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クロス・インパクト  作者: あかつきこのは
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2 異界の地

 いや、一回異世界に行って向こうの文化や風習、異世界人の心情や魔法という概念についてなど、赴かないと知り得ない知識を習得しに行くという体にしよう。うん。だとすればこの恥ずかしい感情を悟られることもない。決して彼女の涙に釣られたわけではない。うん。

 そんな俺らしくない言い訳を脳内で呟きつつ、裂け目に触れてから一向に色彩が戻らない真っ白一色な世界の中、俺はただひたすら異世界にたどり着くのを待つ。

(ていうか裂け目に振れた人ってこんな気持ちだったんだな)

 どこを見ても真っ白で、下を見ても自分の体が無い。何か見えても触れられない、というより触れるという感覚・行動が存在しない。360度カメラ視点のようで、上下左右の間隔が無くなっているが、それによって気持ち悪さが芽生えるということもない。

 そんな変な光景が続くこと数十秒……

 俺の目に多彩な光景が入り出した。夜に日本を出発したが、どうやら異世界は今、日中の時間帯らしい。時間や年月が戻ってたり進んでたりの判断はつかないが、とりあえず日本の時間帯とは真逆に近いと考えられる。

 目の前に広がっていた光景は――どこまでも長く広がる背丈の低い原っぱだった。いや、詳しく言うと、右の方には山脈がある。背後のとても遠くの方にはポツンと小さな一軒家があるようなシルエットも見える。

 そんなアメリカの広大な草原を想起させるようなこの地は……現時点では異世界かどうか分からない。まだ地球でも見られそうな光景だし、草木も地球の物とそう大差ない。それに人という判断材料がない。

 俺はルミーナを転移させているので、ルミーナが転移する直前の地――つまり、崖付近に転移させるつもりで想像しつつ技を使ったが……ここは崖じゃなかった。となれば……

 普段転移者をこんな殺風景な地に帰していたんだな。直前にいた場所が分かればそこに、分からなければ都会に戻らせてやる一心で転移させてやっていたが、どうやら転移先は無作為らしい。ここ異界の地の光景が抽象的すぎるからか、単純に今回は失敗しただけか……ここはまだ不明な部分だ。

 目の前に人が歩いたり馬車的な何かが通ったりした影響で、草が生えずに土が露出している部分がある。そこに立って土の部分を目で追うと、数十歩先に交差点のような十字の場所があった。そこは休憩スポットでもあるのか、一角に一本の木が生えており――椅子とは思えないが、多分この世界ではあれが椅子判定なんだろう――乱雑に平たくも無い石が二つ置かれていた。

 そのリンゴの木にも似た木に近づこうとした直後。

 その木に背を預け、木漏れ日の中涼しそうに靡く髪を押さえている異世界人の姿を発見した。いや、存在には気付いていたが、今視認した。

「……来たようね」

 発見されたと同時に話し出したルミーナは……日本語だ。何言ってるのか分かる。

 どうやら転移先は無作為でも同時に転移した人とは同じ場所に転移するようだ。そうなればこの付近に俺が地球で顕現化した時空の裂け目が存在していてもおかしくないが、転移直後の周辺には裂け目など一つも存在していなかった。つまり、一方通行で行き先はその裂け目次第で変化する、と。

「先に言っておくが……質問攻めになるぞ」

 自身の情報整理が一段落ついたので、俺もリンゴの木に酷似した木の下に歩み寄る。

「そのぐらいの覚悟はできてるわ。だって私が――新谷を連れてきたんだもの」

 あの涙は俺を連れてくるためだけに出したものだったらしく、数秒前まで嗚咽していたなんて思えないケロッとした表情でそう返してくる。そんな気はしていたが、来てしまったのは俺の行動によるものだ。

「やっぱりルミーナももっと話したかったんだな。実は俺もだ。この地に来たのが正しい判断だったかは最低でも24時間立たないと分からないが……お互い有意義な交流にしようぜ」

 帰れるか帰れないかは使ってみないと分からない。だってクールタイム時に使おうとしても、地球でも使えないからだ。だから今は帰れる帰れないの思考は置いておく。

 ある種現地に赴いて偵察する形ではあるが、24時間から36時間の内に魔法の概念ぐらいは理解したいところである。

「そうね、この地に来てもらったからにはこっちの情報もしっかり伝えるわ」

 この地からあの地――地球に転移する現象が起きていて、地球は転移者を受け入れ態勢じゃない事を、身を持って知ったルミーナも協力的。

「とりあえず俺が今一番危惧している事を聞く」

「それって言語の事でしょ?」

「そうだ」

 そればかり気にしていたことをこれまでの流れから察していたのか、ズバリ的中させてきた。

「後何分持つんだ? この話が通じる魔法」

 地球は魔力が少ない的な事を言っていたような気がする。なのでこの世界は地球以上に魔力が満ち溢れており、話が通じる魔法も長続きするんだろうが……地球でもそうだったように、魔法には終わりがあるはずだ。流石に一生続くとは思えない。

「んー……多分無限よ。魔力が減っている気がしないし。やっぱりここは魔法使い放題だから楽だわ」

「は……?」

 一生続くのかよ……確信に近かった予想が裏切られたぞ。

「つまりこの世界では魔法が撃ち放題なのか……? すげえな、この世界……」

「少なくとも私はそうよ。長らく人と会ってないからよくわからないわ。私だけが特殊って事もあり得る」

 もしそうだとしても、俺はそんな逸材と巡り合えるわけがない。まさに今着させている服に相応しい人物が、成り行きで着させてるのにそれが適任者だったなんて……ありえねえだろ。きっと魔法が撃ち放題な世界なのだろう。だとしてもこえーが。

「まあずっと話が通じ合うってのはありがたい限りだな」

 普段驚くことがほぼ無い俺だが、こればっかりは驚いたぞ。こればっかりは驚いたぞ。確かに魔法を使おうとして困っている転移者はたくさんいたが、地球ってそんなにも魔力が貧困してる地だったんだな……

「それでだけど……これからどうするつもり?」

 そうだった。来たはいいが、何も目的が無かった。

 核心を突く指摘をされた俺は悩みこむ。

 これは……ルミーナと行動を共にすべきか? 彼女は少なくとも魔法が使えることは判明している人間だ。しかも話が通じる魔法も使えて、異界の者の俺を排除するような人間じゃないことも判明している。だが彼女は崖から落ちていきなり転移したんだ。そして異界の地に来る羽目になり……俺という人間から元居た地に戻れるチャンスを貰い、それを実行した。つまり、俺に帰る家がある様に、ルミーナにも帰る家があるだろう。ならば――転移前と転移後の時間帯がズレていたので――転移から何日たったのかは不明だが、これから更に24時間~36時間行動を制限させるのは酷だろう。

 これから話も通じないし、俺という異界の人物を受け入れてくれるかすら分からない中、ピンポイントで魔法使いを探し当てて魔法の概念について学ぶとなると苦行が強いられるが……ここはしょうがない。この地に人権という概念が存在するかは分からないが、俺は人権がある国出身だ。相手から人権が失われた時の悲しみを見るよりも今想像する方が早い。となれば、ここである程度の情報共有を行った後、お別れすべきだ。着させた服と帽子も惜しいが、この際もういい。

 ……脳内で出した結論を伝えようとしたが――

「言っとくけど私に帰る場所なんかないわ。今までずっと山を点々と歩き続けていただけよ」

 どうせそんなことを考えているんだろうと悟られていたのか、ルミーナが俺のこれからの行動を変更しにかかってきた。

「身寄りもないわ。だからフリー」

「悲惨な過去を思い出させるようですまなかったな。だがこれからの行動は俺がしたいようにさせてもらう」

 彼女も異界の人物に興味があるのか、行動を共にしたいようなことを言うが……俺と一緒に居ても碌な事が起きない。この地の人には知ってて当たり前の、何故聞かれるのか分からない情報ばかり質問される、憂鬱な24時間があるだけだ。

「今日も明日も帰る場所がないし会う人もいない。……ここまで言ってもわからない?」

 あまりにも単独行動しようとする俺が、永遠と暇だとアピールするのに行動を共にしようと言い出さないのでイラッと来ている様子。

「だから行動を共にしてもいいよって事よ」

「いいのか? 自分がしたいことをしていた方が有意義だぞ?」

 あまりにも俺に協力的すぎるルミーナには同行しないことをお勧めするが、首を横に振って絶対に同行するような意思の籠った表情を向けてくる。

「代わり映えのない日常を送るより刺激的で生き甲斐があるわ」

「変わった奴だな」

「同じ立場になったらそう思うわよ」

 確かに……帰る場所も身寄りもなく、ただひたすら毎日山の中を歩き続けるような日常はつまらないな。

 そう思い至ったが最後、俺はルミーナの同行を否定する理由がなくなったな。

「ひとまず狩りに出ましょ。昨日から何も食べてないの」

「それには賛成だ。俺も昨晩? から食ってねえし」

 食べ物を食う行為をするには『狩り』というか『買い物』だと思うが、地球と文化や風習、概念までもが違う異世界でそんなことを一々考えては埒が明かない。そういう疑問は推理せず、一つ一つ答えを覚えていこう。

 ルミーナも地球でしたであろう決意をした俺は、歩き始めたルミーナについていくんだが……

「あっちに町があるんだが、どこ向ってんだ? そっちにもっと大きな町でもあんのか?」

 左に進めば小さな集落があるというのに、ルミーナが向かった方向は明らか山に直撃して登山するルートだ。

「さっき言ったでしょ。私はずっと山暮らしなの。町なんか行っても分からないし、お金なんか持ってない。そもそもお金の概念があるかもわからないわ」

「マジかよ……」

 ルミーナさん……もしかすると地球での俺が最新機器についていけないように、異世界でのルミーナって時代に遅れてんのか……?

 思わぬことで時代遅れの可能性がある事が判明した先行き不安な旅だが、最悪魔法の概念さえ学べれば飲まず食わずでも生きるしかないか……

「でも魔法は何でも分かるわ。メインの目的が達成できればそれでいいでしょ? 私みたいに友好的な魔法使いが他に居るとは思えないし」

「そう言われれば……そうだけどよ……」

 なんか……俺、上手いように使われてないか? なんに使うんかは知らんが。

 メインの目的を言った覚えはないが、正論を言われて他に言い返す言葉が見つからないんで、最悪何かあくどい事を考えてるような奴だったら殺して地球に帰ることにして、後について行くことにするか。ここが治外法権適応されなくてもそもそも追われないからな。


 山に向う道中、この世界に関する情報を沢山教えてもらった。

 時代遅れ人間だとは思っていたが……話が終わった今、そのような節は見当たらなかった。訂正して世間知らず人間ということにしよう。

 まずはこの世界にありふれる魔法に関する話だが、どうやら魔法ってのは大気中に酸素みたいにありふれている魔力又は魔素を元に発動させるものらしく、その濃度が地方や世界で異なるらしい。そして地球は魔力がとても少なく、異世界だと誰でも使えるような魔法が地球だと最上位の魔法並みに出せないらしい。

 他にも魔力には人によって吸収効率と体内に所有できる魔力容量が異なっていて、魔法使いを目指す人は最初の問題としてそれらがあげられるらしい。

 所有できる魔力容量が大きくなければそもそも強力な魔法が放てないし、魔力吸収効率が高くなければ一度使ってから次使えるまでの時間が俺の≪エル・ダブル・ユニバース≫のクールタイム並みにかかるらしい。だがこのルミーナという人物は、魔力吸収効率と保有できる魔力容量が神の域を誇っているらしく、過去一度も魔力が尽きたり、減った感覚がしたことがないらしい。えげつない――具体的に言うと、度が過ぎた特撮の大爆発を超える――攻撃魔法の連撃を見て、俺は初めて冷や汗が出たな。

 まだ魔法使いの例がルミーナ一人しかいないのでこれが普通なのかがわからない。なのでこういう思考が生まれる……あんなのが息をするように発動される世界なのか……と。しかし魔法もよくできてるもんで、同時に複数発動することは出来ないらしい。二つ使う場合、どちらかを先に詠唱すればいいだけなので、超速で詠唱すれば疑似的に同時発動できるんじゃないのかと思ったが、正確に手段を踏まなかったら不完全な魔法になるらしく、妥協や最終手段にもならないらしい。だから必ずしも吸収効率と保有容量がとんでもなくても、短期戦など場合によっては相手に先制攻撃や対抗策を取られて劣る事もあり得るとのことだ。しかも無効化を無効化するような無限ループ上書き合戦が発生しないようにもなっているらしい。魔法の概念がどうやって産まれたか知らないが、かなりしっかりしている。

 とまあ俺がこの世界のヤバさに驚愕している時も話は続くわけで――

 魔力は酸素のようにありふれていても、吸収の仕方は呼吸ではなく、どういう理屈かは分からないが……皮膚から入るものらしい。なので魔法使いは薄い生地を着て吸収しやすくするらしい。

 そんなことならいっそのこと水着などの露出過多な装備でも着ればいいんじゃないかと思ったが、魔法使いは中遠距離から無防備な状態での攻撃だ。近接戦になれば防御力の低い露出過多な装備ではやられる時期が早まるだけだ。その点適度に露出して適度な薄さを誇る――それこそルミーナが転移時に来ていたような服が向いていたらしい。でもなぜか本人曰く俺があげた服も一見重装備っぽくても魔力吸収効率がとても高いらしく……やはり魔法使いが着る前提で作られていたんだなと思うと、唯の筋書き通りみたいでムズムズするな。

 後は……魔法にも種類があることぐらいだな。

 魔法には属性があり、火、水、土、風、光、闇、論外に白又は無という七種類が存在するらしい。それらが大体魔法使いには一つ、あっても二つ適性属性としてあるらしく、それ以外の属性の魔法は使おうにも発動しないらしい。で、ルミーナは適性属性が光、火、水、風、白の五属性……と。魔力吸収効率といい、所有容量といい、適正属性といい……本当にこれが魔法使いの基準値なのか甚だ疑問になってきたぞ。だって五属性も使えたら使い方・組み合わせ方次第で全属性いけるだろ?

