第9話 従者の苦悩
このところ、お嬢様は公爵様方と食事をご一緒されない。
体調が優れないと、使用人たちに自室へと食事を運ばせている。
ぼくとサラは、本来主人と同じテーブルで食事をすることは許されないが、お嬢様たっての希望で、一緒に食事をしている。もちろん、全く同じ料理を食べることはないけれど。
ぼくとサラは調理師の一人に協力をとりつけ、使用人用の食事を密かにお嬢様の部屋へと運んでいた。
そのことで、ただいまお嬢様は公爵からお叱りを受けている。
ぼくらが一緒に食事をしていることがバレ、怒られているわけじゃない。(これはたぶんバレてないはず。執務室に呼ばれた時は一瞬ヒヤッとしたけどね)
お嬢様が食堂で家族と食事を共にしないことについてだ。
ぼくは執務室のな中、お嬢様の後ろに控えている。
さっきから公爵の言い分にムカつきまくっているが、主人の会話の途中に割り込むことなどできない。それが従者のマナーなのだ。それをすれば、従者失格・即刻退場と公爵に判断されかねない。
「"お姉さまは私が嫌いだから顔を合わせたくないなのだ"と、マリアベルが泣いている。お前はどうしてそう、家族に気を使えないのか」
「私はただ、体調が悪くて部屋に食事を運ばせているだけですわ。辛気臭い顔で皆様の前で食事をするのは失礼かと思ってのことですわ」
「体調が悪いだと? つい先日も、遠乗りに出ていたそうじゃないか」
ちっ。だれがちくりやがった。
と、ぼくは内心悪態をつく。
サンドイッチを作らせた調理師か?
「いえ、あれはレシド先生の課外授業ですわ、お父様。レシド先生は薬草にもお詳しく、様々な草花の効能について学ばせていただきましたわ」
「だまりなさい。お前はそうやって屁理屈しか言えないのか」
「……ただの事実ですわ」
「もうよい。うんざりだ。いいか、今日の夕食からは必ず食堂に顔を出すのだぞ。よいな?」
「……わかりましたわ」
執務室を出て、お嬢様の後ろを歩きながら考える。
なんとか食堂に行かなくてもよい方法はないか。
お嬢様にとって、あの場は地獄だ。
マリアベルとローズベルのバカっぽい会話を聞きながら、公爵の緩みきったアホづらを横目に食事をしないといけない。
時々マリアベルに振られる会話に無難に答えても、お姉さまが冷たいとマリアベルが泣き出してローズベルがなだめ、公爵がお嬢様を叱るところまでがワンセットだ。
毎度毎度、飽きずに繰り返されるそのやり取りに、最初こそお嬢様も辛そうにしていた。しかし、最近では彼らの態度に呆れ果て、かえって平気そうに食事を続かるものだから、公爵の怒りはさらにうなぎのぼり。ならば、食事は別々にとお嬢様が気を使っているにもかかわらず、公爵は食堂に出てこいという。
いったいどうしろと?
何もできない自分が歯がゆい。
自室に着いた途端、お嬢様がふらりと態勢を崩した。慌ててその背を受け止める。
「お嬢様、大丈夫ですか」
「ええ、足がもつれただけよ」
見ると、お嬢様の顔色が少し悪い。額に汗も浮かんでいる。
「失礼します」
ぼくはお嬢様の前髪の下へと手を入れ、額に手を当てる。
熱い。
それを確認した瞬間、かっと頭に血がのぼる。
公爵のせいで熱が出たに違いない。
八つ当たりもいいところ、と思うかもしれないけど、公爵のせいで、最近お嬢様の心労が溜まっていたのは事実だ。
心の疲れが、とうとう体にまで影響をきたしてしまった。
「今から公爵の所へ行って今夜の食事を断ってまいります」
ぼくがそう言い、出ていこうとすると、お嬢様が慌てた様子で僕を止めた。
「やめて。お父様の命令よ。行くしかないわ」
「ですが」
「お願いよ。行ってはだめ。熱を出すなんて久しぶりだわ。ね、心細いのよ、側にいて」
お嬢様は、ぼくが公爵に何か言われることを恐れているのだ。
ぼくは護られている。
悔しくて、涙が出そうになる。
どうすれば、お嬢様に安らぎを与えられるのだろう。
ぼくには力が足りない。金も、コネも、地位も、なにもかも。
ぼくに何もないばっかりに、お嬢様をお護りすることができない。
たとえば、公爵の近くに控える使用人たちにコネがあれば。
公爵にうまくとりなしてもらえるように協力を求めることができる。
けれど、公爵の近くに控える使用人は、どの者も貴族家出身者で、貧民街の孤児出身のぼくとは絶対に関わろうとしない。
あるいはぼくが貴族家の出身ならば、公爵に苦言のひとつやふたつ、呈することができたかもしれない。
実家の後ろ盾のある貴族家子弟に対しては、公爵もある程度配慮せざるを得ず、提言を無視することはできないからだ。
「わかりました。どこにもいきません。側におります。ですからお嬢様、少し休まれてください。食事の前までには必ず起こしますから」
「ええ、ありがとう」
やがてお嬢様の苦しそうな寝息が聞こえだす。
熱、相当高いんじゃないかな。
何か冷やすものを持ってきたいけど、お嬢様はぼくの手を握ったまま離してくれない。
少しして、サラがやってきた。
ぼくは彼女に公爵とのやり取りをかいつまんで伝え、お嬢様のためのタオルや水を持ってきてもらうように頼む。
サラはお嬢様の額に冷たい濡れタオルを丁寧に置きながら、激しい口調で公爵を罵る。
「サラ、静かに。聞き耳を立てられてるかもしれないよ」
「聞かれたって構いやしないわよ。私に失うものなんて何もないんだから」
「クビにされたらお嬢様の側にいられなくなるよ。お嬢様にはサラが必要だよ。だから気をつけて」
「そうね。ごめんなさい。お嬢様は私達が護らないと」
「うん……でも、サラ。ぼくらはお嬢様に、逆に護られてばかりだよ」
「そうね、お嬢様と他の使用人の仲が悪いのも私のせいだわ。お嬢様が平民出身の私ばかりかばいだてするから……」
「それは違うよ。あいつらは自分の出世にしか興味がないだけだ。だからお嬢様を見限って、マリアベルについてるだけ」
「まったく、見る目のない人たち。あのバカっぽい平民の娘についたって何にもならないのに」
「それはどうだろうね。彼らはある意味賢いよ。現に、使用人寮の部屋の割り振りや食事の内容を思い出してみなよ。やっぱりマリアベルに付き従う使用人のほうが得してる」
「あなた、まさか、マリアベルの方へ行くつもり?」
「まさか。ありえない。ぼくはたとえ厩で寝ることになったとしてもお嬢様から離れない」
「そうよね。ホッとしたわ」
「ぼく、力がほしいよ。お嬢様を何者からであろうと護れる力がほしい。どうすればいい?」
「それは……わからないわ。この国の身分制度は堅牢よ。平民と貧民の私達が力を得ることなんて、天地がひっくり返ってもできやしない。それこそ、革命でも起こして王位を奪って自分が王様にでもならない限り」
「王様……」
一瞬、顔も知らぬ王様の首をはねる想像がかけめぐり、慌てて頭をふった。