第3話 クララの入団テスト ―アクラリンドの錬金術―
体から転移光が霧散した時、そこは広々とした緑豊かな平原だった。
ダンジョンレベル1、モネア平原。
一瞬で景色が変わるというテレポート初体験のクララが、感嘆の声を漏らす。
辺り一面に緑の草が生い茂り、群生している花、木、岩が点在している。草の匂いが清々しい、美しい平原だった。
「そんじゃ入団テスト始めっか」
「はい! お願いします! それでテストって具体的になにをするんですか?」
「まあとりあえず適当に魔物と戦ってみてくれ。あと錬金術も見たいから、魔物を探しがてら、使えそうな素材アイテムを集めといてくれ」
クララが元気良く返事をし、三人は魔物を探しに歩き出した。
錬金術の調合に使う素材アイテムを採取しながら、暫く歩いていると、兎型の魔物が一匹でいるのを見つけた。
クララが指さす。
「あれが魔物ですか?」
ユキトが首肯する。
「ラピーだ」
先だけが黒い、細くて短い手足。ラピーはその二本の足で二足歩行する。丸い頭までの身長は約四十五セーチ。耳先までの高さだと約一メードル。頭と胴には毛が生えておらず、肌の色はクリーム色。貌には赤い小さい目。耳はまるで鳥類の羽根のようで、頭から耳が生えているというより、頭に二本の羽根が突き刺さっているかのようだ。その羽根耳の色は桃色で愛らしく、付け根の部分に玉状になった羽毛が付いている。首から胸、背中にかけてふわふわの白い毛に覆われている。同じく柔らかい白毛に覆われた球状の尻尾の直径は、身長と同じくらいの大きさがあり、体積で言えば体全体よりも大きかった。
「アクラリンドの中で最弱の魔物だ。バトルレベル1でも、あれなら一人でも戦えるだろう」
ラピーの魔物レベルは1。
ギルド本部が魔物の種類ごとに認定している魔物レベルは、魔物のバトルレベルの平均値である。
故に魔物レベル=魔物個体のバトルレベルではないので、目の前のラピーのバトルレベルは1以外の可能性もある。
「わかりました。やってみます!」
クララが強い意気込みを見せ、大股でラピーに近づいていく。しかし、段々と歩幅が狭まり、歩みが遅くなっていく。そしてラピーから十メードルの距離を取り、立ち止まる。
ラピーはまだクララを警戒しておらず、呑気に草を食んでいる。
クララはそのまま動こうとしない。
「どうした?」
ジルクの問いに振り返ったクララの顔は強張っていた。
「ちょっと緊張しちゃって……」
「もっと近づけ。戦えないだろ」
コクっと無言で首肯するクララは、差し足抜き足忍び足といった足取りで、そろりそろりと近づいていく。
彼我の差、後五メードルといった所で、ラピーがクララを警戒して対峙した。
クララは様子見をするばかりで動こうとしない。
「おいなにやってる! 攻撃しろ!」
ジルクの激に、クララがスローモーションのような動きで更に近づこうとした時、ラピーが先に仕掛けた。
二足歩行でジグザグにピョンピョンとジャンプしながら、クララに肉薄する。
「きゃああ! こっち来ないでぇ!」
手に持った錬金杖、シフォンロッドを体の前で振り回すクララはしかし、両目を瞑っていた。
全く見当違いの所に向かって、ぶんぶん振り回されるシフォンロッド。ラピーは余裕で杖の軌道を読みきり、クララの腹に体当たりをヒットさせる。
「きゃああああ!」
後ろに飛ばされたクララが尻餅をつく。
「いたたた……」
やっと目を開けたクララの視界に、軽やかにジャンプしながら自分の様子を窺っているラピーの姿が映った。その様子が余裕をかましているように感じられて、クララの闘志に火がついた。
「こんのぉ……!」
立ち上がったクララが杖の先端を使い、中空に魔法陣を描いていく。
茶色いラインが光りながら描かれていく。
描き終わった瞬間、杖の先端に魔法陣の中央がくっついた。
クララはそれをジャンプしているラピーに向けようとする。その瞬間、危険を察知したラピーが素早く横に飛び退る。
いきなりラピーが違う動きをしたことに驚き、クララが動転する。
「き、きゃあ! 急に変な動きしないでえ! クリスタルシュートォォ!」
ブラウンの魔法陣から虹色をした黄昏水晶が射出される。
