!」
力が及ばないことを自覚したらしく、戦闘することは諦めてどこかに向って走り去って行った。まあ……これでよかったのかな。俺達の顔が覚えられているだろうから、王都で動きづらくなった気がするが。
「人々の記憶は消せないから、せめて何も起きなかったように隠蔽しておくわ」
そういいつつリュリスの血も消しているが、
「これじゃあ昼飯は食いに行けそうにないな」
「……そうね」
周囲を見渡して人々が俺達以外にいなくなったことを目の当たりにし、溜息をついた。ここは本当に戦闘で溢れる世界かね?
お金がある異世界に来ても碌に飯を食えない悲しい俺とルミーナは、トボトボ家に帰る訳だが……なんか家に近づくにつれて不気味な雰囲気を感じる。今まで感じたことのなかったような気配なので、どう例えるべきか分からないが……一つだけわかることはある。これはどうぜ魔法だ、ってことだ。
一難去ってまた一難、って展開になりそうなので、俺とルミーナは警戒を解かずに家に向っていると……殺意を感じ出した。それも、リュリスの。
「おい……まさかアイツまだ殺る気なのか?」
「秘策でもあるんじゃない?」
確かに蹴り飛ばされた後、特に痛がる様子もなく逃走していった。まだ実力を出し切っていないとは思えるが、さっきのが手加減ってレベルじゃないぐらい強大な戦闘力を感じるぞ? それこそ、別人のような。
俺とルミーナは前衛後衛に分かれ、俺たちの家の前で帰りを待ち構えているリュリスの元へ――向かう。
「ふふふ……はははは……」
俺たちが来たことに気付いたのか、不気味な笑みを漏らすので……リュリスの目の前にすっと一瞬で姿を現す。少しは驚いているようだが、それでもまだ自分に勝機があると信じているからか、好戦的な態度を解かない。
「そこまでフレンドになりたくないアルか。なら――財産を人質にとるネ!」
さっきまで細かく英語に言い換えられていたが、切羽詰まった状況では方言で喋る余裕が無いのか、発言が日本語多めになっている。
そんなリュリスの背後にある俺とルミーナが住まう家の地面には……もしあれが穴ならすっぽり落ちるぐらい大きな魔法陣が浮かび上がっている。あんなのは今までなかった。リュリスが出したんだろう。
「……ッ」
魔法に詳しく、誰よりも強く、尽きることがないはずのルミーナが、その魔法陣を見て……焦ったのか、息を呑んでいたように思える。
「おい、何を企んでいる」
魔法陣を見ても何の魔法か分からないし、魔法で対抗できない俺は直接聞くしかなく、今わかる唯一の情報――ルミーナが焦るレベルだという事を踏まえてリュリスにダメ元で質問する。
「見てもわからないアルか。財産を分けないというなら、失わせるだけネ!」
この家は商社で儲けたお金を全てつぎ込んで購入したのだと思い込んでいるのか、序に全壊させる気で魔法の準備を済ませているらしい。だが、生憎室内には大して高級なものは置いていない。今はミミアント商会に出向く他に、飯を食うために外にいるのでお金は全て手元にあるし、地球から持って来ている荷物はルミーナが≪スレンジ≫で収納している。家に置くよりこうした方が絶対に安全で便利と言っていたが、まさかその通りになるとはな。
「あれは≪ツェリンガー≫っていう、障壁の類を全て無効化する強力な魔法よ。発動すると、家を壊されるのは時間の問題ね」
リュリスが使おうとしている魔法を説明してくれるが、あれだけ入念に張り巡らせた障壁の魔法も、必ず対を成す魔法が存在して、それを使えば対処できるのか。ともなれば魔法は魔力容量や魔力吸収速度は勿論の事、適性属性や適性属性関係なく使える白魔法の知識量も重要になってくるんだな。……って、魔法という技術の複雑さに感心している場合じゃないよな。
「なぜそこまでして金が欲しい。お前の望みは何だ」
金が欲しいのは分かった。だが、それか何かを成すべきの過程に過ぎないはずだ。根本的な行動理由が分かっていない。
障壁が割れる音が連なる中、不気味な笑みを浮かべるリュリスは、
「王女に納めるだけネ。そして次期国王の座を勝ち取るアル」
お金を沢山貢げば国王になれるのかは知らないが……それで人様の財産を次々と盗んでいたのか。友達関係になってから奪う事で罪悪感を減らしつつ。厄介な女に目を付けられたもんだ。
