月の娘に仕えた男
月が美しく輝く夜、娘が生まれた。
彼女の髪の色は同じように美しく輝く、月色だった。
その娘は順調で問題なく、分かりやすく言えばすくすくと育った。
母からの美貌を、忠実に受け継ぎながら。
男女関係なく、人々はその娘に恋をした。
娘が町を歩く。
人々は何も言わず、道を開ける。
娘が歩く道の、邪魔にならないために。
一人の少年が走っている。
少年の母は重い病気に侵されていた。
その薬が、やっと手に入ったのだ。
これで母親の病気は楽になる、と少年は薬を強く握り、喜びながら走っていた。
少年が曲がり角を曲がったとたん、誰かとぶつかった。
月色の髪をした娘だった。
娘に見とれていた人々が息を飲んだ。
娘の体が、衝撃でグラリとよろめく。
近くにいた長身の男が娘の体をしっかりと抱き止め、転倒を阻止した。
「お怪我はないですか。」
娘は突然の出来事に驚いた顔を見せながらも、ぎこちなく頷いた。
男が、汚れもしなかった娘の服をポンポンとはたく。
良かった、あの子は怪我をしなかった、と分かり、人々の顔に安堵が浮かぶ。
少しして、その顔は次に少年に対する怒りを浮かばせた。
人々の声が道に響く。
「何て危ない子なんだ!!」
「無礼にも程があるよ!! 一体何処の子だい!?」
「俺、知ってるぞ! あの貧乏な女の息子だ!」
少年は、月色の髪の娘をこんなに間近で見たことは初めてで、呆然としていた。
ハッと気付くと、自分に向けられている人々の声と、視線に気付いた。
少年が、人々の容赦なく冷たい言葉に泣きそうな顔になる。
それでも怒りの声はやむことを知らない。
娘が、白く美しい腕を空に上げた。
途端に人々は口をつぐむ。
娘は少年をじっと見つめた。
少年は震えながら、その視線に見つめ返す。
「帰るわ。」
娘が男に言った。
少年に背を向け、きびきびと歩き出す。
さっき娘を助けた男が少年に一礼をした。
その後、同じように背を向け、娘の後ろについて行った。
馬車の中が揺れている。
娘が、もう遠くに見える町を窓越しに見た。
「あのときはどう答えればよかったのかしら。」
娘が男に問う。
「父君や母君と話すような難しい言葉ではなくていいのです。ただ、『大丈夫?』『前はちゃんと見て歩きなさい』、こんな感じで話しかければ。」
しょんぼりとため息をつく娘。
「大丈夫。またこういうときになったとき、言えばいいんですよ。」
娘の頭を、男が優しく撫でた。
娘が、窓の外に見える月明かりを浴びている。
娘は昼より夜が好きだった。
太陽の下は眩しすぎる。
月の光は眩しすぎもないし、暗すぎもないから、とても落ち着く。
「お父様達は、どこかの国と戦争をすることしか考えていないのね。」
「そうですね。」
「……貴方の、その嘘を付かない所、好きよ。」
娘が少し皮肉混じりに言って笑った。
男が笑みを返しながら一礼する。
大きく、深紅の色をしたベッドに娘を入れ、男は部屋の明かりを消した。
「おやすみなさいませ。」
「待って。」
部屋のドアを開け、出ていこうとした男を娘が引き留める。
男が再び部屋の明かりを付け、娘の枕元にまで足を進めた。
「どうかなされましたか。」
娘の目が、じっと目の前の男を捕らえる。
手を伸ばし、男の手を握った。
白く美しい腕は、深紅によく栄える。
「心配しなくても大丈夫ですよ。今日は寝る前にちゃんとトイレに行ったから明日の朝ベッドの中が濡れていることなど」
「貴方、何を勘違いしてるの?」
娘が赤くなりながら男に怒る。
「申し訳ありません、間違っておりました。大丈夫ですよ、夜中寝ている間にお化けが入ってきたとしてもこの私が」
「貴方、嫌いよ!!」
娘は手を男から離し、ベッドの中に顔を隠した。
男は肩を少し震わしながら、膨らんだベッドを撫でる。
少し、この小さなレディーをからかいすぎてしまった。
「申し訳ありません、また間違えておりましたか。あぁ、どうか拗ねないで下さい。」
男の笑った顔を、娘が少し顔を出して睨む。
男が、わざとらしく肩をすくめた。
娘は呆れるようなため息を付いた後、ベッドの上で上半身をおこした。
「貴方に命じることがあります。」
娘の視線が威厳を持つものになった。
男の目も、さっきのような子供をからかって楽しむ視線ではなく、娘に敬意をはらったものに変わる。
「私に出来ることなら、何なりと。」
男が自分の胸に手を当てた。
その光景を確認した娘は、よく通り、凛とした声を、広い部屋に響かせた。
