22 秘めたる脅威
アンシェン王国に裏切られ、デリザリン王国に命を狙われ、名誉の為オルレアン公国とヴァルティーナ家に帰ることが出来なくなったアトラ・ヴァルティーナは、晴れて俺たちの味方――パブルス帝国で一番といっても過言ではない程顔が知れた三人組のメイドとなった訳で……俺たちは一度異世界に戻り、アトラに住んでいる家や、知り合いとの付き合い、収入面の話を共有することにした。それに異世界だと魔力が無限だし、金は沢山あるし、地球程警戒して日々を過ごさなくていいので、異世界人にとっては居心地がいいし、俺にとっても話を共有しやすくて助かる。
≪エル・ダブル・ユニバース≫は多くても三人が限界だ。一度に四人は転移出来ない。なのでまずはルミーナとアトラ、その数日後に俺とマリアが転移した。ただでさえ私用で使う事が増えて異世界人を見殺しにすることになったのに、これじゃあもっと死者が増えてしまうが……しょうがない。人数上限や時間制限を設けたくせに私用の制限をしなかった神にでも言ってくれ。
地球の季節は春終盤だったが、異世界には季節がなく……久しぶりに異世界の自宅に帰ってきたら――庭から家の外観を見た瞬間微笑しそうになった。理由は単純明快――俺とマリアより一日早く転移して来ているアトラは、家を徹底的に清掃したんだろう、数日間留守にしたというのに庭には靴より伸びた雑草が一つもなく、外観はペンキ塗りたての如く光沢があり、室内は地面が埃でザラザラした感覚がない。寧ろフローリングにワックスがけした後のようなキラキラ光沢感もある。本人は魔法は愚か戦力が皆無だと自白していたので、手の届かない場所の清掃はルミーナに浮遊魔法でも使ってもらったんだろうが、メイド一人がたった一日でこなす所業じゃない。メイドのやる事や存在はマリアで殆ど知ったので、生涯これ以上メイドとしての技術を見せつけられても驚くことはないと思っていたが、一本取られたな。
全員が異世界にあるピカピカの拠点に転移し終えたその日、昼食を済ませてからパブルス帝国に新入りの話でもしに行こうとした時――
「一つつかぬ事をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ああ」
空になった皿を回収するマリアを片目に、アトラは多少不思議そうに首を傾げながら、
「何で皆さんはエルフ語を使っているのですか……?」
よくわからんことをお聞きしてきた。
「エルフ語……?」
これまで長らく異世界で過ごしてきたが、そんなワード聞いた事ない。「~語」ってことは、日本語や英語みたいな言語の話だろうか。
「お三方が日頃口にしている言語は、最近衰退してきて死語になりつつあるエルフ語というものです」
俺だけじゃなくルミーナまで何言ってるのか分かってない反応をしたからか、アトラはエルフ語について解説する。
「萩耶は言語が分からないから、今は私が魔法をかけて会話できるようにしているの。つまり私自身と私に魔法をかけられた萩耶はエルフ語を話してる訳ね」
実際仲間になって、すんなり受け入れてくれたので四者間は毎日正式な眷属契約で繋がれていて、言語の壁を超越して会話が可能ではあるが、それは念話の話。俺の口から出た言葉は魔法がなければ全て日本語か英語だ。ルミーナとマリアが日本語と英語を覚えてしまい、異世界だと無限に魔力があるのでずっと翻訳できるので、言語勉強を後でいいや後でいいやと先延ばしにして今に至る。
「私の言語って今は死語なのね。人里離れて生活してたから知らなかったわ」
「350年程前、アンシェン王国の南東に当時エルフの生息圏で随一の規模を誇っていた都市が存在していましたが、麓の村で火事が起き、山に引火し、その山に存在した都市までもが全燃したという、過去最大にして最恐の火災事故が起きたのです。それから巨大都市を失ったエルフは散り散りになり、麓に高頻度で降りるようになったことで、エルフ語は衰退の一途を辿っている現状です」
エルフ語が絶滅しかけている理由を事細かに教えてくれたが……その話、なーんか違う気がする。前にその都市に住んでいたルミーナから過去の話を聞いたことがあるが、それとは全くの別展開だ。
「その都市に居た貴族の家名で覚えてるのある?」
やはりその話は捏造だと懸念したらしく、真実を知っているルミーナはまずその場所が自分が住んで居た場所と一致するか問いただしている。
今まで過去の出来事は一切気にしておらず、何も引き摺ってなければ他人に話すこともなかったが、今回はムッとした表情で話す気になっている。流石にこれから寝食を共にする仲間には真実を知ってほしいんだろう。
「はい。エスレイン家がその都市で王の次に権力を握っていたとお聞きしております。ですが当時エスレイン家は都市に身を置かれていたそうなので、全滅したと伝えられています」
都市が全焼するぐらいの山火事が起きればそりゃあいくら強いと言われている魔法使いでも命を落とすわけで……だが、それは単なる魔力が有限で、適性属性が一、二個に限られる魔法使いの話。……やはりアトラは真実だけじゃなく、エスレイン家が産んだ魔法使い史上一の才女の存在も知らないようだ。
「そのエスレイン家の末裔が私。そしてその瞬間都市に居たエルフの中で唯一の生き残りよ」
「なんと! ルミーナ様はあの魔法使いとして名高いエスレイン家の末裔だったのですね! あのエスレイン家は全滅したと言い伝えられましたが……奇妙な事は良く起きますね。単なる同じ家名だと疑っていたこと、心よりお詫び申し上げます」
ルミーナがどんな人物か知ったアトラは衝撃のあまり両手で口を押え、深く頭を下げる。
「だから言うけど。その話、伝わる過程で人間の都合が良いように書き換えられているわよ。本当は人間との醜い領土・覇権争い。結局変装した人間が潜入に成功して、都市が放火されてエルフの負けよ」
エスレイン家末裔の口から直々に真実を聞いたアトラは、途轍もない衝撃を受けている。伝承された歴史が覆ったら人ってあんな表情になるんだな。これがもし知り合いや仲間じゃない相手が言った事なら笑ってバカにして終わるが、今は仲間同士で、契約の恩恵で嘘を吐いていないことまで伝わってくる。口でしか説明できないので、信じるか信じないかはアトラ次第なとこがあるが、ここまで発言の真意を裏付ける事柄があれば、実は内通者でしたって展開になっても信じざるを得ないだろう。
「知ってると思うけど、エスレイン家は相当の魔法使いよ。その中で異才の子が産まれたなら、転移魔法でも使って活かすでしょ? 皆が頑張って火を魔法で消している中、私だけが飛ばされたのよ」
「そうだったのですね……」
マリアとアトラの過去も大概だが、アトラはルミーナの悲しき過去を聞いて瞳を潤わせている。感受性豊かだなー。冷たい話だが、俺はうるっとこなかったぞ。別にそれでルミーナがイラッときたわけでもないが。
「お話からして、ルミーナ様って萩耶様のような特殊な能力を有しているのですか?」
「何か一つは持ってないと付いてけないわよ、あんなの」
確かにそうだ。俺とルミーナは言わずともわかるとして、マリアはルミーナ基準である程度の魔法が使え、俺とルミーナを卓越した剣等の武器の技術、メイドとして身の回りもサポートでき、それに加え才能の開花が非常に早い。何かが突出してないとこんな旅路に同行しないだろうし、ただ落命するだけになる。
「因みに私は魔力が尽きないわよ。そして四属性持ち。多少なら使えるし、使える属性で上手いこと操れば実現できるから、一応全てに適性があることにはなるけど」
「すっ、凄いですっ! 聞いたことがありません!」
失敗する気配を感じない作戦を立案でき、声の大きさ、速度、間、言葉遣い、語彙、滑舌、仕草、表情、態度、姿勢、服装、全て完璧な有能でしかないメイドだが、手放されている訳だから、アトラにも何らかの秘密があるんだろうが、ここまで親しくしてくれた相手にも関わらず言わないはずがないので、逆にメイド以外取り柄がないってことで追い出されたのかもしれない。王族なら口達者だけじゃなく、多少の戦力も欲しいだろうしな。
どの道もしそういうのがあれば何れ吐露するはずなので、それを気長に待つことにし……さっきから衝撃しか受けてないアトラがそろそろ正気を保てなくなりそうなので、話を戻す。
「そのーエルフ語? を使う事で何か悪い事でもあるのか?」
ルミーナが翻訳魔法≪トラスネス≫を使っている間はずっと言語が通じていたので何も気にしなかったが、疑問に思われたら気になってしまう。あくまで俺の憶測だが、≪トラスネス≫はお互いの言語を理解できるようにするだけで、対象外がまた他の言語を使っていたらわからなかったという展開もあり得る。
「ルミーナ様が使っている言語は先程の説明の通り、主にエルフが使っていた言語なので、最近産まれた方は何喋っているのか分からないと思います」
「そうなの? 今まで沢山の人と会ってきたけど、全員と話が通じたわよ」
ギルドの職員、居酒屋、宿、商社、王族、通り魔、貴族……などと会ってきたが、方言か語尾かはわからないが、多少怪しい人は居ても、確かに今まで言語面で対話に困難したことはない。それに、もしそうだとすれば、俺が今までルミーナから教わった異世界語の勉強が全て無意味だったことになってしまうので、そうでないことを祈る。
「考えられるのは二つあります。一つは無意識に全体に対しても≪トラスネス≫を使っていた可能性。二つは相手がエルフ語をご存知だった可能性です」
「相手に≪トラスネス≫を使ったことないわよ。自分の言葉は全員に通じると思ってるから、おかしな言語を喋る萩耶にしか意識してなかったわ」
おかしな言語って。俺も初めて異世界人と会った時や日本語と英語以外の言語聞いた時はおかしな言語だなとは思ったけども。
「でしたら相手が偶々エルフ語をご存知だったのですね」
「今まで会った大体の人がいろんな人と関わる仕事だから、知ってて当然か」
「それでしたら何故エルフ語を話しているか不思議に思われてはいたでしょうが、伝わらないことはなかったと思います。街中だと他人には何話しているのか確実に伝わっていなかったとは思いますけど」
もし客の注文が聞き取れなかったら店として致命傷だし、一国の王様が自分の国に存在しうる言語を知らない訳がない。それは役柄上必要不可欠だからだ。
「例えばこの国、パブルス帝国でしたら、今は同盟国が増えている関係上、同盟国共通の言語――ルス語が主流になりつつあります。ですが、非同盟参加国のデリザリン王国はメア語、国民主権で非同盟参加国のオルレラン公国ではオラン語などと、主に非同盟参加国では昔と変わらず使われている言語もあります。また、人種差別が撤廃されていない国もあるので、数が多い魔族は魔族語――ダクネ語、獣人は獣人語――ルニマ語などと、自分の種族と合わせた言語を併用する傾向もあります」
アトラはメイドとして覚えておくべき知識を越した領域のお話をしてくるが……
「ちょっと待て。今ルミーナは俺にしか≪トラスネス≫使ってないんだよな?」
「そうよ」
「なら今どうやって俺たちと会話出来ているんだ? そういえばマリアも」
その話を聞いて不意に気付いたが、俺とルミーナはエルフ語を話しているはずだ。対してパブルス帝国で時を過ごしていた魔族のマリアは、フィリザーラ帝国時代の言語やルス語、ダクネ語ぐらいしか知らないはず。アトラもオルレラン公国やアンシェン王国、デリザリン王国で使われていた言語ぐらいしか知らないはずだ。
「メイド学校では現存する言語から死語となった言語まで全てを覚える必要があるので、相手が何語を喋ろうと通じますよ」
「私は強要されたので、少々話せます。分かりにくい時は、個人的に≪トラスネス≫を使っていました」
「すげえな……」
メイド学校ってのが何年制なのか知らないが、よく数年という期間で数か国語も覚えたよな。その記憶力、彼此12年以上は勉強をさせられているのに言語以外赤点を取り続ける俺に分けてくれ。
対してマリアは……まあ、性格上無理もないが、言ってくれたらよかったんにな。何語喋ってんだよって。あとそんなこと聞くと、俺も死と隣り合わせの状態で勉強を強要されると覚えるのではないかと思ってしまうので止めていただきたい。実際退治の低層ではランニングマシンの後ろにナイフ突き立ててたり、プランク中の地面にナイフ立ててたり、ダンベルに瞬間接着剤付けたりするらしいし。
もしかするとマリアがあまりしゃべらなかった理由はエルフ語を完全に理解していなかったからじゃないかなとか思いつつ……
「わたくしはエルフ語を喋れますので問題ありませんが、今後どうあれ最低限ルス語は覚えておくべきだと思います」
「マジか……」
確かに今後どう転んでもパブルス帝国とは良好な関係だろうし、パブルス帝国で主流の言語ぐらい覚えておくべきなのかもしれない。魔法無しで俺とルミーナが一般人相手に話が通じないのはどう考えても痛手だ。何なら貴族にさせられるっぽいしな。
「でも図らずも他人に理解されない言語で話してるのは、俺達の活動上うってつけなんじゃないか?」
「逃げの発言にしては弱いわね。見ず知らずの人とは面会拒絶にするわけ?」
「……」
え? ルミーナさん何でそんなに前向きなんですか。俺なんかルミーナを苦しめるようなことしたっけ?
「魔法が無いと話が全員に通じないのは致命的だよなぁ……ルス語、覚えるべきか?」
置かれた状況的に、将来英語より重要な言語になるので、覚えられるかどうかは置いておき、覚えようとする気力はある。せっかく湧いたので、この勢いが失速しない内に記憶するべきかもだ。
「エルフ語は現存する言語の中でもとても複雑と言われています。それを一部マスターしている萩耶様ならエルフ語よりかなり簡単なルス語なんてすぐ覚えられますよ!」
「逆に言うと一年でこれだけよ?」
「おい、痛いとこ突くんじゃねえ」
せっかくアトラがよいしょしてくれたのに、俺だって気にしてること言うんじゃねえ。でもほぼ毎日勉強に付き合わせてすまなかったな!