「過去にこんなことしたお前が王になれるとでも思ってんのか?」
「記憶を消すかファルマーレ導入すればいいネ」
「とんでもねえ二択だな」
流石は魔法があって何でも可能な異世界であり、地球じゃ考えられない制度が多いデリザリン王国。あり得ない強制手段も実行しそうで怖い。
「後はこの家に着火するだけでオシマイネ。嫌ならさっさと金をだすアル」
いくら金持ちでもやっと購入できて住んで一年も経たない家が直ぐに見るも無残な姿になるのは嫌だろうと同情してくれてるのか、勝ち誇った表情のリュリスは金を寄越すように手をクイクイしている。
「≪ツェリンガー≫は強力な魔法よ。発動すると、彼女ぐらいなら魔力が底を尽きると思うわ。でも……」
「着火するぐらいの火炎魔法は使える、と」
リュリスの発言からこれからそうするであろう予測を言うと、ルミーナは頷いた。爆発や押しつぶされるような破壊方法はされなくても、全焼する可能性があるのか。ライターも火炎放射器もないのに火を起こせる魔法ってやっぱりズルいぞ。俺にも使わせろ。
「自称、借りた恩と売られたケンカは必ず返す主義なんでね、しっかりと返させてもらうぞ」
もう家を守る障壁を無効化しきったのか、家を囲う巨大な魔法陣は薄れ、リュリスの手元には赤い魔法陣が出現している。そこからは、残り僅かな魔力を出し切って顕現化させた小さな炎が現れている。あれだけでも、火災の原因には十分なり得る。
俺は過去、家が全焼する光景を目の当たりにしている。あの光景は……その家に思い入れや大切な品が無かったとしても、知っている家庭であれば悲しくなるものだ。その悲しみを、繰り返したくないんで――宣言通り、売られた喧嘩を買った。だが――
「もう遅いネ」
今更攻撃する素振りを見せたことを滑稽だと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべ、火の玉を家に向けて発射させた。
魔力残量が少なすぎたか、飛来する火の玉の速度は非常に遅く、小振りだ。何なら熱波も感じない辺り、温度も低いはず。その程度なら我が身を犠牲にして防ぐことはできる。が――止めに出る俺を防ごうと肉薄してきたリュリスを捌くので手一杯だ。やはり戦力を隠していたな。
「おいルミーナ! なんで立ち尽くしてんだよ!」
本気になるとある程度は強くなるらしく、≪エル≫シリーズを使うまでもなくても、リュリスの攻撃を完全に無視はできない。
地球では殺人の権利があり、無法地帯の異世界とはいえ、ただ家を引火されたからという理由だけではリュリスを殺そうという発想には至らず――リュリスの妨害を捌き、隙を見て傷を負わせることで手いっぱいだ。しかし今はルミーナという味方がいる。俺がリュリスを相手取っているので、ルミーナは好きなように動きたい放題だ。それなのに――リュリスの攻撃を邪魔したり、火の玉の軌道を邪魔しようとしない。そのせいで……火の玉は、家に直撃した。
「おい……」
本当に、いつも鍛錬を積んできたルミーナと同一人物か?
怪しくなるような棒立ち状態のルミーナに鋭い視線を送るが――それには特に感情を抱かず、
「態々ご丁寧に≪ツェリンガー≫を魔法陣で使ってくれたわね……! おかげさまで≪バーボーン≫を防ぐ魔法が発動しなかったわ!」
どうやら無詠唱で、リュリスも無詠唱で発動した火の玉――≪バーボーン≫という魔法を防ごうとしていたらしい。だが、≪ツェリンガー≫は効果系の魔法なので、効力が継続する魔法陣で製作されている都合上、≪ツェリンガー≫内を飛来する≪バーボーン≫を止めることが出来なかったらしい。つまり、俺がリュリスの攻撃を防ぐだろうと思って≪バーボーン≫の相手をしたようなので、無詠唱合戦に付いていけず何もしなかったように見えたルミーナに声を荒げた俺のバカが露呈しただけとなるが……結果的には家が放火されたので、二人揃って無能だな。
「この際だから言っとくけど、魔法を妨害する魔法は妨害できないわ。存在することにはするけど、魔力消費量が未知数で、王族しか存在が認知されてないし、継承されていないわ」
