第40話 ミハエル・ディ・アンダーソン
「こんにちは、ミハエルさん」
ぼくは長い廊下を歩いてくるマリアベルの従者、ミハエルに声をかけた。
いま、ミハエルの側にマリアベルの姿はなく、彼は一人だ。
ミハエルが少しだけ驚いた顔をして、すぐに笑顔をつくった。
「これはこれは、アルティア様の従者様ではないですか。何か御用で?」
隙のない所作でメガネを上げてミハエルが微笑みかけてくる。
「ええ、少し。アルティア様のことで相談したいことがありまして」
「ほう?」
ミハエルが興味を示したことを見て取って、ぼくは悲しげな表情を作る。
「最近、使用人の中で、アルティア様のよくない噂が流れているようなんです」
「はて、どのような?」
「お嬢様が使用人に無理難題を命令して、彼らが困る様を楽しんでいるのだと。それに、従者のぼくのことも虐めている、と」
ちらり、とミハエルの表情を盗み見る。
お前がそんなデタラメをマリアベルに吹き込んでいることは知っているんだぞ?
と、揺さぶりをかけるつもりが、ミハエルに動揺はない。
それどころか、平然とこんなことを言ってくる。
「ああ、そういえば、私もその噂を聞きました。おいたわしいことです。アルティア様はお優しい方だと聞きます。そのようなこと、されるはずもありませんのに。ねぇ?」
「……もちろんです。マリアベル様が、お嬢様のことを意地悪な方だと誤解されているようで。このままでは、ご姉妹の仲が悪くなってしまうのではと心配しているのです」
「なんと。それはよくないですね」
「はい。できれば、そのような事実はないと、マリアベル様の誤解を解いていただきたいのです。ぼくがそう言っても、まるで聞き入れてもらえなかったので。ぼくの力が足りないばかりに、アルティア様に申し訳ないです」
「ええ、私からマリアベル様に申しておきましょう。アルティア様はお優しい方で、使用人をいたぶる趣味などない、と」
「………ええ、よろしくお願いします」
「それにしても……」
ミハエルは微笑みから一転、同情の視線をぼくに向けてくる。
「アルティア様に悪い噂が流れているということは、多少なりとアルティア様の言動にも原因があったのでは? 火のないところに煙は立たぬともうしますし」
「は……? ですから、そんな事実はありません」
「ええ、ええ、それはもちろん。ですが、私が言いたいのは、そういうことではないのですよ」
「はい?」
「主人の言動をうまく制するのは、従者の役目。あなたにはそれができていなかった、ということです」
「……」
「やはり、貧民街出身のあなたでは、アルティア様の従者として力不足なのでは?」
「そんなことは……」
ありません、そう言おうとして、けれど言い切れなかった。
貧民街のジェシーでなくとも、王子として育ったぼくには、従者スキルなどないのだから。アルティアの従者を立派に務めあげている自信はない。
「アルティア様とは仲良くされているようですが、従者は、それだけではだめなのですよ。馴れ合うだけならば、友人にもできます。我々従者は、主人の導き手として、わきまえねばなりません」
ぼくが黙ったのを、どう解釈したのか、ミハエルは勝ち誇ったように言う。
「やはり、あなたでは荷が重い。いつでも私が代わってさしあげますよ。ああ、ご心配なく。マリアベル様はお優しい方ですから、きっとお許しいただけます。もしかしたら、あなたのことも、新しい従者として受け入れてくださるかもしれませんよ?」
そうしてミハエルは、
「では、また」
と、優雅に去っていく。
………ムカつくやつだ。
『我が君よりも、1枚上手ですね』
ノアが念話を飛ばしてくる。
「うるさいよ」
ひらりと指先を振って、黒い霧を作り出しす。
霧はロープ状になって、するするとミハエルを追い、その足首に絡みついた。