「私が、私の両親を殺せと言ったら、貴方は殺してくれますか?」
男は、目の前の娘を凝視した。
この歳にして、気が触れたのか。
いや、違う。
娘の瞳の様子は、変わってなどいやしない。
「答えなさい。」
娘の声が男を促す。
男は、自分の気持ちを正直に言うことにした。
第三者にもしこの会話を聞かれたのなら、とがめられるだけではすまないだろう。
だが、この部屋には二人だけしかいない。
男は、娘が母乳を主な糧としてた頃から、娘を知っていた。
「貴方がそれを望むなら。」
「私が、この国を壊せと言ったら、貴方は壊してくれますか?」
「貴方がそれを望むなら。」
「私が、貴方の両親を殺せと言えば、貴方は殺してくれますか?」
「貴方がそれを望むなら。」
「私が、私を殺せと言えば、貴方は殺してくれますか?」
「貴方を殺した後、私が自ら命を断つのを許してくれるのなら。」
娘が、男の言葉に一瞬目を丸くする。
男の顔は、本気だった。
娘の顔に微笑みが浮かんだ。
「貴方のその忠誠を信頼して、命じます。これは頼み事などではありません。命令です。」
「……承知。」
窓の月がまた傾く。
娘の顔の陰の位置が、微妙に変化していっている。
男も、その例にもれず。
「私がこの国の頂点に立つまで、その血と骨を私のためだけに使い、私を支え続けなさい。私を慕う者達を集め、私を邪魔に思う者達を排除し、私だけに仕えなさい。そしてもし私に何かあったら、貴方が考える最善の策でこの国を動かしなさい。半ばで私の前から消えることなど決して許しません。ずっと側にいると、ここで……誓いなさい。」
波紋がやんだ水面のように、静寂が部屋を包む。
男と娘は、結ばれているように、互いの瞳を見つめ続けた。
月と、この惑星のように。
男が膝を折り、娘の前でひざまづく。
娘の小さい手を、大きな手がとる。
娘はその様子をじっと見つめた。
「この身、いつか朽ちようとも、全ては、貴方様のために。」
娘の手の甲に、男は口付けた。
男が娘の顔を見て微笑んだ。
娘も笑みを浮かべる。
「あぁやはり。」
「なぁに?」
「貴方は拗ねた顔より、笑った顔の方が美しい。」
「女王様、この国は『腰抜け国』と呼ばれているのをご存知ですか!?」
「貴方のお父上の時はこんなことはなかった! 先代国王は勇敢に戦い、そしてこの国を栄えさせていったのです!」
「今こそ開戦を、女王様!」
とある国の真ん中に建つ、巨大な宮殿の一室で玉座に座る女王がいた。
彼女の髪は息を呑むほど美しい、月色だった。
大臣達の言葉を、目を閉じ、静かに聞いている。
目の前の喧騒を、目を開けてまで見るほどの価値はない、と判断しているのだろうか。
その意味に大臣たちは気付かず、自分の感情に任せて物を言う。
その隣には、黒い髪にほんの少しだけ白髪混じりの召使い。
大臣達が一言話す度、召使いの眉間に、一本ずつ深い皺が刻まれていった。
「女王様もしや眠っているのではないでしょうな? 女王様が本来活動するのは夜ですからなぁ。」
大臣の一人が馬鹿にするように言った。
他の大臣達からも、明らかに嘲りの笑いが上がる。
召使いの頭にカッと血が登り、とうとう爆発した。
「黙れ! 立場をわきまえろ大臣ども! こちらが何も言わなければ好き勝手に───!」
「おやめなさい!」
部屋に、よく通り、凛とした声が響いた。
今まで閉ざされていた女王の灰色の瞳が開かれ、その瞳が隣の召使いを強く睨む。
「今話しているのは、私と大臣達なのです。他の者が出る幕ではありません。立場をわきまえていないのは、貴方の方ですよ。」
召使いが苦虫を噛み潰したような顔になる。
女王、そして大臣たちに向かって深く頭を下げた。
「…申し訳ありませんでした。」
「大臣達、召使いの粗相をお許し下さい。」
女王も、謝罪の意を示して、大臣達に頭を下げた。
頭を上げたとき、女王のその顔には怒りが映されていた。
その怒りの根源は、召使いではなかった。
「大臣。」
「何でしょうか?」
「確かに私の父は勇敢でした。この国の強さに誇りを持っていた。」
誰かがフン、と鼻をならす音が聞こえた。
「そしてその誇りのために戦争を繰り返していき、勝ったとしても無茶な戦法ばかりで戦死者が多数。一時国民達の数に深刻な打撃を与えましたね?」
「…。」
「そうですね!?」
確認を示す女王の声には、誰も答えなかった。
否、答えられなかった。
さっきの、まるで沈黙を象徴とするような人物と本当に同一人物なのだろうか。