「いえいえ! いくら覚えるのが苦手でも、一年でこれだけ覚えているのは素晴らしいです! メイド学校では最低1000日はかけて習得しますよ」
「本当か?」
「はい!」
なーんか「全言語を覚えるために」って部分が伏せられてる気もするが……1000日もかかるのか。これは一概に俺の努力だけじゃなく、ルミーナの教え方が上手かったと言えるだろう。
「わたくし、教えるのは得意なので、心配しないでください!」
実は熱が入るタイプで鞭とかでビシバシ叩いてきたら怖いが……一人で何の目的かもわからず勉強させられる学校の授業よりモチベはある。長い目で行くか。
「……とりあえず、物は試しだな。毎晩ルス語の勉強をよろしく頼む。もし俺の勉強意欲が溢れてたら他の言語も頼む」
「私達も萩耶と同じペースでいいから教えてほしいわ」
「はい! みなさんで頑張りましょう!」
初めてやる気満々な俺を見たらしいルミーナはクスっと笑う。
人が一人増えるだけで俺たちのチームの雰囲気はガラッと変わってきた。分かりやすく言えば、うきうきわくわくなどといった感情を表に出す人が来たので、明るくなったと言えばいいだろうか。マリアは置いておき、俺とかルミーナって人の発言に乗っかっていくタイプだから、あんまり話で盛り上がることがないんだよな。何にせよいい傾向と言えるだろう。
本物のメイドという存在を知ったキッカケがマリアなので、俺の中のメイドのイメージって基本受け身で言われたことをこなす印象だったが、こうやって自分からガツガツ来るタイプもいるんだな。俺はなんとも思わないし、寧ろ盛り上がって良いと思うが、メイド前提で考慮すると好き嫌いは別れそうだ。
比較的空き時間が多い夜の時間が埋まることになり、まずは昼間の日課こと模擬戦でもしようかと庭に出たが……何か忘れている気がする。だが忘れるぐらいの事ってことは、そう大したことじゃないはずだ。なので、俺とルミーナは模擬戦を始めようとする。が……
「何か落ちてきてるわよ」
「ん?」
ルミーナが突然空を見上げるので、もう心理戦が始まってるのかと思いつつも空を見上げると……
心理戦じゃなかった。確かに、何かが落ちてきている。目を凝らしてみると……パラシュートがついている訳でもなく、不法投棄したかのように箱だけが落ちてきている。
やっと地面に着地したので、俺とルミーナは一応警戒しつつ箱を開封する。
「ビックリ箱とか興ざめするから止めろよ……?」
「ビックリ箱って何よ」
「そのままだ。開けたら物が飛び出してきてびっくりする箱だ――ってなんだよ、本じゃねーか」
余談混じりに開封したら、禍々しい色をした200ページはありそうな本が出てきた。しかも四つ角に絶対視線を追ってくる目玉のようなものがあって超絶気色悪い。捨てていいか?
箱の中身はそれだけじゃなく、封筒もある。中身はこの二つだ。
「読んだら呪われそうな見た目だな」
「闇関係の魔導書だからでしょ。生憎私は適性ないから理解しても使えないけど」
「闇の魔導書ってこんな禍々しいのか」
前にルミーナが読んでいた魔導書って奴はありふれた本と大差ない見た目だったので、これが特別なだけだろう。となれば相当貴重な書物なんだろうが……使えないなら意味がない。一応ミミアント商会でヤバいもんか鑑定してもらってから、自宅に保管しておこう。
封筒の中に入っているであろう手紙にはこの本の詳細が書いているはずなので、開封しようとするが……
「この封蝋の柄、パブルス帝国っぽくねえか?」
「……似てるわね。アトラの話の序に聞いてみる?」
「――あっ、それか。何か忘れてると思ったらそれか」
「忘れてたのね。てっきり模擬戦してから行くつもりかと思ってたわ」
「いや、単に忘れてただけだ」
……この程度でさえ覚えてないとか、今晩からの勉強、いつ終わるんだろうな?
同封されていた手紙を読むと、日頃の感謝とデリザリン王国から大手商社をパブルス帝国に招いたことに対しての謝辞だったことが分かった。つまりあの魔導書は粗品ってことなんだろうが、ルミーナ曰く粗品って程ありふれた魔導書ではなく、この世界上にたった一つしか存在しないような魔導書と言っていたので、あまりに見返りが大きすぎる気がする。しかもそれを空から敷地内に不法投棄って。ミミアント商会を連れてきたのを良いように、全然物を受け取ろうとしない俺たちに空から物を落とす方法まで駆使して押しつけるって……もう迷惑行為じゃね?
ともあれどの道アトラの件を話しにいく予定だったので、パブルス帝国の第一首都・パブルスの中央に天高く聳えるお城に向う。
門番をしていた薔薇の三銃士は俺たちを見るなり要件すら聞かずに中へ通してくれる。連れのアトラにだけ門番らしく本性を見透かそうと視線を送ったが、俺たちが付いているからか見つめた時間はチラ見程度だった。
「そういやアトラってパブルス帝国には来たことあるのか?」
「ないですね。近づき難い印象だったので……」
「今はもう部外者お断りムードじゃないわよ」
面倒って意味ではなく、信頼できる相手だから、もう道案内すらされなくなった俺たちは、特段物珍しそうにせず、寧ろ品行方正さが増して見えるアトラを連れていつもカエラがいる王の間的な場所に行く。が、居なかった。
周囲を適当に歩いていると……とある一室から物音が聞こえてきた。相手が敵じゃないので敢えて気配を察知しないように努めていたが……本能的に察知したところ、どうやら今は書類関係の業務中らしい。
「よっ、久しぶりだな」
著名中や捺印中に声をかけ、驚かせて何かミスったらいけないので、手を休めた瞬間を見計らって室内に入る。
「おお、しゅーやか。先程プレゼントを送ったのじゃが、手に取ってくれた……ん?」
一緒に作業していたカーラントから注いでもらった紅茶を片手にニコニコ微笑んでいたカエラは、最後に一番礼儀正しく室内に入ってきた女性――アトラを見て発言を中断し、表情を険しくする。
「其方はヴァルティーナ家のアトラじゃの? 何でこんなところに居るのじゃ?」
ここに至るまでと今の表情からはアトラ側に嫌な思い出はなさそうだが、流石は一国の王族で他国の貴族ぐらい把握しているカエラは、過去に嫌な思い出でもあるのか、はたまた裏があるように見えてしまうからか、あまりいい表情をしているとは言えない。
「そんなに警戒しなくていいわ。今日来たのは仲間になった報告みたいなものよ」
ルミーナは全身隈なく凝視するカエラに苦笑いして、態度を軟化しようと試みるが……
「カエラ様、場所を変えるべきかと」
「そうじゃな」
完全に警戒モードとなってしまったカーランドとカエラは、そそくさと書類を整理し、俺たちを別室へ誘導し始める。
「おい、どうした。いつもと様子が変だぞ」
あまりに見ない焦り具合と警戒具合なので、カエラの肩を掴んで理由を聞こうとしたが……そんなのガン無視して部屋から出て行った。一体どうしたってんだ……?
ヴィオネとベリーヌが武装状態で「アトラ様、ご同行願います」とか言って俺たちと別方向に案内され、カーランドとカエラに付いて行った俺、ルミーナ、マリアは……別室――それも王の間じゃなく、大きな机が一つあるだけの部屋に案内された。
俺たちがカーランドとカエラと対になるように着席した直後、
「ど、どうしてアトラを連れておるのじゃ⁉」
今までは平静を装っていたらしく、この空間がいつもの面々になったからか、カエラの動揺は爆発。机に身を乗り出してまで理由を求めてくる。
「どうしてってなにも、逆になんで連れてたらいけないんだよ。旅を友にして仲間になっただけだぞ」
地球という異世界の存在については伏せつつあながち間違ってない事を言う。
「アトラがどんな人物か知っておるのか⁉」
「オルレラン公国の貴族で、アンシェン王国の王族に仕え、デリザリン王国のスパイをしていたことぐらい知ってるわよ」
「だからじゃ!」
「いや、だから何だよ」
こっちはアトラの正しき過去を知っており、現在は俺たちの仲間になっている。しかも契約まで交わした仲なので、もし未だスパイをしようとでも考えていれば、既に俺たちが知り得ている。そんなことを知らないからパニックになっているのかもしれないが、そうだとしてもパニックになる要素が分からん。
俺の発言から俺たちがアトラの脅威を理解してないことに感付いたのか、一瞬冷静になったカエラは、
「奴はアンシェン王国のスパイじゃ。つまり、デリザリン王国はアトラがスパイをしていると知らないはずじゃ」
「そうだな」
じゃなければスパイとは言えんからな。
「自分がスパイだとバレないように立ち振る舞うには、デリザリン王国の一メイドとして仕えないといけません。現状、デリザリン王国とパブルス帝国の関係は過去最低。つまりデリザリン王国のメイドであるアトラ様は、いくら本来の目的外とはいえ、スパイとしての活動を隠し通す為にパブルス帝国城内の情報をデリザリン王国に流す可能性があります。よって敵対国のパブルス帝国に侵入させるべき人物ではありません」
確かに、冷静なカーランドが説明する理由は理解できる。だが、それは過去の話。実はアンシェン王国に裏切られているし、デリザリン王国にスパイだと露見して逃走しているし、王族のメイドだけじゃなく帰郷さえ諦めて今は俺たちの仲間になったんだ。今回それを伝えに来ている。
「何を笑っておるのじゃ!」
「ああ、すまんすまん」
俺とルミーナは念話内での微笑が漏れてしまって指摘されてしまうも、話に割り込む隙が無いので、二人がアトラを招くべきじゃないと主張するのを未だ聞き続けることしかできない。まあ、この際アトラという人物を一国の重鎮が客観視したイメージを聞いておくのもいいかもしれない。
「アトラは一度見たもの、聞いたもの、考えた事など、記憶に関することは産まれた瞬間から今に至るまで全て把握していて、思い返すことが出来ると言われておるのじゃ」
そうだったのか。やけに記憶してるなとは思っていたが、時間間隔といい非戦闘面に優れた点が多いな。流石だぜ。
「それに、言葉だけで相手の気持ちや性格を変えたり、殺すことだってできます。例として、ランドラ帝国の前帝王は独裁政治でしたが、対人恐怖症になりました。フェルミンという盗賊団の団長は、言葉で責められ、自殺したといわれています」
やけに話し上手だなとは思っていたが……そこまでか。地球に居る時、良いように俺の行動を変更されてたり、襤褸が出てたような気はしたが、あれは気がしたじゃなくて本当だったらしい。すげえわ、尊敬する。
「あのな、でもな――」
「――後」
何だよ。どれだけアトラを招きたくないんだよ。
「……いや、何でもないのじゃ」
んだよ。なら俺の発言を邪魔するなよ。
……でも、言い淀んだ理由は気になるな。アンシェン王国はこんな優秀なメイドを見捨てた訳だし、やはりアトラには何か大きな問題点があるようだ。それはアンシェン王国に裏切られたっていうのは嘘でしたとかじゃなく、もっと壮大で、俺のように人一人が抱えるべき問題じゃない事だろう。俺がそんな感じなので、あくまで直感だが。
「……そろそろ話していいか?」
現状のアトラを知らない人たちの不服を聞くのはもう飽きたので、次はこっちの番だと主張するが――
「それがじゃの、さっき書いていた書類はデリザリン王国との開戦を行うにあたって、同盟国に協力の依頼をしていた奴なのじゃ。咄嗟に部屋を変えたのじゃが……多分見られておる」
「いやな、だからまずは人の話を聞いてくれ……」
王が争う意思がないカエラに変わったのに開戦することになったのは驚きだが――メアリのことだ。言っても引いてくれなかったんだろう――そろそろアトラの現状を話しておかないとヤバい気がしたので、強引に話始める。
「アトラは今俺たちの仲間だ。じゃないと連れてない」
「アンシェン王国からは見捨てられ、デリザリン王国のメイドは諦めてるわ。元スパイだし口達者だから、実は嘘ついててまた裏切るんじゃないかって思って疑ってるんだろうけど、今は眷属契約を交わしている仲よ。隠し事なんか通用しないわ」
マリアは特に何も言わないが、俺とルミーナの弁論にしっかり耳を傾けてくれた二人は、
「そうじゃったのか……」
アトラと親しい仲で、且つパブルス帝国とも仲のいい俺たちが嘘を吐くはずがないからか、複雑な表情になる。
「ですが、警戒は怠れません。いくら萩耶様方からそうじゃないと主張されても、万一裏切られた場合、パブルス帝国に住まう全員からの信頼を失います」
「すまないの。王族じゃから簡単に容認する訳にはいかないのじゃ」
「人情の町ですから。申し訳ございませんが、新たな住民として貴族・カータレット家に扈従するリスクに対して、私共からは大きな見返りがあるように思えません」
……まあ、そうなるか。これに関してはスパイではあるが、デリザリン王国にメイドとして仕えることになってしまったアトラの過去が悪い。王族からの命令なので、自分で未来を変更できたわけじゃないが。
隔離された時点でアトラも薄々というか完全に感付いているだろうし、せっかく今までと変わらない関係性を保てるのに、ここでアトラのことを強引に認めさせようとして、カエラとの関係性を悪化させる訳にもいかないな。
「アトラはもう自由の身になった事だけは理解しておいてほしい」
「そして私達の仲間になって、私達と離れることがないってのもね」
言わば身の潔白が証明できるまで俺たちがちゃんと保護しておく的な意味とも捉えられる発言をしておく。俺達だって今の関係性や日常を壊してまでアトラを内に忍ばせようとしてるわけじゃない。
「パブルス帝国内に滞在することは許可できますが、城内への立ち入りは申し訳ありませんが……」
「もう少し証拠が集まって、期間が空いたらの」
「ああ」
二人からできることなら快く受け入れたいが、王族をやっている以上どうしてもおいそれと受け入れられないこともあるという意思がその表情、発言、声色などから伝わってくる。元はと言えばデリザリン王国のメイドだと思われているのに連れてこさせた俺たちの不手際だ。配慮が足りなかった。寧ろ悩んだ末に泣く泣く無理ってよりも、キッパリ現状はダメと言われたので、王族が友達相手でもちゃんと線引きできてて将来も安泰だなと良いように捉えるべきだ。
〔すみません、側近経験がありながら考慮することができず……〕
〔どうしようもないでしょ、何でもアリで暴れまくる自己中王の元じゃ〕
〔マリアが気にすることじゃない〕
寧ろあの悲劇で側近としての経験を積めていたらもはや別人説を疑う方が正しいと言える。
地球では格上の人間と触れ合う事がないので、あまりに無意識だった。これからはもっと異世界と地球で異なる文化、風習、法律、文明などの区別をしっかりしないとだな。今回知人相手だったからいいものの、知らない人相手だったらいきなり戦闘に発展していた可能性すらあるからな。
そうじゃないとしても、王族としてはアトラに城内の情報を漏らすわけにはいかないので、俺たちは出来る限り素早く帰宅するべきだ。でもいくら平行線を保てた対話だったと言えど、カエラ達と俺達の後味は良いとは言えない。先程の魔導書の一件を小ネタに立ち去ろうとしたが……一つ肝心なことを思い出した。
今の会話の過程で、パブルス帝国はこれからデリザリン王国と開戦することが判明し、それの下準備として同盟国に協力を依頼する書類に著名したり捺印していたところも目撃した。デリザリン王国から逃げ、パブルス帝国に身を置くことにした俺としては、今後の生活に悪影響を及ぼしかねないし、これでも一国民なので開戦に関する情報ぐらい共有してくれるだろう。この国は、少し前に決まりなき自由な国になった訳だしな。
ルミーナがカエラとしていた魔導書の話が一段落したところで、
「そういえばさっきデリザリン王国と戦争するみたいなこと言ってたよな。一体俺たちが旅立ってた期間に何があったんだ」
長年この二国は犬猿の仲だった。国境付近の領土争いは頻繁にあれど、王族がそういう意思を持って書類を書くほどまでの大規模な戦争に発展することはなかった。この短期間で一気にここまで情勢が悪化するには、何らかの問題が発生したに違いない。
「それなんじゃが、最近メアリが男を盗まれたって言って何度も侵攻してきているのじゃ」
「男が盗まれた……?」
最後に話す予定でいたらしく、情報を共有してくれるのは良いんだが……あのメアリが男を盗まれたっていうので暴走したのなら、自分の加虐行為に相当な貢献度を誇っていた人物なんだろうか。だが、前に偵察した時、代えは沢山いるようだったので、そんな人物がパブルス帝国に逃げただけでとやかく言うとは思えない。
「他にも、申請無しで商社や居酒屋を盗まれ、しまいにはメイド――アトラも一人失ったからの。その殆どの行き先がパブルス帝国じゃったら、攻めてくるのも妥当じゃ」
男については見当もつかないが、そのほか全てに心当たりがあるので顔を歪ませてしまう。ていうか一生絶対服従もう裏切ったのか。
「しゅーや達の言い分が本当なら、アトラはしょうがないのじゃが、商社と居酒屋はどうして強引に連れ込んだのじゃ?」
デリザリン王国が怒った理由の大半が俺たち絡みとあって、表情はニッコリしているが、俺には分かる――結構イラッと来ている。前に魔王の封印を解除した際に解き放った気配の九割減バージョンを感じる。ちゃんと再封印できてんのか?