うわ、と情けない声を上げてミハエルがつんのめる。
くす、とぼくが笑ったのが聞こえたのか、ミハエルは真っ赤になりながら足早に歩いていった。
焦る顔を見れて、少しだけ溜飲が下がる。
『我が君、趣味が悪いですよ』
「ごめんなさーい」
ミハエル・ディ・アンダーソン
アンダーソン子爵家の三男。
この春、王立学園を卒業したばかりの17歳。
学園を主席で卒業しただけあって、頭の良い人物のようである。
油断ならないな。
さて、どうするか………
ミハエルの調査するため、彼の影に潜入していたノアによれば、
ミハエルの目的は、やはり、アルティアの従者になること。
元々、ミハエルはそうなるはずだった。
そう、ぼくがいなければね。
第二王子の婚約者として、将来王族になる予定のアルティア。その従者となれば、出世は約束されたようなもの。
たとえ、アルティアが後宮に入るとき、従者を解任されたとしても、王子妃の従者をしていたという事実は最高の経歴となる。その後は、高級貴族家から引っ張りだことなるだろう。そこで、使用人のトップ、家令となる道も開ける。
ミハエルには、子爵家子息としての地位だけでなく、王立学園の主席卒業というブランドもある。
ミハエルの輝かしい未来は、約束されていた。
だというのに、ぼくという想定外の刺客に、その地位を奪われたのだ。
ミハエルとしては、なんとしても、アルティアの従者の地位を取り戻したいだろう。
……
………
…………
ジッジーと、ぼくの手の中にある機械が音を出す。
これは、"録画の魔道具"。
上位魔物の魔石を含め、魔石数百個分のエネルギーを凝縮した機械のため、ものすごく高価なもの。
なぜ映像が記録できるのか、仕組みはよくわからない。
正直、すっっっごく高い買い物だった。
そのせいで、最近稼いだお金は全部旅立った。
『なぜ俺が、あんな平民の小娘の小間使いなぞせねばならん!』
と、映像の中のミハエルが、彼の自室で物に当たっている。
「ねぇ、ノア。これ、すっごくいい買い物したよね。高かっただけあるよ」
「高い、なんてものじゃなかったですけどねぇ」
「影の中からノアが録画してるとこ想像したら笑える」
「ええ、全く気づかれませんでしたよ」
『くそ!くそ!これも全てあのジプシーがやってきたからだ!』
「ジプシーって、ぼくのことかな? ジプシーってなに?」
「東方の遊牧民族ですね。中背、褐色の皮膚、黒髪が特徴で、文字をもたない民族とされています。こちらでは差別用語として用いられるようですね」
「アズマノ国の人間のこと?」
「いえ。ジプシーは、このオステンブルク王国と地続きの大陸に住んでおります。島国であるアズマノ国の人間とは違いますよ。まぁ、アズマノ国にある黒髪は、ジプシーの血が入ったからとも言われていますが」
「ふーん」
『殺すか……? いや、だめだ。バレたら面倒だ。マリアベルを利用する方が遥かに安全だ。……時間はかかるが、耐えるしかない』
「この人さぁ、計画全部口に出しちゃって、誰かに聞かれてるかもとか思わないのかな? 不用心だねぇ?」
「はい、我が君」
『くそ!くそ!くそ!………父上に手紙を書かねば………』
そうして、映像の中のミハエルは机に向かう。
「そのお手紙が、こちらでございます。我が君」
ノアから手紙を受けとる。
手紙の口は赤い蠟でとめてある。
闇魔法で作った黒い炎で蝋を溶かす。手紙を燃やさないように加減が難しい。
手紙には、ひたすら謝罪の文句が書き連ねられていた。アルティア様の従者になれず、申し訳ない、と。近いうちに必ず、アルティア様の従者になれる、と。そのための考えがある、と。
「ちょっと気の毒になってきた。ミハエルがアルティア様の従者になれなかったのは、ぼくのせいだものね」
「では、アルティアさんの従者の地位を返上するので?」
