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戌亥寺・正面駐車場 壱

 ぶたを上げると下から覗き込む梵天丸の顔が飛び込んできた。


「ボンちゃん……」


 朱理が気付いた事がわかると、梵天丸が手の甲を優しく舐める。いつもより元気がない。


「朱理、目が覚めたのか?」


 横を向くと父が心配そうに見詰めていた。


「お父さん、わたし……それに、ここは……」


 今居るのはクルマの中で、自分は叔父に憑依して暴走した紫織から精神を守っていたはずだ。


「紫織は?」


「おねぇちゃん……」


 英明の蔭からずと紫織が姿を現した。


「よかった、元に戻ったんだね!」


「うん……」


 紫織は何だか元気がない。


「どうしたの? どこか具合が悪い?」


「ううん……」


 英明が苦笑しながら、ポンと紫織の頭に掌を置いた。


「お姉ちゃんに、言いたいことがあるんだろ?」


 紫織がコクンとうなずく。


「おねぇちゃん、あのね……ありがとう」


  何だ、お礼が言いたかったのか。


「紫織を助けたのはお姉ちゃんだけじゃないよ、おじさんとみんなの力だよ」


「うん……それとね、ごめんなさい……なまいきなこと言って」


 紫織に何を言われたのだろう? 色々なことがありすぎて、よく覚えていない。少し考えて、昨朝の修業の事を思い出した。


「おねぇちゃんは、よわくなんてない、とっても強いよ。よわいのはアタシだ。いっつもダレかに守ってもらうか、にげることしかできない。ジィジだって、アタシのせいで死んだんだ!」


「紫織……」


 朱理はクルマを降り、紫織を優しく抱きしめた。


「そんなことないよ、お祖父さんは紫織のせいで死んだんじゃない」


 紫織の気持ちは痛いほど解る。朱理も自分の験力が呼び寄せてしまった魔物に幼馴染みの由衣を殺されているのだ。叔父と母、そして祖父も朱理のせいではないと言ってくれたが、その言葉で罪悪感は消えない。自分と親しくなければ、由衣は今も生きていたはずだ。にも関わらず、朱理は同じ言葉を妹に言った。その言葉では紫織の罪悪感は消えないだろう。だが、それが間違いでないことも理解する時が来るはずだ。


「アタシはッ」


 紫織の肩が激しく震えた。彼女は朱理が今まで感じてきた痛みを、無力感を味わっている。当時、中学一年生の朱理ですら耐えきれないほど辛かった、それをまだ小学五年生の紫織が感じているのだ。


「ゲンリキが強いって言われて、いい気になってた。おねぇちゃんをバカにして、よわいって思ってた。よわいからいっつも守ってもらっているんだって。

 そして、じぶんは守ってもらわなくても、平気だってカンチガイしてた。

 でも、ジィジがいなかったらアタシ、つかまっていたし、さっきもアキにーちゃんとマサムネくんたちを助けられなかった。ぎゃくに、おねぇちゃんとおぢちゃんたちに助けてもらわなかったら……」