「前から安全地帯のパブルス帝国に引き込もうとしていてだな……色々あって問題なさそうだったんだが、ダメだったか」
慌てて嘘は吐かずに言い訳すると、カエラは一つ溜息を吐き、
「もう少し自重してほしいのじゃ……まあ、これを機に長年続いている拮抗状態に終止符が打てるからいいんじゃが……」
「すまなかった」
良いように使ったらしいが……こっちからすれば、謝罪でしかない。当面予定はないっていうのに判断を早まったからな。デリザリン王国がどんどん悪化していたとはいえ。
「なら詫びないとだわ」
「そうだな」
話からすると、今はデリザリン王国からの攻撃のみ。これを防御するだけじゃなく、こっちからも攻撃をしかければ、開戦ということになるだろう。今もどこかの町が攻撃されているかもしれないし、パブルスの外周にはもうデリザリン王国の兵士がたどり着いているかもしれない。そんな一方的な状況が終わり、大規模な正面衝突合戦になる。そしてそれはどちらかが滅びるか降参するまで永遠と続く。歴史に疎いからそう思うのかもしれないが、これは無益で消耗するだけのご乱心対決だと思う。開戦しないのが吉なんだろうが、一方的に攻められ続けると誰でもイラッと来る。そして仕返しするもんだ。それはもうしょうがないことなんだが……これから起きるこの騒動は、先代の帝王と俺達の愚行のせいが殆どだろう。つまり、自殺でもしてデリザリン王国に詫びたくなければ、相手を降参させる他ない。俺の脳みそではそうとしか結論が出ない。そのため必然的にこの争いに参加しないといけないだろう。
商社で新商品を売る以上に歴史が変わる出来事に異世界人の俺が混ざっていいものか疑問ではあるが、そう思っても回答してくれる人はこの世に存在しない訳で……俺は異世界に滞在している限りは戦闘に参加する意思で詫びることにする。
「しゅーや達が絡むと呆気なく終わってデリザリン王国が全力を出し切れなくて、未練が残ると思うからの……」
何その余裕っぷり。俺が見た感じ、パブルス帝国の側近よりデリザリン王国の側近の方が強かったぞ。あのスパルタ教育のせいもあって。
もしかしたらパブルス帝国が滅ぶんじゃないかと思ったが、こっちには同盟国がある。協力してデリザリン王国をぎゃふんと言わせられるように、参加させてくれそうにない俺は心の中で願い……
「よし、偵察を頼むのじゃ」
カエラが思い付いた詫びの内容を受け止める。
「偵察か。不得意分野だぞ。今まで悉く手を出してしまってるからな?」
今まで何回か偵察をしたことがあるが、俺達が見つかって交戦する羽目になったことはない。だが、俺達が我慢できず交戦したことは沢山思い当たる。だから偵察という名の奇襲ということに成り得る。
「今回は手を出せないと思うのじゃ」
「どういうことよ」
手を出せない……? それは、相手が強すぎてって意味か。対象に手を出すと望みの物を得られないからか。よくわからないが……カエラがやけに企み顔なところを見るに、情報の盗み取りって感じだろうか。
「デリザリン王国東部にある、奴隷市場に行ってほしいのじゃ」
「奴隷市場……?」
情報の盗み取りというので、デリザリン城に侵入して書類でも回収するのかと思っていたが……返ってきたのは聞いたことのない市場だ。
「奴隷ってあれだよな? そのー……な?」
「そうじゃ、その市場じゃ。デリザリン王国は奴隷制度があるからの」
マリアの事を遠回しに言おうとしたが、いい言葉が思い浮かばなかった。だが、この場に居る全員がマリアの事を知っているので、何も言えてなくても理解してもらえた。
「何でそこに行く必要があるのよ。戦争になるかもしれないなら、デリザリン城に行くべきじゃないの?」
確かに俺もそう思う。デリザリン王国がどのぐらい兵士として活躍できる人材を確保できるか、兵士にどれだけの装備や武器を支給できる貯蓄があるかなど、戦闘に関する面だけでも考えうる盗み取れる情報はたくさんある。それなのに一番有効活用できそうにない奴隷を売っている市場に向うのは理解できない。
「物理的な攻撃をせずに相手を降参に持ち込める方法を思いついたのじゃ。その為に奴隷市場の情報が必要なのじゃ」
「ほう?」
そんな方法があるのか。俺とルミーナとマリアの頭脳じゃ想像つかない作戦のようだ。
「それってどんな情報なんだ?」
「言うとしゅーや達の行動に影響を与えるから今はまだ言わないのじゃ」
「へえ、そういう感じのなのね」
この場にアトラがいたら思いついたかもしれないが、どうやら拘束対象が入れられる部屋は当然魔法の対策が成されている訳で、今アトラとは念話が繋がらない。その為聞き出すことも出来そうにない。まあ、そもそも芸人じゃないので逆に調べようとはしない訳で。
戦争に発展させたのはこっちだってのに平和的解決を導こうとしたら、俺達が戦役に参加する以上に相手に未練を残しそうだが……作戦内容が想像つかない以上、どうしようもならない。詫びという訳だし、ここは言われた通りに行動しておこう。
俺達は奴隷市場がある町の名前や、その他の情報をある程度共有してもらってから……アトラと合流し、一旦帰宅する事にした。
カエラと色々話し合った時に聞いたんだが、今回の目的地――デリザリン王国の東部にある田舎町は、一度デリザリンに転移してから行くのも、パブルスから直接行くのも所要時間的にはあまり差がないらしい。地図を見た限りでは圧倒的にデリザリンから行く方が近距離だが、周囲警戒の必要性や地形的な問題、シークの手配難易度などからそう判断したんだろう。
勿論そんな田舎町に行ったことがない俺達は、今回もミミアント商会にシーク移動のお願いに行くしかないと思ったが……ミミアント商会もデリザリン王国から目を付けられている身だろう。半ば俺達の独断で厄介ごとに巻き込んでしまったのに更に迷惑はかけたくない。結果、徒歩で行くことにした。まだアトラを話したいことがあるしな。
デリザリン王国に顔が割れている俺達は変装して潜入しないといけない訳で……また女装する羽目になったんで、カツラを被ってイメチェンしたメイド服姿のアトラと一緒にカエラが奴隷市場があると言っていた付近を歩いている。
この場にルミーナとマリアがいない理由は簡単だ。デリザリン王国は人種差別を撤廃していない国。エルフや魔族的要素は隠すこともできるそうなので、一村人として潜伏することは可能でも、物を見極める目を持つ奴隷市場の商人にその誤魔化しが効くかと言えば……確証はない。女性が奴隷を買いに来ることは案外あるようなので、ならば二人を奴隷ということにすれば行動を共にすることができたが、念話が繋がっているというのにそこまでしようとは思わなかった。繋がっていなかったらしたっていう訳でもないが。
今は女装した俺とそのメイドという設定のアトラだけで行動しているが……この二人には唯一足りない部分がある。それは――魔法面だ。俺は地球人で、アトラは魔法適性が皆無。もし何らかの形で魔法的観点から俺達に関与されれば、一切対処できない。その為魔法面に強いルミーナとマリアは、実は付近の物陰に潜伏している。
いつも大規模な移動はミミアント商会と一緒だったり、≪レベレント≫で一っ飛びだったので、道中の会話はいつか尽きるだろうと思ってたが……まあ続くこと。アトラは相変わらず会話能力が高いようで、無言が続いて妙な空気になりそうな時とか、絶妙なタイミングで次の会話を繋げてくるからな。道端の雑草から国ごとの食文化の違いを話し出すレベルだとそりゃあ話終わらん。
そんな楽しいひと時は終わり、奴隷市場はその名だけあって凡人なら見落とすぐらい複雑な山奥にあった。現に俺達も最寄りの田舎町についてから一日ほど周囲を探索している。そんな館こと奴隷市場に俺とアトラは遂に足を踏み込む。
「いらっしゃいませー!」
ドアを開けるなり満面の笑みで出迎えてくれたのは……
〔出たな〕
〔どうやら店員さんも奴隷で成り立っているようですね〕
頭に二本の角、背中からは双翼、ケツからはドラゴンの尻尾を生やした、確か……バニーガールって衣装を来たドラゴン族? の女性だ。奴隷の身になる前までは自由に暮らせていたからか、胸部や臀部はかなり女性らしい肉付きだが、奴隷となってからは碌に飯も与えられていないのか……腕や腹、脚は骨そのものだ。久しぶりに見たな、その骨骨人間。
今回俺達がカエラから奴隷市場で見てほしいと言われたことは、主に三つある。まず一つ目は、奴隷を物として扱っているかどうか。二つ目は、言語が通じているかどうか。そして三つ目は、人間の奴隷がいないかどうかだ。これらを聞いた時、俺はカエラが何を企んでいるのか薄々気付き、後にアトラにその話をしたら――やりたいことが完全に予想できたと言える結論が出てしまった。
カエラがしようとしている、物理的攻撃なくしてデリザリン王国を降参へ持ち込む作戦――それは、人種差別に関する討論だ。
まずそもそもデリザリン王国に人間以外住んで居ないことについて討論したところでデリザリン王国内が荒れることはない。そういう法律だし、それに賛同する種族がいないからな。だからといって、非人類が潜伏していそうな土地を片っ端から偵察していくのは無謀だ。なので奴隷市場という非人類を見つけ次第片っ端からぶち込みそうな場所に行ってほしかったんだろう。そしてその読みは正しかった。この奴隷市場には、考えられない程の非人類が捕縛されている。出入口からでも動物園や牢屋のように檻の中に入れられた人が百人以上も見えるからな。
良くも悪くも来店して三つの項目を確かめる必要が生まれたので、
「条件はないわ。とりあえず一人一人見せて」
「かしこまりましたー!」
他のお客さんと差が無いように振る舞わないと本性がバレてしまうので、楓から特訓させられた変声とそれっぽい発言をかましつつドラゴンの女性に案内してもらう。
「まずは質が悪い奴隷からです。こちらは白銀貨10枚からお買い求め頂けます」
まず買えることが異常だが、人を白銀貨10枚で買えるって平和な国育ちの俺からすれば考えられないな。もし異世界人だったらこういうものもあるって認識で行けそうだが、複雑な気持ちになってしまう。しかもそれを見透かしたかのように今にも死にそうな質の悪い呼ばわりされている奴隷達が俺達の方をつぶらな瞳で見つめてくるし。多分最安値の奴隷がいる場所だからなんだろうが、お化け屋敷より気味が悪いぞここ。
〔お金はあるから解放だけでもしてやりたい気分だ〕
〔奴隷市場にお金を落とすと更に悪循環が起きてしまいます。ここは気持ちを抑えましょう〕
アトラからごもっともな事を言われ、嫌な気持ちを顔に出さないようにしてドラゴン女性の後を追う。
次に三段階評価で言うとこの真ん中あたりの奴隷達が居るゾーンに来た。最安値ゾーンで敢えて言わなかったが、ここからは最低でも紐のような服は着てくれているし、排泄物の処理もされているし、値段も日本円で百万の大台に乗り、奴隷達の目からは希望が失われてはいるが、体型はこの上なくやせ細ってはいない。健康上害のないギリギリのラインまでは食べさせてもらえているようだ。調教次第では良くも悪くも成り得るって感じだな。
ここまで見てわかったが、奴隷は基本的に獣人が多い。エルフは昔大都市が全焼して数が減り、魔族は魔法の適性率が高く有能だからか、あまり見ない。そして段階に分けられているので、物と扱われていたり、販売側が奴隷の言語が分からなかったりしているとは一概に言えない。つまり目的であった三つの項目はどれも正確な答えを出せないが、人間の奴隷だけが極端に少ないのは確かだ。もしもっと値が張ればいるかもしれないが、数が多い安物で全体の十パーもいなかったので、滅茶苦茶やらかして奴隷に成り下がらない限りは奴隷にならない――つまり、人種差別が成されているようだ。しかもすれ違った人々は何故か人類を避けるようにして奴隷を検討していた。きっとどうせ買うならその種族特有の能力がある自分とは異種族の奴隷を、って思っているんだろう。
そして星三評価のゾーンに着くと……
〔皆さんワクワクしていますね〕
〔パブルス帝国だったら街中歩いていてもおかしくない見た目だぞ。奴隷とは思えん〕
相変わらず心の中からは負の感情が伺えるが、早く購入されてここから出たい意思があるようで、俺とアトラに向けて色々アピールしてくる。だが、ただ出たいだけじゃなくて、このぐらい購入の難易度が高い奴隷を買う人って事はそれなりの未来も予想されているからか、案外希望に満ち溢れた表情をしている人が多い。これを見ると、低評価だった奴隷達も少し頑張ればいいのにって思ったが……流石に捕縛されたら生きる気力もなくなるか。こうしていられる人の方が珍しいんだ。
「ここからは白金貨か王貨が必要になる金額なので、分割払いや同額分の土地や書物等々でもご購入可能です」
まさか俺達が何も買わずに帰るとは思っていないからか、しっかり説明してくる中、
〔例えばこの人とか、最近入った感じはしないのに、城の門番並みの戦力を感じる。例え檻の中でも弛まぬ努力を積んでるんだろうな〕
最低ランクの檻はトイレすらなく、中ランクの檻はトイレぐらいしかなく、やれても檻の中で喧嘩か筋トレぐらいしかなかったからか、極端に痩せた人か、極端に筋骨隆々とした人か、微妙に太った人ぐらいしかいなかった。だが最高ランクともなれば、一日三食に風呂トイレ寝床、鍛錬時間や労働時間も用意されているのか、寧ろ村人より暖衣飽食で屈強に思える。捕らえられている身とは思えない優遇っぷりだ。これを見ると最低評価の奴隷達も努力するべきだと思うけどな。まあ……実際奴隷になってみないと分からない気持ちってのがあるんだろう。
〔種族も限られてきましたね〕
そう言われて気にしてみると、確かにこのゾーンはハーフエルフとかの半分人間の人たちや、今では希少なエルフ、戦力がやけに高いドラゴン族、魔法適性率が高い魔族が多い。
「最後は富豪層にのみ招待されるVIPルームです。見たところ、メイドさんを連れていらっしゃるので、招待させていただきますね」
メイドだけで富豪層と判断されるのもどうかと思うが、隠された奴隷市場のエリアに何か仕組まなくても入ることが出来るなら何でもいい。
ドラゴンの女性が開けた先に進むと……
〔ホントに奴隷かよ……〕
檻感さえなければただの高級マンションの最上階のような造りの巨大な廊下に、計四人分の牢屋が用意されていた。その牢屋はホントに牢屋か疑わしくなる程私生活感で溢れていて、全ての部屋が二十畳は優に超している。
どうやらその内の一つが案内役をしていたドラゴンの女性の檻だったらしく、もう出入りまで自由になっている自分の檻の中に入って行き……