 魔法は数種類存在するらしく……王道な魔法は、魔法使いの全員が使えて、殆どがこれ止まりの魔法らしい。所謂「ファイアボール!」とかの発声と共に発動する奴らしい。因みに今常時発動中の話が通じる魔法――≪トラスネス≫という魔法らしい――はこれに属するんだと。

 それにオリジナリティーを加えた魔法――オリジナル魔法は、想像力に強い魔法使いが王道魔法を自分が使いやすいように発展させるものらしく、主に詠唱短縮や攻撃パターンの変更がなされるだけで、根本的な威力の変動は少ないらしい。

 オリジナルっていうぐらいだから完全自作の魔法もあるのかと思ったが、それはほぼ不可能という。魔導書や古典、壁画から習得するものらしく、その辺りはルミーナをよくわかって無さそうだった。というか、自作するという発想がないような反応だったな。もう基本で完結しているんだろう。

 さっき連撃を見せられた……古代魔法というものは、まずどんな人でも一生で見ることが出来ないぐらい希少な魔法らしい。そもそも二つや三つの属性合体魔法且つ超強力なので、双方の適性と莫大な魔力がないと魔法が使えないかららしい。

 それの適性があり、軽々使うし、連発もするルミーナは異常な魔法使いな訳だが……詠唱文が「闇夜を穿つ不屈の煌龍よ。暗澹たるこの世界に駆ける一閃となりて己の心理を追求せよ――ドラゴンブレス!」とかいう地球人から見たら中二臭くてまたらんものだ。マジで吐き気がした。こうもなればオリジナル魔法って、拗らせた奴が格好つけるために変化を加える奴だろ。

 とりあえず分かったことは、難しい魔法程詠唱が中二臭くなり、莫大な魔力が必要となるらしい。

 ルミーナは頼らないらしいが、精霊の恩恵を借りる精霊魔法という方法もあるらしい。これは古代魔法よりちょっと見る可能性が高いぐらいで、一生に一度見るか見ないかぐらいだと。

 古代魔法はそもそも見ないので論外とし、これは卓越した魔法で現最強魔法とも呼ばれているらしく、一般的な魔力消費量と同じだが、聖霊の力が乗算されるので、超強力なものを放てるらしい。そして精霊の属性次第では、自分が使えない属性の魔法も放てるとか。魔力消費が激しいらしいが。

 でも精霊魔法にも欠点があり、精霊から好まれないと契約すらできないし、ある種結婚するのと同じ意味らしく、カップルや夫婦はほぼ契約不可能と言われているらしい。

 ……と、魔法の種類は複数ある。そしてこれらをどう使うか――つまり、声に出すか、描くか、脳内で言うかなど――の選択も魔法使いの自由らしい。

 声に出して言うのが王道且つ基本とすれば、無詠唱魔法は――先程からルミーナの詠唱方法はこれだ――王様の側近クラスだと全員が使えて当たり前のようなものらしく、言葉にして表現しづらいが……脳内で魔法の想像をするだけでいい感じらしい。威力は下がるが詠唱がバレないのでよく使われるとか。

 魔法陣という手段は、声に出して詠唱している傍ら足でこっそり描くなど、トラップ的な役割で併用するパターンが多いらしい。

 魔法はそもそも魔法陣を描く事から始める物らしく、現代は詠唱文の中に虚空に魔法陣を作り出す詠唱文も組み込まれているので実際に描く人は少ないらしいが、やはり大元の原理には及ばないらしく、地道に魔法陣を描いてから詠唱する方が威力が絶大らしい。

 最近は制作に時間がかかるし、威力が絶大過ぎて使える魔法使いが限られるし、詠唱文が滅茶苦茶長くて覚えられないし……などといって、コスパ的観点からありふれた魔法使いはそもそも魔法陣の描き方すら知らないマイナーな方法だという。

 あとは……補助する道具系だ。既に卓越した能力を有しているルミーナには無縁らしいが……

 杖は内蔵されてたり嵌められていたりしている魔晶石による魔力増強効果の恩恵を受けることができる。本は到底覚えられないような難解な詠唱を使う為に――要はカンペに使える。水晶は効果範囲を拡大する能力を持つらしい。

 これ以上はもう教えることはないらしく、魔法に関する説明はこれにて終了したが……正直俺はさっぱりだった。とりあえずこの世界には攻撃方法に魔法というものが追加されている、ぐらいの理解でとどまっていた方がよかったのかもしれないな……バカが一時間程度で聞くべき内容じゃなかった。

 これだけの魔法の事を聞きながら歩いていたので、転移した場所からかなり移動しているわけで……今はよくわからん森の中にいる。

 地球の森なら何度も見たことあるので、別に同じく森に分類される異世界の地域に来たって何ら不思議に思うことはないのかもしれないが……想像していた森の光景が違う。

 森は基本的に人間の手入れが入らない。故に地面には枯れ葉や雑草が鬱蒼としていて、大小さまざまな木々が乱雑に生えている。人が通らないので道も無ければガタガタな傾斜が頂上まで永遠と続いているものだ。

 だが……異世界の山というものは、地球の山と何もかも違う。いや、ここだけかもしれないが……それでもこれがありふれた山と呼ぶなら、俺が今まで見てきた日本の山は異常としか思えない。

 だって落ち葉が無ければ雑草がほんの数センチしか生えていない。しかも人が通った訳でもないのに小枝や蔓が飛び出している訳でもなく、なだらかな道が永遠と続いていやがる。そして生物の気配が多い。地球でも山には野生の動物が居るが、居ても少々。人前には滅多に現れない。だがここは……俺らを中心にベイトボールのように動植物がうじゃうじゃいる妙な気配がする。正直うす気味悪い。

「――で、この世界はずっと春みたいな気候が続いているわ。四季と天候の荒れがない世界よ。因みに日にちの概念も時間の概念も無いわ。今は≪トラスネス≫のお陰で地球で言う時間と日にちの概念をここの世界に存在する表現で変換されているからわかるけど」

 そんなうす気味悪さはこの世界ではデフォルトなのか、一切周囲の気配を気にすることもなく歩き続けるルミーナは話を続けている。

「……なあ、一つ聞いていいか?」

 聞く一方だった俺が相槌以外の反応を示したので、ルミーナは一瞬半歩後ろにいる俺に「何?」って言いたげな顔を向ける。

「そんなに強そうな魔法使いなら流石に気づいてるはずだが……この森はフレンドリーじゃない動植物で溢れているのか?」

 スズメやリス程度の可愛い動物だったら別に気にすることはないが、さっきから感じる気配はクマやライオンといった動物より強力なものだ。しかも草木にすら殺意を感じる。ただの人間が立ち寄ったら一瞬で骨だけになるだろう。

「ここはラズガーン(クマ)ドズベン(シカ)よりもっと恐ろしい魔物が蔓延る世界よ。龍なんか年一以上で見れるわ」

「そんなに蔓延してんのか……」

 人間が平野に陣取ったとすれば、動植物――というか魔物は山に陣取っている。数は――ほぼ互角。異世界はそんな状況らしい。

「滅んだり滅ぼしたりしないのか?」

 ここが地球だとすれば、もう既にどちらかの勢力が世界を支配している状況が生まれるだろう。それぐらい二勢力が絶対に均衡を保てない世界だと少なくとも俺は思う。

「それは私達のような冒険者がやることね。基本的にここの平民は販売業か、製造業か、こういう冒険職。製造者が必要な生地をはぎ取ってほしいと依頼を出せば、冒険者は対象を討伐して生地をはぎ取る。報酬と交換で得た生地を使って物を生み、それを冒険者に向けて販売する。私が見てきた町はそのようなサイクルがあったわ」

「へえ……地球と違って、お金の稼ぎ口が魔物の討伐という手段もある訳か」

「そうね。だから転移者が好戦的で戦闘が得意な人が多いんだと思うわ」

 地球ではこれまでは軍隊に入るか、選手として活躍するぐらいしか活用できなかった運動能力だが、転移者が来だしたからようやく争いごとが得意な人たちが日の目を浴びることとなり、世界各地で勉強ができなくても戦闘さえできればいい的な流れが出来ている。

 だがこの世界は昔から戦闘要員も非戦闘要員も必要な世界。こんな世界だと職を失って露頭を彷徨う人たちにも鍛錬次第で新たな人生を送れるチャンスがある訳で、社会を回すのに全員が役立てる良いサイクルが生まれてるといえる。

 地球人からしてみればこの世界のサイクルは非常に生きづらい気がしたが、自給自足も可能だし、職を受けるのに必要な経歴や成績なども不問。ただ討伐や依頼をこなすことさえできれば子供でさえ小遣いが稼げる。

 ――人材のロスが生じる可能性が少ないこの世界は、地球より発展していると言えるのではなかろうか。

「長年の経験からして、食べると美味しい魔物ぐらいの判断はつくわ。でもどうする? 魔物を食べる? それとも素材を売って稼いだお金でちゃんとした飯屋に行く?」

 勝てる前提で話しているルミーナは、記念すべき初の異世界での食事を行う俺に判断権を委ねてくる。

「素材を売るって言っても俺ら何も依頼を受けてないぞ? 素材を持って行って、それを欲しがる依頼を受けて即納品ってのは可能なのか?」

 そもそもこの世界に法律が存在するか分からないが、あるとすればそれに従わないと相応の処罰が下される。異世界に来て初日に逮捕とか俺は真っ平ごめんだ。

「基本的にこの世界は自由よ。その国の王の意向に逆らわなければいいだけ」

「それでよく成り立ってるな」

 日本とか態々飲酒運転はダメですよとか、五階建て以上の建築物には非常階段が必要ですよとか、一つ一つ態々明記したものを定めないと遵守しないのに、異世界は要はそこら辺は自己判断。そして自己責任。この面でも劣っているのか……?

「だから適当に倒して剥ぎ取って、依頼があれば受けて納品すればいいし、依頼が無くても斡旋所内の役員にお願いすれば、既定の価格で買い取ってくれるわ」

「そんなありがたい施設があるのか……」

 話的に、製造者や販売者からの依頼を仲介して冒険者に提供していて、素材の買取店でもあるわけか。つまり冒険者は自宅のように通う施設ということになるな。

「そんなんやってて生態系狂ったりしないのか?」

「冒険者って人類全員が加入してる職業みたいなものなのよ。そんな話滅多にないわ。突然変異とか大量発生とか、あることにはあるけど、狩る側もたくさんいるし、大事になったらそれなりの冒険者が狩りにくる。それで滅びた国もあるけど、この世界はこれで成り立ってるわ」

 へぇ……狩猟が軸の世界か……近い未来、地球もこうなってんだろうか。今の調子だと異世界人の転移は止まりそうにないし。

 となればホントにどっちでもよくなったな。せっかく異世界に来たんだし、どうせなら無人島生活みたいな食事をして食ったこともない肉に噛みつきたい気持ちがあるし、ちゃんとした食事処に入ってちゃんとした異世界料理を食ってみたい気持ちもある。

「なら……可食部は食って、売れる素材は剥ぎ取ってこれからの資金にするってのはどうだ?」

 この世界には時間の概念が無いとのことだったし、今は日中ということしかわからない。斜め上空にある太陽みたいな発光する球体は、直視できるレベルであまり輝いていない上に、位置が変わっていないように思える。そのせいで体感数時間たったはずなのにこれから朝飯なのか昼飯なのか分からない。

 まあ……夜飯は稼いだ金で食えば両方楽しめると思い至ったんで、選択肢にない回答をしたわけだ。

「これからのって……新谷って明日には帰るんでしょ?」

「そのつもりでいるが、もし帰れなかった場合や延期になった場合も考えて一稼ぎしよーぜ」

 興味本位で滞在期間を延ばそうかと考えているのはさておき……いくら直ぐ稼ぐ事が出来ると言っても、きっとこの世界も地球のように金が無いと何もできない世界だろう。

 俺は地球で金欠生活を送っている。だがこの世界は戦力さえあれば、誰にだって金稼ぎができる。――だったら稼がない手はない。

「目的もなく彷徨って魔物を倒し、それを納品せずに食べるだけの生活を送ってきたのが私よ。魔物の知識は豊富よ。だから言っとくけど……倒し過ぎたらそれを食らっていたより強い魔物が飢えて縄張りから出てくることもあるわ。だから自重するのよ」

 とりあえず金を稼ぐにしろ飯を食うにしろ魔物を討伐することになったので、ルミーナはこの世界での魔物の習性を教えてくれる。

「了解。なら――こいつらから始末するか」

 俺は話の途中から背中に納刀している二振りの短剣の内一本だけを抜刀した。さっきからじわじわと包囲している魔物が居たことぐらい当然気付いている。それはルミーナも同じだったらしく――

「言っとくけど奴らはどれも美味しくないし、どこにでもいるからきっと安いわよ」

「ルミーナがどれだけ戦える奴かを確かめる為にも一発かまそうぜ」

 お互いがお互いの実力を把握していないので、俺は言葉で自分の方が強いアピールしたが、ルミーナは一言「そうね」と背中で語り、何やら無詠唱の魔法を放とうと魔法陣を浮かべている。

 敵に気付かれていたことにやっと気づいたらしい魔物たちは、一斉にこっちに向って駆けだしてきた。数にして12。容姿はトラに似た魔物だ。

 俺とルミーナは背中合わせて互いに得意分野の戦闘態勢を取り――飛び掛ってきた魔物を斬る、燃やす、斬る、燃やす――

 俺は実力を出すまでも無く、相手が加速して飛び掛ってくるので、剣の切れ味だけで勝手にスパスパ切れていってくれる。まあその突撃速度が50キロは出てそうなところは誉めてやろうか。魔物さんよ。

 対してルミーナは無詠唱なのでどんな魔法を使っているのか分からないが、飛び掛ってきた魔物を一匹一匹火の渦で包み焼くように葬っている。それだと売れる素材が焼け焦げないか?

