神宮の一の鳥居のすぐ近く
この地に着た時、お酒を出す店を出す。
夫が昔ソムリエだった経験や人脈を使って開店にこぎつけた。
チラシも作った。
経営者は一応私の名前だったが、実質的なものは全部夫が仕切っていた。
店の閉まる時間に合わせて車で迎えに行く。
お客から酒を飲まされることもあったので、送り迎えを車でしていた。
閉店時間は深夜の1時である。
しかし、お客と話が弾めばその限りではない。
その時間を持て余し、店のチラシを用意してマンションへのポスティングをすることにした。
車を邪魔にならないような場所に駐車して、マンションのポストを探して入れる。
北海道大神宮の参道沿いには高級マンションが立ち並んでいる。
ポストの場所が、入れる人と住民が顔を合わせないように別の入り口があるような新しい高級マンションを狙ってポスティングをしていった。
全体的に月に2回チラシが入るようにしていた。
真夜中を高級マンションが林立する中を大量のチラシを持って歩いていた時の事である。
●北海道神宮一の鳥居を横切った。
コンクリートで作られた片側2車線の端から端まで渡るほどの大きな鳥居だ。
通り過ぎた。
瞬間、ドキッとした。
目の錯覚か?
振り返れない。
車道側を歩いている。
太さが一抱え以上もある鳥居の足の向こう側に彼女は居た。
結い上げられていた髪が、ばさりと崩れ落ちている。
着崩された派手な模様の赤い着物。
鳥居のコンクリートに縋るように弱しく立っていた。
一ブロック分歩いてから振り返った。
そこには誰も居なかった。
痩せた遊女のような姿はどこにもなかった。
札幌で遊女?遊郭があったなんて知らない。
何日か後に夫に聞いてみた。
「ああ、ススキノって繁華街でしょう?あれは昔からでね。昔は、遊郭もあったようだよ。
遊女の霊が安らぎを求めて鳥居に縋っていたのかも知れないし、あの近くにはお寺もあったから、今は移転されたお寺の無縁仏だったのかもね」
神社の鳥居という場所は、本来ならば聖域への結界のような意味と捉えられているが、実際の鳥居の付近には、逆に禍々しいものが寄ってきている気がする。
真夜中の住宅街の暗がりで、緋色の着物を着崩した女がそっと浮かびあがる。
暗い暗い鳥居の闇の中から。
哀しい光景である。
●やはりその辺りのマンションでの事。
いつもの通り、深夜一時くらいにポスティングしていた。
時間が、時間だけに人に出会う事はごくわずかだった。
時折、会っては、
「お邪魔しております。近所でワインバーをしております。宜しければご覧くださいませ」
等と言えば、そう悪い顔もせずに手に取ってくれたり、「お疲れ様」とかの声を掛けてくれたりもあった。
そこは、少し古いマンションだった。
しかし、高級マンションで、1階部分のロビーやポストの場所が広く摂って有った。
ポストの奥も広い。
良く見えるのは、向こう側のポストが下半分だけの扉で、こちらからの扉を覗くと奥まで見えるのだ。
まあ、わざわざ覗こうとしたわけではない。
スタン、スタンとテンポよく入れていく。
斜めに入れると片手で入れられるが、顔の位置に来るとチラシに力が伝わらないので、片手で蓋を開けて入れていた。
その時。
蓋を開けた瞬間に、そのポストの奥に人と目が合った。
ポストの奥行き30センチ程だろうか、その奥に人が居て扉を開けこちらを見ている。
ギョッとしたが、驚いたのは向こうも同じだろう。
思わず閉めたが、対応が悪かったなと感じ、
「・・・・失礼いたしました。チラシを配っていました。驚かせて申し訳ありません」
しばしの沈黙とつばを飲み込んでから、非礼を詫びるも応えはない。
ああ、驚いていた時に行ってしまったか。
そらー驚くよな。
とか思いつつ、もう、だいたい入れていたので最後までは入れずに、そのマンションを後にした。
その後も時間が来るまでポスティングをしていた。
そして、その日が終わって、次の日くらいだろうか。
なんとなく、皆が暇なときに昨日こんな事があって驚いた。と話した。
「そりゃー驚きますよね~」などと言い合っていた。
また数日が経った頃、なんとなく、その瞬間を思い出していた。
すると、絶対無理な位置に顔、というか一対の見開いた目が合った事に気付いたのだ。
ポストを覗くと、人の顔の両脇に5センチくらいの隙間が空き、光が入る。
しかしあの時の目は、ただ見開いた目が暗い向こう側から見ていたのだ。
人の大きさではない。
それに、その前にポスティングで近づけば、その奥に人が居るか居ないかが分かる場所だったが、いきなり目の前に現れた。
私は、人の目の倍の大きさのある何かと、ポストの奥行き30センチほどの距離で見つめ合ったのだ。
以来、そのマンションに1か月後に行ったが、ポスティングは蓋を開けずに奥を見ないようにしていた。
いや、どの建物でもポストの奥を見るのが怖くなっていた。
●その夜もポスティングをしていた。
お寺の周りのマンションだったので、気が引けて結局、一回しかポスティングをしなかった。
1人向け用のマンションの様だから、まあ良いか。などと自分に言い訳をしていた。
ポストに入れていくと、上の階からだろうか、
「ギャギャギャギャッ!ギャギャッッ‼」
という声が聞こえてきた。
オウムの声かしら?等と思っていた。
ポスティングが終わってマンションから出る。
不意に、何の気なしに今出てきたマンションを振り返った。
すると、6階か7階建ての建物の3階部分のベランダに、子供が柵を持ちながら座り込んでいるシルエットが見えた。
「ッッ⁉」
悲鳴も上がらない。
ただ、シルエットではあるが、その子供の視線は感じた。
そして、
「ギャギャギャッ!!!」
その子供のあたりから、その声が響いた。
思わず小走りにその場から逃げ出した。
その辺りには二度と行けなかった。
因みに、この最後の話は書いているうちに不意に思い出したものだ。
私は、猿のようなオウムのような声を聴き、しゃがみ込み策を握っている子供に見られていた。
私は何年も忘れて、つい昨日思い出したのだ。
店は結局、認知されるのに時間がかかってしまって、売り上げが伸びて行くのを感じたが、間に合わず、他に迷惑がかかる前に店をたたんだ。
あと一か月持ってくれれば・・・と思ったが、「仕方がない」としか言いようがない。
その後はポスティングはしていない。
そのバイトの募集なども見かけるが、一番やりたくない仕事である。