「だったら、強くならなくちゃね」


「え?」


 朱理の言葉に紫織が顔を上げた。


「自分の無力さを克服するためには、修業して強くなるしかないの。少なくてもわたしはそう信じている」


 それは叔父も同じだろう。朱理は今、自分が叔父と同じ立場で話していることに気付いた。


「おねぇちゃん……」


 紫織は今まで見せたことない真摯な眼差しで朱理の瞳を見詰めている。妹が変わろうとしていることを朱理は強く感じた。


「あんたはどうする? どうなりたいの?」


「アタシは……アタシも強くなりたい。自分だけじゃなく、まわりの人たちを守れるように、ダレもキズつかなくてすむように、強くなりたい」


 朱理は頷いた。紫織の言ったことは自分が思い続けていることだ。


「じゃあやることは解るね?」


 今度は紫織が力強く頷いた。


「しゅぎょうする」


「二人とも、あまりムリはしないようにな」


 気遣うように英明が言った。


「それに、修業は今までみたいにはできないよ……」


 助手席から明人の声がした。彼はシートにグッタリと身体を預け、窓から石段の上を見ている。


  そうだ、戌亥寺は焼けて……


 何かがこみ上げてきて目頭が熱くなる。駄目だ、今はまだ泣けない。母を取り戻し、求道会を撃退するまでは弱気にはなれない。


 そう思ったところで、ヴォクシーの最後部の座席で瑠菜が横たわっているのに気が付いてハッとした。


「明人さんッ、治療はまだなんですか?」


「自分たちで付けた傷は応急処置をしたけど、この状況だからね」


 明人は無理に微笑む、首には爪痕が突いている。それは瑠菜も同じだし、梵天丸と政宗も後ろ脚に血が着いていた。


「ごめんなさい! 直ぐに……」


「ぼくより先に佐藤さんを」


 朱理は頷くと、後部座席に身を乗り出そうとして動きを止めた。


「紫織、何しているの? みんなを守りたいんでしょ」


 紫織はハッとしたように朱理を見上げた。


「で、でも、アタシ……」


「怖いのは解る。でも、怖がっているだけじゃ、験力を制御することはできない。

 実践に勝る修業無し、だよ。

 薬師如来真言は覚えているんでしょ」


「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」


 紫織は気圧されるように真言を唱えた。


「やれるよね?」


「うん!」


 紫織はそばに居た政宗に向けて、印を結び薬師如来真言を唱え始めた。朱理も瑠菜に薬師如来真言を使用する。


「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」


 瑠菜の首にあった爪の傷跡が塞がっていく。完全に治癒させることは出来ないが、化膿するなどこれ以上悪化することはないだろう。それに呪術によって受けたダメージは大幅に回復したはずだ。改めて瑠菜姿を観察すると顔や服に血が付いている。肌に付着した血はタオルかハンカチで拭ったのだろうが、落とし切れていない。ちゃんと洗って、衣服も交換してあげたい。


 紫織に視線を向けると政宗の治療を終えていた。


「ボンちゃんはわたしがやるから、紫織は明人さんをお願いできる?」


 頷くと、紫織はヴォクシーの助手席に向かった。朱理は二列目のシートで彼女を見上げている梵天丸を抱き上げた。


「ごめんね、助けに来るのが遅くなって」


 梵天丸は何度も朱理を助けてくれている。クーン、と甘えた声を梵天丸は上げた。朱理は彼を抱いたまま印を結び真言を唱えた。梵天丸の脚の傷口が塞がり、元気になっていくのが判る。


 真言を唱え終わると、梵天丸がお礼とばかりに朱理の顔を激しく舐める。


「ちょ、ちょっとボンちゃん、くすぐったいよ!」


 朱理は梵天丸を地面に降ろした。紫織も明人の治療を終えていた。周りを見回し、悠輝と刹那、そして天城の姿が無いことに気付く。三人が何処に行ったのか父に尋ねた。


「ああ、天城さんは裏の駐車場にクルマを取りに行ったよ」


「おじさんと姉さんは?」


 二人に何かあったのだろうか? 刹那は特に何もないだろうが、叔父は紫織の暴走を止めてどうなったのだろう。


「悠輝と御堂さんは、まだ上にいるよ」


 言いにくそうな父に代わり、一喜が教えてくれた。


「なんで降りてこないんです? おじさんに何かあったんですか?」


「大丈夫だよ、たぶん叔父さんは験力ちからを使いすぎて疲れただけだから」


 英明は朱理を安心させようとしているみたいだが、何だか様子がおかしい。


「姉さんは?」


「うん、付き添っているよ……」


  なんで姉さんが付き添っているんだろう?


「まぁ、二人きりにしてやろうってことだね」


 一喜がハッキリと答えを言った。父は娘の複雑な心境に配慮し、言葉を濁していたのだ。


「え? え? それって……つまり……姉さんは、おじさんとのことを?」


「これでハッキリしてくれると、俺は安心できるんだが」


 一喜が幾ら安心でも、朱理はまったく心が安まらない。


「そ、そうだ……朱理、これからどう行動するか決めないと」


 朱理の気をまぎらわそうと英明が話題を変えた。


「え? わたしが?」


「そうだよ、この中で一番修羅場を潜ってきたのは朱理なんだから」


 確かに叔父と母、祖父、そして姉まで居ない状況では一番ベテランの異能者は自分だ。梵天丸と政宗もいるが、二匹は人に指示を出すのは苦手だし、既に期待の籠もった眼差しで朱理を見上げている。


「え、えっと……まず、お祖父さんの確認に……」


 紫織が涙目でこちらを見ている。


「逃げてちゃダメだよ、現実を受け入れなきゃ」


 しかし朱理自身、法眼の死を受け入れられたわけではない。


「お祖父さんが本当に亡くなったのかどうか、わたしはこの眼で見るまで信じない。だからこそ、事実をたしかめに行かなきゃ」


 紫織の瞳から涙が溢れ出た。


「アタシも、じぶんの目でたしかめるまで、ジィジが死んだなんて信じない!」


 気丈に言い放つ妹に、朱理は胸が張り裂けそうになる。


「じゃあ、まずは警察に行こう」


「それは後回しでいい」


 ぶっきら棒な声が石段の上から聞こえた。視線を上げると悠輝と刹那が降りてくる。


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