キレ気味のルミーナが新事実を教えてくれるが、今はそれどころじゃない。
俺とルミーナはお互いを対戦相手にしたり、地球戦を意識する一方で、異世界で戦闘する想定をあまり――というか、全くしていなかった。というか、俺たちと同じぐらいの戦力を有する対戦相手がいると思わなかったし、異世界は平穏に過ごすつもりだったので、完全に意識外だった。だから異世界で共闘する瞬間が訪れた今、俺はルミーナの行動が予測できず、ルミーナは俺に無詠唱で応戦することを伝えられず、全く息が合わなかった。だが……これが異世界の自宅が放火される危機に陥ったこの戦いで発覚してよかったと思う。もし強力な敵が現れた戦役で発覚したらと思うと……ゾッとするな。
お互い自分の悪い所を認め、あとはもう……燃え行く自宅を見つめるのみ。響き渡るは、リュリスの高笑いぐらいだ。
石造りの家なので大して燃えないだろうと思っていたが、案外木材も使われていたらしく……燃える炎が衰えない中、ルミーナは魔法で屋根の上に滝のような水を落とすこともなく、ただ二人して見つめるだけ。ルミーナの戦力は相当上がっており、今では俺も油断すれば命を取られるが……あまりにもお互いがしようとしていたことが通じ合わなかったのが尾を引いている。
「言葉も出ないぐらい感動して放心状態アルか? 滑稽ネ」
ああそうだ。言葉も出ないぐらい落胆して放心状態だ。
「異世界ですら無難に生きれないのか、俺は」
燃え盛る家を見て、ドタバタな地球の日常と照らし合わせてしまい……多忙さが変わらない気がして、自嘲的な笑みが変な笑い声と共に勝手に零れる。
「形を成している物はいずれ壊れる。だけどこれは自然消滅じゃない。お前の手によって破壊されたんだ」
「当たり前ネ! フレンドにもならなければマネーもくれない金持ちファミリーに制裁アル!」
もうやる事は済ませたので本気モードが解けつつあるのか、言葉の一部が英語に戻りつつあるリュリスは、俺達が家族だと勘違いしているようだな。まあいい年して同居してりゃそう思われても仕方ないか。
今はそこに言い返す余裕が無く、「これでマネーもなければハウスも無い……ただの無力ネ!」とさっきからずっと笑ってばっかりのリュリスが帰ろうとするので、
「無力だと思ったか?」
リュリスは経済的に無力だと言いたいんだろうが、こちとら全然無力じゃない。金は手元にあるし、稼ぐ気になればいくらでも商品の案はある。何なら狩りに出かけて稼いでもいい。それより――戦力は圧倒的にリュリスを卓越しているので、そこだけは無力じゃないことを見せつけてやろう。戦いを生業とする人間の性と言ったら聞こえはいいが、イライラしてて八つ当たりしたい気分だからな。
「何ッ?」
ワントーン落とした声で喋るので、まだ秘策があるのかと思ったリュリスが振り返ってくれるので――
「――一回死んでこい」
流石に殺すとこっちの方が悪者になるかもしれないので、≪エル≫シリーズは使わないし死にはしない威力で殴るが――一瞬天国の様子を見てきてもらおうか。いや、アンタは地獄かもな?
殺意的な発言を聞いた瞬間速すぎて姿が見えなくなったと同義の俺に驚いたのはリュリスだけじゃない。俺自身もだ。ルミーナにも多少苛立ちがあるらしく、勝手に≪アテシレンド≫を付与してきたっぽいな、俺の技と名前が似ててややこしい身体強化魔法を。これじゃあ……行動速度は≪エル・アテシレンド≫の出力1と同等。致命傷で済ませてやるつもりだった威力で攻撃を仕掛けたので、そこから強化されて即死級の威力になってしまってるかもな。あーあ。しーらね。
もう仕掛けたからには威力を減衰させる気にならないので――そもそもルミーナが緩めてくれないと威力が落ちないが――リュリスの顔面目掛けてわかりやすい攻撃を、一般人からすれば一瞬の攻撃をかました。
「さよーならー」
また吹っ飛ぶリュリスだが、今度は壁がない方向に飛ばしてやったので、その勢いのままお別れとしよう。
突風と共に一瞬で遥か彼方へ吹っ飛んでいったリュリスとお別れし、
「何か忘れ物でもあったのか?」
障壁を無効化する魔法を無効化する魔法でもあるのか、はたまた使用者のリュリスが関係して魔法が解けたのか、もう魔法が通常通り使えるようになったルミーナは、自身に円形の障壁を纏わせ、家の中に突入している。