「特に火属性が得意なのか?」

「どれも均等よ。でも髪色的に火が得意そうでしょ?」

「んだそれ」

 会話する余裕もある俺らはただ突撃してくるだけで何も攻撃方法を工夫しない魔物どもを討伐していく。

「こいつらは魔物の中でも底辺中の底辺だよな? 剣に触れて勝手に死んでるようにしか思えん」

「そうね。私だって最弱魔法を適当に放ってるし」

 実力を全然出してないアピール合戦はそこまでにし、仲間が七割程殺されたのを見て、残りの魔物どもは逃走していった。そこはいい判断だ。

 俺らはこんな雑魚を一匹残さず葬ることもなく、逃げてゆく魔物を見送ってから剥ぎ取り作業に入る。

「こいつの売れる部位ってどこだ?」

「強いて言うなら爪ぐらい。他はほぼ無価値だわ」

 常に二本ナイフを携帯しているので、そのうちの一本をルミーナに貸し、俺は慣れない手つきで、ルミーナは慣れた手つきで剥ぎ取りを行う。

「手ごたえないな……って、流れで使ってるけどなんだよそれ。そんなんもできるのか」

「魔法にできないことはないわよ。因みに≪スレンジ≫ね。容量は魔力容量に比例するから、私の場合だと無限ね」

 剥ぎ取った爪を虚空に押し込む仕草を見せたルミーナは、さっきまで手に持っていた爪がマジックのように消えてなくなっている。収納魔法まであるらしい。

「こんがり焼けた部分があるから食べてみる? 美味しくないわよ」

「美味しくないって言われて食う程バカじゃねーよ」

 骨付きチキンみたいな状態の物を渡されたが、俺はそれを不法投棄。するとルミーナが剥ぎ取ったので見るも無残な姿になった魔物たちを炎で焼き尽くして消滅させた。証拠隠滅するにしても横暴過ぎんか?

「もっと戦い甲斐がある敵居ないのか? それこそドラゴンとか」

 剣に付着した魔物の汚い血を振り払ってから収刀する俺は魔物の弱さをグチるが、

「ドラゴンとか滅多に会えるものじゃないわよ」

 個人的に強そうな印象がある生物が存在していることは否定されなかったが、滅多に会える生物ではないことが判明したのでガッカリする。

「ならあそこの木に止まってるドラゴンみたいな生物は何だよ」

 先程から約100メートル離れた木の上から俺らの戦闘を俯瞰している余裕綽々な鳥類を指差すと……

「あれはワイバーンよ。翼は高く売れるけど……投擲物とか持ってるの?」

 ルミーナは魔法で討伐することが出来るので余裕そうだが、俺が明らか地上戦しかできなさそうな見た目と武装だからか、そんな事を指摘してくる。が……

「地球には銃といって、弾丸を撃ち出す武器があんだよ」

 俺自身が少し力を解放して疑似的に空を飛んでるように見せても良かったが、どうせなら拳銃を見せてあげたいところだ。そう言って俺はホルスターからM1911を抜いてルミーナに見せる。

「何それ……それでホントに弾を撃ち出せるの……?」

「まあ見てろって」

 当然拳銃なんか見た事なかったルミーナはキョトンとしているが、この物体がどれ程殺傷能力を持っている武器か思い知ったら驚くこと間違いなしだ。

 セーフティーを解除して照準をワイバーンに合わせ……轟音と共に弾丸を撃ち出す。

 するとワイバーンが弾丸を目視するよりも早く、一瞬でワイバーンの元まで飛来した.45ACP弾は――どこが急所か分からなかったので、とりあえず人間でいうところの心臓の位置に――着弾し、木に止まっていたワイバーンは気を失って転落した。たったこれだけの出来事だが、ワイバーンは必ず死んでいると言える。それが――銃という武器だ。

 そんなほんの一瞬で起きた出来事に驚きを隠せないルミーナは口をぽかーんと開け放ってやがる。

「……何その武器」

 やっと出てきた言葉は未知なる武器への恐怖だ。

「これよりデカい奴もあれば、高威力の奴もある」

「本当だったらそれで私を撃つ予定だった訳?」

「そうかもな」

 俺が肯定したので、自分がイキイキとした状態で地球に転移し、暴れた時にこれらが複数飛来してくる惨状を想像したのか、その驚愕の表情に焦りの表情を織り交ぜていく。

「因みに今の飛来速度で動く戦士が蔓延っているし、俺もあのぐらいの速度でなら動き回れる戦力はある」

 俺の実力はあまりにも人間離れしていて見せつけないと信じてもらえないことが多いが、ここは魔法――戦闘が蔓延る世界。戦闘能力を語るだけでも信じてもらえるだろう。

「……魔法で止められるものとは思えないわ……」

「それでも止めるんだろ? 魔法使いは」

 地球だとその威力より轟音の方で悲鳴が上がるが、この世界はその程度の轟音、魔法で鳴りまくるからか、威力の方で悲鳴が上がりそうだ。それ程ルミーナは青ざめている。なんたって小さな球一つあれば、魔力の消費がなければ使用者がケガする事もなく、対象を瞬殺できる武器だしな。

「と、とりあえず剥ぎ取ろうぜ」

 ルミーナって魔法使い界隈では相当強い人物なんだろうなと思っていたが……長年人と会っていないからか、他人が実力を見せてきたら自分が勝てるか疑心暗鬼になるのだろうか。自分の実力を把握する為にも対人戦闘経験をもっと積むべきだ。

 ……とはいうものの、この空気のまま剥ぎ取りする気にはならなかったので、話を逸らす為に何か聞きたいことを作ろうと周辺を見渡す。

「転移当日から思ってたんだけどさ、ルミーナって変わった見た目してるよな。俺が今まで見てきたエルフってこう……すらっとしてて高身長の印象だった」

 森には何も疑問に思う点がなかったので、ルミーナの容姿の話になってしまった。

 こういう話は言う方も聞く方もいい気分じゃないので言いたくなかったが、話を逸らすには威力がある発言だろう。しょうがない。背に腹は代えられんのだ。

 実際胸元はかなり大きいのに腹部は胸囲の半分以下しかないように見え、全身で見るとやせ細ってて低身長というエルフらしからぬカオス体型のルミーナは、

「人間とのハーフだからよ。耳は人間以上エルフ以下。身長は人間サイズ。バストは人間サイズ。ウエスト、腕、足はエルフサイズ。年齢は三〇〇歳を超えてるけど、人間基準だとまだ二十歳ぐらいよ」

 人外種族は進化の過程で色々あって人族が介入し、元の種が特徴とする部分――エルフ族なら鋭利な耳、獣族なら頭部に耳など――を継承した人間プラス何かの姿、それを一括りにして亜人族ってのに変化したもんだと思っていた。だがルミーナのいう事が正しいとすれば、異世界人には人間っぽい見た目だが人族が介入していない亜人族ってジャンルが元々存在し、そこに人族が介入してルミーナのような人族とのハーフ亜人族が誕生したってことになるが……正直言って意味わからんな。しかもどうでもいい情報。

「こういう人類とのハーフはただの人外より差別されるのよ」

 実はああ見えて300年も生きている事実にツッコミたいが、

「この世界にも人種差別があるのか」

 どうでもいい情報認定した推理がいきなり必要な情報になりやがった。

「ある地域もある、って感じよ。その国の王次第ね」

 法律がないのに平和だなとは思っていたが、やはりどこかでは法律が無いといけないような事象も起きているのか。この世界の差別の概念が地球と同じかは分からないが。

「銃? ってものを使ったせいで周辺の魔物が音に怯えて逃げちゃったわね」

「この世界で銃はあんまり使わない方がいいな」

 あまり差別に関しては興味が無いというか関係がないのか、どうでもよさそうな反応――周囲を見渡しているので、自分の為にもこれ以上問い質さない。

「お陰様でこの周辺にはもうしょうもない魔物しかいないわね」

「……どうやって見たのか? また魔法か?」

 無詠唱魔法だろうが魔法に関する知識は一つでも多くつけておきたいんで、探知魔法系の使用を懸念して魔法名を聞こうとしたが……

「エルフだから目と耳が良いのよ。魔法を使うまでも無いわ」

「すげえな……」

 俺も目と耳の良さには自信があったが、ルミーナには劣っていたようだ。何故かって? すぐ近くで魔物が見えたような気がしたが、そう言われて再度見たら影と木の葉で敵に見えただけの塊だったからな。

「もっと奥に行くか。まだ腹ごしらえすらできてないしな」

「そうね」

 意見が一致した俺らは、進む方向を定めて更に森の中に足を踏み込む。


 それからというもの、ルミーナが素材を売ると高い魔物や食べると美味しい魔物を見つける度に、それを二人で討伐していった。まだ二人とも傷一つつけていない。明らか負のオーラが籠った魔物を一撃で倒せたルミーナを見るあたり、やはりかなり強いのかもしれないな。魔法使いは強弱の判定が難しすぎる。

 もう日も傾いてきた頃、

「魔法って俺にも使えるのか?」

 目の前から飛び掛ってきたサルみたいな魔物にボディブローをかましながら気になった事を聞くと、

「適性があれば使えるわよ。試してみる?」

「ああ」

 ルミーナもクマみたいな魔物を光の槍を飛ばす魔法で始末してから、俺に魔法が使えるか試してみることになった。

「白は魔法使い全員が使える基本的な魔法だから、適性があるかどうかの判断によく使われるわ。とりあえず……≪ヒール≫やってみてよ」

「まず≪ヒール≫って何だ?」

「回復魔法の中でも一番簡単な魔法よ」

 そういって俺から借りているナイフで左手に深く刺し傷をつける。

「――≪ヒール≫」

 いつも無詠唱を使うルミーナが丁寧に詠唱して魔法を使った。

 すると……どういうことか、指にできた傷がみるみる縮んでいき……最終的には何もなかったかのように治っているぞ。

「魔法を出すコツとかないのか? んー、そうだな……なんか想像するとか」

「無詠唱は想像することによって発動するから、それだと無詠唱の練習になっちゃうかも」

 それは……やったところでだな。そもそも魔法を使えもしない俺が、より上級者向けの詠唱方法を使ったところで発動するわけがない。

「昔の事だから忘れたけど、確か詠唱する王道のやり方だと、普通に詠唱するだけで発動した気がするわ」

「今さっきはそうやったのか?」

「そうよ」

 俺からするとただ「≪ヒール≫」と言うだけで魔法が出たらかなりヤバい気がする。きっと無意識のうちに何かしていることが他にもあるはずだ。例えば……魔法を出すぞ! という強い意志とか?