女王の憤怒の表情を見るのは、ここにいる大臣全員が初めてだった。
女王の怒りの声は、全身を針で突き刺される感覚に近かった。
針に応えられるものなど、大臣の中には誰もいない。
大臣達の背中に大粒の汗が流れた。
大臣に限らずとすれば、ただ一人答えられる人物が女王の近くにいるのだが─────わざわざ記述しなくてもその人物が誰かは分かりきっていることだ。
女王が玉座から立ち上がる。
長い髪が揺れて輝き、威厳あるその姿を引き立てた。
先代国王の面影を、確実に今の女王は受け継いでいることに、大臣たちはやっと気付いた。
自分たちがあれほど女王に進言できていたことが、今は信じられない。
「誇りが何です! 国民がいない国に意味などあるのですか!? 確かにこの国は昔と違い他国に馬鹿にされているところがあります、ですが、今この国は平和と笑顔を育めています!」
口を挟むものは、誰もいない。
女王の声と姿は、完全にここにいる人間達の心を引き付けていた。
「男達は、朝から晩までこの国のため働いてくれ、女達は、腹を痛めて子供を生んでくれ、この国の国民達を増やしてくれている! これ以上の幸せと感謝を、私は感じたことはありません!! 貴方達は、国民に対してそんな感情を持ったことはありませんか!? 貴方達はこれでは満足できませんか!? 世界の頂点にこの国が座ることを、そんなにも求めたいのですか!!? この王家は、それほどまで愚かだったのですか!?」
宮殿内が静かになる。
女王のあらゆる問いに答えられるものは、いない。
女王が荒い息を整え、今度は落ち着いた声で言った。
「これでも開戦したいという者は、手を上げなさい。」
静寂が部屋を包む。
召使いは、女王の隣でわずかに、本当にわずかに口角を上げた。
女王の、月色の髪を愛しげに見つめる。
あんなか弱かった少女が───ご立派になられてくれた、本当に。
あの日の言葉通り、貴方はこの国の頂点に立たれた。
戴冠式の、貴方の誇らしげな顔は、昨日のことのように、まだ瞼に焼き付いています。
恐れながら、来世までこの記憶は持っていかせていただきます───姫。
女王の横顔が、自分と同じように口角が上がっていることに気付き、召使いは、ゆっくりと目を細めた。
この身、いつか業火に焼き尽くされようとも。
この身、いつか穢れに満ちようとも。
この身、いつか朽ちようとも。
─────全ては、貴方様のために。
月に、その身を愛された─────貴方様のために。
おまけ(のくせに長いぜ!)
「あぁ疲れた。」
「お疲れさまです、姫。」
「姫じゃない、女王!」
「私から見たら姫はいつまでも可愛い姫様です。」
召使いが微笑みながら、机に茶菓子と紅茶をおく。
まったくもう、と言いながら、しかしあまり怒ってない様子で女王が紅茶を飲んだ。
「有り難う、美味しいわ。」
「それは何より。」
召使いも、いそいそと自分のカップに紅茶を注ぎ、茶菓子を口に運ぶ作業を始めた。
「……ちゃっかり自分の分も用意してるのね。」
「誰かと一緒に食べた方が、お茶はさらに美味しくなるでしょう?」
「フフ、否定は出来ないわね。」
微笑みを消した後、チラ、と女王が召使いを見る。
しゅん、落ち込むように頭を垂れた。
「……さっきは怒鳴ってごめんなさい。」
召使いは頭を落としそうな勢いで、首を横に振る。
「何を仰るのです。私が出しゃばったための、当然の対応でしたよ。こちらこそ、本当に申し訳ありませんでした。」
女王のしゅん、とした顔が、更にしゅんとなった。
机に肘を付き、まるで遠くを見つめるような目をする。
「それにしても、年をとると怒りっぽくなるっていうのは本当だったのね……私も気をつけなくちゃ。」
「……今のはさすがに傷つきましたよ。」
女王がイタズラっぽく笑った。
召使いが眉間に皺を寄せる。
先ほどの会議で見せた顔とは違い、少しいじけたような雰囲気で。
「それにしても……あの大臣どもめ、女王がどれだけこの国のため尽くしてくれているか知らず……。あぁ、今思い出しても腸が煮えくり返る!」
「まぁ、そんな言い方をしてはいけないわよ。」
女王が、その言葉にとがめるように眉を寄せた。
「しかし……。」
「あのハゲでビール腹で口先ばかりで彼女いない歴五十年っぽい間抜け大臣どもなんて。」
召使いが吹き出した。
女王も大声で笑いだし、召使いも笑い出す。
部屋にしばらく笑いが満ちた。
しばらくして、召使いが何か思い出したように、ポン、と軽く手を叩いた。