「出来る限りの家具は収納しておこうと思って。また一から選んで配置するのって面倒だし」
「確かに今は一秒でも惜しいからな」
そんなことに時間を割くより今はまだ鍛錬を積むべきだと自覚があるルミーナは、本当に地球でも活躍しようと努力するつもりがあるみたいだ。失敗したのに落ち込む時間が短いのはいいもんだな。俺なんかルミーナと初めて対異世界人戦に挑んだ時、かなり落ち込んでたぞ。
そして俺もそんな姿を見て、いつもと違った鍛錬も積むべきだなと思った。いつも協力者がいないので一人で行動していた。なので何をしようが全て自分の自由。だが、これからはずっと二人。単独行動のままじゃいけない。時には協力して行動するのも必要になる。
また今後の戦闘方法や鍛錬方針を変更する必要があるので、色々考えながら燃える自宅の中を漁るルミーナを見守るのだが……あれは……ヤバいな。目を凝らしてみると、支える部分ばかりが燃えているもんで、耐え切れなくなった屋根全体が落下まであと数秒といったところだった。
「ルミーナ! 天井が崩れ落ちるぞ!」
収納する家具に目を奪われていそうなルミーナに注意喚起するが、燃え盛る炎の音でかき消されたか、返事が返ってこない。流石に生身であんな業火の玄関に突入するのは少しためらう訳で――思わず舌打ちしてしまう。
その舌打ちが合図だったかの如く、直後に落下し始めた屋根は――着地と同時に鈍重な衝撃音を響かせる。あまりの出来事に唖然とするが……
「耳が良いから聞こえてるわよ。それに、魔法だとあれぐらい白魔法でも沢山対処法があるわ」
魔力が尽きることがないルミーナは、いつの間にかそのうちの一つの方法――≪レベレント≫を使ったらしく、真横に立ち尽くしていた。
「これだから魔法は……」
日々魔法で脅かされている世界に住んでいても、自分が魔法を使えないので未だに定着しないな。呆れ半分安心半分のため息が出る。
「萩耶ってほんと戦闘の時は自己中心的な攻撃を仕掛けるのにこういう時は心配するわね」
「しょうがないだろ、いつも一人で行動して助ける一方だったんだから」
地球を襲う異世界人、異世界人を始末するWB社、異世界人を元居た地に戻す俺。この三者は常に対立しており、俺だけが唯一単独行動をしている。変わりが務まる人間はいないし、無償なので誰も協力しようとしない。そもそもWアラーム中にシェルター外にでるのは違法だしな。それに、地球に実害が及んでいる以上、元凶の異世界人を保護する活動者はいるわけがない。なので毎回自分で考えて行動していたが……今後はそうもいかない。ルミーナが付いてくることを否定しなかったから。いや、ルミーナの涙に負けたからな。それなのに未だに俺一人で行動していれば、ルミーナはいないも同然だ。それは協力と言えるのか? ――言えないな。それをこれから、改善する必要がある。
「でも私のこと少しは認めてくれてるみたいね。昔だったら本当に死にそうになったら助けに来てたでしょ」
「さあな」
痛いところを突かれたんで心情を読まれないように自然とよそ見するが、ルミーナは特にツッコまず、
「どうせ協力して戦う練習をすることにしたって、相手がいないからどうしようもないわ。だからこういうのはどう?」
一つ名案があるらしく、燃え尽きて火も消えつつある家の前で――
「意思疎通もできるようになる上位の契約があるの。ちょっとアレな方法が必要だけど……」
あまり言いたくない手段みたいで、段々元気を失うように失速していくが、
「はっきり言ってくれないと俺にこの世界の事は伝わらないぞ」
ルミーナの動揺具合から聞きただすような内容じゃなさそうだが、言いたいことが理解できない以上詳しく聞くしかない。
「ここじゃ話辛いわ。宿を借りましょ」
「ああ、どうせ今晩寝る場所がねえしな」
視線を家の方に逸らしたルミーナは話もそらしてきたが、何もなかったことにしたわけじゃないし、確かにまた宿屋を探さないといけないので……その契約とやらは後回しにして、三度目のバレット宿屋に向うことにするか。