「右手前からサキュバス、ドラゴン、エルフ、獣人です」
四人ともの檻にはそれぞれ詳細情報みたいなのが記載されている。一応目を通すと……一億を超す値段に、性別、推定年齢、種族、アム値、アエ値、特技、数値化された語彙力――漢字検定みたいなものだろう、身長体重、スリーサイズなどと、確かに選ぶ際に気にする情報が書かれているが、唯一名前だけが記載されていない。購入者が決めるからなんだろうが、そこを見るとなんか虚しくなるな。
〔アム値、アエ値って何だよ〕
知らない異世界語が出てきたんで、何でも知ってる博識のアトラに念話で問う。
〔魔力吸収効率と魔力保有容量と技量を足した値を適性属性数でかけた数値をアム値、非魔法時の技量と身体能力を足した数値を使用できる種類――例えば徒手や剣、弓とかです――の数でかけた数値をアエ値と言います。分かりやすく言うと、魔法と非魔法の能力値数です。他にも魔法剣士など、両方を使用する者にはアム値とアエ値を足したアス値もあります〕
〔どうやって決めてんだよその数値……〕
要は一目で戦闘能力が分かる数値だと理解できたが……問題はそこじゃない。適性属性の数や扱える武器の数なら誰でも分かるが、魔力吸収効率と魔力保有容量、非魔法時の技量と身体能力とか、基準がなければ決める人や測定器がないはずだ。そもそもそんな数値仮に人力で割り出すとしても、判断権があるAさんが判定した結果と、同じく判断権があるBさんが判定した結果が全く同じになるとは思えない。
〔ギルドで働く方は必須で毎年更新の資格――公認判定士というものがあります。その資格所有者はアム値アエ値アス値の他に、討伐レートや魔物生息域から危険度、素材の鑑定やランク付けなど、数値に関する事を判定することが出来ます」
〔そんな資格があるのか。人力じゃあるまいし、この世界は機械が発展してないし……どうせまた魔法技術を応用した奴だろ?〕
〔そうですね。因みにその技術は門外不出なので、ギルド経験の無いわたくしは判定することも、予想することも出来ません〕
やはり魔法か。俺が使えない技術且つ門外不出で現地民も知らないとなれば、考えても分からない領域の話だ。現時点でわかるのは、この世界だと魔法という単語で全てが納得できてしまうってことだけだ。現に俺はアトラと声に出さずとも会話ができているわけだしな。
すると……俺達が無言で詳細情報を眺めていたからか、VIPルームはそういう仕様なのか知らないが、四人の奴隷がいきなり檻から出始めたぞ……⁉
まさか檻から出てくるとは思っていなかった俺とアトラは、女性らしく小さな悲鳴と共に驚いて手を繋ぎ合う。演技だとはいえ、女性って驚いたら手を握るのか?
それはさておき、同性だというのに超過激な衣装を着たサキュバスの女性はその爆乳で俺の右腕とアトラの左腕を挟み、整い過ぎた顔で、
「毎晩幸せな一時をご提供します」
とか艶やかな音色で囁いてきてんだが⁉ てか同性同士で何するんだよ! サキュバスっていうから……マッサージやストレッチにしても言葉に含みを持たせ過ぎだろ!
どうやら自己アピールタイムに突入したようで、サキュバスの女に気をとられていると、目の前にチャイナドレスみたいな服を着た華奢なエルフの女性がやってきており、
「私は魔法が得意です。ですがこの中では攻撃魔法を披露できないので……世界中の女性の悩みでもある貧乳を解決する為、豊胸魔法をかけさせていただきますね」
おい止めろ! 豊胸って事はこの中で対象に成り得るのはエルフ自身とパットで盛ってなかった俺のみ。てか俺男なんだが⁉ うわ止めろ! なんか胸膨らんできたんだが!
アトラが男性なのに巨乳になってしまった俺を見て仰天する中、
「私は近接攻撃が得意ですので、前衛はお任せください」
獣人の女性は鉤爪のような武器を、腕を振って展開し、空想上の敵を八つ裂きにするかの如く連撃をかましている。確かに素早く精練された攻撃だが、俺としてはそれどころじゃない。
「ドラゴン族の戦闘力は見せるまでもないので、持ち前の社交性とメイド力を披露しますね! と言っても先ほど披露したのでお見せできる物は残ってないです。なので私も体を売ります!」
「何――何でそうなるのよ! 静かにしてなさいよ!」
一瞬素の新谷萩耶が出かけたので咳払いしてから声を作り、ドラゴンの尻尾で足をからめとろうとし、腕では体をロックしようとしてくるので、
「かっ、帰るわ!」
「ああっ、お待ち下さーい!」
流石に危機感を覚えたので、サキュバス女とドラゴン女の拘束を振りほどいてからアトラの手を引いて来た道を戻って行く。何だここ。ホントに奴隷市場だよな?
幸い彼女らは奴隷であり、商品であるからか、寧ろ買い手側のこっちを必要以上に拘束してくることはなく……俺達は鍵が閉まっていたわけでもない扉を押し開き、撤退する。
「ひ、酷かったですね……」
「二度と入りたくないわ……」
二度と来たくないというと語弊がありそうだったので、言葉を誤魔化していたら……
「すみませんねぇ。彼女らは優秀な人材なんですけど、良いお相手を探そうと猛烈なアピールをしてくるので中々売れないんですよねー……」
俺達が前にこの部屋に入って行ったことがある人達と同じ感情で飛び出てきたからか、やけにいい年の取り方をした紳士から声を掛けられた。見た感じ悪者そうじゃなく、服装は正装って感じで、案内役を近くに連れていない。これは支配人って奴なのかもしれない。
「そうですよ。奴隷の身だから善意なんでしょうけど、あんなことされたら諦めますわ……」
今までの発言内容からしてこのぐらいの発言が目上の人と話す時に合った口調だろうと予想し、未だ巨乳の俺は変な重みを感じながら苦笑いを浮かべる。
「ハッハッハ。これは申し訳ない。あまりにお金を持ってそうな人が来たからって、張り切って案内役まで買って出たようなんですけど……お気に召されなかったようですねぇ」
なんだ、今回が異例だったのか。確かに売り物の奴隷が直々に案内するとかよくわからなかったが。
「気が向けばでいいので、この辺りの奴隷でもゆっくり見て行ってくださいね」
支配人と予想される紳士は、VIPルームに入ったぐらいなのでお金は持っていると予想したのか、VIPを除く一番高い檻の中を指し示したが、俺達には奴隷の購入意思がない。
この人に目を付けられたら早めに言っとかないと買わせるまで出させてもらえそうにないので、
「大体の商品を見れたので、一度帰宅してウチが求める奴隷がいたか再判断します。また後日改めて来ますわ」
表情ではVIPルームのせいで疲れたのを見せつけ、撤退しようと出入口の方に向う。が、進行方向に支配人は回り込んでくる。
「わかりました。では入場料を」
「入場料?」
ここは遊園地ではないくせにそんなものを払わされるのか?
いきなり飛び出た市場としては考えられないワードに俺とアトラが固まっていると、
「はい。奴隷にも飯は必要です。特に質が悪い奴隷は暴走することもございますので、莫大な維持費が必要なんです。それに最近見るだけ見て買わないお客様が多いので、非購入者には白銀貨十枚程頂いております」
嘘だろ? それって最低ランクの奴隷がもしかしたら買える値段じゃないか? ここまで落ちぶれた奴隷だと殺処分ぐらいしか道が残ってないけど、商品なので極力控えたい訳で……その結果どうしても買ってほしいから同額に近い入場料を設けた、そんな意図だろうか。じゃないと経営がピンチとは思えない程清潔だしな。トイレがない牢屋もあるっていうのに、異臭しないし。
パブルス帝国や日本だと完全にアウトで訴訟もんだと思わしき経営戦略にはめられた俺とアトラだが、ここはそれが合法な国だし、この世界の俺は金持ちだ。いらない奴隷なんか買わずに入場料だけを払う。俺達は奴隷を買いに来たんじゃなく、戦争に於いて、パブルス帝国が物理的ではない方法でデリザリン王国に攻めやすくする為に情報を集めていたんだ。正直悪循環にならないよう入場料すら払いたくないが、諍い事になるわけにもいかん。
「足りてるか数えてよ」
ポケットから白銀貨を20枚取り出し、紳士に手渡す。
それを受け取った紳士は、奴隷を買ってくれなくて不満顔。だがお金を渡された以上何も言えない模様だ。
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
「失礼したわ」
支配人らしく客の俺達に一礼した紳士が、扉が閉まったことによって見えなくなり、彼の気配が逸れてから……
「はぁ。変なもん見せられたもんだぜ」
普段の声色に戻し、歩く姿を男性の物に戻した俺は、ルミーナとマリアが待機している方へ向かう。
「入場料とかあるんなら二人も入る必要なかったな。すまんな、嫌な思い出作らせて」
「いえいえ、わたくしは萩耶様の完璧さに感服しています」
地球という異世界に関係を持つことになった以上、これからもたくさんの嫌な思い出を作らせる羽目になるが、その調子なら鬱になる可能性は低いだろう。
「萩耶すごいわね。胸押し付けられても心拍数に変化がなかったわ。いつも興奮しないでどうやって契約の継続してる訳? ていうか男?」
開口一番変なことをほざいて姿を現したルミーナは、特に収穫がなかったようだ。奴隷市場は悪い風習ではあるが、数ある商店の一つだ。なのに、警戒しすぎていたのかもしれない。
「知らねーよ、今は胸あるし。契約出来てるんだから何でもいいんじゃね?」
戦闘にも発展してないのに一連の出来事の中でどう心拍数が上がるのか分からない。素人なら潜入という緊張感で上がることはあれど、俺は自分でもいうのもアレだが……悲しいことに、こういうのには慣れている。
返答が予想していたのと違ったのか、ルミーナは「まあそうだけど……」とあまり腑に落ちていない様子。
「とりあえずこの胸を元に戻してくれ。てか戻るのか?」
「戻るわよ。肉体を変化させられていたら危うかったけど、ただの幻影魔法の一種よ」
ルミーナは語りつつ俺の胸部にかけられた幻影魔法を解除してくれる。
「そこまで強力な魔法使いじゃなかったみたい。相手が購入者だからお試しで、正式な奴隷になって求められたら本気出すかもしれないけど」
完全に魔法をかけられる前の胸部に戻った俺は、ルミーナ含む胸が大きい人たちの苦労を感じつつ……
「正直収穫があったのかはわからん。でも見たもの聞いたもの全て共有すれば、何かに活用してくれるだろうな」
なんて言わなくても契約の恩恵で俺達の様子を適宜把握できていたであろうルミーナとマリアに口に出してまで言う理由は――怪しまれない為。もう契約を交わす仲まで発展したと勘違いされると、厄介だからな。
実は敵の接近に真っ先に気付いていたのはルミーナ。流石は卓越した聴力の持ち主だ。他三人が気付いたのは、ルミーナが≪レベレント≫を使おうとする手を止めたのと、契約の恩恵で何かに感付き、警戒するような感情が伝わってきたからだ。
そんな敵意は、俺達の元へ一直線に突き進んで来ていて――
「奴隷市場と繋がってる奴がいたか」
「道中にすれ違った他人から疑われた可能性もあるわ」
奴隷市場の目の前で≪レベレント≫を使う訳にはいかず、少し歩いていた俺達の行路を塞ぐように、ラジアシークが止まったような気配がする。
奴とは、どの道いつかは決着つけないといけない。今までやこれからのやりとりのように、奴が俺達の事を執拗に付き纏う原因は、圧勝や大敗といった分かりやすい戦果を挙げられていないからだ。それが十割の原因かはまだ分からないが、結果として二カ国間で戦争寸前にまで発展してしまった。ならば俺達が圧勝でもして相手を観念させれば……戦争も平和的解決に繋がるんじゃなかろうか。じゃなくても、激化することは防げそうだ。結果がどうあれ、カエラの予定を狂わせる羽目になるし、本人らは無自覚だろうが――敵が目の前で存在を明かし、律儀に待機しているというのに逃げる程腰抜けじゃない。だが、今回は奴を刺激する要素――過去にスパイとして潜伏していたアトラが味方にいる。これは……一筋縄ではいかなさそうだ。
「アトラ、一応ここら辺で身を潜めておけ。きっと対象は俺達だが、アトラにも定められると厄介だ」
「わかりました」
アトラに戦闘能力はない。それなのにどうせ戦闘になるであろう対話内に登場させる必要はない。寧ろ、アトラの存在を見せて、相手の怒りメーターをこれ以上上げたくもない。それにありがたいことに、この辺りは奴隷市場が点在している地帯らしく、潜伏している魔物の気配を感じない。きっと奴隷が片っ端から始末させられているんだろう。お陰様で戦力がないアトラでも警護無しで隠れてもらうことが可能だ。
アトラが森林の方に駆けて行ったのを見て、
「……行くか」
「そうね」
現在の情勢上、俺達の将来の為にも、パブルス帝国の安寧の為にも、ここは姿を現す必要があると判断した俺達は、隠れる気も警戒する気もなく、奴の視界内にフェードインしてやる。
森林の中に人やシークが長年通って自然と生まれた道の先に、俺の視界でもようやく見えてきたそこは……数台のラジアシークで道を完全に封鎖されていた。無駄に煌びやかな後部座席からは、道とクロスするように停車した結果、視線を変えずに俺達の登場が確認できるようになっている。当然、そこには――
「あら~、お久しぶりですわぁ。ご・しゅ・じ・ん・さ・ま♪」
相変わらずの軍服姿に、抑えきれない鬱憤が鞭に出ており――自身が座っている女性の脹脛を一定間隔で叩いている、メアリのご登場だ。俺達が自身らの存在に気付いていると思わなかったのか、やけに偶然出会ったような雰囲気で気持ち悪い発言をかましてくるが、もし存在に気付いていなかったとしても、その待機具合だと誰でも瞬時に待ち伏せされていたと気付けるぞ。
〔会う時絶対こういう構図作らないといけない縛りでもあんのか?〕
ため息交じりに念話でぼやく。復讐のために故意でやっているので、トラブルメーカーとはまた意味合いが違う気がするが、普通に出会ったとてメアリと側近たちの関係性的にトラブルに発展しかねない。放っておいても問題ない案件だとしても、進行妨害されると頭にくるものもある。
手加減していても前より格段に鞭で叩く威力が上がっているメアリが座っている女性は、アルマでもなければ側近でもない。やけに鞭で痛めつけられたところを見るに、ラジアシークを駆動させるために雇われた魔法使い――それも、獣人だ――らしく、魔力が尽きたから半殺しに遭ったんだろう。四つん這い状態の彼女の両腕は、見たことないぐらい震えている。今にも崩れそうだが、崩れたら殺されかねないという危機感が火事場のバカ力となっているみたいだ。でもあれも持って数分だろう。
