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クルーズ船『大日』・スイートルーム

 仏眼が郡山から戻ってきたのは翌日の早朝だった。


「これはこれは、会長代理、起きて待っていてくださるとは」


 いんぎんに言うと大げさに頭を下げる。


「もう少し早く済ませられるのかと思ったのですが、やはり兄のほうが貴方あなたより優れた異能力ちからをもっていたようですね。傷は大丈夫ですか?」


 仏眼の鼻の周りは変色し腫れ上がっている。


「御心配、痛み入ります。私の修業不足による結果です」


 空は内心溜息を吐いた。求道会の政治的影響力を強めるため、大きなリスクを抱えてまで真藤遙香に協力を約束させた。しかし、その約束は彼女の機嫌を損ねればいつにされてもおかしくない。遙香に圧力を掛けるためにも仏眼と朋美がいがみ合っていてはまずいのだ。


  とは言え、私が口をはさんでも火に油を注ぐだけ。


 しゆうとめは自分を佐伯の人間と毛嫌いしているし、実の父は法力が弱い娘に失望し彼女は弓削寄りだと思っている。そもそも空と雅俊を結婚させたのはこの二人だし、信じられないのなら彼女の頭の中を覗けば良い。しかし、二人は顔を突き合せていると、あからさまな行為は避ける。だから空は沈黙するしかない。


「後始末に手間取っていました。戌亥寺と戌亥神社から出火し、鬼多見法眼は煙に巻かれ逃げられずに焼死。とまぁ、このような状況になるよう手配しました」


 法眼に手を出しても構わないと言っていたが、遙香はどう出るのか。もちろん彼女に伝えてはいないが、どうせ知っているはずだ。しかし、今のところ部屋で大人しくしている。


「手抜かりはありませんね?」


「無論」


 ツンとした表情で問う朋美に仏眼は余裕の笑みで応えた。戌亥寺はアークソサエティがらみの事件で多少名は知られているが、その程度の知名度なら警察もマスコミも大して騒がないだろう。出火時に駆けつけた消防官や警察官たちの記憶を操作して、後は裏から郡山警察署に圧力を掛けておけば問題ない。


「副会長、お疲れのところ申し訳ないのですが、一つ相談が……」


 海が仏眼に遙香のことを報告した。ある程度は伝えてあるが、改めてここまでの破壊的な我がままぶりを伝える。


「法眼の娘らしい……」


 腕を組んでそう言うと、口をへの字に曲げて少し考え込む。


「会長代理、力をお貸し願いたい」


 朋美に視線を向けると彼女は意外にも素直に頷いた。


「いいでしょう、協力します」


 朋美も遙香には心底腹が立っているのだろう、仏眼でもあそこまで彼女に横柄な態度を取らない。


「海、空、行くぞ」


 仏眼はきびすを返しドアへ向かった。


「休まなくて良いのですか?」


 法眼との戦いで疲弊しているはずだ。


「問題ない」


 朋美の前で弱みを見せたくないのか、それとも本当に平気なのか、あるいは……


  何か、戌亥寺であったのか?


 具体的に何がどうというわけではないが、仏眼から受ける印象が変わっている。いや、印象と言うよりも身体から発せられる法力に変化を感じる。


  今は、遙香を何とかする方が先だ。


 父なら心配はいらない、問題は遙香をどうするかだ。


 仏眼は遙香の部屋の前に立つと、懐から呪符を何枚も貼った大人の拳大こぶしだいの物体を取り出した。


「何ですか、それは?」


 朋美が鋭い視線を呪符の物体に向ける。空もそれから禍々しい気配を感じていた。


「戦利品ですよ」


 自慢げに朋美を見返す。


 朋美は興味なさげに眼を逸らした。本当はかなり気になるはずだが、これが何か問いただしたところで仏眼が何も言わないのを解っているのだ。


 仏眼は両手で握り締め眼を閉じた。


「オン・ギャク・ギャク・役優婆塞エンノウバソク・アランギャ・ソワカ

 オン・キリキリバザラ・ウン・ハッタ」


 聞きなれない真言に続けて軍荼利明王真言ぐんだりみょうおうしんごんを唱えると、仏眼のあしもとから法力の巨大な蛇が鎌首をもたげ遙香のいる部屋を囲うように蜷局とぐろを巻いていく。


 蛇が部屋を囲い終えると仏眼は眼を開き、視線を空に向ける。父の意図を瞬時に理解し、彼女はマスターキーを使い、遙香が居るスイートルームの鍵を開け中に入る。空を押しのけるようにして海と朋美が踏込んできた。


「モーニングサービスは頼んでないけど?」


 遙香は腕を組んでベッドの上に座っている。


 問答無用で海と朋美が法力を遙香に叩き付ける。


 遙香は二人の強大な法力を験力で受け止めた。


 これだけ強大な力がぶつかり合えば『大日』は粉々になってもおかしくない。しかし、仏眼がほどこしたしゆによりこの部屋は守られている。説明を受けずとも、空たちは仏眼の作戦を瞬時に理解していた。


 恐れていた通り、海と朋美の法力を合わせても遙香を圧倒することは出来ない。しかし、それは想定内だ。


「オン・エンマヤ・ソワカ!」


 空は両手でえんてんの印を結び、真言を唱えた。「閻摩」とはサンスクリット語の「ヤマ」に漢字を当てたもので、閻魔大王の原型になった存在だ。空は閻摩天の力で遙香の意識を闇に閉じ込めようとした。


 彼女の法力ではどう足掻いても遙香に通用しない。だが今は別だ、遙香は海と朋美の相手をしており、意識は完全に二人に集中している。


 案の定、遙香は空の動きに気づき一瞬視線を向けたものの、更に激しく空と朋美が法力を放ち、無理やり意識を自分たちに向けさせた。


 空の呪は遙香の意識に届き、遙香の験力が急速に勢いを失う。何とか抵抗しようとく遙香だが、流石に海と朋美、そして空の三人が相手では分が悪い。遂に意識を闇に飲まれ、ベッドの上に横たわった。


  いい気になるからよ。


 空は遙香を見下ろし、口元に歪んだ笑みを浮かべた。


「ようやく大人しくなりましたね」


 同じ様に遙香を見下ろし朋美が言った。自分のことを婆ちゃん呼ばわりし、あからさまにバカにする彼女に報いる事が出来て、少しは留飲が下がったのだろう。


「終わったか」


 仏眼も部屋の中に入ってきた。


「問題なく」


 海が仏眼の問いに答えた。仏眼は娘には一瞥もくれず、息子だけを見ている。


「それでは、わたくしは次の仕事に移ります」


「次とは?」


 きびすを返した朋美の背中に仏眼が問いただす。


「真藤紫織を連れてくるのですよ、貴方あなたが連れてこられなかったから」


「では私が……」


「いいえ、結構。貴方は一度失敗していますし、疲れているでしょう。充分に休養を取ってください」


 有無を言わせぬ口調だ。遙香を大人しくさせた途端に露骨な派閥争いが再開された。


「では、私も同行します」


 口を挟んだのは海だ。


「貴方は真藤朱理を……」


「だからついて行くのですよ、会長代理」


 海は朋美の言葉を遮った。


「真藤朱理は紫織を迎えに行きますから」


 海と朋美が睨み合う。


「……好きにしなさい」


 言い残すと朋美は部屋から出て行った。海と仏眼は視線を合わせ頷いて微笑む。


  まったく……


 空は遙香が意識を取り戻さぬようここから離れることが出来ない。少なくとも娘達を確保し、遙香がより抵抗しにくい状況を完成させるまでは。


 鬼多見を排除しても前途多難だ。


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