住む家がなくなった訳だし、これを機に明日からこの国と絶賛喧嘩中の隣国・パブルス帝国に出向くことにして、とりあえず今晩はバレット宿屋に泊まらせてもらうことにした。昼間から宿屋に行くとまだ掃除中か趣味の筋トレをしていそうだったので、未だに食べていなかった昼飯を食べ、図書館で時間を潰したが。俺は読み物が嫌いなので大きすぎる館内をひたすら歩きまわっているだけだったが、ルミーナは黙々と魔法の本を読んでいた。
夕方になってからはまだ新しい鍛錬方法を編み出していないので、従来の鍛錬方法で軽く運動してから……夜飯を食った後、もう行くことがないと思っていたバレット宿屋に入店。今回は極一般的な部屋で朝飯付きだ。もし帝国に住むことになったら、ミミアント商会からお金を受け取ることが厳しくなるからな。
「あれ? 今日はやけにギスギスしてますね。何かあったんですか?」
「ギスギスしてねーよ。ただ買ったばかりの家を失って萎えてんだよ」
「ああ、昼間の火災ってお二人のご自宅だったんですね……ご冥福をお祈り申し上げます」
「死んでねーよ。家は死んだが」
流石は王都なだけあって、ハプニングが一瞬で広まっているようだ。まああれだけギャラリーがいればそりゃそうだろうけど。
色々と勘違いしているバレットとの話はここまでにし、部屋に入った俺たちは――本題に入る。
「お互いを気遣うように協力する鍛錬を積まなくても自然とできるようになれる契約ってなんだ?」
いきなり持ち出すのも何なので、少しくつろいでから持ち出した。
「眷属契約って言うわ。地球でいうところの実質結婚ね」
「結婚?」
想像を遥かに超えた契約情報が聞こえたぞ? つい復唱してしまった。
「この世界では契約一つで家族よ」
「契約一つで友達になれる時点で察しちゃいたが……まさか結婚もできるとはな」
成立するために魔法での契約が必要とはいえ、地球との文化の違いに感心だな。ハハ。
「で、どんな契約なんだ?」
あくまでこういう契約もあるよっていう一例だと思うんで、今回する契約はどんなものか尋ねるが……
「だからそれよ」
「……はい?」
ルミーナが至って真顔でいうもんで、頭が悪いバカは混乱してしまう。
「ちょっと待て。ならルミーナから今間接的に『結婚しよう』って言われてるって認識でいいのか?」
「そうなるわね」
「ん……?」
カレシカノジョの関係になった記憶もないのに、いきなり結婚するという飛躍しすぎた話が出てきて脳みそは完全に思考停止状態。この世界での結婚はそういう軽いノリのものなのかもしれないが、平静のままのルミーナが頭おかしくなったのか心配になってくる。
「でも求めているのはそれで得られる恩恵よ」
「目的はそうだろうけどよ……」
つまり整理すると、ルミーナは眷属契約とやらをすることで得られる恩恵を求めている訳で、別に結婚願望があって持ち出した案ではないということなのか? でもそんな生半可な気持ちだと契約が成立しないんじゃないか? 主従契約でさえ双方の同意が必要だったのに。
「この世界での結婚基準と地球での結婚基準は違うと思うから、とりあえず異世界では夫婦関係になるわね」
「余計混乱するようなこと言うなぁおい……」
確かに地球では結婚の仕方が違う。俺もよく知らないが、書類に記名して提出すればいいらしい。でもそこに異世界人の名前は書けない。というか、抹殺されるので書くことがないだろう。だから必然的に地球では俺とルミーナは夫婦になれない訳だが……
「ここでは私と家族ってことでもいいんじゃない? ほぼそのような生活を送っているんだし」
「一緒に暮らすイコール家族は偏見じゃないか……?」
活動上必要な要素であれば、別にルミーナと結婚したくないって言いたいわけじゃない。だが――
「もし結婚したとしよう。ルミーナはそれでいいのか?」
結婚というものは段階を踏んでやるものだと認識がある地球人は、それでルミーナが後悔すると困るのでつい真意を聞いてしまう。
「いいわよ。どうせ離れるつもりもないし、種族が違うと子供が産めないから、活動の妨げになるような破廉恥な雰囲気になることもないわ」
「へ、へぇー……」
なんか今爆弾発言された気がするぞ? そういうハーフエルフのルミーナさんはどうやって産まれたのでしょう……?