なら側近はどうしたのかと思ったら、ちゃんと同行していて……獣人の女性が魔力尽きてからはアルマが自力で牽引していたようで、ラジアシークの先頭で全身タイツのような黒い服を着たアルマは縄で繋がれた状態のままご満悦顔。ドMの怖さを感じた。ブランは……何故か俺達の背後十メートル先に立っている。メアリが近くに居させたくないので裏取りを頼んだんだろうが、こんなに離れてたら機能しないだろうに。
指名手配された俺達っぽい人が居るという情報が入っただけで、俺が女装しているとは知らなかったのか、俺を見るなり疑問顔になるメアリだが、ルミーナとマリアが居るなら女装した萩耶だろうと断定したようで、
「あらあら。例の如く、不可測の戦士さんだけでなく、無尽蔵の魔女さんと隠然の戦乙女さんまで一緒に」
いつの間にか勝手につけられた二つ名について触れるのは相手の思う壺かもしれないが、
「ちょっと待て。なんだその二つ名は」
アトラが最適な隠れ場所を見つけるまでの時間稼ぎをする為にわざと尋ねる。
「ご存知なくって? 貴方達三人は特定最重要危険人物特々Sに格付けられ、あの魔物界で最も恐れられている内の一つ・エルドギラノスより危険度が上の位に位置していますわ。人類でランクインしたのは貴方達だけですわぁ。誇りに思いなさい」
誇りに思うも何も、どうせそのランク付けはデリザリン王国内での話だろうし……
〔エルドギラノスって何だ?〕
その魔物が何なのか分からん。
〔私たちが最初に倒した龍よ。あれ、案外恐れられてた奴みたいだわ〕
〔嘘だろ。というか嘘と言ってくれ〕
これで俺は確信した。これはデリザリン王国――それもメアリの独断と偏見で形成されたメアリとその側近ぐらいのみぞ知るランク分けだ。じゃなけりゃ今までにこの世界エルドギラノスに滅ぼされてるぞ。
「全員合わせて最恐の戦闘集団・絶対戦士でしてよ。貴様らのことだから覚えておきなさい」
「へいへい」
いつの間にかチーム名まで決められているようだが、そんなこと覚える気なんか更々ない。決める気はないが、せめて本人らで決定させていただきたい。
「で、今回はどういう件で王国におこしで?」
どうせどういう件か知ってるくせに、俺達の口からしっかり聞きたいのか、メアリはラジアシークから下りてまた獣人の女性の上に脚を組んで座った。今度は高さが欲しかったのか、獣人の女性は空気椅子状態になっているので、連動してメアリまで振動して見える。そこまでして人の上に座りたい理由が分からないし、魔法使いの女性がそこまでしてメアリに従順な理由が分からん。
「ただ通っただけだが。何か問題あったか?」
間違っちゃいないことを言うと、
「あらやだ。嘘なんかついっちゃって。ご主人様いけませんわ」
一瞬オネエが入ったメアリは、鞭でビシッと地面を叩いた。メアリは舌打ちの代わりに鞭でも叩いてんのかな。
「本当よ。ただ通りかかっただけだわ」
相手に目的がバレている以上、隠し通そうとしても意味がないが、メアリは俺達の口からどうしても聞きたいようなので、それなら一生口に出して言わん。
「そうですの。顔に絵まで描いておいて滑稽ですわね」
異世界には化粧の文化がないのか、変な捉え方をされたがそのまま流しておく。
「ここは交通料が必要ですわよ。払わない人は奴隷行き」
この辺りが奴隷市場の密集地で、あり得そうなことを良いように言ってくるメアリは、俺達を無傷の状態で捕縛したいんだろうか。ドSだし目的が分からない以上、何考えて発言しているのか理解できない。
〔一生絶対服従とか、自分が負けた場合は無効で当然だったか〕
条件も細かく定めて合意しなかったが故の齟齬でもあるが……デリザリン王国にちょっかいをかけ続けるし、こうして今俺達の行動を阻害してくるし、なんなんだよこいつら。執念深すぎる。
〔挑発して視野を狭くさせるべきだと思うわ〕
〔俺もそう思った〕
俺とルミーナがそう念話で交わした理由は、アトラが予想もしなかった場所に隠れているからだ。その隠れ場所は――俺達とメアリ達が居る場所に一番近い位置にある草むらの中。戦力がないとはいえ、流石に隠れ場所ぐらい判断付くだろうに、そこに隠れているってことは……持ち合わせた頭脳で導き出された最適解ではなく、俺達の戦力がいまいち理解できていないから、心配して近くまで寄ってきたんだろう。事前にもっと戦闘面の話もしておくべきだった。
俺とルミーナとマリア間でしか聞こえない念話で会話することによって、慌てて逃げようとしたアトラが草木の音を鳴らし、見つからないようにし……このまま俺達が上手く立ち回ればその位置でもバレるはずはないので、俺はメアリをじわじわと煽る。
「そーですか。それはすみませんねえ。ならまず貴方が払いましょうか。どうやら俺達より先に来ていたそうですし」
この微妙な敬語っていうのは非常に煽り性能が高い。と、前に愼平から聞いた気がしたので活用してみたら、効果があったようで……
「わたくしはこの国の王だから払わなくてよくってよ」
ごもっともなことを言うメアリの鞭を叩く威力が少し上がった。分かり切った事を煽り要素満載の口調で言われたからか、表面では冷静を装っているが、内面ではイラつきが蓄積しているようだ。煽り耐性ないな。
「王が国民と同じ立場じゃないから国がまとまらないんじゃねーのか?」
パブルス帝国暮らしの俺には国民がメアリの政治に反対的なのかは知らないが、適当なことを言うとあながち間違っていなかったのか、
「あらあら~口が達者なゴミたちですわね。手を洗う回数が三桁になりそうですわぁ~」
それらも相まって今は相当イライラが溜まっているようで、遂に怒りを露わにした表情のメアリは立ち上がってこちらに近寄ってくる。ていうか三桁になりそうってことは俺達と会う度に二桁は洗ってんのか? 触れても無いのにアホすぎないか。
「逆らう愚民はゴミ箱行きですわ。貴様らみたいな愚民には代わりがたくさんいるのよ。 ゴミはゴミらしくゴミ箱へ。安心なさい。行動次第では椅子ぐらいにならしてあげますわ」
まずそもそも俺達はデリザリン王国の国民じゃないんだが、愚民とかゴミ呼ばわりされると溜まったもんじゃない。
「あんた人をゴミ呼ばわりするとか人間として最低よ」
俺が怒って本来の目的が達成できないと思ったのか、ルミーナが話に割って入るが、
「そんなの気にしませんわぁ。全員わたくしの玩具なんだから」
自分が何と言われようとデリザリン王国では平民又は貴族は王族に逆らえないからか、強気に俺達の目の前まで歩み寄ってきた。
俺の発言よりルミーナの発言の方がウザかったのか知らないが、その指し伸ばす手は俺に向いておらず……
ビシィッ! と、伸ばした手が見えない何かに弾かれた。電気が迸ったような音がしたが、メアリの様子からしてビリビリ系ではない模様。
「愚民はそっちの方みたいよ」
いつの間にか魔障壁でも張っていたらしいルミーナは、勝ち誇ったような表情でメアリを見下す。
「愚民が無限魔力の私に触れられる訳がないじゃない」
触れられない理由を戦力差のマウントも兼ねて教えてあげたルミーナに向けたメアリの表情は、驚き。何も喋らないが、どうせ無限魔力と言われていた噂は本当だったのかもしれないと干渉できなくて実感したところだろう。
「むっ、無限魔力のエスレイン家ですって⁉ そんな名家、とっくの昔に滅んだはずですわ! 同じ家名を貰ったからって粋がっても無駄よ!」
やはり予想通りで、ルミーナがまさかあのエスレイン家の生き残りだとは思っていなかったメアリは衝撃のあまり数歩引いてしまっている。
「そうやってまた逃げようと企んでも無駄でしてよ! 愚民共! 彼らをやりなさい! ……ほら、愚民! やりなさいよ!」
まさかと思って自分がさっきまで座っていた獣人の女性を鞭で叩き、俺達に向けて攻撃するよう指示するが……先程の椅子業務で腕と足の限界がきていたのか、俺達の元に剣を構える仕草と立ち振る舞いは素人以下。まだアルコールが入った人間の方が上手く戦えそうだ。
そんな相手に大打撃を与える気にはならないので、俺は道中で剣を落としても尚駆けてきた獣人女性の頭をコツンと殴ってやり、ノックアウト。蚊を叩く時の方が高威力だな。
「こいつは椅子よ! 強いはずがないわ! ほら、行きなさい!」
声を荒げて本日同行した兵士たちに攻撃をしかけるように指示するが……
「何してんのよ! 早く行きなさい!」
メアリが呼び掛けても、誰も来ない。それはメアリへの信頼度がゼロになったからではなく……
「怒り過ぎてて視野が狭くなり過ぎよ。当の昔に部下なら全員倒したわ」
「具体的にはエスレイン家の辺りでな」
やはりメアリが率いる兵士なだけあって、ちらほらと戦闘能力が高そうな気配を感じていたので、二対多になる前に始末しておいた。その中の一人、いくら殴っても快感と捉えて倒れない変態がいたので、木に縛り上げたが。
周囲を見渡すと、本日同行したはずの兵士が全員倒れていたので、メアリの表情が一瞬青ざめるが――
「まだですわ! こういう時の為にブランが居るのですわ!」
まだ自分が勝てる道筋があることに気付いたメアリは凄い笑顔でブランの方に視線を向けるが……対策してないとでも思ったか。
「ああ、ブランなら地面とくっつけておいたわ。あそこからずっと動かないから丁度いいんじゃない?」
ブランの下半身は今完全に石化している。それは重量的な問題でもあるが、地面と同化しているという意味でもある。いくら土属性の適性がないとはいえ、ルミーナレベルともなればこの程度ならギリギリ使えてしまうらしい。まあ使えなくても氷漬けしたり、他にも対処法がある訳だが。
「これでどちらも隠し玉なしだな」
実際はアトラを隠し持っているが、メアリを暗殺できる実力を持っている訳でもないので、お互い同じ状況下と捉えてもいいだろう。人数差はあるが、これで俺達はいろんな方法を試せて、今後は執着されないような別れ方を迎えることが出来るだろう。と、思ったが……
「よくもそんなこと言えましたわね」
まだ自分たちにも勝機があることをその不敵な笑みから読み取れる。
「いつまでそこに隠れているんですの? ……んー? あっれれー? 才媛の隠勢さんことアトラちゅわぁーん? いつまでそこにいるんですのぉー?」
右側の草むらを凝視しつつ語るメアリの声はもう確信しているものだ。じっと隠れていても、素人では太刀打ちできない。流石に気付いてたか。
この状況からしてずっと隠れていても意味がないと察したのか、顔を出したアトラは俺達の方に駆け寄ってくる。アトラ本人も見つかるだろうと思っていたからか、あまり動揺していないように思える。が……アトラとメアリは俺達とメアリのような関係性じゃない。自分から逃走を図った以上、顔を合わせるわけにはいかない相手なんだ。
「どうやらお前は部下に裏切られたみたいだな。こっちに寝返ってきたぞ」
だがどう考えても煽る台詞しか思いつかなかったので、ここはもう交戦の意思丸出しで対抗する。どの道そうしないと圧勝にならないだろう。
「ふぅん」
その言い草からして、メアリはそんな企みぐらいかなり前から知っていて、そこは置いておくことができても、俺達の味方になったことは頂けないようだ。
「ところで新谷萩耶。貴様はこのような言い伝えをご存知で?」
「何だ」
「――この世界には三人の多重人格者が存在する、という話でしてよ」
三人の多重人格者……? 何故その話が今出てきた。しかも三人と限定されている所を読み取るに、それは性格が変わるといった別人格の事を示唆しているのではなく、魔王を体内に封印されたカエラレベルの多重人格者のことを指しているだろう。
「詳しく聞かせろ」
増援を呼ぶにしても、呼ぶ手段がないはず。だから時間稼ぎをする理由はないはずだ。それなのにこんな状況下でその話を持ち掛けるというなら……まさか……
「服従関係ですから特別に教えてあげますわ」
ここで服従を強調してくるあたり、悪意を感じられる中、
「この世界には特異体質者は沢山いますの。いい例がそこのエスレイン家でしてよ」
これから起きるのであろうそう簡単ではない戦闘に備え、俺達は各々臨戦態勢を整える。
「対して多重人格者は殆どいない。今存在が確認されている二重人格者の人数はたったの三人で、その内一人は言わずと知れたあのゴミ――帝王ですわ」
敵対しているからか、名前ですら呼ばないが……だろうな。つまりあのレベルの多重人格者がこの世に残り二名存在しているらしい。そしてその内の一人が――この中にいるってことだ。絶対に。
「魔王は話が通じないことが判明しましたわ。封印の解き方を知っていても解く気はないですわ。デリザリン王国に被害が及ぶと厄介なので」
流石に一国の王様なだけあって、考えられるヤツで安心した。でも逆にそう聞いたことで、パブルス帝国とデリザリン王国にはあの魔王に対抗できる程強力な人間がいないって知ることにもなったな。
「次にドラゴン。デリザリンから南西に遠く離れたツェルツァ島、その更に南部に位置する森林では、長年龍が住み着いていて、ドラゴン族が多く住まうわ。その中に一人、ドラゴン族やハーフ以上に原型に近い形に変われる龍人がいるそうですわ。龍の羽や尻尾のみならず、魔法を使用しない口からの炎や、その並外れた戦闘力を有した人間が」
「へえ、そんな奴もいるんだな。世間は広いぜ」
人数が一番少ない種族なのか、偶々奴隷市場で出会ったのが初めてのドラゴン族だったが、あれが所謂エルドギラノスみたいな巨大龍に変身できる奴がいるのか。どうやってそういう人間が誕生したのか知らないが、不幸な人格を抱えたもんだな。
「そして三人目――それは、今からお見せしますわ」
楽しそうにサディスティックに高笑うメアリは、その変身を行うための準備というか身構えを始める。
やはり予想通りメアリにも何か秘められた力があったようだ――と、思ったが……
「どうした」
何か……やけに俺の袖を握るアトラの力が強くなり、震えているように思える。
「一度見たことがあるからでしょ。非戦闘員の動揺だから判断付かないけど、それなりの別人格が出てくると思うわ」
別人格には魔法が通じないという前例があるからか、剣を構えたルミーナは元メアリのメイドであればあり得そうな事を言ってくるが……俺には、そうは思えない。今まで人種、老若男女問わずかなりの人々とすれ違ったり、出会ってきたり、対処してきた直観なんだが……まさか、まさかとは思うが……別人格を持ってるのは、お前――アトラの方じゃないのか?