「あっそうそう女王、お疲れのところ悪いですが、もう一つだけお仕事が。」
召使いが立ち上がり、部屋の扉の近くにある戸棚まで歩いていき、収納棚を開ける。
仕事の内容が分かった女王が、うめき声に近い声を上げる。
「いいって、私はまだそんな気持ちはまったく……。」
ドン!と音がして、召使いが戸棚から出し、運んできたものが物が机に落とされた。
一仕事終えた召使いが、トントン、と腰を叩く。
机に大量に散らばった白い紙。
判子を押す書類にしては、一枚一枚が厚すぎる。
「いいえ、今日こそご決断いただきます!!姫様の、」
「あー、それ以上は言わなくて良い!」
「婿様選び!」
あ〜もう…と女王はうなだれる。
机の上には、大量の見合い写真。
爽やかに白い歯を見せている青年、無邪気に笑っている男の子、妖艶な視線でこちらを見つめている中年など。
「さぁ、より取り見取り、張り切ってどうぞ!!」
召使いが、グッと力強く拳を握り、女王に激励を送る。
女王が両手で机を叩き、勢いよく立ち上がった。
「私は、今は何処にも嫁にも姉にも娘にもなって行くつもりはないの! 貴方には何度も何度も言っているでしょう!!」
召使いも、お返しとばかりに机を勢いよく叩いて、机越しに身を乗り出してきた。
「いけません! 姫様も齢二十のお年頃。国のため民のため、身を固めるご決意をしてもらわねば!!!」
女王がグッと召使いの顔に詰め寄った。
二人の距離は、目と鼻の先だ。
「分からず屋!」
「その言葉、紙に包んでお返しします!」
「白髪頭!」
「老いから来るものです、何も恥じることはありません!」
「頑固!」
「貴方には負けます!」
「大嫌い!!」
「結構!!」
テンポの良い会話が続けられた。
あーもう!と女王は怒りながら、乱暴に椅子に座りなおし、破るような勢いで見合い写真を開いていった。
机から落とされた写真が三桁に届きそうになった頃、女王が召使いに言った。
「…………ねぇ。」
「何でしょうか、姫?」
「人にさんざん言ってくる貴方こそ、身を固めさせてくれるような相手はいるの?」
召使いの答えがない。
疑問に思って目を向けると、逸らされた。
主君の視線から目を逸らすとは、なんと不躾な召使いか。
この女王は、いちいちそんなことを言うつもりもないが。
「恐れながら、その質問に対しては後日させていただくと……」
「……はい、分かった、いないのね。」
「わ、私は!!」
召使いが突然出した大声に、女王の体が椅子から跳ねた。
も、申し訳ありません、と召使いがおどおどと謝罪する。
「世界で、いえ、宇宙で最も気高く気品があり知性があり、そして最も美しい美貌の持ち主を毎日見ているのです。自然に目が肥え、一般の女性では満足できなくなることは詮無きこと。それを考えれば、この歳になって独り身なのも、また、詮無きことなのであります!」
女王が、召使いの気迫に呆然としている。
ポカーン、と言う言葉が似合う、間抜けな顔の女王は、その表情のまま、じわじわと顔を赤くしていった。
召使いも、段々と自分がどれほどのことを言ったか理解していき、じわじわと顔を赤くしていっている。
「言ってくれるわね、……召使い。」
「……本当のことでございます。」
「じゃあ、私も女王として、言ってあげるわ。」
「え?」
物心付いたときから、ずっといてくれた召使い。
今はもう当時の若々しさは無くなりかけ、白髪が生えてきて、小皺も増えてきた召使い。
そんな男を王女はじっと見つめた。
「あの日の私の命令、と誓いを覚えてる?」
あぁ…と召使いは呟いた。
「忘れたことなどありません。」
目を細め、女王を見つめ召使いは微笑を浮かべた。
女王はその言葉に、すこしホッとした顔を見せた。
「良かった。忘れられていたらどうしようかと思った。……実は、あの言葉ね、」
「はい。」
女王が、机に付いていた肘を、反対の肘に変えた。
すこしはにかみ、笑いながら答える。
「プロポーズのつもりだったのよ。」
「………………。」
召使いの、言葉にもならない声が国中に響きわたるのは、あと数秒のこと。
こんな可愛いノリの女王と召使いはどこかにいるんじゃなかろうか。
世界って広いし。
いてくれることを希望する。
月色の髪がどんな色なのかは皆さんがお好きな色で。
金色かもしれないし、白いかもしれないし、淡い水色かもしれない。
月色って言ってもいっぱい色があるしなぁ。
関係ないけど今年の日食見たかったなぁ。




