素晴らしき冷酷な世界について。
短期集中連載です。
3話程度、1万字ほどで終わらせる予定。
案外、世界が変わるなら一瞬なんだ――
たったそれだけで街は半壊し、
たったそれだけで人のDNAは変わり、
たったそれだけで世界は二分された。
西暦2063年、ある夜。
世界にそれは降ってきた。
***
今日は風が強い。
夜、廃墟と化したビルの屋上。
そこから見える景色はいつだって心を奮い立たせた。
屋上のヘリに座って、足を宙に放り出して、夜風に髪をなびかせる。
下を見れば今にも崩れそうな超高層ビル群があって、上を見れば満天の星空。
少年がここに来る時は、きまって首は上を向いていた。手を伸ばすように、あの美しき星々を手に入れたいと願うように。
「あっ」
不意に声が溢れた。
「流れ星」
隣に佇む少女が心の声を代弁する。
瞬きする内に消えていった夜空の線を、少年は今日一番の笑顔で、少女は物寂しそうな目で、眺めた。
「流れ星って三回願い唱えんだっけ?」
少年の純粋無邪気な笑顔が少女に向けられる。彼女は風の吹く西の方角に目を移して、
「そうだよ」
孤独にそう呟く。
少年は次の流れ星を待った。願いを唱えようと待った。
だが少年の願い、最初に浮かんできたそれを、少年は自身の頭から振り払うように、
「えー何叶えてもらおっかな!」
大きな声でそう笑う。風の煩わしい音が耳に張り付いて離れない。
その時、待ち望んだ流れ星が再び舞い降りた。けれど少年の言葉は息詰まる。
「あ、明日体育祭で一位になりますように!一位になりますように!一位に……って消えるの速すぎ!こんなの言える奴いねぇだろ!」
「……そういうもんでしょ」
少女は無愛想に少年の言葉を一蹴する。
「短い時間で三回唱えるには、叶えたい気持ちがとっても強くて、普段から願ってるぐらいじゃなくちゃダメ。そのジンクスってさ、要は言えた人が叶えられる物じゃなくて、叶えられるような人は言えるって話なのよ」
「そーいうもん?」
「えぇ」
今日は風が強い。
遠くの廃ビルの窓から明かりがまた一つ消えた。
夜空に浮かぶ星は、手で掴むことも言葉で掴むことさえもままならない。
そんな肥溜めに巣食う僕らだった。
夜風は少し、寒すぎる。
***
ジャコジャコ。歯ブラシが豪快に音を立てている。
クチュクチュぺー。吐き捨てるように水を口から出して。
カラン。歯ブラシを元の位置に戻した。
ゴシゴシ。顔を洗ってタオルで吹く。
ぷはぁー。目を見開いて肺一杯の空気を取り込んだ。
2089年、5月31日。カレンダーにはでかでかと書かれた太丸があった。体育祭という文字と共に。
アドレナリンが発せられているのが自分でも分かる。今日は待ちに待った体育祭。死ぬ気で鍛えたこの体を無駄にはしない。
そう誓った時だった。
「ふひょー!!大志っ!迎えに来たぜー!!」
ガラスが抜けた窓穴から、そいつはやってきた。
「ちょ!!龍馬!お前家荒らすな!!」
「えーいいじゃんどうせすぐボロ出るぜ?……よいしょっと」
龍馬は鞍から降りてそう笑う。
俺は廃ビルの三階に住んでいる。にも関わらずこいつが窓だった穴から入ってきたのは、巨鳥に乗ってきたからだった。翼竜と言ってさしあたりないような巨大鳥に乗ったままダイレクトに窓から入ってきたのだ。
「おっ!美味そうな飯あんじゃん!椎名さんもらってきますねこれ!」
しかもこの男、勝手に朝食を盗んで口にしやがった。パンをちぎって半分は自分の胃に、もう半分は俺の口に押し込んでくる。流されるままに飲み込み、流されるままに玄関に立たされる。幼い頃から同棲している椎名に、「行ってくるわ!」元気にそう言って古びたドアを開けた。椎名は黙って少し口角を上げた。
三階から一階に、階段を一個飛ばしで、飛ぶように降りる。ビルの入口には巨鳥の上に寝っ転がった龍馬が待っていた。
体育祭の会場までの道を歩んでいく。何年も舗装されてないアスファルトはいつものように歩きにくかった。
廃ビル。
巨鳥。
舗装されていないアスファルト。
……世界の歴史に思いもよらないページが追加されたのは、今から26年前だったと言う。
2063年、ある夜。
世界に降ってきたのは、隕石だった。
巨大隕石が関東平野北部に衝突し、落下先の都市は当た方もなく消滅――
さらにその隕石に付着していた未知のウイルスが拡散され始めた。
結果、世界は二分された。