滅茶苦茶に杖を振り回しながら発射された黄昏水晶が、ユキト目掛けて飛んでくる。
ユキトがさっと避けると、暫く飛んで落下した黄昏水晶は、空気に溶けるように跡形もなく消え去った。
これは黄昏水晶が、空気中に漂う星命素を、短時間で言わば無理矢理クリスタルの形に生成したもの故、数秒の間しか具現化することができず、すぐに星命素に還元されてしまうためだ。
「すみませーん!」
遠くからクララがぺこりと頭を下げる。
「いいから続けるんだ」
返事を返したクララは、再度《マジックアビリティ》クリスタルシュートの魔法陣を空中に描く。
魔法陣は魔法を行使した瞬間に消えてしまう。そのため再度魔法を使用したい場合は、新たに魔法陣を描く必要がある。
「ええい! クリスタルシュート!」「…………わあ! こっちに来ないでって言ってるのにぃ! ク、クリスタルシュート!」「…………クリスタルシュート! …………クリスタルシュート! …………クリスタルシュート!」
ラピーのジグザグステップに翻弄され、何度やっても黄昏水晶は、ラピーにヒットせず、明後日の方向に飛んでは儚く消えていった(何故かユキトとジルクの方には真っ直ぐ飛んできたが)。逆にラピーの体当たりの命中率は余裕綽々百パーセントだった。
見かねたジルクがラピーに向かって殺気を放つ。それだけでラピーは一目散に逃げていった。
「一旦休憩にしようか」
「うぅ……。面目ありません……」
二人の元に戻ってきたクララが悄然と肩を落とす。
「魔物と戦ったこと、なかったんだな」
「はい。今のが初めてでした」
「そっか。じゃあ次は錬金術を見せてくれよ。HP回復薬は作れるか?」
「あ、はい。それしか作れないんですけど」
何だか申し訳なさそうに言うクララ。
「まあいい。作ったやつで、ちゃんと回復するところを見せてくれ」
「わかりました。あと必要な素材は、飲料水があれば作れます」
「あっちに川があるから、そこへ行こう」
三人はユキトが指し示す先に向かった。
三人が到着したのは、緩やかな流れの浅い川だった。
「それでは今からHP回復薬を調合します」
ジルクとユキトは頷き、クララの調合を見守る。
錬金杖シフォンロッドの石突きで、川のほとりの地面に、MPを消費しながら錬金陣を描いていく。淡い光を放つ白線が、幾何学模様を紡いでいく。
描き終わったクララは、背負っていた茶色い革のリュックを降ろした。金属製のチャックを開けると、自分の口も開ける。
「バケツ」
クララが言葉を落とした瞬間、鞄の中から木製のバケツが飛び出した。それをクララが空中でキャッチする。
鞄からバケツが飛び出してくるとは思わず、ユキトとジルクは二人して驚きの声を漏らした。
ユキトが問う。
「それ何なんだ?」
「へ? 無限袋ですけど。もしかして都会にはないんですか?」
「見たことないな」
「そうなんですか? 家にあったから持ってきただけなんですけど、珍しい物なのかなあ? 言われてみれば故郷の町で、同じのを使ってる人を見たことありませんでした」
「採取したアイテムもそれに入れてたけど、どう考えてもバケツと一緒には入りきらない量だろ。どうなってるんだ?」
「入れられる物だったら、いくつでも入るんですよ。仕組みは知りませんけど」
【マジックアイテム】無限袋。人族、動物、魔物以外なら、大抵の物を個数無限で入れておくことができる、摩訶不思議な収納鞄である。
食べ物や生花など、本来なら腐ったり劣化してしまう物でも、無限袋の中に入れている間は、物の時間は停止する故、腐ることも劣化していくこともないという優れもの。
クララはバケツを使って川の水、調合の素材アイテム風に言うと飲料水を、HP回復薬の調合の素材アイテムとして必要な量以上になるように汲んだ。
錬金術士は自分が作れる調合アイテムの、素材アイテムの必要量が、感覚でわかる。
錬金陣の外周に五つ描かれた小さな円、素材円の一つの中にそれを置く。
無限袋から、別のバケツを取り出し、再び川の水を汲むと、今度はそれを先程とは別の素材円の中に置いた。
更に採取しておいた、人族の臀部のような割れ目を持つ丸い果実、甘露の実を一つ。
薄桃色の小さな花を咲かせ、真上から見ると花よりも大きな葉を、重ね着しているかのように見える植物、トーンを二つ。