 そんな未知の技術の発動方法に困惑しながらも、

「とりあえず言ってみるだけ言ってみるか」

 本当に適性があれば言うだけで出る世界なんだろうし、本物の魔法使いがそういうんだから……ここはおとなしく従っておこう。一応魔法を出すぞって気持ちで詠唱するが。

 俺は自分の指をナイフで傷つけ、

「……≪ヒール≫」

 ルミーナと同じ発音でゆっくり呟いた。

「…………」

「…………」

 俺の指の傷は……なんかちょっと縮んだような気がせんとこもないが、ふさがることはなかった。

「……でないわね」

「……そうだな」

 俺には……適性が無いようだ。これは単に俺がこの世界でいうところの異世界人だからとか、地球上に魔法適性者は存在するが俺はその対象外だったとか、どういう理由で発動しなかったのかは分からないが……魔法が使えない事実は揺るがない。

 俺は負け惜しみするようにあふれ出る血を舐めて血が止まったように見せようとするが、それよりも早くルミーナが無詠唱で≪ヒール≫か、それの上位互換の回復魔法を詠唱したらしく、傷はいつの間にか無くなっていた。

「……そろそろ日が暮れそうだし、斡旋所にでも行くか」

 魔法が使えなかった俺を特に嘲笑うこともなく、

「宿と飯は確保できると思うわ」

 ルミーナは周辺に散らばった魔物の後始末を済ませて、収納した剥ぎ取り物を自分の知識で査定していた。

 ――その時。

 夕暮れの森に立つ俺達の上空に――

 巨大な黒い影が、一瞬、過った。

 辺り一面が一瞬真っ暗になるほど巨大なそれを見逃すほど鈍感ではない俺とルミーナは、揃って上空に視線を向ける。

「あれは……ドラゴン……?」

「あれこそドラゴンだろ?」

 刺激が全くない今日一日中戦い相手として求めていた対象生物らしき魔物が、俺らを中心に空を縦横無尽に駆け回る。その姿を見て、日課になっていた強者との戦闘の血が騒ぎ、この体に闘気と殺気が宿っていく。

 その闘気と殺気は人間が放つものを超越しており……隣に居るルミーナは天を舞うドラゴンより俺を見て驚愕している。

「新谷って戦闘狂なの……?」

「違う。と思いたい。でもやっと楽しめると思ってな。毎日超人と戦ってたらこうなる」

 徐に剣を抜刀して天を見上げ――あの六階建ての住宅ぐらいある巨大なドラゴンをどう討伐してやろうか思考する。

「流石に私一人でも勝てる相手だと思うけど、あんな奴と戦ってたら地形がどうなるかわかんないわよ!」

 喋りながらドラゴンのブレス対策か、自身と俺の周囲に無詠唱でシールドのような障壁を複数展開している。口では非好戦的だが、体は好戦的のようだな。俺に似た性格のようだ。

「いいさ――奴が地形を変えるよりも早く――殺ればいいんだろ?」

「は、はぁ!?」

 意味不明な発言をしたつもりは微塵もなかったが、ルミーナには意味不明な発言に聞こえたらしく……というか、急に俺の体が軽くなった。そういう補助系の魔法を使ったんだな。

「そういうお前も好戦的ってことは――戦闘に飢えてるんだろ? こいつを使って楽しもうぜ?」

 まさか殺り合うだけで稼げる時がやってくるとは。

 一日に一人は強者をこてんぱんにしないと気が済まない転移者対処の職業病になりつつあった俺は――銃で撃つ選択肢は止めにする。ドラゴンの鱗は明らかに.45ACP弾では弾き返されそうで、デザートイーグルのマガジンに入っている.44マグナム弾でも、部位破壊は出来そうだがその奥の皮膚まで貫通しそうにないからな。

 となれば――ここは剣か、俺が最も得意とする徒手か。

 ドラゴンはようやく二人から殺意を向けられていることに気付いたのか、それともただの余裕からか、今更口から炎の吐息をちらつかせ始めた。

「あいつは剣が通じると思うか?」

「さあ? 戦闘経験ないからわからないわ」

 普通交戦する羽目にならない相手だからか、当然の回答が返ってくる。

「とりあえずあいつを陸に降ろさないか? 俺の殺傷圏外だ」

 ジャンプしたり木の上から飛び上がれば当たるような距離ではなく、ドラゴンは遥か彼方上空を飛行している。銃が通用しないと判断した今、俺が出来る攻撃方法は一つを除いて皆無だ。

「地面に縫い付ければいいのね? 簡単な話よ。≪グランティス≫っていう魔法があって……」

 ルミーナは魔法の解説をしながら、いつもの軽い気持ちで説明文に詠唱を混ぜた変わった使い方で魔法を発動する。

 今まで見た魔法陣のサイズは使用者の半分ぐらいだったが……今使った≪グランティス≫の魔法陣は、ドラゴンを覆いつくすぐらいに巨大な魔法陣だ。それがドラゴンのさらに上空に顕現化している。

「この魔法は魔法陣より下にある全ての物体の重力を好きに変更できる魔法よ。あのドラゴンを落とすぐらい強力な重力を加えるから、くれぐれも効果圏内に入らないようにするのよ」

 そう言いながらルミーナは特に力むこともなく……徐々にドラゴンの高度を低下させていく。ドラゴンに表情が存在するか知らないので当てずっぽうだが、あのドラゴンの表情が焦っているように見える。

 空飛ぶ魔物が空を飛べなくなった悲惨な状況を眺めるしかないんで、その辺に転がっていた石を範囲内に投げ入れてみると……うおっ、えげつない速度で地中に食い込んでいったぞ。これは確かに人間が入ったら一瞬でぺちゃんこだな。

「それでどうするんだ? その効果圏内に入れないんだったら攻撃できないぞ。まさか独り占めするつもりか?」

「そんなことはしないわよ。強そうな魔物一匹ぐらい倒させてあげる」

 この世界での冒険職の楽しみを俺に教える為か、アシストはしても決定打は加えないらしい。

 そんなルミーナは≪グランティス≫とかいう重力魔法を止め、次は地面から人間の手のようなうす気味悪い物を複数発生させた。そしてそれらの手でドラゴンを締め付けていく。

「これで地面に拘束完了よ。正面に行かなければ炎を吐かれることもないわ」

「あっけないな、強そうな魔物でも魔法の前だとこれとは……」

 ルミーナが強いのかドラゴンが弱いのか今の俺の知識では分からないが、どちらにせよ魔法という攻撃手段はこの世界だと強力な威力を発揮するということだな。

 無残な姿になったドラゴンを痛めつけるのは気が引けたが、この世界は魔物が居ればそれを狩る人間が居る世界。ならば俺もそれに従うだけだ。慈悲はない。

 抜刀した短剣を横っ腹にブッ刺し……そのまま横に振り払うようにして巨大な切り傷を作った。鱗は硬くても皮膚は柔らかいらしい。そこまで力を入れなくても振り払えた。

「こいつの弱点は何処だ? 呻き声がうるせえから早く仕留めたいんだが」

 いくら切っても流石は巨大生物。まだまだ元気があるようで、至近距離で叫ばれるせいで耳が痛いのなんの。口らしき顔面を斬ったはいいが、まだ呻ってやがる。

「胸辺りじゃない? よく覚えてないわ……」

 ドラゴンなんか滅多に会うこともないらしく、当然弱点を知らないから適当言ってるが、俺がそのあたりをズタズタ刺突したら呻かなくなった。やっと死んだらしい。

「手ごたえないな……」

「相手が悪いわ」

 ドラゴンからの攻撃を受けるまでも無くあっさり殺る事が出来てしまった。二人して呆れのため息。

「新谷って思ってた以上に強そうだし、魔法無くても行けたんじゃない?」

「流石に届かねーよ。まあ手助けしてくれんようなら策はあったが」

 ドラゴンを仕留める際の剣戟があまりにも機敏で研ぎ澄まされた剣術だという事を見抜いたらしいルミーナはそういうが、実際この攻撃速度じゃ日本で活動するには鈍足過ぎるんだけどな。だってみんな銃弾の速度で動く奴らなんだからよ。

 ルミーナはドラゴンから拘束魔法を解除し、二人して剥ぎ取り作業を開始するが……

 こいつは今までの魔物と違って売れる素材が沢山あるみたいだ。翼、爪、牙、鱗、肉……ルミーナから教えてもらうだけでも剥ぎ取り作業をする気が失せる程だ。

「なあ、こいつをこのまま斡旋所ってとこに連れて行くのはダメなのか? 流石に面倒だぞ」

 これまで沢山の魔物を狩って食らってきたルミーナは一連の流れとして体が覚えているのか、こんな面倒な剥ぎ取り作業を一人黙々と嫌味一つ吐かずに取り組んでいる。剥ぎ取りという文化が無い世界出身の俺なんかやる気が一切起きん。まずグロいし。

「それでもいいけど、剥ぎ取り手数料を取られるわよ」

「こんなに素材があればはした金に過ぎんだろ」

「今の相場は知らないわよ? 宿無しになっても知らないわよ」

「野宿でも構わん。だってルミーナはそうしてきたんだろ?」

 ルミーナは剥ぎ取る気満々だが、俺がやる気ゼロなのを見て呆れ顔を浮かべる。それでも俺が剥ぎ取る気がないからか、≪スレンジ≫というドラゴンを丸々収納させられる、容量が可笑しい魔法を発動させた。

「それじゃあ町へ向かうわよ」

 夕焼け空の中、ルミーナと俺は一切疲れた様子を見せずに最寄りの町へ目指して歩きだす。


 この地に降り立った最初の場所から見えたあの町に向うのかと思ったら、目的地は違ったらしく……あの時見えた町より一目で繁盛しているのが分かる別の町へやってきた。

 聞いたところ、あの町には斡旋所が無いことを探知魔法――≪サーペンター≫で確認していたらしい。≪サーペンター≫の効果範囲は分からんが、確実に数十キロは離れている町の状況を把握できるとか地図いらずだな。

 辿り着いたこの町は、日本で言う地方の特急列車が止まる駅周辺ぐらいの繁盛具合。冒険者に必要な資材、宿、依頼が最低限揃う町って印象だ。

 そんな町の中央に、人に尋ねるまでもなく大きな塔と噴水と共に位置する斡旋所は……流石は冒険者の施設なだけあって、大剣を背負ってたり、杖を両手で握りしめていたり、老若男女、人種、体格が様々な人々が行き交っていた。

「この光景を見ると異世界だなーって感じがするぞ」

「向こうにはこのような施設はないの?」

「俺が知る中では無いな」

 学校が似たような印象だが、あそこは目的が金稼ぎじゃないからな。

 斡旋所は個々に団体名か店名でもでるのか、入口に大きく『ラズヴァン』と書かれた斡旋所に入ろうと向っていた俺らだが……周りの人々が「ギルド」「ギルド」呼んでいるのが気に障る。どうやら斡旋所ってギルドと呼ぶらしいな。ルミーナも呼び方が変わっていることにカルチャーショックのような衝撃を受けている。

 ギルドの扉を押し開いて入った室内は……

「すっげー酒臭いんだが?」

 想像していた清潔感がある施設とは程遠い、居酒屋のような騒ぎと酒臭さが蔓延した施設だった。

「このギルドは居酒屋併設みたいね」

 左奥に室内が赤基調の居酒屋があるみたいで、ルミーナはそっちを引くような視線で見ている。あまりああいうノリは好きじゃないのかもな。

 そんな目的外の施設は置いておき、ギルドは宿泊施設のカウンターのような印象だ。右側に依頼の張り紙が乱雑に刺されている掲示板があり、その隣に受諾関係の手続きを行うのであろう職員が居る。

 正面には辺り一帯の地図がどでかく掲示されており、魔物の強度が一目でわかるように地方によって色分けされている。俺らがさっきドラゴンを討伐した地帯は……七段階中の真ん中・橙だった。つまり普通、と。だろうな。

 他にもこの世界はダンジョン的な地下遺跡みたいなのもあるらしく、地図内に二つ記号で記されている場所がある。直ぐ地球に帰る俺には関係なさそうだ。

 地図をまじまじと見ているうちに、ルミーナは今日剥ぎ取った素材を欲しがっている依頼が無いか確認していたらしく、

「欲しがってる依頼が数件あったけどどうする? あまりお金になんないけど」

「欲しがってるならあげてもいいんじゃね? でもそれで名誉とか与えられたら厄介だな……」

 周囲の人々を見ながらそう呟く理由は、明らかにメンバー不足で勧誘活動に勤しんでいるパーティー活動志望の冒険者たちがちらほらいるからだ。そんな奴らが居る前で依頼を一気に達成する二人組が現れたら、勧誘されまくって絶対だるい。

 そう考えていたのを見ている方向で察したらしいルミーナは、

「あの程度の人たちはどうせドラゴンを見たら驚くわよ」

 依頼を受けようが受けなかろうが、今から買い取ってもらう予定のドラゴンの査定中に、関係ない人たちがドラゴンを見たら俺らを猛者だと判断し……どっちにしろ知名度が上がってしまう。確かに言われるとそんな気がしたが……

「依頼を達成して更に上げられても困る。ここは全てギルドに買い取ってもらって最小限に抑えようぜ」

「それもそうね。今後の生活に影響が出ると困るし」

 俺が地球に戻ったらまた人里離れた山暮らしを再開するらしいルミーナも知名度が上がるのを嫌がっているので、多少収入が減ろうとお構いなしで査定に出すことにした。

 右奥にある消去法的に査定所と思わしき係員に――俺が話すとこの世界に存在しない物を指す単語を発する可能性があるので――ルミーナが話しかけると、俺らは奥の部屋に招待された。話を聞いたところ、この周辺は治安が悪いらしく、平均を越した多額の資金を受け取った冒険者を見つけ次第、ギルド外でバレないように取り立てる悪い輩がいるらしい。所謂ヤンキーが。

 そんな奴らに屈する雑魚が多い町なのかと思いつつ、招待された窓一つ無い室内でルミーナは収納魔法内の素材を全て取り出していく。

 この世界の金銭概念は少し日本と似ているところもあるらしく、最小価値が青銅貨。一枚が日本円にして一円の価値と同じらしい。次に銅貨。1枚で10円の価値だ。それから銀貨。1枚が100円の価値。金貨――1枚が1000円の価値。白銀貨――1枚が1万円の価値。白金貨――1枚が100万円の価値。庶民間での使用は基本的にあり得ない、王貨――1枚が1000万円の価値……と、計七種類の硬貨が存在するらしい。紙幣は無いとの事。

 物価も殆ど日本に似通っているらしいので、五万ぐらい稼げればいいやと思って査定に臨む。

 ライラという派遣されて来ていると噂される職員は、慣れた手つきで剝ぎ取られた素材の数々を査定していく。

「どのギルドにも名が無いそうですが、これほどまでの素材を収集なされるとは……とてもお強い方なのですね」

 襤褸が出るとマズいので会話はガン無視するが――コイツ、肩辺りでツインテールにした青髪ロングの髪を揺らし、アホ毛が本人が驚いたのと同時に尻尾のように動いてる。気持ち悪。目の真下に猫の髭みたいな赤色の斜線が両サイド合計四つもあるし……こいつ将来猫志望なのか?