ウイルスを隔離するため、当時の世界政府は隕石落下地点から半径200kmの円周上に超えることのできない壁を設置した。その中には世界的巨大都市であるここ、東京も含まれていた。飛行機で壁を越えようものなら問答無用で戦闘機に落とされる。それほどまでの厳重体制で隔離され、既に26年。ここまで徹底的に隔離がなされたのは、そのウイルスが圧倒的に強すぎたことにある。致死率は0に近かった。しかしこのウイルスは人の、生物のDNAそのものを大きく変えてしまった。
牛はカエルのように小さくなり、
ネズミはエラ呼吸を開始し、
鳥は大きく肥大化した。
そして人間には、新たな能力が芽生えた。いわゆる、異能である。
小説や漫画の中でしか存在しない。そんな物語の世界のものが現実で、使えるようになった。そうなってしまった。
異能を手にした過激派の人々は犯罪に走った。
その犠牲に何十万もの命が消えた。
かつての世界都市、東京は見る影もなく崩壊。
経済は廃れ、治安は最悪で、せいぜい電気と水道が使える程度のインフラ環境の中、
誰しもが憧れた、その異能を、誰しもが恐れていた。
建物は朽ち始め、
コケは生え始め、
食糧不足で人口は激減し、
時は無慈悲にも圧倒言う間に過ぎ、
そしてその時になってようやく一つの休暇が舞い降りた。
遅すぎた。
平穏が来るのは、あまりにも遅すぎた。
今、この東京の人口は50万人を切っている。
「まー俺たちラッキーだったよなぁ。今やこうして平和に体育祭なんてイベントにも気楽に参加できるわけだし」
龍馬はそう語る。
でも本当か?
本当に俺たちはラッキーなんだろうか?
屍の上に築かれた山頂で、素直に登頂できたことを喜べるものなのだろうか。
そう思った。だがそう思う心に重りをつけ沈めるようにして、大志はこう言った。
「そうだよな!俺たちってほんっとラッキーだわ」
笑っていた自分がそこにいた。その口は自分が思うよりも饒舌で、スラスラと言葉が吐かれていた。
「最初は体育祭なんて馬鹿げてるって思ってたけど、賞金はあるし子供の部は今年15で最後だし、思い出作りに案外楽しいしな!」
「それそれ!でも大志、お前は賞金狙えねぇだろ。だってお前……異能もねぇし動物には嫌われてるし」
「グッ!!やめろ……心に刺さる…!」
そう、実はこの大志という男。
全員に起きたとされる異能の発現が、おそらく唯一起きていない人間なのである。異能を持つ者はその発現の際、自分の異能がどんな能力なのかを知る。瞬きをするのに意思など要らないように、誰もが簡単に異能を扱えるのだ。そしてその日に何回まで異能が使えるのかが頬に数字として現れる。10だとか30だとか、人によってまちまちではあるが、アラビア数字が頬に黒く刻まれている。このご都合すぎる力に、当初は陰謀説が東京中に蔓延した程だった。だが大志だけは、頬に刻まれるはずの数字も、自分にあるはずの異能も存在していなかった。
そのうえ、車や電車という移動手段が完全に消えたこの社会、巨大化した鳥やら犬やらに乗るのが当たり前になっている。そんな中、動物に嫌われている大志は、もはや絶望的だった。それでも彼が生きていけているのは、単に同棲してる椎名のおかげに過ぎない。そう、要は大志は、ヒモ、であった。
……まぁ15歳で、両親がいない子供なのだ。決して容易に責められるべき存在ではなかった。異常なのはむしろ同じ境遇の癖に高収入を得ている椎名の方なのだ。大志だって十分に努力をしている。体を鍛え、肉体労働で多少の日銭を稼ぎ、そして今日、この体育祭で驚異的身体能力を観客に見せつければ、多少目が止まって仕事が回ってくることもあるかも知れない。そう考えていた。そう考えられるほどには体には自信があった。
体育祭第一種目、100m走。
記録、10秒31。
……プロ選手もびっくりな好記録。さすがは俺といったところだ。
体育祭第二種目、水泳50m。
記録、22秒29。
……プロ選手もびっくりな好記録。さすがは俺といったところだ。
体育祭第三種目、射撃。
記録、50秒で11発。
……プロ選手もびっくりな好記録。さすがは俺といったところだ。
体育祭第四種目、フェンシング。
記録、5戦4勝。
……プロ選手もびっくりな好記録。さすがは俺といったところだ。
……ふむ。
最後まで順調に好記録を出し続けた。
まぁ優勝とってもおかしくないレベルだ。
………………………………もし、皆が異能や動物を使ってなければな!!