これら三つを無限袋の中から呼び出し、それぞれを別々の素材円の中に安置する。
それが終わるとクララは錬金陣の中央付近へ移動し、錬金杖の石突きで錬金陣を叩いた。
その瞬間、錬金陣が眩く光りだす。クララの視界の中、錬金陣が調合品の設計図に、素材円に置いた素材アイテムたちが星命片に変形する。この変化は調合をしている錬金術士にしか視えておらず、ユキトとジルクにはただ単に、錬金陣と素材アイテムが激しく光っているようにしか見えていない。
「え、なにこれ?」
クララは目の前の調合品の設計図と、自動的にクララの傍まで移動してきた五つの星命片の形を見て困惑した。
七色の淡光を振り撒く星命片は、どれも正方形をいくつか組み合わせた形をしている。
調合品の設計図は星命片を正しい場所に配置すれば、一つの隙間もなく全て埋まる形をしている。
つまり調合というのは、調合品の設計図のマスの中に、隙間なく星命片を置けば成功するのだ。
クララは故郷のオーディッタの町で暮らしていた時、何度もHP回復薬を作っていた。冒険者になると決めてからは、冒険者になるまでの間に少しでも成功確率を上げるためにと、積極的に作っていたのだ。
今目の前に広がる調合品の設計図と、自分の傍らで浮遊している星命片の形は、見知ったものとは異なっていた。
オーディッタの町で同じ素材アイテムを使ってHP回復薬を調合していた時も、調合品の設計図と星命片の形は毎回同じではなく、数種類あった。クララはそれ以外の形を目にしたことがなかった。
生まれてこのかたリーガにやって来るつい最近まで、オーディッタの町周辺から一歩も出たことがなかったクララは、HP回復薬の調合というのは、自分が知っている数種類の形しかないものだと思い込んでいた。
クララは知らなかったのだ。たとえ同じ素材アイテムでも、採取する地域によって、品質や付いている特性が異なるため、星命片の形も異なるのだということを。
星命片の形が変わるということは、必然的に調合品の設計図の形も、毎回異なったものとなる。
錬金術の調合には制限時間があった。
錬金レベル1のクララの場合、時間にして数秒。この僅かな時間内にパズルを完成させることができなければ、調合は失敗となる。
知らない形だとしても、とにかくやるしかない。
クララは慌てて錬金杖で星命片の一つに触れる。すると触れた部分にフォゾンピースがくっつく。それを二次元の調合品の設計図に近づける。
「えっと、ここかな、違う合わない!」
星命片は念じるだけで回転や反転させることができる。
クララは必死になって回転と反転を繰り返し、合う場所を探していく。
「ここも違うよぅ! だったらどこ!?」
刻一刻と時間だけが過ぎていく。
「あった! ここだ! あ……」
一つ目を配置し終えたところで制限時間終了。
調合失敗。
錬金陣の中央に、小さな灰の山ができ上がった。
木製のバケツと余った分の飲料水だけは、素材円の中に残っている。
クララが二人を振り返る。
「すみません。いつもと勝手が違ってて。次こそは成功させるので、もう一度やらせてください」
クララが頭を下げる。
「おう、やってみ」
ジルクが許可を出すと、クララは礼を述べ、再びHP回復薬の調合を始めた。
無限袋の中から素材アイテムを取り出し、素材円の中に配置する。そして調合。
「あれ? また見たことない形だ」
再び調合失敗。
錬金陣中央の灰の山が少し大きくなった。
再度ジルクに許可を貰い、HP回復薬の調合に挑戦する。
しかし、結果は調合失敗。
「もういい」
ジルクの静止に、クララが肩を落とす。
「どうして……。そうか! 町から持ってきた素材アイテムを使えばできるはずです!」
ここにきてクララはようやく、採取地域による星命片の形の違いに気づいた。
「あ……」
もう一度調合を行おうとした時、クララはもう調合をするだけのMPが残っていないことを感覚で理解した。
「もうMPがありません。MPさえあれば、本当に作れるんです……」
「それあんま意味ねえよ。お前の田舎で取れた素材アイテムでしか調合できねえんじゃあ、持ってきたもんがなくなっちまったら、HP回復薬が作れねえってことだろ。そんなんじゃこれから冒険者なんてやっていけるわけねえ。宝の持ち腐れだな」