 しかもその上何故か腰にチャクラムを携えた水着姿という訳も分からんギルド店員に、不正なく査定されるか不安になってる俺を他所に、ルミーナはどうやってドラゴンを出そうか悩んでいるっぽい。

 そうなるのも当たり前だ。だってドラゴンはこの目測十畳の部屋より遥かにデカい。こんなところに出したら壁を貫通してしまい、修理費で収入がなくなるどころかマイナスになる。

「やっぱり剥ぎ取ってくりゃーよかったな、すまん」

「せめて肉ぐらいその場で焼いて食べるべきだったわ……」

 二人して何かを考えているような表情を浮かべた後落ち込む姿を見せたからか、ギルド職員のライラは困り顔だが、気にせず査定を続けていただきたい。どうせこれからもっと困らせる羽目になるからな。

「……査定終わりました」

 数分経過した頃、早くも査定を終わらせたらしいライラは内訳票みたいな紙と共に、硬貨を手渡ししてくる。

「白銀貨一枚と金貨四枚です。またのご利用をお待ちしております」

 つまり……一万四千円ってことか。飯は食えるだろうが宿はどうだろうな。

 内訳票を見てみると、各魔物の名称とその素材の種類、品質、個数が書かれているが……あいつらって一匹一匹ちゃんとした名前あったんだな。でも写真付きで見せてくれねえとどいつがどいつか分からんぞ。

 ――そんなことより、俺達にはまだ査定されていない切り札がある。

「すみません、まだ査定してほしいものがあるんだけど……ここじゃ出せなくて……」

「……?」

 ルミーナが苦笑いしつつ場所変更を促すと、ライラは疑問顔のまま一応は信用してくれて「でしたらついてきてください」と先導してくれた。

 どこへ連れていかれるのかと思っていたら……ギルド裏にある模擬戦闘場のような場所だった。

「こちらでしたらスペースありますでしょうか?」

「多分足りるわ」

 ライラは巨大生物を出されると踏んだらしく、ギルドの査定係を更に二人呼んで備えている。これでしょうもない魔物を出されたらゲンナリするだろうけど、あの巨大なドラゴンだ。弱かったが、きっと驚きはするだろう。

 木刀で戦闘練習していた子供二人組に「すまんな、ちょっとの間この場を貸してくれ」と言って離れてもらい、人目もなくなったところで……遂にルミーナがドラゴンを出す。

 ギルドの職員なだけあって≪スレンジ≫自体は見たことがあるらしく、魔法そのものには驚いていなかったが……魔法陣が考えられない程広がって行き、模擬戦闘場を被いつくすぐらいのサイズに巨大化していったところを見て目を丸くしている。それで驚いてもらっちゃあ困る。

 ズシィン……という鈍い着陸音を立てて魔法陣から現れたのは……模擬戦闘場にすっぽり収まるサイズだったが、途轍もなく巨大なドラゴンだ。職員らは目は愚か口まで開け放ってやがる。漫才かよ。

 死んではいるが、ドラゴンを査定する事になった職員はざわつきだし、動揺を隠しきれない様子。

「おい……どういうことだ。ドラゴンってこの世界ではそんなに強い奴なのか? 嘘だろ」

「知らないわよ。ずっと情報を得てないから、そんなこと」

 なかなか査定に着手できない職員らに、ドラゴンの強さが分からない以上、どう訳を話せばいいのか分からない。

「あ、あのー……どこかのギルドに所属していたりします……? それとも、国家騎士の方ですか……?」

「え? ギルド? 騎士? んなもん入ってねーよ」

 数時間前、この地に降り立ったばっかりだ。

 それでもライラは俺らがどこかの国の刺客やギルド関係者だと思っているらしく、俺の発言にライラが否定する。おめーが否定してどーすんだよ。

「流石にあの量プラス、エルドギラノスン討伐までしてしまう無所属はいませんよ! あなた達は一体、どういう……」

「さあな。通りすがりの旅人とでも思ってろ」

 他の世界からやってきたもので、今この世界から俺が居る世界への転移が後を絶たないんだ――といったところで信じてもらえるはずがない。ドラゴン討伐が異常だったんで、更に異常者扱いされたくないね。……てか、ドラゴンじゃなくてエルドギラノスなんだな。ややこしいな。

「このエルドギラノス討伐の対象レートは13000……それを討伐したのは、無名の、二人……」

 ライラの隣に居た眼鏡をかけている如何にも仕事できます風の職員が資料片手に語っている。

「因みに国家騎士が10000、ギルドの最高等級が金色で7000ぐらいってよ。さっき見たわ」

 地図を見ている間に、ルミーナも世間離れしていた期間中に変わった物事が無いか見て回っていたらしく、レートの格付けについて話してくれる。

「どうやって数値化してんだよ。誰かが見て決めてんならそいつ出てこい。エルドギラノスに13000もいらんことを教えてやる」

「そ、それは……」

 至って真面目な発言をしているつもりだったが、ライラにはアホな発言にしか聞こえなかったらしく、決めた人を呼び出してくれるわけもない。まあ呼び出されても面倒なんだが。

「俺らは日の目を浴びるが嫌いなんだ。さっさと査定してくれないか」

「は、はい……わかりました……」

 鈍い音と職員の騒ぎに気付きだした冒険者達がこっちに向っている気配を察知したが、どうせすぐ査定が終わることはないだろう。ルミーナと一時ギルドから離れることにするか。


 一応エルドギラノス以外の査定を先に済ませておいた甲斐あって、査定が終わるまでの間に夜飯を食うことが出来た。

 今ある資金に似合う飯屋を探し――入った店は居酒屋。異世界の飯屋は基本的に地球でいう居酒屋のような雰囲気の飯屋しかないらしく、ファミレスややカフェ、高級料亭、一つの事に特化した専門店みたいな飯屋は無いとのこと。だから朝だろうが昼だろうが構わず入るし、朝向け昼向けの料理もあるらしい。

 それはさておき、昼は魔法で直火焼きした魔物の肉を被りついたり、そこら辺に生えてる雑草――見た目は到底食えるようなものじゃなかったが、食べたらキャベツの味がした――を食ったりしているので、夜ぐらいは米かパンでも食べたいなと思っていたが……

 商品名が読めても商品が連想できないし、商品の写真が載っていないので、どれが何なのかわからん。しかも時代が変わって商品名も変わったらしく、ルミーナも知らないような名前の料理しかなかったらしい。

 そんな寂しい文字だけのメニュー表でも、大体一番上を選べば外れることはないだろうと読んで頼んだものの……届いた商品は昼食った魔物と全く同じ魔物の肉だった。しかも調理方法も同じく直火焼き。骨付きじゃなかったところと、調味料が施されていることぐらいしか差が無かった。

 でもまだ救いはある。他にも二品頼んでおり、そのうちの一品はご飯かパンだと予想した物だ。英語表記にしても短い名称なので、この世界でもご飯とパンは短い単語だろうと踏んで短い名称の物を頼んだが……届いたものは、トマトみたいだが黒色をした爆弾にしか見えない球体が乗っかったサラダだった。

 あのキャベツに似た雑草でも敷き詰まってんだろうと思って食べたが、未知の味ばかりの葉っぱだった。感想としては、葉っぱはどれも同じ味じゃね? ぐらいだ。例の爆弾は味がトマトそのものだったので一安心。

 そして最後の一品――飲み物だったが、水でもジュースでもお茶でもなく……お酒だった。これはまあしゃあないか。

 ルミーナ曰く、この世界は水よりも酒の方が安いらしく、アルコール度数は子供が飲んでも無害な程低いものばかりだと言うので、俺は地球の法律でも今年から飲酒が認められる人間なので飲んでみたが……言う通りノンアルコールみたいな感じだった。でも途中から不味くて溜まらなかったので、ルミーナが魔法で出した水を飲む羽目になったが。

 ルミーナを含め、お客が誰一人も「頂きます」と言わないことにカルチャーショックを感じつつ、食事中は地球にはないし、ルミーナも記憶が古すぎたギルドという施設について得た情報を整理した。

 ギルドとは、管轄外の地域が無いように各地に点在しているもので、冒険職に就きたい人はここに登録する、冒険者にとって必要不可欠の施設らしい。ギルドを中心に周辺の魔物討伐の依頼や、住民の依頼などを冒険職の人々に提供しており、採取やお手伝いなどといった、死亡の可能性が無い誰でもお小遣い稼ぎに受けられる依頼は冒険者としてギルドに登録しなくても受諾・納品可能だが、少しでも死亡の可能性がある討伐依頼や護衛依頼等の受諾は登録が必須となるようだ。でも納品ベースの場合、事前に受諾しておくと報酬が減額されないし、名誉ももらえるので、一度ギルドに来て受諾してから行動するのが鉄則みたいだ。因みに俺たちの場合、依頼ではなく個人的に魔物を討伐し、それらを売却しに来ただけなので、登録の必要はないとのこと。なら納品の場合はどうなるのかは不明な点だ。話の流れ的に、依頼を受けて討伐に向ったわけじゃなく、偶々素材を持ち合わせていて、それを求める人が居る場合は、死亡の可能性がある案件問わずそちらに納品することも可能なんだろう。そう考えると案外穴がありそうだ。

 俺たちが訪れたギルドは『ラズヴァン』といって、ギルドには個々に名称があり、例えば『ラズヴァン』で冒険者登録したら、『ラズヴァン』所属の冒険者となるらしい。需要と供給の差はあれど、どこかで登録してればどのギルドでも受諾可能なので、要は住民登録だ。

 そしてギルドにはランクという概念があり、冒険者としての活動実績や戦闘能力に応じて七段階のランク分けが成される。依頼受諾は自身のランクに合ったレート以下の依頼が受けられるらしく、ランクが金なら7000まで、銀なら6000まで、銅なら5000まで、橙なら4000まで、青なら3000まで、緑なら2000まで、白なら1000までと定められている。魔物の生息域が描かれた地図も、その危険度から同じ色分けだ。ランクとレートと二つに分ける必要ないのではないかと思ったが、国家騎士や貴族など、ギルド未所属だが十分な戦力を有する人たちもいるのでレートの概念が必要らしい。因みに国家騎士になるには最低でも10000は必要とのこと。

 レート分けは置いておき、ランク分けはさらに細かく、ギルド所属者全員が有している個人の能力値を示すランク以外にも、所属ギルド内――つまり故郷貢献度に応じたランク、チームに所属しているのであればそのチームのランクもあるらしい。前者はあまり重宝されないだろうが、後者は重要になってくるはずだ。

 ギルドについてお互いに理解を深めて食事を終え、この世界は魔法や道具で辺りを照らしつつ移動するので、ルミーナが魔法で出した明かりと共に街灯が無い街中を歩いてギルドに戻る。この世界には電気ガス水道などのライフラインがないからな。全てが魔法か自給自足で成り立っている。

 さっきは飯屋を探す一心だったので目に留まらなかったが、改めて露店を見ていくと……地球ではあんなに手が届かないダイヤモンドが無防備にゴロゴロ売られてやがる。しかも高くて金貨ぐらいで。対して粘土や鉄は『要相談』と書かれたプラカートだけ置かれており、裏で厳重に保管されている模様。取れる量の問題もあるだろうが、美的要素で買う地球と戦闘要素で買う異世界では価値観が異なっているな。宝石いくらか買って地球で売ってやろうかな。

 邪念を払ってギルドに戻り、雑務をしていたライラに話しかけると――

「あ、あのー……エルドギラノス討伐は国から依頼が出ていまして、そこに納品すると白金貨5枚になるんですけど、いかがなさいますか……?」

 白金貨5枚……つまり、日本円にして500万円の報酬がもらえる話が浮上したが、俺の拠点は地球という星の日本。例えこの国でお金持ちになっても日本の身は貧乏のままだ。

「ギルドの査定だと何え……違う、いくらになるんだ?」

 一瞬母国の単位が出かけたが、こんな大金を諦めてそう聞き返すと思っていなかったからか、ライラはたじろいたな。それでも言葉をひねり出し、

「はっ、白金貨1枚、です……」

「ならそれでいい。ていうかそっちにしろ」

 向こうは善意で高い方をお勧めしてるんだろうけど、こっちとしては悪意にしか感じられない。ていうかギルドにエルドギラノスという資金源が入るんだから、儲けが出にくい依頼の方の納品に回さんでもよかろうに。

「……!? しょ、正気ですか!? 莫大な報酬と名声、もしかすると国家騎士にならないかと推薦状が来るかもしれない程のビックチャンスなんですよ!?」

「別にそれでいいわよ」

「!?」

 俺の方が立場が上で、俺の独断で決定している案だと思ったのか、ルミーナにも話を振るライラだが、ルミーナも目立ちたくないし、生活上金銭が必要になる場面が存在しない。つまり、二人は日の目を浴びずに飯代と宿代さえ稼げればそれでいいのだ。

「ほ、ホントにそれでいいんですか!? 後から変更できませんよ!?」

「うっせーなぁ。それでいいっつってんだからさっさと白金貨1枚持って来いよ」

「は、はい……申し訳ございません……」

 低い金額で良いと言って譲らない謎な冒険者にギルド職員も困惑気味。お前らにボーナスが入るかもしれないっつーんになんちゅう顔面してんだよ。いくらなんでも冒険者尊重しすぎだろ。