「この世界では結婚したからって他人に言いふらす必要もないし、双方の合意の上ならいつ誰とどこでも成れて、やめることもできるわ。多種族で子供が産まれないペアもある訳で、そういうペアは特に長く一緒にいる為の証感覚で気軽に行われるものよ」
「つまりお互いがお互いを見捨てないと契約するって認識でよさそうだな」
「そんなところね」
口約束ではなく、正式に契約を交わす以上、オンラインで申請してるようなもんか。
聞く限り悪影響は出ないし、それなら……してもいいかもな。そういう契約系は出来る限りしておいた方が今後長らく行動を共にするお互いの為だし、特に異世界人の俺は世界外逃亡が出来るので重宝すべきかもしれない。
「それだけでお互いの位置が主従契約以上に正確に把握可能だし、考えていることも共有する意思があれば共有できるし、念話といって心の中で二人だけの会話もできるようになるわ」
「嘘だろ? 確かにそれだと戦闘で協力しやすいな」
おい……恩恵でかすぎないか? そりゃ皆気軽に交わすだろうよ。
契約の類は地球でも継続されている事が証明されているので、これは今後の行動がより楽になること間違いなしだ。それこそ態々密談する為に≪ラスペリファンス≫を使わなくていいし、≪トラスネス≫を使わなくても相手の言いたいことが理解できる。すると魔力が少ない地球で魔力を消費する要因が減り、いざという時により沢山の魔法を使える。
「こんなに利点があるならやるしかないな」
「でしょ?」
なんか、有益な情報を後出しされてうまく言いくるめられてるような気がせんこともないが……
「地球では兄妹で、異世界では夫婦か。笑えるな」
時々設定がごちゃごちゃになって地球で夫婦らしく振舞ってしまいそうだが……ギスギスしていない兄妹だっているだろう。現に戸賀兄妹がそうらしいし。
「でも……」
何か一つ重大な問題があるのか、ルミーナはこの話を持ち掛けた時と同じく、徐々に失速していく。やはり一つ、それもとても大きな欠点があるようだな。
「双方に相手を愛する気持ちがあった上で、一日に一回身体的接触又は性的接触を行わないと契約の継続は不可能よ」
お、おぉう……結構ヘビーな条件が来たな……
鍛錬ばかりしてきたせいで、そういうことを誰ともしたことないし、どうすりゃいいのかわからない。新谷家でも教育はあったが、そういう類は時が来たらわかるもんだとか言われて教えられなかった。ていうか時が来たのに分からないんだが?
「ハグとかキスか? でもキスとかやり方知らんぞ。それで身体的接触又は性的接触したことになるのか? というか接触の基準が人間なのか?」
ハグは楓と何回もやったことがある。友達の証みたいな感じの奴だったので、身体的接触判定になるだろうが、エルフとの基準や、契約上の基準が分からない以上、この行為でOK判定されるのかわからん。それにキスは石塚がすると子供が産まれるとか言っていたので性的接触で確定なんだろうが、子供が産まれない異種族同士なのに態々しようと思う程変態じゃないので論外だな。てかなんだよキスって。前から思ってたんだが、いち魚がどうして隠語に使われてんだよ。
「私も長く人と接触してないからそんな知識はないわ。でも今日そういう本も読んでみたの。そしたら抱擁は身体的接触って書いてあったわ。勿論、エルフ・契約の基準でもね」
実は暇で暇で仕方なくて歩き回っていた際、ルミーナは知らない契約方法を当てずっぽうでやるのは気が遠くなると判断し、少しでも情報を集めようと努力していたらしい。あの時間を有効活用して意思疎通の解決策すら考えなかった俺は糞野郎だったな。自分でもクソだと分かる。
「一日一回抱き合うのか。案外簡単じゃねーか」
楓とハグしたことがあるので、あれが公衆の面前で行うとヤバい行為じゃないことを知っている。もじもじするルミーナに釈然としないが……
「でも初回は性的接触じゃないといけないの」
あー……そういう感じか。そう言われて考えてみると、確かにルミーナが躊躇い気味なのも分かる気がする。だってただ行うだけじゃこの契約は成立しない。相手が好きで好きでたまらない気持ちで行わないといけないからな。……多分俺も表情が引き攣ってんな、これ。
「性的接触の場合、具体的にどのようなことをすればいいんだ?」
「ハーフエルフとの基準が書かれて無かったから予想だけど、体揉むとかじゃない?」
「それは嫌だな。てか嫌だろ」
だって俺が揉まれるのが嫌なんだから、ルミーナが揉まれるのが大丈夫だとは思えん。思えんが……なんか言えよ。なんで否定しないんだ? 気まず……
「ならキスとか?」
「まあそうなるよな……」
消去法的に比較的難易度が低いはずのキスになるわけで……どの道異種族間では子供が産まれないんだし、これはもうキスするしかないな。恩恵がえげつないから、諦めるわけにもいかん。
そう思ったのはルミーナも一緒で……
「意識してやるのって、なんか恥ずかしいわね」
接吻は宣言してやるもんじゃなく、流れでやるもんだろう。ルミーナ……というか異世界人は、契約成立の為に必要な行為という認識だとしても、俺が意識させてしまうような発言を連発してしまい、本来全然躊躇う行為じゃないはずのキスに対して、無駄に意識してしまって気恥ずかしさが芽生えてしまう。変な空気も漂ってくる……寧ろ挙動不審の俺を見て不思議そうにしているぐらいの心構えで居て欲しいもんだ。
「普段しないことだしな」
そもそもどういう心境になれば相手が好きでたまらない状態になっているといえるのか曖昧だが、とりあえず行動を起こしてみるしかない。百聞は一見に如かずだ。
「それじゃ早いけど寝るわよ」
「ん? ああ」
今から手始めにハグをするのかと思ったら……ルミーナは魔力で明かりを消し、ベッドに潜り込んで行った。まだ心の準備が出来ておらず、今日はやらないということなのか?