錬金術のアビリティは、滅多に発現しない超レアアビリティである。しかしながら運よく発現した者が子を作った時、その子供には必ず生まれながらにして、錬金術とクリスタルシュートのアビリティが発現する、という特徴があった。
クララの場合、行方不明となっている母、ララナ・クルルが錬金術士なのだった。
超レアアビリティを習得しているにも関わらず、それを満足に使いこなせないクララは、非常に勿体ないことをしている、とジルクは言ったのだ。
三人はモネア平原からギルド本部のテレポートルームへ移動し、更にギルド本部の出入り口、金属製の巨大な大扉の前まで戻ってきていた。そこで足を止めたジルクが、腰に両手を当て、クララに向き直って見下ろす。
「入団テストの結果だが、当然不合格だ」
クララが悄然と俯いた。間違いなく不合格だろうと自分で確信していたクララに、言い返す言葉があるはずがなかった。
クララの垂れ目がちの大きな瞳に、みるみる涙が溜まっていく。
「ウチの入団テストは他所と比べてかなり易しいんだ。ウチで落ちるようなら、他所の入団テストを受けに行っても、まず受からねえぜ」
【厚切り肉のコートレッタ】の現在のユニオンランクは、約一万あるユニオンの中で8876位である。まだ下に千以上のユニオンがあるが、バトルレベル1のクララの場合、ステータス表を見せた段階で、門前払いされるのが関の山だった。
入団テストを受けさせてくれるユニオンは、探せばあるのだろうが、受けたとしても十中八九、不合格になることは目に見えていた。
「はっきり言わせてもらうと、お前は冒険者に向いてねえ。大人しく故郷に帰るんだな。じゃねえと死ぬぞ」
諦めきれないクララが食い下がる。
「あの、バトルと錬金術が上達したら、もう一度テストを受けに来てもいいですか?」
その言葉にジルクとユキトは顔を見合わせた。
「それはまあいいけどよ。これからバトルと錬金術の練習はどうやってやるつもりだ?」
入団テストも終わり、貸し出し用ギルドプレートは先程総合カウンターで返却した。このままではクララはダンジョンに行くことができない。
「とりあえず、わたし一人だけの新しいユニオンを創って、それでモネア平原に行って、魔物と戦って、素材アイテムを集めて、練習します」
「お前一人でか? 今日のお前を見る限り、お前一人でダンジョンに行くっつうのは危険すぎるぞ」
ギルド本部がそれぞれのダンジョンに設定しているダンジョンレベル。これは例えばダンジョンレベル1の場合、バトルレベル1の冒険者の四人パーティなら、命に関わるような危機的状況にはまず陥らないだろう、とギルド本部が判断している、ということを意味している。
「わたしも怖いですけど、頑張ります」
ジルクはクララの目を見返した。
クララの瞳には、冒険者になることを諦めたくないという強い意志が宿っていた。
このまま放っておけば、本当に一人だけの新ユニオンを立ち上げ、無理しかねない危なっかしい雰囲気が、今のクララにはあった。
ジルクが嘆息する。
「こうやって知り合っちまったわけだし、無理して死なれたら寝覚めがわりぃんだよな。ったくしゃあねえ。とりあえず仮入団させてやる」
「ほんとですか!?」
ぱっと破顔するクララ。
「ああ。そんで暫く様子見てやっからよ、その間に成長したら正式に入団させてやる」
「やったあ! ありがとうございます!」
クララが何度も飛び跳ねて喜ぶ。瞳に溜めていた涙が嬉し涙となって零れ落ちた。
「ただし成長の見込みがないと判断したら、すぐに追い出すからな」
ジルクという青年は、口は悪いが意外と人情派なのだった。
ジルクがユキトに顔を向ける。
「でだ。ユキト、お前が教育係やれ」
「は!? 何でだよ!」
「懐かれてるからに決まってんだろ。ちなみにこれもリーダー命令な?」
「またかよ!」
「不束者ですが、よろしくお願いします!」
クララが大きく腰を折り曲げお辞儀する。
こうしてユキトは、当分の間クララの教育係をすることになった。
冒険者として見込みのなさそうなこの少女を、どうやって鍛えればいいのか、ユキトは頭を抱えるのだった。