最終結果。
順位、下から3番目。
「なぁおかしくないか?なんで体育祭で皆、巨鳥や巨犬に乗ってんだ?俺だけ生身でしかも異能も無かったんだが」
「まぁそんな時もあるだろ!これ何でもアリの体育祭だし!」
龍馬は笑って慰めていたが、それでも気が済まない。この回、15歳の男女100人近くが参加しているわけで、そのほとんどがろくに体を動かしてないわけで……体育祭とは一体?
しかも気になる一位は、椎名である。同棲している、あの椎名である。なんと顔向けすればいいのやら……
***
帰り道の途中、龍馬はトイレに行ってくるとのことで、一人になった大志はくよくよとそう落ち込んでいた。ただ黙って空を眺めていた。
ザザッと音がして振り向く。龍馬だろうと思った脳は、だがその時不意打ちを食らう。そこにいたのは、名も顔も知らない白衣を着た男だった。こちらを気味の悪い目で直視している。
「おっさん、誰?」
最初は仕事を斡旋してくれる人が現れたのかとも思った。行楽の少ないこの世界。体育祭は観客を呼ぶには有効な手段で、その中には当然力仕事の人手を求める者もいる。下から三番目の順位だったとはいえ、当初の狙い通り一人くらいは大志の身体能力の高さに気づいてくれた人がいてもおかしくない。
だが大志の顔は、笑わなかった。
それどころか警戒心を全開にしていた。
理由など明白だった。
こいつはヤバイ。
目を見れば、
顔を見れば、
姿を見れば、
容易に想像がつく。
こいつが、関わってはいけない類いの奴だと。
その警戒心の前に、その見知らぬ男はやや笑みを浮かべて顔を作る。
「警戒しないで良い。私はとある研究所の者でな。体育祭で君を見て、ふと興味が沸いたんだ。君の、何の異能を持っていないところにね」
「……研究所だと?そんな胡散臭い話、誰が信じる?」
「そう言わないでくれ給え。こう見えて私は新型ウイルス対策機構の武力顧問をやってるんだ。君も聞いたことがあるだろう?ここ数年の平穏を実現した、自衛隊に代わる公式の武装組織の存在を」
「そりゃ存在は知ってるさ。だが証拠もなしに誰が信じるかって話をしてんだよ」
「分からない子だね。君に、拒否権なんてないって話をしてんだぞ。それでも首を横に振るのなら、力づくで実験台になってもらうことになる」
二人の間にあるのは、僅か3mの距離と、緊張。
動けば空気が割れてしまうと脊髄が語る。それほどの緊張状態に吐き気がする。
だが怖気づかないよう――
生唾をゴクリと呑み込んで――
覚悟と共に戦闘の構えをする。
しかし明白だった。
本当は……
二人の間にあるのは、異能を持つものと待たざる者との歴とした実力差。
目の前で不敵に笑うこいつは、手から火をメラメラと出している。
火炎放射器を身で行くこいつに素手で勝つことなど不可能。
ひとたび攻撃されればその時に待つのは――
死。
だからこそそれはメシアが天から降ってきたようだった。