「それはできないな」
録画の魔道具の、映像が切り替わる。
映し出されたのは、ミハエルとマリアベルだ。
どうやら、午後のお茶の様子らしい。
『最近、アルティア様の癇癪がどんどん酷くなっております。先日も、あるメイドがアルティア様にムチで打ち据えられたとか』
『えぇっ、お姉さまったら、メイドをムチで叩くの!? そんなのひどいよ。メイドさんたち、可哀想……』
『マリアベル様はなんとお優しいのでしょう。それに比べアルティア様は………ジェシーさんも苦労なさいますね』
『まさか、ジェシーくんも叩かれているの!?』
『どうでしょう。あのお二人は仲が良さそうにも見えますが、アルティア様がジェシーさんの迷惑も考えずに、一方的に構い立てているだけ、とも見えます』
『そっか、そうだよね』
『あぁ、そういえば。先日、休憩室でジェシーさんと遭遇したのですが、そのとき、そのぉ、』
『なに?』
『手首に傷が………』
「手首に傷なんてないけど?」
て、画面にツッコミを入れても仕方ないけどね。
『……やっぱり、ジェシーくんもお姉さまに叩かれているんだね。バレないように表では仲良くして、裏ではいじめてるんだ』
『まさか、そのようなこと!』
『おかしいと思ってたんだ。せっかく私が話しかけてあげても、お姉さまに呼ばれたら、急いでお姉さまのもとに走っていくの。たぶん、呼び出しに遅れたら、罰として叩かれるからだと思う』
『しかし、ジェシーさんのお顔には傷一つないですよ。手首の傷だって、火傷か何かの可能性も………』
『ううん、従者服で隠れるところを狙って叩いているのよ。きっとそうだわ』
『なんと……あんなに小さな子を。お可哀想に』
『助けてあげないと』
『おいたわしや。私がアルティア様の従者であれば、アルティア様の暴走も止めることができますのに』
『ミハエルは優秀だもんね。パパも褒めてたし』
『お褒めいただき、ありがとうございます』
『そう、そうよね。ミハエルなら、お姉さまを止められるよね』
『私がアルティア様の従者に、となると、マリアベル様のお側を離れなければならなくなります。それはとても寂しいことです』
『私も寂しいよ。でも、しょうがないよね。お姉さまを止められるのはミハエルだけだもん』
『はい』
『ストックホルム症候群って知ってる?』
『すと、……は?』
『ストックホルム症候群。誘拐事件や監禁事件の被害者が、犯人と長い時間一緒にいることで、犯人に過度の連帯感や好意的な感情を抱く現象のことよ。今のジェシーくんは、きっとその状態なんだよ』
『は、はぁ?』
『とにかく、ジェシーくんをお姉さまから引き離さなきゃ』
『そうですね』
「なるほどね。ミハエルもうまくやるよね〜」
マリアベルを使ってぼくをアルティアから引き離して、ミハエルがぼくの後釜として従者に収まる。それがミハエルの狙い。
主人をうまく制することも従者の役割、か。
たしかに、ミハエルはうまく主人を制しているようだ。
「そんな呑気に構えていてよいのですか」
「だって。ミハエルはマリアベルに、ぼくを彼女の陣営に勧誘させようとしてるたけだよ。それってぼくが頷かない限り、実現しないよね」
「マリアベルのことですから、公爵に頼るのでは? 自分の従者とお姉さまの従者を取り替えてくれ、とか言って」
「公爵が頷かないでしょ。公爵にとっては、正直、アルティアよりマリアベルの方が大事だ。可愛いマリアベルの側に、ぼくなんかを置くわけがない」
「はぁ、昨夜は『ミハエルにお仕置きしなきゃ』と勢い込んでいたくせに、その勢いはどこへ行ったのですか。ミハエルに同情しましたか」
「別に。今のところ、差し迫った危険はないと判断しただけだよ」
しかし、事態はぼくの想像を超え、悪い方へと転がり始めるのだった。