そう思った勘は正しかったようで――
「アトラが様々な国を点々としている本当の理由は、その力をどの国も制御しきれないからですわ――!」
遂にメアリの口から三人目の多重人格者がアトラだというようなことが発せられたので――どうなるのかは分からないが、俺達三人はアトラを守るように態勢を整える。カエラと同じとは限らないが、何も情報がない俺達にはこうして身を守ることしか出来ない。
「おい、どういうことだ。アトラお前、スパイをしていたけど見捨てられたとか言ってなかったか?」
アトラが前に話していたことと、今メアリが話したこととでは辻褄が合わない。見捨てられた理由を多重人格者だからと捉えたとしても、アトラの母国・オルレラン公国から見捨てられたとは聞いていない。でももしかしたら後者は本人が知らないだけかもしれない。今聞きたい話は数多あるが、まずはアトラという人物は本当に俺達の味方なのかを判断する為に、真意を問う。
「嘘、ではないです。でも……嘘、かもしれないです……」
アトラは難しい事を言ってくるが――他国が制御しきれなかった力を制御できるそうなので――実はメアリの部下で、俺達をスパイしていたというオチかと思ったが、そうではなさそうだ。表情や念話で読み取れる。まずもしスパイをやっていたら眷属契約を交わす時にそれとなく拒んでいたはずだし、偶々スパイしようとした相手と地球で会ったとか言う、天文学的な確率を引けるとは思えない。
「内にそんなもの秘めてるんならもっと早くから言えよ!」
「最近の私は人間不信でして、優しくしてくれたのにも関わらず、お三方の事を直ぐには信用できなくて……」
「今私達が揉めてる場合じゃないわ。反省会は後よ!」
そう言ったマリアは、自身の身体能力を魔法で向上させ、メアリに攻撃をしかけ始めるので――
「チッ」
面倒くさい出来事に巻き込まれてしまった自分の悪運に舌打ちした俺も加勢する。もうこうなったらアトラが別人格化する前にトリガーを知っている人を片っ端からやっつけないといけないな。
マリアはアトラの身を守り、俺とルミーナはメアリの眼前まで迫り、まずは一打入れようと思ったが……
「わたくしめにお任せくださいませ!」
攻撃を受けるのは得意なアルマがここぞとばかりに目を輝かせて間に入ってきたぞ。日々拘束されているからか、縛りからは逃げ出すのが得意らしい。失敗したな。相手がドMだからって遊ばずに、致命傷を与えるか気絶させておくべきだった。
切れ味抜群の剣を左右から食らったアルマだが、多少血を流した程度でそれほどダメージを被っていない。あの薄くて密着した全身タイツは見た目に反してかなりの防御力――防刃性を誇っているようだ。
メアリは一瞬焦った顔をしたが、アルマのお陰で攻撃チャンスが生まれたので、大仰に鞭をぶん回してくる。お陰で俺とルミーナは一旦数メートル距離をとる羽目となる。
「トリガーは判明していますの。ブラン、殺りなさい」
命令する時だけ低い声になったメアリは、俺とルミーナが再度肉薄してきているのにも関わらず、防御態勢を取ろうとしない。余程アトラの別人格の戦力とアルマの防御力に賭けていて、その実力を信用しているんだろう。
命令されたブランは俺達の後方に足を拘束された状態で居る。態々足が拘束された仲間に命令を下すわけなので、アトラの人格を変えるトリガーは足を拘束された状態でもできるはずだ。となれば飛び道具か魔法に限られる。飛び道具はアトラの身を守るように立ちはだかるマリアが防ぎ、魔法はルミーナが阻害してくれる。もし拘束を解除して近接攻撃でもしよう事なら、マリアだけじゃなく、俺かルミーナか或いは複数人で対抗できるので、アトラを別人格化することはほぼ不可能だろう。
だがブランは平民。メアリは王族。身分制度がある国なので、命令されたからには実行しないといけない訳で……ブランは静かに目を瞑り、何かをボソボソ呟き始めた。どうやら魔法の詠唱のようだ。
魔法となればルミーナが得意なので、ルミーナの気が一瞬ブランに向いたが、直ぐにメアリに戻ったので、かわりばんこで次は俺が一瞬背後に気を逸らすと……ブランは≪スレンジ≫から取り出したらしいスコップのような武器を右手で持ち、左手を回復魔法を使う時のように広げて翳しているところだった。
「――≪ザンピラス≫」
ブランがそう小声で呟くと、スコップのような武器が光り輝き、誰も触っていないのに徐々に形状が変化していく。
〔なんだよ、あれ〕
〔魔法武器よ。二つの武器を一つにまとめ、魔法を用いて使い分ける感じね。≪ザンピラス≫は魔法武器の形状変化専用の魔法ってとこ〕
あまり脅威とは思ってないからか、アルマに攻撃をしかけるルミーナは体を動かしながら器用に念話してくるが――
「――≪ラズベリン≫。――≪ヒスファリー≫。――≪チャッピラール≫」
弦が無い弓に様変わりした武器をあたかも弦と矢があるかの如く引っ張っているブランは同時に複数の魔法を詠唱している。しかも、全てが聞いたことのないものだ。
〔流石にヤバいだろッ、あっち対処しろ!〕
〔そうするわ!〕
ルミーナでも聞いたことのない魔法でもあったのか、急遽アトラへ魔法を付与させたりブランを弱体化させようと詠唱を始めたもんで……
「よそ見厳禁でしてよ!」
背中ががら空きで攻撃チャンスすぎるルミーナをしっかり捉えているメアリは、戦扇を取り出して後頭部目掛けて攻撃をしかけるが――
「チッ」
その攻撃は、ルミーナを中心に広がる球形のバリアによって妨害される。俺はルミーナと契約で繋がっているから助けなくても大丈夫だと知っていたが、知っていてもヒヤッとするぐらい透明で不可解な防御方法だな。魔法ってもんは。
隙が生まれたメアリを一旦引かせるために俺は目にも止まらぬ速さの連撃を仕掛ける。一発ぐらい当たれば御の字程度に立ち回ったが、一発も当たらなかったところを見るに、メアリはそこら辺にありふれた冒険者より卓越した戦力があることは証明されたな。
ブランが詠唱した三つの魔法は、いずれも前文が略されているので所謂王道な魔法。そして――
「ブランは属性の適性はなく、吸収効率も最悪ですの。でも保有容量が莫大だから、一度きりの必殺技を放てるんですわ!」
勝ちを確信したからか、色々勝手に吐いてくれた情報も加味すると、あの三つの魔法はいずれも無属性。だが、威力は未知数だ。今わかる情報としては、矢が顕現化したので、詠唱した魔法の一つに物を発生させる魔法があったことぐらいだ。
「私を舐めんじゃないわよ!」
対して魔法なら殆ど何でもできるルミーナは――無詠唱なのでほぼ分からないが――念話で相当魔法を発動させていることは伝わってくる。
あんな魔法対決に対抗できないマリアは表情一つ変えずに怯えるアトラを守り、俺はメアリとアトラを牽制し続けていると……
「トリガーは仲間の危機や自身の致命傷。仲間の危機が不可能ならば、非戦闘員の愚か者に致命傷を負わせるだけッ。ブラン、殺りなさい――!」
遂に、矢が放たれた。それも、周囲に突風を巻き起こす程、超高速度で。
どうやら残り二つの内一つに威力が上がる魔法があったらしく、矢の飛来速度は新幹線を優に超し、弾丸といい勝負ぐらいだ。
(流石に魔法戦とフレームアーマー戦は使う羽目になるか……)
魔法が使われたのかの判別は俺にはできない。つまり、通常の矢なら躱せる態勢でいても、不可抗力で加速された矢を躱せる態勢ではない。≪エル≫シリーズを使っていなければ俺の目には映らない世界の話だが、日常的にあの速度を見ていれば瞬時に≪エル・アテシレンド≫を使うことぐらい容易く、今の視界には矢がゆっくり動いて見える。
ルミーナはマリアに、マリアは魔力がある限り自身に身体強化系の魔法でもかけたのか、マリアは俺と同じ速度の世界で行動を起こしており、アトラが別人格化するなら自己犠牲も厭わない意思で、アトラ向って飛来する矢の射線上に遮るように立ちはだかった。回復や蘇生ぐらいルミーナがどうにかしてくれるだろうという魂胆だろうが、あまりに大胆過ぎる。せめて手で握りしめるぐらいにしろよ。この世界ならできるんだからさ。
そう思って伝えようにも、言葉の伝達速度は上がっていないので脳内で留まるだけ。距離がある上に二人の行動を阻害している都合上、マリアとアトラを見守ることしかできず……遂に、マリアの右肩に矢が衝突する――
(……ッ!)
あの調子だと完全にマリアが負傷するはずだったのに、矢はどういうことか……マリアの背後に移動し、アトラ目掛けて飛来を続けている!
俺の目には矢がカーブしたように思えなかった。俺が見えていないんだから、マリアもだろう。となれば、残った一つの詠唱は一度物を貫通する、≪レヅベクト≫の応用ような魔法があった訳で……
(クソッ)
この瞬間程俺に魔法が使えたらと思ったことはない。
――でも、まだだ。うちには大魔法使いがいる。ルミーナが発動した魔法によって、あの弓がアトラを打ち抜くことはないだろう。――と、思ったが――
「虚空に発露する一縷の望みへと導け――≪ツェッツフィン≫」
ブランは更に魔法を追い掛けしてくる。それも――詠唱文がある事から分かるが――古代魔法だ。薄々予想してはいたが、古代魔法は属性合体魔法だけじゃなく、無属性魔法も存在したようだ。
ルミーナは無詠唱、ブランは古代魔法。ルミーナが何を使っているのか分からない以上、俺の中ではブランが優勢としか思えず……
〔実は同じ魔法を使っているわ。つまり――わかるわよね〕
ルミーナに優劣を聞くまでも無く、本人のその険しい表情や、言い難いからとかじゃなく、俺も知っているから敢えて言わなかった結論から未来は予想できる。できてしまう。
「――ッ!」
(いくら何でもバケモン過ぎんだろッ!)