初めてハグされたのは、楓が高所恐怖症を克服する為に、俺の家に用があるときはロープで登ってくる宣言した初日。その日は俺がベランダで待ち構え、楓は落ちないように命綱もつけていたが……半分ほど登った時、垂直の壁を歩く片足が滑って靴が落っこち、地面を見てしまった楓があまりの高さに大パニック。そして悲鳴と共に壁を思いっきり蹴ったんだ。命綱が繋がっているから死にはしないんで、冷静にロープを回収していたが、滞空している楓はブランコの要領で壁側に突き進んできて……ベランダに立つ俺と正面衝突してしまった。その時に咄嗟に楓を抱き留めてしまい、楓は恐怖で強く抱きついた。それが初めてハグした瞬間だ。そのせいで恥じらいよりも安堵するための行動という印象があるので、今ルミーナが初めてハグするドキドキがどんなものかは計り知れない領域だ。
尋常じゃないぐらい心臓がバクバクしているかもしれないが、こういう時にどうすべきかわからないので……俺もベッドに入って今日は寝ることにした。またバレットが気を利かせて、一つしかないベッドの右半分に。
「……決して目を開けちゃダメよ。そして、気配も感じちゃダメ」
すると、これからが本番と言わんばかりに、耳元で囁いたルミーナは、今からハグする瞬間を見られ察しられ恥ずかしくなるのを防ぐ為か、してきそうなことを封じるよう望んできた。そして……それに応える。今ここで禁止された行為をしたら、次いつ契約を結べる日が来るか分からないしな。
ルミーナが囁いてから数秒後、横に向いて眠る俺の腕に……すっとルミーナの手が伸びてくる。普段より少し高い心拍数で進行してくるルミーナに、身を任せる。
俺の体を両手で緩くロックするような形になったルミーナは……何もしてこない。これは抱き返してくるのを待っているのだろう。なので……両手を伸ばしてルミーナに抱きつく。気配を感じるなとも言われているので、そのまままっすぐ手を伸ばしたが、やけに人間の肉体離れした感触に何回か触れた気がする。でもルミーナから微かに伝わってくるようになった念話通りに手を動かしたらやっと抱き合えた。
すると……唇に、何かがくっついた。ルミーナの唇だろう。ここからは……契約成立のために、好き好きオーラ全開になる。とりあえず、可愛いところやすごいところを沢山思い浮かべるか。
(……ん?)
よくわからないが……キスって奴は、口の中に舌も入れ込んでくるものなのか? やり方も分からないし、ここで喋っていいものなのかも分からないんで、ルミーナがしてくる行為を真似するしかない。
〔――契約完了ね。改めて今日からよろしくね、萩耶〕
俺の口内を舌である程度触れたルミーナはキス状態を止めた直後、不思議な感覚で話しかけてきた。脳内で文章を思い浮かべていたり、喋っているような感覚とは全く違う、新しい感覚だ。
〔……これ喋れているのか? まあ……よろしくな、ルミーナ〕
契約の恩恵でルミーナが解放している部分の思考も読めるので、俺の念話が伝わっている事が理解できる。
無事に契約が完了したので、ハグも止めて意識も通常通りに戻す。次は明日か。
正式な彼女ができたらその時点で新境地なのに、彼女期間なくして魔法概念上でその先の夫婦関係になっちゃったが……心の中でルミーナに語り掛けるように言葉を思い浮かべるだけで相手に伝えることができ、その気になれば記憶を共有することも可能になった。今は真横に居るからあまり実感がないが、お互いの位置も完全に把握できるらしい。あれで成立するなら確かにした方が絶対に得だ。ルミーナからも案外楽だったことに驚いているような感情が伝わってくる。
〔契約時は普通にそういうのOKなんだな……〕
念話のテストがてら少しディープな話を振ってみる。
〔なにが?〕
〔いや、初めて会った時、風呂場で俺が失態を犯した時に……〕
〔あー、あれは恥ずかしいところ見られたから、序に今ある魔力量でどのぐらいの魔法が使えるか試したのよ〕
ほう、ルミーナの考えてることが伝わってきたぞ……どうやら素で驚いているところを見られて恥ずかしかったみたいだな。……って、
〔え?〕
いやいや、よくよく考えたら恥ずかしくなるとこそこじゃないよな。
〔その……こういうのって、恥ずかしがるもんだろ……?〕