「こちらが白金貨1枚です。ご確認を……」

 日本でよく見るカルトンみたいなものの上に載せられた白金貨1枚を受け取った俺は、

「確かに受け取った」

 ポケットに閉まってそそくさとギルドを後にする。査定員から白金貨1枚を受け取ることは滅多にないらしく、こっちをガン見する輩が多いからな。

「またのお越しを……ありがとうございました」

 俺とルミーナの背後にライラは隠しきれなかった感謝を述べてくるが、そういうの止めてくれよ。せっかく国からの名声を捨てたのに、ギルドからの名声を得たら結局意味ねーじゃんか。

「ギルドなんかに来なければよかったわね」

「だな。静かに山で寝てればよかったぜ……」

 ルミーナという野宿のプロフェッショナルが居ながら、町の飯屋や宿屋を目指した過去の自分を殺したい気分だ。クソが。

 だがもうここまで来てしまっては引き返すに引き返せない。飯屋を探す序に見つけておいた宿屋に向うことにするか。


 この町には居酒屋は沢山あっても宿屋は一つしかないらしい。その代わりその宿屋はかなり広く……

「バレット宿屋へようこそ!」

 バレットさんが営む宿屋なので、という安直なネーミングの宿屋で、受付の奥から出てきたのは推定身長133センチの子供だ。灰色の髪の毛は耳下あたりでツインテールに結われていて、それぞれ長さが肩までしかない。そしてそれらのテールは三つ編みに結われている。明らかに手の込んだ髪型だ。家業のお手伝いで、看板娘って印象だ。

 そんな元気よく店名を名乗ったバレットであろう少女は「んしょ」と受付に置いた土台に立ち、机から顔が出る高さまで身長のかさ増しを済ませ、

「どのお部屋にしますか?」

 ニコニコ笑顔で明るく温厚な性格さが伝わってくるバレットに、ルミーナは受け答えして手続きを始めた。

 この世界には時間の概念が無いらしいので、今が夜の何時は分からないが……こんな夜遅くでも普通に部屋が空いているらしい。客入りが少ない訳ではなく、単にこの宿屋が大きすぎるからだろうな。

 異世界の宿屋というものについて無知なので、特に水を差すようなことはしないでいたが……

「ちょっと一ついいか?」

 お部屋を選択中のルミーナを一時停止させ、

「まだまだ話したいことがある。俺と同じ部屋でも大丈夫だったら同じ部屋にしてくれないか?」

 まだルミーナに聞きたい異世界の事が山ほどある。その気持ちを素直に伝えると、

「構わないわ」

 ルミーナもお話したい気持ちがあったのか、快く受け入れてくれた。

 受付を済ませた俺らは、貰った鍵に刻まれた番号と同じ番号の部屋を探す。数字も日本と違って意味不明な記号だが、今はルミーナが翻訳魔法を使ってくれている。見たことがない文字だが、理解できる。

 今の俺達はちょっとした金持ちなので、最上級ランクの部屋に泊まることにした。金持っててもしゃあないしな。

 と言ってもこの地域は物価が特に安いらしく……最上級ランクの部屋でも白銀貨2枚しか取られなかった。もっと白銀貨20枚ぐらいを予想してたんだがな。

 この世界にはエレベーターもエスカレーターも存在しないので、階段を上って最上階の部屋まで向うんだが……階数が上がるにつれて、どんどん絢爛な造りになってきていてゾッとする。まさか俺がこんな高級旅館に泊まれる日が来るとはな。思ってもいなかったぜ。

 高級な部屋は見分けがつきやすいもので、あからさまに俺らが今日泊まるであろう部屋の前についたので、開錠して中に入ると――

「……マジかよ……」

「凄いわね……」

 俺とルミーナは室内の高級さに圧倒された。

 ――だが、俺とルミーナでは大きな違いがある。それは――圧倒されたポイントだ。ルミーナは部屋全体を見渡して圧倒したんだろうが、俺は部屋を開けた瞬間に部屋全体は把握し終わっている。圧倒されたポイントは部屋じゃない。その奥――ベッドだ。

 その問題にルミーナが気付いたのは、俺が気付いてから三秒後の出来事だった。

「気を利かせやがったな。こちとら出会って一日だぞ……」

「ベ、ベッドが一つしかないわよ?」

 そう、本来なら二つあったであろうスペースがあるのに……片方のベッドがすっぽりなくなっている! クソが! 残されたベッドがツインサイズならまだ許す。だがシングルサイズじゃねーか! こんな大きなベッドをほんの一瞬で移動させたとは思えないから……あの店員は魔法使いで、収納魔法≪スレンジ≫で収納しやがったな……!

「チクショウ……部屋は分かれて、寝る時以外同じ部屋に集まればよかったな……」

 まさか店員がそんな気を利かせてくるとは思っていなかった。金はあるので今からでも二部屋に分けたいところだが……

「たまにはいいんじゃない? 異世界人同士で寝るのも」

「は?」

 一緒に寝る、という末期的な結論に至ったらしいルミーナは、ベッドが一つだけしかない件はもう気にしていない様子。

「バカ言うなよ。ここは最上級ランクだ。ソファーで寝れ……硬くねえかコレ!?」

 明らかにふわふわそうなソファーに腰かけたが……石に座ったのかと思うぐらい硬いんだが?

「だから一緒に寝ればいいじゃない。私新谷に攻撃しないから」

「そういう問題じゃないだろ」

 何で俺がいつも酷く扱っている異世界人と一緒に寝らねえといけねえんだ。絶対寝付けねえし、次から転移者を対処する時に変な感情が生まれるだろーが。

「もうベッドは寝る時考える。それまで後回しだ」

 最悪地面でも寝ることが出来る悲しい俺は、二日連続地面で寝ればいいだけの話。貧乏人には高級宿はお似合いじゃねえってことだ。

「そんなことよりも、だ。照明はどう点けるんだ? スイッチが無いぞ? ていうかそんな概念すらなかったりするのか? だったらこの世界魔法が使えなかったら悲しすぎないか?」

 俺もルミーナも夜目が利くらしく、今まで電気を付ける素振りすら見せなかったが、話を逸らす話題として活用させてもらう。

 スイッチを探す為に部屋中の壁を確認するが、スイッチらしき突起は見つからない。

「明かりはスイッチでつけないわよ。魔法よ、魔法」

 壁をぺたぺたする俺を他所に、手を頭の上に指し伸ばし……これまた無詠唱なのか、魔法を放ったらしい。なぜそう判断したのかというと……部屋中に明かりが灯ったからだ。

「魔力は魔法使い適正がない人にも全員に吸収され貯蓄されるものよ。この石はどんな微弱な魔力でも入力を感知すれば光り輝いてくれる、言わば電球のような石よ」

 天井に地球でもある電球みたいにくっついている石を指し示したルミーナは、それに向って先程のような仕草を見せると……光り輝いていた明かりが消えた。

「へえ……そんな便利な石があるんだな」

 この町――というかこの世界には電線も無いなと思っていたが、それでも各家庭に明かりがついていた理由はこれか。電気代がかからないとか有能過ぎるから、地球でも作ってほしいぜ。

「俺にもできるのか?」

「向こうの人は魔力が流れているか怪しいからわかんないけど……念じてみれば?」

 物は試しといったもんで、手を石に向けてから念じてみることにする。

 すると……

「……ついたわね」

「一応、な」

 豆電球ぐらいの明かりが灯った。

「ということは向こうの人にも一応魔力が流れてるっていうことね」

「要は魔法の出し方次第か……?」

 未だに魔法の出し方は理解していないので、今ずっと「光れ」って心の中で連呼していただけだ。これで微小の明かりというなら、もっと違う出し方があるのかもしれない。

「もしそれが判明すれば、新谷にも何らかの適正があるかもね」

 こんな小さな明かりだと明るいか暗いかどっちかにしたくなるわけで、ルミーナは光を灯しなおした。

「魔法使いはどうやって魔法を使えるようになるんだろうな?」

「私の場合は使えるようになったっていうか、最初から使えたって印象だけど」

「後天的に苦労して使えるようになるものじゃないのか……?」

 この世界に幼稚園があるのか知らんが、物心をついた時から既に魔法を使えるのだろうか? それとも保育士が何らかの指導を行って使える状態にし、その上で適正があるか判断しているのだろうか? 魔法の概念は分かっても、魔法が発動する原理は理解できない、か……

 俺に魔法使いの適性があり、使い方も分かったとしても、練度的に徒手や刀剣、拳銃の方が上手いので、使う場面は訪れないと思う。そもそも地球で生きていく上で必要になる気がしない。概念が分かっただけでも今回の転移は収穫があったと思おう。

「そういえば何か話があるから同じ部屋にするって言ってたけど……」

「ああ、それなんだが……」

 忘れていたことを問いかけてくれたので、やっと本題に入ることが出来る。

「俺にこの国の言語を教えてくれないか?」

 転移者を対処する使命を実行するにあたって、障害となる壁は――言語だ。相手が慈悲を求めていようと、好戦的な発言をしていようと、俺には転移者らが何を言っているのかわからない。それは相手も同じで、俺が元居た世界に帰るか、この地で眠るか尋ねている発言も転移者には理解できていないはずだ。

 これは戦闘能力で相手に劣るよりも致命傷だ。なぜなら、もしかすると相手の意思に反する行動を知らぬがままとっている可能性があるからな。

 転移者全員がルミーナみたいに魔法が使えて、翻訳魔法――≪トラスネス≫が使えたら何ら問題にならない。だが、現実はそう上手くいかず……そういう人物は極少数しか存在していないのを、過去の経験や今回の旅路から学んでいる。

「せめて俺が転移者に問う『元居た世界に帰るか、この地で眠るか』の異世界語バージョンを覚えておきたい」

 ルミーナという人物は、俺という異世界人と友好的な人物で、この上なく強い魔法使いで、翻訳魔法≪トラスネス≫を異世界は愚か、地球でも数分使えるという――類を見ない、いや、今後似たような能力を有する異世界人には一生出会えないと思われる程、重要な人物だ。

 そんな彼女と偶然とはいえ出会う事ができ、友好的な関係を結ぶことができ、こうして彼女の地に赴くことになり、彼女が本領発揮できる場になった今こそ――

 本当の、望みを――問う。

 そんな質問をした真剣な面持ちの俺を見たルミーナは、

「いいけど覚えられる? 外国語を覚えるっていう事よ?」

 否定的じゃない。寧ろ協力的だ。

 俺はただ転移してきた所を殺されないように救い、この地――元居た地に戻してあげただけなのに、ルミーナがそこまで協力的で友好的な行動をとるのかは未だ不明だが、本人に教えてくれる意思があるならば、ありがたく教えていただくまでだ。

「流石に長期間地球を不在にしてるとマズいから、明日一旦地球に帰る。転移できるかわからないし、同じ時代、同じ場所に転移できるかもわからない。でも戻れたらまた後日この世界にやってくる。知りたいことが沢山あるからな。だから長い目で俺に言語を教えてくれないか? それでも俺は教わりたい」

 夜が空ければ、クールタイムは高確率で終了しているだろう。だから必然的にそれまでに教えてもらった内容までしか覚えられない。だが、地球に戻れることが出来たら……またここに来たい。来れるかわからないが。そう思う意思はとても強い。

 この地はまだ気になる事が多い。魔法、魔物、人々、言語、土地、国、ギルド……例を挙げると切りがない。

 地球上で唯一転移者を元居た世界に戻すことが出来る能力を有している俺は、転移者の元居た地にやってきて、まだこの世界の事を学ぶべきだ。それが当面の俺自身が転移する目的にもなる。そして転移者、魔法、転移が起きている現象について踏まえた上で、地球、そして異世界でしかるべき行動を取るべきだと思う。

 ――地球に、転移者がやってくる限り。

 そんな無償で、対異世界人組織があるのに個人で対異世界人活動をしている意味も無い俺の活動意思が伝わったのか……

「使命に熱心でいいわね。私なんか生き甲斐なんて何もないのに……」

 自分の今と照らし合わせたのか、悲観的な表情と声色で返してくる。

「これから作ればいいだろ? もしかすると……俺と二つの世界の運命を変える先駆けとなるかもしれないのに」

 もし地球に戻ることが出来、もしまたこの世界の同じ時代、同じ場所に来ることが出来たら――

 それはもう、今後通わない訳が無いだろう。そのぐらい俺にとってこの世界は知り得るべき世界だ。

 そうなれば必然俺の理解者で魔法も使えるルミーナがOKなら付き添う可能性が高い訳であり……ルミーナ自身が俺と厄介な出来事に付き合う意思があれば、今後ただ山を歩き回って生きていく無限ループのような日常が一変するだろう。

「……それもそうね」

 意外とこの厄介事に肯定的なのか、運命が変わる可能性を否定しなかった。

 俺がこの世界にもあるらしい勉強机に正対して置かれていた椅子に座った事を起点とし……俺たちは今後の話を切り上げて、今後どうあれ絶対的に必要となる言語勉強を行うこととなった。


 俺は勉強が得意ではない。

 学校が対異世界人育成高校なだけあって、勉強は出来なくても運動さえできれば入学・卒業できる。そんな緩々学校を附属中学校から居たので、勉強とは無縁な学生生活を送ってきた結果――当然微塵も知らない新言語を覚えようとしても全く頭に入ってこない。活動上英語は喋れるので言語ならいけると思ったんだけどな。