内心で理不尽さに怒鳴ってしまうことに――アトラは、心臓付近を矢で射抜かれてしまった。
ルミーナが張ったであろう数多の魔障壁の類が全てガラスが割れるような音と共に砕け散り、衝突寸前に水面に火種が落ちたようにジュッという音がした――きっと身体強化系の魔法が全て解かれたんだろう――ってことは、残り一つの魔法は先程お互いが切り札の如く使用した魔法を無効化する魔法――≪ツェッツフィン≫同士のぶつかり合い。魔法は無効化を無効化するなど、終わりない関係性ではない為、魔法界では必ず最強と言える魔法が存在する。ルミーナが使う切り札となれば、きっと魔法を無効化させる魔法とか、現状最強と呼べる魔法以外の使用をするはずはないが……まさか≪ツェッツフィン≫を使える奴がルミーナ以外にいたとは……思いもしなかったな。
前に聞いた話によると、今回で言うと無効化魔法同士の衝突、同属性同威力の衝突は相殺し、その魔法を除いた状態での勝負となる。つまり、相手の≪ツェッツフィン≫でルミーナがアトラにかけた障壁の類は全て消え、ルミーナの≪ツェッツフィン≫で顕現化させている矢の攻撃が消滅し、残った≪ツェッツフィン≫同士が衝突――そして相殺したことになったはずだ。同威力で放つとすれば、古代魔法の一部詠唱省略と古代魔法の無詠唱は威力減衰値がほぼ等しいが、明らかに≪ツェッツフィン≫の精度や威力はルミーナの方が圧倒的に高い。アス値的に見ても比にならんだろう。だが、無効化する魔法同士の衝突で、そんな優劣なんか関係ある訳がない。
となれば魔法は全て消え去り、魔法で構成されたブランの攻撃は失敗したことになるんだが――アトラは今、心臓付近に確実に何かが被弾し、血を流し、倒れ込んでいる。という事は……相手が大魔法使いだから、無効化魔法を使ってくることを見越して、顕現化した矢の中に魔法が一切使われていない小さな針でも含ませていたんだろう。でなければアトラが攻撃されたのと辻褄が合わない。やられたな。
矢で心臓付近を射抜かれたアトラは、先程メアリが言っていたトリガー――自身の致命傷に当てはまる訳で……
「お、おい……」
「う……ぐ……――あ゛あァァァァァ――ッ!」
負傷した痛みによる苦しい声と、自身の変化を恐れた表情を残したのは僅か数秒。次第にアトラが出せる領域を越した声量と叫び声を周囲に響かせる。その鳴き声は音だけで周囲を強振させる程強力だ。
奇声と共に巨大化していくアトラの体は、着ていたメイド服を内部から爆発させるように散り散りにし、膨らんだ体からは人間的特徴が消えて行き、獣らしく体毛が生えてきて、二足歩行から四足歩行に変わる。その見た目は、地球の獣で例えるとすれば……強いて言えばライオン、といったネコ科の類だろう。
「うふふふふ、おほほほほほ! ついに百獣の王が目覚めますわ……!」
今まで聞いたことのない気持ち悪い笑い声を上げたメアリはその存在を制御できるからか、とてもご満悦そうだ。
もう十分に大きくなってしまい、別人と化した元アトラを守る必要はないと判断したマリアが俺とルミーナの元に合流してきた頃――
遂に、巨大な獣の気配が動き始めた。その存在から感じる戦力は――計り知れない。人ならそれとなくオーラがあったり構えから分かるし、フレームアーマーなら経験からすぐ分かる。対して獣は感じたことがない気配だから感じ取れない訳ではなく……俺達とレベルが違いすぎて感じ取れる領域を超えている。戦いを生業とする家系に生まれ、相応の才能と実力を有し、神からも技と物も授かり、黒星を上げたことがないのに毎日欠かさず鍛錬している俺ですら、直感で危険としか感じ取れない。
「俺を蘇らせるとはな……相応の殺し合いを用意しているんだろうなァ……」
口元の動作は無いものの、この獣は何らかの方法で人々の心に直接語りかけ、会話することが可能な存在らしい。ならば……完全に諦めていた和解ルートもあり得そうだ。
「百獣の王様、彼らが相手ですわ! どうか……お気に召せば……!」
語りかけてきたから完全に成り終えたと判断したらしく、百獣の王様とベタな呼び方をしたメアリはにやつきながら俺達を指差す。
「チッ」
分かっちゃいたが、当然獣は俺たち三人を視界に捉え、殺意をむき出しにしてきた。彼から伝わってくる気迫や殺意でわかったが、何を言おうが聞いてくれないようだ。メアリは獣を制御できると言っていたし、無理にお願いしても無駄だろう。標的が俺達に絞られているこの時点で、メアリの味方についたことがわかるからな。
「ほう……なかなか強そうじゃねえか……それになかなかの好みな顔つきだ」
後半は何言ってんのかよくわからんが、見た目から油断したら自分でも命を落としかねないと判断できた辺り、やはり体内に封印された存在なだけあるなと思う。
「それじゃ――いただくとしようか」
人を殺める行為は獣的には食事なのか、妙なことを言ったと思えば――
(消えた……⁉)
瞬きをしたわけでもないのに、一瞬の間で俺の視界からあの巨体が姿を消した。≪エル≫シリーズを使っていないとはいえ、残像や微風ぐらいあってもいいはずだ。が、それすらも残さない程高速――或いは、透明だ。
「カッ……」
周囲を警戒する間もなくいつの間にか俺の腹部には強烈な衝突が起きていて、久しぶりに口から血を吐きだした。
そんな状況が起きたのは俺だけじゃなかったらしく……マリアは倒れ込んで数秒呼吸が止まるぐらいに、ルミーナは数メートル吹き飛ばされて致命傷を負う程に同じ攻撃を食らっていた。
「ほう。久しぶりの運動らしく、この元の体が鈍っているのと、久々の目覚めだからあまりコンディションが良いとは言えないが……俺のパンチを耐えるとはな」
嘘……だろ……? 今反射で≪エル・アテシレンド≫を5まで出せたので体全体が少し押されて血を吐いただけで済んだが……出さなかったらあの拳一発で即逝ってたぞ。しかも本戦に向けたアップのような攻撃でこの威力なら……残り5出力残っている俺は未だしも、魔法剣士として優秀なマリアは自身の防御力を魔法で強化しまくっても何れ死ぬ。魔法使いで物理防御力なんか最近付け始めた未熟なルミーナなんか、今の攻撃で意識が飛びかけていた。今手がピクッと動いたから生存確認ができたが、次の攻撃が同じ威力以上であれば確実に死ぬ。魔王の時にも感じたが……≪エル≫シリーズを過信したり、だらけ癖のある性格じゃなくてよかったぜ。対魔王戦の時もそうだったように、まだ……勝機はあるはずだ。
元が人間だからか、二足歩行もスマートにできる獣は、自分の体を確認するように見渡しているので、その隙に痰を吐いてからルミーナに肩を貸し、倒れたマリアの腕を引っ張って立たせる。
「ルミーナ、その状態からでも魔法が使えるなら回復しろ。そして障壁や身体強化を永遠とし続けろ。マリアは魔力が尽きるまで身体強化をして、危なくなるまでは一緒に戦ってくれ」
そう命令を出す俺は強がっている。そう自分で理解できている。≪エル≫シリーズは卓越した実力を発揮できるが、無敵とは意味合いが異なる。もし無敵のような結果を齎したいなら、相手の実力より二つや三つ上の出力を出せば可能だが、流れもなくいきなり視認できない出力七ぐらいのジャブを放ってきた相手に、瞬時に出力を耐えられる七や、痛みを感じないように八以上出せと言われても不可能だ。いきなり上げたり落としたりするにしろ、限度というものがある。
七レベルの攻撃を五で受けた俺は、今までに感じたことのない激しい痛みを堪え、顔や心情に出さないようにしている。そうもしないと、魔法を卓越した力――≪エル≫シリーズを持っている俺が諦めると、勝機が無いと判断されかねない。そうなってしまうと、呆気なく負ける。気持ちってのは、それほど重要だ。
「おい……! 通じるかわからんけどな、お前のその体の主は俺のメイドなんだ。だからあんなわけわからん奴の言うことより俺の言うことをちっとは聞いてくれよ」
アトラと獣は同じ体に住まう人格だが、別人なので無理ある申し出だ。それでも俺はルミーナとマリアが準備完了するまで時間稼ぎに励む。
「あんな雑魚は後回しだ」
確かにいつ殺そうがコイツの自由だが、メアリの奴よくそんな凛々しい顔できるな。
「その人格は檻の中。そいつと話したいなら俺を倒すか、そいつが檻を破壊するかだな。まあ、俺が壊せないぐらいの檻だから、あんな貧弱野郎に破壊することは不可能だろうけどよ」
その檻ってのはきっと封印の結界のようなもので、封印が解かれた今は、変わってアトラが封印されるようにこの獣の中に宿っているのか。封印されている中での記憶があるとは思えないので、虚言かもしれないが。
アトラの事を悪く言いやがるので、コイツをぶっ殺そうと殺意が増すが――理性は保つ。まずコイツの全力が未知数なので、≪エル・アテシレンド≫の最大出力で勝てるか分からないし、コイツを殺すとアトラも殺すことになる可能性もある。情報が無い以上、強気に出ることはできない。物理がダメなら魔法を使って強引にその封印とやらを解いてやろうとも思ったが、そういや俺は魔法が使えなかったんだな。
〔……ん? 魔法を使って強引にその封印を解く……?〕
≪エル・ズァギラス≫で瞬時に考えた発想にどこか引っかかったので、内心ではなく念話内でその話を共有する。もしかすると、この思い付きが勝利へ導くカギになるかもしれない。
〔その方法ならアトラの獣化が進み始めてからずっと試してるわ。でも完全に利いてないわね。相当な魔法使いが数人がかりで封印してるっぽいから、私一人が解除するとしたらー……後一時間はサンドバッグになる必要があるわよ。確実に私達が死ぬ方が先ね〕
念話で話せる程度には回復できたらしく、次第に表情から苦しさが消えて行くルミーナは名案だと思っていた俺の案を否定した。なんか最近魔法って融通が利かないなと思うことが多くなってきたな。まあこういう用途で魔法を使う人の方が極稀なんだろうけどよ。
元に戻す手段を知らないし、倒せるかは置いておき、倒していい存在かも分からない以上、どうしようもならない俺達が攻撃をしかける素振りがないからか、
「時間経過で元に戻ったりはしないぞ」
タイムリミット待ちと勘違いしたらしい獣は、ほぼ瞬間移動といっても過言じゃない速度で最寄りのマリアに肉薄するので、出力を七にして俺が割って入って防御する。さっきと同じ威力だったらしいが、出力七でも痛みを感じるって相当だ。フレームアーマーは瞬間最大出力対決なら十を出さないと負けるが、そんなの継続しないし、燃費が悪い。つまり出しても出力五辺りで継続している。比較して良いものか分からないが……フレームアーマーより強いぞ、この獣。
こっちに休憩させる間もなく攻撃をしかけてくるのを防ぎつつ、対抗手段がないか考えるが……
〔何も思いつかねえ〕
〔魔王の時もそうだったけど、情報がなさすぎるのよ。私達本当に信頼されてる? してたら少しは言うでしょ〕
〔まあ本人もこんなに早く裏目に出ると思ってないだろうよ〕
もう知り合いにさえ嫌味を吐きだす程に、消耗試合になっている。フレームアーマーが高出力を継続して出すのが無理なように、≪エル≫シリーズだって高出力を継続して出し続けると、見返りのクールタイムがエグいことになってしまう。あくまで≪エル・アテシレンド≫のクールタイム、一分で四八分の睡眠ってのは低負荷での出力時の話。高出力となると、一分で数時間なんか当たり前だ。実際もう十分は使っている訳で……獣の攻撃が強くなっていく中、ルミーナに魔法でアシストしてもらいつつ節約している。どうせクールタイムが来るならいっそのこと使いまくればいいんじゃないかと思ったが、クールタイムってのは言わば体の休息期間。体が壊れる程の高出力を長時間続けてしまえば、そのまま永眠だってあり得るだろう。それでは元も子もない。
〔この獣って魔王と違って一応話が通じる相手っぽいし、何か語りかけてみるしか手段無さそうよ〕
事実前回そのやり方が勝利の鍵となっていたので、とりあえず今回も試してみるように、楓からボイストレーニングを習って色んな声を出せて、感情の乗せ方を知っている俺にやるよう催促してくる。
〔情に訴えかける戦法が二度も通じるか?〕
〔もし成功したら、多重人格者には有効な手段って判明するわよ〕
〔三人目まで請け負いたくねえよ〕
正直アレって結構恥ずかしい。そもそもそういう台詞を演技ですら言うのを躊躇う人間なのに、それを感情に乗せて大声で宣言しないといけないので、≪エル≫シリーズのような心のクールタイムが必要となる。だが、悲しいことに、言わないことには何も始まらない。言わないことには死んでしまうかもしれない。そういう俺の中にもあったらしい正義感か、全ての恥じらいを一時的に抑制してくれる。……と思いたい。
俺達はアトラと眷属契約で結ばれている。それは片方が封印されても継続されているのかは分からない。分かることは、念話は無理になっていることぐらいだ。だが、今がどうあれ、一度契約を交わしてお互いの事を深く知り合い、親しみ合った仲だ。熱く語りかければ、その熱意が多少なりとも届く気がする。無理だとしても、ルミーナが言うようにこの獣は珍しく対話が可能なので、同情させるっていう手段も無くはない。そしたら――封印の中で諦めかけたであろうアトラにも対抗心といった希望の光――活路が開かれるだろう。
「おい! アトラ! 聞こえてんだろ⁉」
いきなり居もしないアトラに語りかけ始めたので、殴る手を止めてぽかんとした獣は、次第に笑いがこみあげてきて……
「ブフッ、おまっ、痛い奴だったんだな、フッ」
コイツ、元が人間の体だからか知らねえけど、やけに人間同様に笑いやがるな。人を煽ってる時の愼平に見えてきてぶん殴りたくなってきたな。
「お前は黙って聞いてろ」
といっても攻撃はしかけてくるんだろうから、≪エル・ズァギラス≫の低出力も併用して、戦闘と発言の両立を図る。生身の不器用な俺じゃ出来ないからな。
「俺は知ってんだぞ! お前がどれだけ必死に逃げてきて、やっと見つけた俺達の存在。彼らについていけば自分の人生が救われるかもしれないと思ったことをよ! だがこんなクソ野郎に体を乗っ取られて楽しい人生になると言えるのかよ! お前は弱いかもしれない。だが俺は届いてるかもわからんのに叫ぶほどお前を大切な存在だと思っているし、お前はデリザリン王国から自力で逃げ出せたぐらい勇気と行動力がある女だ! ならその勇気と行動力を今その封印から脱出することにぶつけろや!」
人をボロカスに言う事はIさんやKさん相手にはよくあることだが、ここまで本気で怒鳴ったことは初めてかもしれない。自分でこんな発言しといて何だが、あまりいい気分とは言えないな。
「お前……案外良いこと言うんだな。ちょっとヒヨっちったぜ……」
「なら引っ込んでしまえ」
現状アトラは獣に支配されていて、本人からの感情や反応はない。代わりに獣からの感想が返ってきた。
「無理だな。今引っ込めねえ理由が出来たからな」
それは多分、俺がコイツの事をノリと勢いで「クソ野郎」って言ってしまったからだろう。ルミーナからも念話で呆れが伝わって――
「――ッ⁉」
「その発言、死んで詫びてもらおうか」
刹那、≪エル・アテシレンド≫の視界にも残像すらない高速度で――腹をぶん殴られた。そのアッパーで呼吸が止まり、全身が上空に吹き飛ばされ始める瞬間に背中に肘打ちを食らい、あり得ない高速度で体が地に吸い寄せられていく。
「カッ……」
着地点にクレーターの如く凹みを生ませたらしい俺はやっと呼吸を取り戻し……たが、口から血反吐が飛び出る。
俺は新谷家の人間だ。いくら見えない攻撃といえど、危機感や体の反射で最良の防御態勢――つまり、俺の場合≪エル・アテシレンド≫の最大出力――を全員が瞬時にとることができる。それプラス魔法の加護があったというのに、視界にすら映らず、いつの間にか骨を何本も折り、血を吐き、地に這っている。
「んだよ……ッ」
「死んでねえか。十割出すべきだったな」
しかも獣はそんなことをほざいている。強がりとかじゃなく、本当に今のが全力じゃなかった口ぶりで。だが、それは本来の目的ではない。今まで数えきれないほど人を殺すのに躊躇いが無い人たちと会ってきたから分かるが……コイツ、遊んでやがる。俺が死ぬか死なないかギリギリの攻撃をしかけ、反応を楽しんでやがる。なんというクソ野郎だ。現状の支配者がメアリなだけあって、ドSすぎる。いや、サディスティックなんて言葉じゃ形容しきれない。
「その調子ですわァ……」
人が――特に俺が痛めつけられている所を見ると相当嬉しいのか、全身傷だらけのアルマと魔力が尽きて立つ気力すら残っていないブランの肩に不安定ながらも座って、遠くからこちらを眺めているメアリは劣勢になり始めてから急に応援の声を上げてきた。アイツもアイツでクソ野郎だな。
初めてでもあり、当然でもあるやられようの俺を見たルミーナとマリアは、外見あまり動揺して無さそうだが、念話で伝わってくる内心は動揺しまくりだ。何とか俺の元に駆け寄って一網打尽されるような初心者行動はせずに堪えている感じだ。
何度も激痛を感じることにはなるが、ルミーナがやられない限り俺達は無限に立ち上がる訳で……次第に殴られる直前の状態に戻りつつある俺を見て、
「面白れェ。まだ立ち上がるか」
この獣自体が魔法を使う素振りが無かったので薄々感じてはいたが……≪エル≫シリーズは愚か、魔法の概念について疎いらしい。俺が異常な程タフで自然回復能力にたけていると思っているんだろう。普通だとあり得ないが、この獣ともなれば理解できる領域なのかもな。知らんが。
「後何回立ち上がるんだ?」
「お前がアトラに戻るまでに決まってんだろッ」
実は必要以上に倒れたままでいた俺は、全快を越して全出力まで立ち直れており――やり返しの剣戟をかます。徒手でも良いが、剣だと触れれば切れるので、相手の行動を多少制限できるだろうという≪エル・ズァギラス≫未使用の安直な考えだ。
フレームアーマー戦以上の戦力で肉薄するが、獣はそれすら見切れるらしく……
「お前、面白いオモチャだな。殴って蹴って反応を示さなくなったら、その功績を讃えて標本や絨毯にして未来永劫保管してやる」
「うす気味悪い事言うんじゃねえよ」
クソッ、俺を直視せずに攻撃をよけ続ける時点でイラつくのに惨い事言われて更にイラっと来た。怒り過ぎると判断力が低下するので、あまりよくないことだとわかっているのに、力が及ばない苛立ちと思うようにならない苛立ちで正常な判断ができない。
俺の剣戟の所要時間、凡そ三秒。その内に二十回は攻撃をしかけたというのに、一発も当たらなかった。この世界では過去に何が起きてたんだよ。こんなのが三体も存在してたなんて狂瀾怒濤すぎる。
「おいアトラ! いつまでその檻の中にいるんだよ! 自分を解き放てよ!」
そろそろこの無意味な攻撃も飽きられてしまうとルミーナから念話で言われ、再び獣の体内に封印されているだろうアトラに語りかけるが……相変わらず反応がない。念話での会話も試みたが、反応がない。
「チクショウ……何かいい案は……ッ」
全力を尽くしても相手に傷すら与えられないんじゃこれ以上時間稼ぎする為の戦力がない。早く……妙案を……!
