クルーズ船『大日』・スイートルーム
クルーズ船『大日』は求道会が所有しており、乗客乗員合わせて千名以上が乗船できる。全長二五〇メートル、全幅三〇メートル、喫水八メートル、デッキは九層からなり、最高21ノットで航行可能だ。信者たちの信仰に見合った料金でクルーズをしたり、国内外の政治家や財界人などを接待したりするのにも使われる。また非常時には移動できる求道会の本部となるのだ。
旅行会社が所有していた船を求道会が買取り、名前も『織姫』から『大日』に変えられた。由来は『大日如来』からだが、『大日本帝国』の『大日』の意味もある。民自党の代議士や有力支持者には右寄りの人間が多く、彼らが抱く印象にも配慮して付けられた。
弓削空は『大日』のスイートルームで朋美と共に、仏眼と海が来るのを待っていた。この部屋に遙香の姿は無い、彼女は別のスイートルームに居る。一応部屋の前に見張りを付けているが、遙香がその気になれば止めることは出来ない。朋美が法力で監視をしているが、空は内心、遙香が出て行ってくれれば良いと思っていた。もう、あの女に振り回されるのは沢山だ。
とは言えこうなった以上、リスクに見合った成果が欲しい。遙香を制御するためには、仏眼と海の異能力が要る。さしもの真藤遙香も仏眼と海、そして朋美の三人が相手ならば勝ち目は無いはずだ。三人が揃う前に何か行動を起こすかも知れないが、家族が人質になる。どこまで遙香が許容するか賭けになるが他に良い策は無い。
空は頭を振った。考えすぎてはいけない、遙香は自分の頭の中を監視しているのだ。
そこへ荒々しくドアを開けて海が入って来た。彼は朋美を一瞥すると申し訳程度に視線を少し落としただけで、直ぐに空に顔を向けた。
「何をしている? あの女に好き勝手をやらせて」
空に向けた体で朋美にも言っている。お前の異能力は、所詮自分や仏眼には及ばないのだと。朋美はそれを承知で、他人事のように聞き流している。
「真藤遙香の異能力はあたなも理解しているでしょう? しばらく感電して動けなかったんだから」
朋美を庇いたいわけではないが、遙香の恐ろしさは海にも認識しておいて欲しい。
「あれは不意打ちだったからだ。鬼多見悠輝と戦っていなければ、あの程度の呪にやられたりはしない」
海は己の法力に絶対的な自信を持っている。それ故、姉を軽視していた。
「まぁ、その悠輝も支配した」
自慢げに微笑む。
「始末しなかったの?」
「そのつもりだったが、思ったより頑丈だ。だから私の手駒に加えた。ちょうどいい、遙香に見せてやる。そうすれば考え方も変わるだろう」
「やめて!」
空は思わず叫んだ。海は自信過剰で、求道会の汚れ仕事を一手に引き受けていることもあり、物事を力で解決しようとする傾向が強い。本来なら遙香を担当するのは空ではなく彼か、あるいは空と海が二人でやるべきだった。鬼多見悠輝は『カルト潰しの幽鬼』などと呼ばれてはいるが大した脅威ではない、求道会がその気になればいつでも排除できる。遙香にこそ力を入れるべきだったのだが、海自身が悠輝との決着をつけたがったのと、彼が遙香を挑発し交渉が纏まらないのを避けるため、空が部下と共に対応したのだ。
成功とは言いがたいが、何とか遙香に協力は取付けている。それを海のせいで反故にされては堪らない。
「本部があの女のせいで、使い物にならなくなったのは知っているでしょう。この船まで破壊されたらどうするの?」
海は苦虫を噛み潰したような顔をした。力押しになりやすい傾向があるものの、彼は決して愚かではない。既に今回の計画で大きな損失を出しているのは理解している。
「で、お前は、遙香に何をされた?」
空に見透かすような視線を向け海が言った。何を言いたいかは明らかだ。
「頭の中をあいつに監視されている……」
朋美の前で弟に自分の失態を口にするのは屈辱だが、このまま放置しておく訳にはいかない。
「精神防御の訓練は受けていただろう?」
海は顔を歪め責める口調になった。
「抵抗はした。でも……」
あなたには解らない、と空は心の中で呟いた。弟とは七つ歳が離れている。そのため、海が生まれた時から、父が自分よりも彼に期待していたことを知っていた。実際、海は仏眼の期待に応え続けている。
それに対し、空は異能も体力も海には到底及ばず何度も父を失望させた。少しでも取り戻すために、様々な知識を身に付け役に立とうとしてきたのだ。力を注ぎすぎたせいか彼女には友だちも少なく、庇ってくれるはずの母も空が中学生の頃に家を出て行ってしまったので常に孤独だった。母が出ていったのは、仏眼が求道会に所属した時期と重なる。
母に去られた空は心のよりどころをいつの間にか求道会に求めていた。そのために献身的に働き、己の知識や法力、全てを捧げてきた。だから政略結婚に使われたことも不満には思っていない。求道会のためベストを尽くしてきたことが、自分の最大の誇りでもある。
ただ、いくら彼女が誇りに思おうが、海の功績の前では霞んでしまう。法力や体力の差だけではない、彼は組織にとって必要な汚れ仕事の殆どを引き受けていた。会長代理派の幹部も評価し、将来的には海が求道会のトップになると恐れている。
一方、空は会長代理派からは副会長派からのスパイと見なされ、副会長派からは会長代理派に寝返ったと思われていた。彼女自身はどちらの敵でも味方でもないつもりだ、あくまで求道会の利益を第一に考えている。
「結局、抵抗しきれなかったのだろう?」
淡々と事実を告げる口調が、より腹立たしい。噛んだ下唇から血が流れ、口の中に鉄の味が広がった。
「ええ……」
悔しさから涙があふれそうだが、それだけはすまいと必死でこらえる。
「悠輝も私の精神支配に抵抗しきれなかったのだ、仕方がないか」
海は掌を空の顔の前で広げた。
「………………………………」
彼の法力が自分の頭の中に侵入してくるのを感じる。ところが……
「ギャッ」
「ウワ!」
空は海と同時に悲鳴を上げた。
「な、なにを……ッ?」
額に釘を刺されたような鋭い痛みを感じながら、空は海に尋ねた。
「あの女……」
海は苦しそうに肩で息をしている。
「失敗したんですよ。真藤遙香の呪を解くのに」
朋美の声には満足げな響きが含まれている。だが、海にできないなら彼女にも遙香の呪を解くことは無理だろう。空は歯を食い縛り痛みが引くのを待った。海も顔から脂汗を滴らせながら、苦しそうに何かに耐えていた。
「おのれ……」
悔しさを滲ませながら海が小さく呟く。何とか頭の中の監視をやめさせたい。仏眼が戻れば海と協力して何とかできるだろうか? 朋美が協力してくれれば、もっと早く遙香の監視から逃れられるかも知れないが、助けてくれる素振りはない。
何とか主導権を取り戻さなければ……
真藤遙香は、言わば原発のような存在だ。大きな利益をもたらしてくれるが、扱い方を間違えれば大惨事は免れない。とにかく自分がやるべきは、仏眼と海だけでなく、朋美も説得し遙香を従わせることだ。