 最低でも、と思って転移者に問う質問文だけは暗記で覚えたが、寝て起きたら忘れてそうだ。そのぐらい頭が悪く、戦闘しか向いていない。

 ルミーナもこんなにも俺が出来損ないと思っていなかったらしく、二人とも心が折れてからは俺がルミーナに日本語を教えることになった。本末転倒だが、こっちの方が円滑に勉強が進むので集中力が切れなかった。

 時計が無いので詳しい時間帯は不明だが、体感0時を回った頃、勉強を切り上げて就寝することにした。結局疲労困憊で上手く頭が回らず、二人してベッドで寝てしまっていたが……俺もルミーナも寝相が悪い訳もなく、いびきがうるさい訳もなく、暗殺することもなく、特に支障がきたすこともなく快眠することが出来た。

 日本語で言う『あいうえお』の異世界語バージョンは記憶ロスト。でも暗記した分はちゃんと覚えていた俺は……隣の部屋にいるルミーナを一瞥し、自然な流れでトイレや洗顔に向おうとする。が――

「そういやここ異世界だったな」

 いつものルート通りに歩いていると、目の前が壁だった。俺ん家だったらここにトイレがあるんだけどな。

 壁と向き合う意味不明な行動を見せる姿を見ていたらしく……

「……朝から何してんのよ。特殊な訓練? ……朝食受け取ってきたわ」

 日本のホテルと違って、フロントに取りに行って部屋で食べる形式らしい朝食は、フランスパンみたいに細長いパンが二つ目立っており、他はよくわからん。

「地球の俺ん家にはここにトイレがあってだな……」

 見苦しい姿を目撃されて恥ずかしいのですぐさま真横にあったドアを開けて中に入っていく。どうやらここは洗面所みたいだ。

「トイレって何?」

「は……?」

 まさか返ってくるはずがないと思っていた質問を真顔でしてきやがった。顎外れたかと思った。

「この世界の人間は排泄物どうしてんだよ」

 呆れ顔で問う俺に、ルミーナも呆れ顔になり、

「魔法で体内体外共に綺麗にするのがあるの。だから家にあっても宿屋には基本的に共用の物か、従業員が≪リフレッシュ≫を使えるわ。後者の場合有料だけど」

「そんな魔法まであんのか……」

 便利だな。数時間に一回催すことや、三十分ぐらいゆっくりくつろぐ入浴が魔法一つであっという間に済ませるとか。しかもその英語のままの魔法が使えない人や、入浴を楽しみたい時の場合にも風呂やトイレがあるので対応しているとか万能すぎんか? この世界。

 産業文明が地球より劣っていても、魔法文明のお陰で地球よりも快適な点が数多く存在しているこの世界に感銘を受け、郷に入っては郷に従えというかなんというか、排尿を魔法で済ませる体験をすることになった。

 ルミーナが無詠唱で言ったので変化する瞬間はわからなかったが、変化したら直ぐ異変に気付いたぞ。尿意が完全に消え失せている。少しあった大きい方もだ。体外のリフレッシュ具合はまさに風呂上り。しかも自分で洗うより完全に汚れが落ちて完璧に綺麗になっている印象がある。歯も磨いてないのに一層白く輝いているし、髪がサラサラで肌もツヤッツヤ。耳も細かい音まで鮮明に聞こえる。鼻が詰まっていれば開通感があっただろう。そのぐらい完全に――完璧に綺麗になっている。ここまで綺麗になっていると、風呂やトイレに行くのがバカらしくなるな。余程湯に浸かりたい気分にならない限り、風呂とは無縁だ。

「服とか物にも同様に洗濯効果を齎すわ」

「すげえなこの魔法。魔法使いって有能過ぎんか?」

 こんなのがこの世界に蔓延っていれば、魔法が使えない人の存在意義がなくなるのではないかと思ったが……

「そんな魔法使いも――昨日ギルドで盗み聞きした情報だけど、この世界には全人種の二割ぐらいしか存在しないらしいわよ」

「流石にか」

 それなりに貴重な存在だったようだ。

 地球という異世界に来ても暴れないし、寧ろ魔法を使ってこっちの気持ちをわかろうとまでしてきた転移者に出会い、その人と異世界に向ったところ、彼女は人並外れた魔法使いだという事がほぼ確定し……この世界には魔法使いが少なく、その中でも限られた超強力な魔法使いと繋がりを持てた、と。なら俺の運はこれにて底を尽きたな。これから死ぬまで永遠と不幸だろう。あーあ。

 そんな邂逅を果たした相手と朝食を済ませ、当然一夜だけしか借りなかったので宿屋を後にし……言語勉強というか言語についての意見交換を行いながら町を出た。目的地は――俺が初めてこの地に降り立った場所。そう二人で話し合ったわけではない。だが、俺とルミーナは以心伝心しているかの如く、無意識のうちにその地へ向かって歩いていた。

 この地に降り立ってから宿屋に行くまでの道は、全て俺がルミーナの後について行く形で歩いていた。でも今はもうあの場所への道ぐらい、一度通ったので完全に把握している。だから横一列で向かっている。

 初めてこの地に降り立った場所へ近づくにつれて、自然と話のネタもお別れの話になってきた。ルミーナもそろそろクールタイムが終わった頃で、目的地に着くと直ぐ別れの時間がくるのだろうと思い至ったようだ。

「この約一日間、今まで数百年生きてきたけど……一番刺激的な時間だったわ」

 別れ際になっていきなり年齢が百歳を超えているとかいう衝撃発言をかましてきたが、そこに驚いているような猶予は残されていない。今も刻一刻と別れの時が近づいている。

「正直俺もそうだな。転移者と会う機会は毎日あっても、話すことは出来なかった。そんなことより一番――転移者が元居た世界に来ることが出来、この世界について少しは学ぶことが出来たことが……収穫っつーか……まあ、よかったことだ」

 こんな時でも語彙力が欠損しているところが垣間見えてしまう俺の発言を聞いてクスクス微笑むルミーナ。どこかその表情に悲しみの色が滲んで見えるのは気のせいか?

「それで私思ったんだけど……」

 そんなルミーナはこれまでの出来事を振り返って、やっと結論が出たことを話す決意をしたように、一瞬頷いたような反応を見せ――

「私は異世界人を代表して――この地とあの地の安寧と修好を導く新谷に、今後二つの世界間に何が起きろうと味方することを誓うわ」

 言ってしまったという後戻りできない選択に動揺し、言い切ったという達成感に誇らしげな態度をするという器用な感情表現に――目を見開いてしまう。

 そもそも俺は今から地球に戻れる確証がない。それからまたこの地に戻って来れることや、俺が存在していてもおかしくない時代や時間に戻れるという確証もない。もしかすると俺という存在が既にいるカオス展開もありえる。それなのに、それらも含めて期待し、信用したルミーナを前に……立ち止まってしまう。

「どうしてルミーナは……そこまで俺に協力的に居られるんだ?」

 普通異世界人がやってきたとなると、何をするかわからないのに受け入れるような器の広い人間はいないだろう。ワールドブレイカ―社だってそうだ。地球を害する異世界人がやってくるのを阻止するために、唯一地球側がとれる手段――来次第殲滅、を目的とした国が発足させた組織だ。そして俺だってそうだ。何をするかわからない異世界人が地球に転移してくるから、ありがたいことに持ち合わせている技――≪エル・ダブル・ユニバース≫を使って元居た地に戻しているだけだ。使命とあれど、俺にも転移者が故郷に帰りたいと思う感情ぐらい共感できる。

 それなのに、この魔法使い――ルミーナ・エスレインは、何をするかわからない異世界人こと新谷萩耶を受け入れ、信用し、味方になるとまで誓ってきた。

「何で……俺のようないつ何を起こし、いつ何を滅ぼすか分からない異世界人をそこまで信用できる」

 そんな何を考えているのか分からないルミーナに、不器用なせいで変化球でもなく……抱いた疑問を、直球で返してしまう。

「それは――新谷の事を知って、地球という世界を知って……新谷に感動、感服、共感……様々な思いを感じたからよ」

 どうしてそんな思いを感じたのか理解できないが、しばらく沈黙してルミーナの発言を聞かざるを得ない。

「もし同じ世界、同じ立場になれば、少なからず私も新谷と同じ立場に立ったと思うわ」

 それは誰もが思うことだ、と思ったが……

「だからわかるの。今まで一人でやってきたことはとても素晴らしいと思うし、誇っていいと思うわ。でも……その使命は到底人一人が抱えるべき使命じゃないし、協力者がいない中で長期遂行できることじゃない」

 ルミーナの思いは、俺が想像するルミーナが抱いているであろう思いを……遥かに上回っていた。

 確かに……そうかもしれない。今もこうして俺が異世界に赴いている中、転移者が一人、また一人と殺害されている可能性がある。だがそれはしょうがない。転移の技が使える人間は俺一人しかいないし、他に使える人間は存在しない。

 でも一番許せないことは……俺が地球上に居て、転移者が来たことを確認したのにも関わらず――フレームアーマーが俺よりも先に異世界人を抹殺している場合だ。最善を尽くしても、フレームアーマーから行動を制限されたり、向こうの行動速度との差によって間に合わなかったりする。そんな時に感じる数的不利による使命執行失敗はとても心が痛む。分身でもして、片方が転移者を元居た地に戻し、片方がフレームアーマーを牽制することができれば……と、何度思ったことか。

 だからといって、その協力者として適任の人間を集めようとしても、俺が希望する戦闘能力の基準値を定めると、地球上に存在しない。いや、存在するかもしれない。だが人には人の事情があり、俺の使命に賛同してくれない。そんないつ死ぬか分からないし、無償の活動に参加してくれるはずはない。

 だったら新谷家の人間を連れて対処すればいいじゃないか、と思い至るときもあるが、よくよく考えると新谷家も暇じゃない。俺が外に出ているのは、転移の技を有しているのでしかたなく、という苦渋の末の特例だ。

 そして俺にも寿命や老化が必ず存在している。まだ四分の一ぐらいしか人生の終着点へ歩いてないと言えばそうだが、ワールドブレイカ―社の定年や人工島の最高年齢層が三、四十代なのと同じく、人間には早くして戦闘能力のピーク、停滞、低下が訪れる。後数十年すれば俺も前線引退だ。

 俺が脳内で思い至った思考とは多少異なるだろうが、そこまでたった一日という短い期間で推理し、理解して発言している聡明な事由は、まだ終わらない。

「そしてその協力者は――できれば異世界人の方が良い。これは最大にして必須な条件だと推理するわ」

 ルミーナと会ってからの俺も、俺の行動を推理して事前に準備したらしい唯も、そう思っている条件を――ルミーナは、的中させる。当初『代わり映えのない日常を送るより刺激的で生き甲斐がある』と言っていたので、もっと楽観的な動機かと思っていたが……しっかりと転移現象への危機感を持ち、行動を起こす必要性も理解していないと、到底出てこないその条件を。

「これからは私個人の見解だけど、多分新谷が思っている見解と重なる部分があると思うわ――そのわけは、まず一つ。魔法が使えるから。使えると魔法を相殺することが可能になるし、より円滑な対処が行えるし、行動の幅が広がるから。二つ。言語が分かるから。相手の言葉が分からないと何も始まらないわ。三つ。異世界をある程度知り尽くしているから。異世界人を対処するにあたって、共感することは重要な感情だと思うわ。そして、新谷が異世界人の協力者じゃなくても、条件として求めていると思う――四つ。戦闘能力があるから。魔法でなら敵なしよ」

 ルミーナと会ってから、協力者として異世界人を招き入れるという手段を思いつき、幾つか利点を思い浮かべていた。その利点が……俺の思考を読んだかの如く、ルミーナが言う異世界人の協力者を作ることによって生まれる利点と、完全に一致している。

 ……ただ、静かにルミーナの見解を聞くしかない。ルミーナが何を感じ、何を抱き、何を伝えようとしているのか……気になり過ぎる。

「そして最大の条件。最後の――五つ。こうして異世界人と友好的な関係を築けている事を日常生活と活動内容で証明できることによって、地球上に存在する全人類に、異世界人を殺さない手段も取れるという、休戦、考慮の猶予を与え、異世界人は全員が好戦的ではなく、話し合い、考え合うことで……お互い友好的な関係を築くことができると知らしめられる」

 ルミーナはこうして俺と自身が友好関係を結ぶことができたのを好例とし、この短い時間で思い至った和解の条件案を述べてくるが……違う。地球に住み、ルミーナ以上に対異世界人意識が高い世界を目の当たりにしている俺は、そんな条件は正しくないことがわかる。

「最大の条件は……少し違う。知らしめることが出来ない。知らしめようとすると――有無を言わせず即排除だ。どんな転移者であろうと、な」

 転移者の全員が全員魔法や剣、徒手などで攻撃的な態度をとるわけじゃない。中には少数だが、和解や交渉を持ち掛けている素振りを見せる転移者もいた。だがそもそも言語が通じない。つまり和解の意思や交渉の意図が地球人には理解不能なんだ。

 だからといって、もし地球人が転移者の言語を理解できたとしても……きっと状況は変わらない。それは過去訪れた転移者の凡そ九割が好戦的な態度をとっており、地球上に何らかの損害を齎しているからだ。極少数の非好戦的な転移者相手に優遇する程寛大な地球陣営ではない。捕虜にして何らかの知見を得ようとも考えず、寧ろ同郷の罪を贖えと言わんばかりに惨殺する。ファースト・インパクトという大災害が地球人の共通認識に与えた影響は絶対に覆らない。