早速口に出して言いたくないことを想像して伝えるという契約の恩恵を駆使するが、
〔なんでよ。傷なんかないし、別に見られたところで失う物ないわよ〕
〔傷……? いや、あるだろ! 傷が、じゃないが〕
そういえば補足する必要はなかったんだった。慣れるまでは難しいな、これ。あることないこと暴露しそうだ。
〔は? そんなこと気にしてたら魔物に殺されるわよ。瀕死で帰宅して傷跡を恥じらうのが普通よ〕
〔それとこれとは話が違うだろ……〕
もういいや、お互い念話や意識の共有が不慣れ過ぎて会話と伝える内容が不毛すぎる。とりあえず文化の違いで異世界人には裸に対する羞恥心はないので要注意、とだけ覚えておこう。あ、序に傷跡の指摘は死を伴う可能性あり、とも覚えておこう。また一つ異世界の知識を得た。
これを機に、と言っちゃなんだが……恥ずかしいので声に出しては伝えたくないが、しっかり伝えておきたいことがあるので、わざとルミーナに伝わるように脳内で語ることにする。
さっき触れ合って確信になったが、ルミーナはしっかり体が変化していた。激しく接触したのが今日初めてなのでもしかすると昔からそうだったのかもしれないが、初めてルミーナを見た時の印象は、骨と皮しかなさそうな不健康な体つきだった。それは歩くだけで運動をしないし、碌にちゃんとした食事を食べていなかったからだろう。だが毎日魔法以外の鍛錬も積み、町に出てちゃんとした食事を食べるようになった今は、昔と比べて確実に筋肉がついていると言える。だって腕に触れた時、昔は硬さしか伝わってこなかったが、さっきは曲げた時に隆起する筋肉があることを確認できた。あれは骨による硬さじゃない。誤って触れた弾力のある物体はきっと胸なんだろうが、ルミーナにリードされて沿う形になったお腹なんか、見た目は割れ目がなくても触れると腹筋の隆起をしっかり感じた。更に細すぎてくっきりしすぎていたウエストも未だに顕在しているようで、臍辺りから背中まで手が回る距離が非常に短く感じられた。ベッドのスペース的に互い違いに絡み合わざるを得ない脚だって、歩く生活を送っているので多少は筋肉があったものの、昔はまだふくらはぎには柔らかさがあった。だが今回柔らかさより硬さの印象の方が強く受けた。一見すると女らしい体つきからかけ離れたように思えるが、これは触れた感覚の話。外見はただ細かっただけの昔の体つきと大差ないので、最も必要な内部に磨きがかかった証拠だろう。
体型的・外見的な変化は前と大差なくても、筋肉が付いたとなれた多少体重は増える。なのでバレないように少し持ち上げるようにして変化を確かめてみたが……想像以上に軽くて驚いた。そもそも抱えたことがないので基準がなかったからかもしれないが、そうだとしても軽すぎる。身長158センチといえど、へんちくりんな体格を有し、そこに筋肉が付いたとなれば多少は重たいはずだが、本当に中身が詰まっているのか不思議に思えるレベルで軽すぎる。健康そうだし戦力はあるし……異世界人はこういうものなのだろうか。まず女性の事すらあまり分からない俺が更に異世界人の女性相手となるともっと分からない。とりあえず分かることは、ゼロから始めるのでまず大前提となる筋力アップばかりを目指していた日常を送ったのにも関わらず、女性らしい体つきが消えることはなかったということだ。つまり体型を気にする女子的にも、戦力を気にする俺的にも嬉しい成長具合だな。
普段あまり直接的に言ってこない人から日々の努力を認められるような発言が伝わってきたからか、少しどころかかなり恥ずかしくなったようで……
「その体は自分だけのものじゃないんだから。私の体もよ」
ルミーナは念話でなく口に出して意味深な発言をし……逃げるように就寝した。
俺は自分がバカだと自覚している。発言の意味を推理しようとして睡眠時間を削るより就寝した方が有意義だと分かっているので……俺も就寝することにする。とりあえず、契約は完了したんだしな。
括弧の種類が増えてきたので、それぞれの意味合いを書いておきます。
() 心の中の声
「」会話内容
〔〕念話
≪≫技名
『』看板など内容が決まっている文言
発言中に他人の発言をなぞる時 など