≪エル・ズァギラス≫の力を借りて何かいい案が無いか考えようとするが、そもそもこの世界――特に、魔法についての知識が不完全なのと、封印や多重人格についての知識が皆無な時点で、いくら出力を上げても案が思いつかない。
〔一つ案が思いつきました〕
俺とルミーナがもう諦めて一旦撤退して情報を集めようか考慮していた時――今まで戦力差で前線に立てず、且つ魔力が有限なのでアシストも出来ず、ただ直立不動で見守ることしか出来ていなかったマリアが冷静な声色で話し出した。
〔アトラ様は結界――つまり魔法的要因で獣の体内に拘束されています。その結界を解けば解決するはずですが、その結界を解く魔法が直ぐに使用できず、現在対抗手段をなくしている。これで間違えありませんでしょうか〕
〔ああ、そうだ〕
一応これまでの確認をしたらしいマリアは……
〔でしたら、結界や封印に纏わる魔法のメカニズムをお嬢様の頭脳から≪エル・ズァギラス≫の力で読み取って理解し、その力で解決策を思案し、導き出された答えをお嬢様がご主人様の頭脳から読み取って理解し、実行するのはどうでしょうか〕
〔……いいんじゃない?〕
〔眷属契約の利点の一つは、口頭では説明できない領域までも相手の思考を読むことで理解できることです。有効活用できるはずです〕
マリアとその案にのったルミーナはこっちに視線を向け、反応を待っている。言うつもりはないが、嫌だといってもやらせるだろうに。
〔やる以外の選択肢はねえ。名案かどうかはこれから判断してくれ〕
そう言った途端、よそ見した訳でもないのに見えもしない攻撃を食らって吹っ飛ばされる。ルミーナとマリアも吹っ飛ばされた辺り、急に三人が黙ったのが気に食わなかった獣の攻撃だろう。
「おい! 何を企んでいる。逃げても無駄だぞ」
「今から必殺技を使ってやる。歯でも食いしばってろ」
先程より威力を上げてきやがった獣の攻撃はしっかり耐えつつ、≪エル・ズァギラス≫を使ってルミーナの脳内から情報を理解しようと試みる。
〔嫌な情報が入ってきたぞ。俺に魔法の才能は完全にない事がな〕
本来の目的外の思考までやってられるってことは、もう解決策は思いついている訳で……もう、ルミーナが≪エル・ズァギラス≫で考えた作戦を理解しようと試みている。
〔しょうがないわよ。だって異世界人だし〕
俺みたいに何かを並行して出来ない人ではないルミーナは、会話を交わしつつ……
〔ふーん……こんなことで出来るの?〕
〔≪エル・ズァギラス≫さん――いや、神様はそう言ってるぞ〕
≪エル・ズァギラス≫が導き出した活路は、至ってシンプル。封印系の魔法は体内に檻のようなものを造り、その中に対象を閉じ込める。その檻は作成者しか解除できないし、解除してはならない一緒抱える呪い・縛りみたいな扱いになる。そしてその檻という概念は、どうやら魔障壁の類と類似――というか酷似している点が多くあり、障壁を破壊する系の魔法でも撃てば、簡単に檻の中の者が動きやすくなるらしい。因みに魔王の時は負の感情を与え続けて魔王の存在を強大にしていて、アトラの場合は物理で致命傷を負わせている。つまり対象が弱ると檻の存在も脆弱になり、封印された存在が檻を突破して乗っ取ることもできるということだろう。
しかし俺達はこの獣の戦力に及ばない。魔王の時はアトラの側近だけじゃなく、町中の協力があったからな。今回弱らせる手段はないと考えていいだろう。
〔あの封印って障壁系だったのね。私ずっと封印解除魔法試してたわ〕
〔よくわからんが、封印は解除したらダメなんだろうな。どちらか片方が入る檻が無いと、二つの存在が出ようとして存在できる場所がなく、最悪両方消える可能性もあるはずだ〕
理解し終えたルミーナは早速実行しようと無詠唱を唱えようとしている事が念話で伝わってきたが、
〔そういえばだが、この獣って言わばカエラに封印されてた魔王と同じような存在なんだろ?〕
〔そうね〕
なんか引っかかるところがあったので、ルミーナの無詠唱を一時中断させてしまう。作戦実行までに遅れが生じるので申し訳ないが、もし俺が言う事が正しければ……無駄足にならなくて済むことにもなるので、とりあえずそれでいいのかもしれない。
〔前回こういう存在には魔法が通用しないことが発覚しなかったか?〕
記憶が正しければ、魔王は魔障壁を貫通、無効化できる――つまり、魔法が効かないと判明したはずだ。それなのにこれから同じような存在のこの獣に魔法をかけようとしても、通用する気がしない。
〔それって≪エル・ズァギラス≫の思考?〕
〔いや、ノーマルな俺の思考だ〕
今から試すっていうタイミングで疑問をぶつけるようなテンポの狂う発言は≪エル・ズァギラス≫で出るものじゃない。
〔やっぱりね。少し考えれば答えが出るわよ〕
その答えが出ないので、ルミーナにアンサーを求めるような無言を貫く。
〔何のための≪ツェッツフィン≫よ〕
〔……なるほど〕
今回の相手は魔王と違い、魔法に関しては無知に等しい。だが常時≪ツェッツフィン≫を発動しているような存在であることには変わりない。ならば、同じく≪ツェッツフィン≫を使って相殺すればいいじゃないかということか。すると何の細工も無い障壁破壊魔法≪ツェリンガー≫等を直撃でき、檻の中の存在・アトラが体を取り返せるわけか。
「――≪ツェッツフィン≫」
どの道何を言おうが獣は魔法の概念に疎く、疑問に思われるだけだからか、ルミーナは久しぶりに一般的な詠唱を行う。詠唱を聞いた途端、どういうものか知っているメアリが喚き出したが、自身とアルマは非魔法使いだし、魔法使いのブランや戦闘員達は魔力切れなので、妨害手段がなくて何も手が出せないでいる。
「何をしようとしている」
「ちょっとした手品よ」
ニヤついたルミーナは、もう≪ツェッツフィン≫を使い終えたらしい。ぶつかり合って相殺する以前に、魔法だから何が起きたのか何も見えなかった。
「正々堂々戦えィ!」
どうせ戦うなら脳筋戦法が好みらしい獣は手刀で強烈な横薙ぎをルミーナにかます。この中で一番か弱いルミーナは呆気なく吹っ飛び、死んだように倒れるんだが……
「すっ、すみませんっ! 沢山殴っちゃって……! ……おい、どうなってんだ」
獣から……獣じゃなく、アトラの声がしてきたぞ……?
まさか自分が操られているかの如く他人の声で喋るとは思っていなかった獣は、驚いて自分自身を見渡している。
「遅かったわね……私の心配はしなくていいから、早く元に戻りなさいよ……」
事前にこうなることを予測していたのか、先程より高威力の攻撃だったはずなのに、やけに治癒速度が早いルミーナは歪めた表情を元に戻すのと並行して、立ち上がる姿も震えながらから普通の仕草に戻って行く。
「おい、どうなってんだこれは。長らく待たせたのに言うのは恐縮ですが……勝手にしゃべるなァ! 後もう少し、お時間をくださいっ! おォい! 説明しろォ!」
獣の体内で封印されていたアトラが姿を現し、次第にその存在が大きくなりつつあるのか、今は発言の支配率は五分五分だ。だが見た目はまだ獣のまま。どうせ俺達の仕業だろうと判断した獣が腕を振り上げたので、防御態勢をとったんだが……
「もう弱ってしまったな」
比率的にも蚊を叩き潰すような構図になったが、さっきは地面に埋め込まれたのに……今回≪エル・アテシレンド≫の出力七プラス魔法強化で回避できた。もうあの体の支配率がアトラ優勢になるのも時間の問題だろう。
「その割り込んでくる存在がお前と同居してる人だ。仲良くしてやってくれよ」
「もしまた出てくるようなら直ぐに封印してあげるわ」
腕や足が人間のアトラに戻って行く中、俺とルミーナは悠長にそんなことを言っていると……
「メアリ一行が逃走しています」
自分たちの切り札、獣の存在がいなくなって負けが確定したからか、魔力が尽きて絨毯と化したブランの上にメアリが座り、それを乗せたラジアシークをアルマが人力で牽引している。行動を共にしていた兵士全員を置き去りにして。
「どうせここで刺激してもしなくても結果変わんねー気がするぞ」
「私もそんな気がするわ」
マリアが後を追おうとするが、俺達の発言を聞いて足を止める。結局今回も圧勝や完敗した訳じゃないので、どうせまた厄介ごとに巻き込んでくるだろう。ていうか寧ろそれがアイツらの生きがいにすらなっているようにも感じ出してきた。
「許さアアァァアアァ……ッ」
前と後ろと見るところが多いが、遂に支配率が獣劣勢になったらしく、獣が封印されていく際の悲鳴のような何かが聞こえてきた。視線を獣もといアトラに向けると――屈強な肉体は女性らしい体型に変化していき、体長も人らしい大きさに縮まっていき、人でいうムダ毛にあたる部分の体毛は全て消え、肌感も人らしくなり……容姿は、完全に人そのものに戻った。別人格化による後遺症は……見受けられない。今朝のアトラと全く同じだ。まあ……あの獣人みたいな耳と尻尾に関しては、今は特に触れないでおこう。このことを隠していたんだから、それらを見えないようにしていたってことだろうしな。
別人格化した際にアトラが着ていたメイド服は散り散りになっているし、変身ではないのでアトラに戻った所で服が現れるはずはなく、当然途中から空中で体型が変化するただの特殊な露出魔になっているアトラをお姫様抱っこでキャッチしたマリアは、まだ目を覚ましていないアトラに≪スレンジ≫に収納していた服を着せ付けている。何故バニーガールの衣装なのかは知らんが、全裸よりましか。マリアもマリアで奴隷時代酷い目に遭わされたもんだ。
「こんなところに兵士置き去りにされちゃ変な噂たつし、嫌がらせだけしてもいい?」
「任せる」
元通りになるアトラと並行して、逃走するメアリと重傷を負ってメアリに助けを乞うことすらできなかった兵士たちの始末を考えていたが、全てルミーナに任せることにした。もうこの際アイツらに何をしようが今後の関係性に変化がないっぽいからな。
「この人たち殆どが魔法使いだったみたいだから、その力封印しておくわ。そしたら開戦まで少しは遅延できそうだし。はい、≪ザラク≫。今保有してる分はサービスよ」
俺に魔法知識を教える為にか、わざと口に出して詠唱してくれたルミーナは、
「しっかり運搬するのよ」
満面の笑みで手で模ったHGをメアリが乗っているラジアシーク目掛けて発砲するジェスチャーをすると……ぶっ倒れていた数十名の兵士たちが、一瞬にしてメアリの上になだれ落ちた。どうやら転移魔法の類を放ったらしい。
ラジアシークの後部座席には人の山が完成し、アルマの力じゃ当然進まなくなり、ラジアシークは停車した。
「こっちに来るな! 足を止めない! ――あっ」
かなり距離が離れているというのに、兵士の間から顔を出したメアリの叫び声がこっちに聞こえてきて、苦笑いしていると……悲鳴がしたぞ。するとラジアシークが重量オーバーでぶっ壊れた。これには苦笑いを通り越して呆れだな。
「やり過ぎだろ……」
「ここからデリザリンまではそう遠くないわ。自分の仲間を見捨て、私達の仲間を傷つけた罰よ」
そう考えるとまだ甘い方かと思った俺も俺でメアリのサディスティックが感染したかもしれないが……とりあえず一件落着してよかった。一時はどうなることかと思ったぜ。