「だったら最大の条件は――何よ」

 自分の推理が間違っていることを指摘されたルミーナは、俺が求めている最大の条件を直接聞いてくる。

「それは――地球人と友好的な関係を、自ら公にせず、地球人がいつか気付くその時まで築き続ける事が可能な転移者。そうすれば、気付いた時に……こいつはこれまでずっと地球人と共に地球に居たのか、という衝撃に気付くことができるはずだ」

 正直そう気付かれた後に殺害される可能性はゼロとは言えない。だから何だ、と思われればそこでおしまいだから。でも、それは一般人が転移者と友好的な関係を築いていた場合の話。俺と転移者が友好的な関係を築いていたとなれば……遅かれ早かれ、必ず状況が変わってくるだろう。

 俺は新谷家の直系血族だ。フレームアーマーの最大出力に生身で匹敵することが可能だ。この時点で界隈からは一目置かれているのに、そこから更に、日本で銃火器の所有を国から唯一認められている個人だから、お偉いさんからの信頼度も高い。そして国家機密に指定されている情報なので知り得ている人は少ないが……俺が転移者を元居た地に戻すことが可能な技を有していることもこっちが有利に進むことが出来る点だ。これらを踏まえて俺が転移者と長らく暮らしていたとなると……会話次第で友好関係を築けるかもしれない、と流石のお偉いさんもご一考してくださるはずだ。

「そしてそれが可能だと思う転移者は――現状お前、ルミーナだけだと思う」

 ルミーナも俺の発言に途中から割り込むような形で「きっと私だけだわ」と堂々と言い放つ。

 俺がルミーナを求め、ルミーナは俺に味方したいと求め――二人の条件が、一致した。

「帰ることが出来、また来ることが出来れば……今後行き来を繰り返す羽目になるだろうが、構わないか?」

 改まって承認を聞くまでも無く、その先に関わる承認を求めると――

「構わないわ。どうせ帰る場所も知り合いもいないわ」

 ルミーナは既に決めた未来は変えるつもりがないらしく、考える隙も無く即答した。

「私からも一つ、いい?」

「ああ。俺が求めてばっかりもアレだしな」

 これだと何かしてあげないと利害が一致しない気がしていた。でも俺が聞こうとするよりも早く、本人の口から要求が飛び出してきたので、了承前提で話を聞く。

「――主従契約を交わしましょ?」

 突如ルミーナの口から発せられた聞きなれない用語に――

「……なんだそれ」

 理解が追い付かないんで、ルミーナを訝しむしかない。

「この世界では主従契約を交わしたことが、友達同士になった証のようなものよ。だから友達同士になりましょ、っていう話」

「俺の世界基準だと、俺とルミーナはもう友達同士判定なんだが、この世界で友達同士になるには……何を交わせと言うんだ?」

 言葉で「友達になろう!」「うん!」みたいな会話を交わせばいいとか、友達らしく握手やハイタッチ、小突き合いを交わせとかなのかと予想していたが……

「双方の同意の上、お互いの血を一度舐める事で契約完了よ」

 な、なんだそれ……血の舐め合い?  別にいいけどさ。

「別にすんのはいいけどよ、誰が決めるんだ? 俺らが決めるんだったらもう契約完了したっつーことでもまかり通るんじゃねーのか?」

 発言が否定的な文章にも捉えられるので、立ち止まった俺はナイフを取り出して指を切っておくことで、そう捉えられることを未然に防いでおく。

「ここは魔法が使える世界よ。こういう契約事はしっかり行っておくと、新谷が普段体験できないような魔法的な恩恵を得られるわ」

 ルミーナはその得られる恩恵内容を知っているからか、結んだ方が得だという事をその楽しそうな表情から伝えてくる。

「どんな恩恵なんだ?」

「もったいぶる内容でもないから言うけど、互いの位置がざっくりと把握可能になるわよ」

 確かに地球で言う友達ってのも、ざっくりだが友達が今どこに居そうかなんとなくわかる。それに似た感じで、より魔法的な観点からどこに居そうかわかるものなのか。この契約は……凄いな。単に凄いという単語で感想を終えるべきでないこともわかる。

「つまり、俺が次この世界に転移が成功したら……俺はルミーナがいることを、ルミーナは俺が来たことを把握できるわけか」

「察しが良いわね」

 ……これはいい契約だ。例え帰ることが出来、再び来ることが出来たとしても、それから一生会えないかもしれない。その可能性がなくなった訳だ。一つ懸念があるとすれば……

「俺が地球に戻ってまた来たとしても、契約が継続していると思うか?」

 同じ世界に居るから受けられる恩恵であって、この地から離れる――言わば、この世界から一時的とはいえ消えた人物との契約が続行されるのか。

「前例がないから何とも言えないけど、基本的にはこの世界に居る限り、どちらか片方が契約を解約しようとしなかったり、天に召されたりしない限りは継続するものよ」

「ならここも賭けになる訳か」

 地球に戻れる可能性、また戻ってこれる可能性、同じ時間軸に転移できる可能性……既に色んな賭け要素が存在しているのに、更なる賭け要素が追加されてしまった。この邂逅で底を尽きたと思われる運には期待できないんだが?

 ルミーナも俺から借りっぱなしだったナイフで指に傷を付け、鮮血を垂らし始める。

「それじゃ……契約しましょ?」

 ルミーナがニコッと微笑んだのを合図に――

 俺の指先がルミーナの口元に、ルミーナの指先が俺の口元に寄せられる。

 契約を行うにあたって、魔法的な技術が必要なのか、ルミーナが詠唱したであろう魔法陣が俺とルミーナの足元に出現する。誰もいないが道の真ん中で契約を交わすのは気が引けたので、今は道端に寄っているが……この契約時は周囲が暗くなるのか、日中だったはずなのに、周囲が薄暗く感じる。

 するとこの契約について分からない俺に仕方を見せつける為か、先に行動を起こしたのはルミーナだ。

 上唇と下唇からちょこっと出した舌の先端には……小さな魔法陣が出現している。あれが了承した相手の血を感知すれば、ルミーナ側の契約は完了するのだろう。

 ルミーナの舌が指先に滴る鮮血を……艶めかしく、指先をなぞるように舐め取った。指の切れ目は――ルミーナが血を舐め取ったと同時に塞がっていた。切れた痕も残っていない。……感覚的に、ルミーナが契約中に回復魔法を使ったとは思えない。つまり、これも契約の一環なんだろう。

 ルミーナの舌に乗った血は口の中に入れられ……キュイン……とかいうとても微小で聞き逃してもおかしくない高音が鳴った俺の番だと言わんばかりの反応を示すので……俺もルミーナがやったのと同じように血を舐め取る。

 こちらも同様舐め取ると傷口は塞ぎ、何事もなかったかのように戻っており、舌の上に乗った血は、血特有の鉄の味を感じるよりも早く、舌の上から血が消滅した。

「――契約完了ね」

 口内から鳴ったであろう微音を聞き取っていたらしいルミーナは、いつの間にか周囲も晴れ、足元にあったはずの魔法陣もなくなったこの世界で――目的地に向かって歩み始めた。

「なんか……実感がわかないな」

「相手が物理的に見えている状態だと、感じることがないからね」

 今から地球に帰るので、早速試すような行動はとれない。

「でも大丈夫よ。新谷にはまだ感じられないものらしいけど、魔力を感じ取れるこの地の者にはわかるわ。――二人が、魔力的につながっていることをね」

 魔力を感じ取れる現地の人の中でも、魔法使いという複雑且つ多様な魔法技術を使いこなす少数派で、その中でも卓越した能力を有するルミーナが言う魔力的な発言には……魔力と無縁な世界出身の俺にも信憑性がある。

「そろそろ別れね。技は使える?」

「クールタイムは確実に終わってる。後は俺が知らない領域の話だな」

 初めてこの地に降り立った場所――リンゴの木に似た木の下に着いた俺たちは、この地で初めてルミーナと顔を合わせた立ち位置と全く同じ位置に立つ。天気は……快晴。雲と太陽らしき惑星の位置以外、昨日見た風景と同じ景色だ。

「色々考えることもあるだろうし、それこそ異世界人の為に使わなきゃいけないから、また会えるのはいつになるかわからないけど……ずっとこの付近の山で待ってるわ」

「都合が会えば明日にでも直ぐ来るさ」

 道中今後の話ばかりしていたので、この木の下で話す内容は特にない。でも、それでいいんだ。ここに居続けると……妙に変な感情を抱くからな。例えば――もう少し居たい、とか。ルミーナも連れて行きたい、とか。

 心地よいそよ風が止んだのをきっかけに――

「今回は特別に全文言ってやる。本来の感情を籠めるつもりはないけどな」

 ≪エル・ダブル・ユニバース≫には、魔法で言う詠唱文みたいな台詞も一応存在している。最後の一文だけ言えば発動するので、今まで言うことが無かったが――また会えるかわからない邂逅を果たした相手になら、全文言う価値があるだろう。

 今回に限って全文言う意図を当然理解しているルミーナは、どこか寂し気な、何とも言えない表情を浮かべている。

「新谷家の眷属・新谷萩耶が神使の妖狐に願い奉る。世界を終焉へと誘う転移者への制裁を、武力を以て下した。此れを報復と看做し、我に転移者返還の力を与え賜え」

 もっとはきはきと威厳を持って言うべき文章だろうが、別にルミーナに制裁を下したわけでもなければ、報復したいとも思っていない。寧ろ――人生の転換点となるであろうこの邂逅に――感謝すべきだと思っている。それなのに過激で威勢のある発音で言うとか……到底出来なかった。

「――≪世界(エル・ダブル)転移(・ユニバース)≫」

 最後の台詞を吐いたと同時に……

 ――ピキッと、手を指し伸ばした先の虚空に……空間の裂け目が生じた。

「……この世界でもできるようね」

「そうみたいだな……」

 その裂け目は徐々に膨張していき、ルミーナを元居た地に戻す為に出現させた時と同じサイズまで広がった。地球と異世界での外見の差はない。

 後は入るだけになった裂け目を前に――俺はルミーナに正対する。

「ついてくるんじゃねーぞ?」

「そう言われると付いて行きたくなるでしょ?」

 冗談というか気を和らぐつもりでにやけると、ルミーナも少し緊張感が和らいだのか、引き攣った笑みで二ッと返してきた。ちょっと……無理してるな。それもそのはず、ルミーナにとって、久しぶりの刺激、久しぶりの人類との接触だったから。俺はこういう別れを毎日のように送っているのでそこまで気が病まないが、普通の人は気が病むに決まっている。

「最後に、一つ――ただそう呼んでるだけかもしれないが、もしかすると誤解してるかもしれないから言っておく」

 冴えない顔をしているルミーナに背中を向け――

「俺の名前は萩耶だ。新谷は家名だ。地球――特に俺が住んでいる地域は家名・名前の順番で構成されている」

 最後に話すような話題でもない気がしたが、今後一生会えない可能性を考慮すると、最後にこの話を持ち掛けるべきだと思った。そしたら俺の名前が今後長らく脳内に残りそうだし。こうすることで逆に会えない悲しみから苦痛を与える可能性もあったが、それでも俺は、また会える方に賭けた。

 ルミーナ。お前をルミーナと呼んでいるのは、最初にお前が名乗った時「ルミーナ・エ」で翻訳魔法が切れ、ルミーナと呼ばざるを得なかったからだ。それが定着してしまい、家名だと思われるルミーナをずっと呼んでしまって申し訳なかったな。

 訂正してこない辺り、もしかすると異世界人の名前は人名・家名の順で構成されているかもしれない。なので次会った時には何って呼んで欲しいか問うつもりでいるが――その話を忘れない為にも、先に俺の呼び方を変えてもらうぞ。次会った時、俺を名前で呼んで――その話をネタにでもして、魔物の肉に大口開いて噛みつこーぜ。

 わざと声に出して言わず、歩みを進め――

 差し伸べた手を、裂け目に――接触させる。

 直後、周囲が目にも止まらぬ速さでホワイトアウトしていき――

「――またね、萩耶」

 視界が殆ど白く染まっていた頃、背後に――小さく――

 泣いているのか、震えた声で――

 ルミーナが、俺の名を――呼んでいた。

 また会う可能性を残した――『またね』と共に。



異世界の金銭設定は日本円表記ではない為、ここに再度記載しておきます。

青銅貨1枚:1円

↓10枚

銅貨1枚:10円

↓10枚

銀貨1枚:100円

↓10枚

金貨1枚:1000円

↓10枚

白銀貨1枚:1万円

↓100枚

白金貨1枚:100万円

↓10枚

王貨1枚:1000万円



また、物語の本筋とは関係がない為後書きで補足しますが、

「ここはラズガーンやドズベンよりもっと恐ろしい魔物が蔓延る世界よ。龍なんか年一以上で見れるわ」

というルミーナの発言ですが、異世界の魔物名を言っていても萩耶とは現状≪トラスネス≫を介して会話しているため、萩耶の耳には地球の酷似した動物に変換されてクマやシカと言われているように聞こえています。萩耶は≪トラスネス≫に関してそこまで説明を受けていないので知りませんが、ルミーナはそれを理解した上で発言しています。

今後萩耶が理解・直面した異世界の固有名詞はそのまま表記しますが、未知で例えられた場合且つ≪トラスネス≫中の場合は上記のような変換が行われていることとなります。

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