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第35話 招かれざる客side教会②


 白い麻のローブを纏った男と少年は、集まる視線も意に介さず、教会の中へ進み入ってきた。


「……空いている席へどうぞ。祈りの儀はこれから始めるところですよ」


 しばし呆けていたゴズリング司祭が二人を促す。彼らは軽く頭を下げ、中程の席へと着いた。

 ゴズリング司祭が呆けた理由は、彼ら二人のあまりの美しさに驚いたからである。日に焼けた庶民とは明らかに違う、赤みのない透けるような白い肌、ローブのフードから覗く艶めく黒髪。造形の整った顔。彼らが入ってきた扉から指す後光も手伝ってか、まるで神が降臨したかと見紛うほどの美しさだった。


 あの二人は貴族かもしれない、とゴズリング司祭は思った。

 教会は、毎週土曜日に貴族専用の祈りの儀を執り行っている。しかし貴族にも熱心な信者はおり、平日も祈りを捧げたいとお忍びで庶民の祈りの儀に参加する者もある。

 ───あの二人も、熱心な貴族の信者なのだろう。あの(たたず)まいは庶民ではありえない。しかし、見ない顔だ。地方の貴族だろうか。いや、他国の貴族かもしれない。黒髪は、アズマノ国の民の特徴だと聞く。そういえば、ローブの下に覗く着物はアズマノ国の民族衣装だ。大方、オステンブルクに観光にでも来ているのだろう。


 ゴズリング司祭は納得し、信者を見渡しながら語りかける。


「今日は愛について語りましょう。──隣人愛についてです」


 手元の聖書をパラリとめくり、視線を落とす。


「神は申されています。『自身を愛するように、隣人を愛しなさい。』……隣人とは誰でしょう? それは、側を過ぎる全ての者です。親や、子、兄弟や姉妹だけでなく、近所の住人や、罪人や犬や猫まで。全ての者が隣人たり得るのです。愛は辛抱強く、また親切でなければなりません。他を妬んではいけません。思い上がってはいけません。傷つけられても、恨んではいけません───」


 と、ゴズリング司祭の言葉が止まった。

 くすり、と誰かの笑い声が聞こえたからだ。ゴズリング司祭は顔を上げ、眼鏡のフレームの上から信者を見る。

 くすくす、とまた声が聞こえた。

 笑っていたのは、あの美しい貴族の少年だった。口元に手を添え、上品に笑んでいる。神聖なる儀式の最中はそれが咳払いであっても許されないのに、笑い声を上げるなど子供とて許されない。ゴズリング司祭は片眉を上げ、少年に軽い抗議の視線を投げかけた。


「失礼、」と少年は居住まいを正す。

 ゴズリング司祭はそれを確認し、再び聖書に目を落とした。


「他を傷つけてはいけません。さすればいずれ、自分が傷つけられましょう。憎むべきは傲慢な心と尊大な態度。すべてのものは神の前に平等であり、みな愛しいのです─────」


 やがてゴズリング司祭の聖書の朗読は終わり、洗礼の儀へと移っていく。洗礼の儀とは、教会へ入信し、正式に信者になると宣言する儀式だ。


「洗礼を希望する者、前へ」


 ゴズリング司祭が言うと、数名が教壇へと進み出た。驚いたことに、あの美しい貴族の少年と、彼と共にいる綺麗な男も前に進み出てきた。

 ──彼らは熱心な信者ではなかったのか? まさか、今日が入信とは。なぜ庶民の儀を利用しての入信なんだ?

 ゴズリング司祭は驚いたものの、それを顔には出さず、穏やかな微笑みをたたえて彼らを迎える。

 

「誓いの言葉を」


ゴズリング司祭が聖書を差し出し、入信希望者に促す。

希望者は聖書に手を添えに、誓いの言葉を紡ぐ。


「我、セイレーンとエウロの子ダニエルは、両親たるニ神を信じます」


そのやり取りが数度繰り返され、ゴズリング司祭は問題の少年の前へとやってくる。

 そうして触れ合うほどの近くに来ると、少年の容姿が整っていることがはっきりとわかった。少女のように丸く大きな目が、司祭を見上げる。フードの影になりわかりにくいが、少年は明るい茶色の目をしていた。

 ゴズリング司祭は少年の美しさに感嘆する。──と同時に、少年の浮べる皮肉げな笑みに思わず眉をひそめた。入信を前にしてこの少年は喜びも緊張も微塵も感じていない様子である。ゴズリング司祭は少年の入信の意欲を疑わしく感じた。

 ──冷やかしなら、他所(よそ)でやってくれ。貴族の遊びに付き合っている暇はない。

 そう思いながらも、いかにも自然に誓いを促す。


「誓いの言葉を」


「その前に、一つ質問をよろしいですか?」


「……ええ」


 あり得ぬ場面での質問に、司祭は困惑しながらも、温和な笑みを崩さずに了承する。


「ぼくは今、別の神を信じているのですけど、その場合は入信できませんか?」


「いいえ。我が教会は、別の神の存在を否定しません。あなたの信じる神はどなたですか?」


「セイレーンとエウロの派生神であるゼノビアです」


「はて、ゼノビア……?」


 ゴズリング司祭は首を傾げる。

 ゼノビアなどという神がいただろうか。

 派生神とはいったい……?


「ご存知ないのですね」


「そのようです」


 他の宗教の神を知らずとも問題ない。なぜなら、ゴズリング司祭が信じる神はセイレーンとエウロだけだからだ。そのため、ゼノビアなる神を知らぬ事実に対しても、それを肯定するだけで、謝ることをしなかった。

 しかし、少年は「よいのです」とまるでゼノビアを知らぬゴズリング司祭を許すかのように一つため息をついた。


「入信をお辞めになりますか?」


「いいえ、入信いたします。セイレーンとエウロが創造神であることは間違いないですから」


「ええ、その通りです」


にこりと笑う少年に、どうやら少年の信仰心は本物のようだと知って、司祭はほっと胸をなでおろした。相手は貴族。面倒な事態が生じるのは避けたい。ゴズリング司祭にとって、聖地から迎えが来る明日までは安寧に過ごすことが一番重要なことであった。


「では、改めて誓いの言葉を」


ゴズリング司祭が促すと、少年と、側に寄り添う連れの男が誓いを述べた。


「我、セイレーンとエウロの子ジェシーは、両親たるニ神を信じます」


「我、セイレーンとエウロの子ノアは、両親たるニ神を信じます」


 洗礼の儀の最後、入信希望者たちは銀の盃に入れられた聖水を飲み下さねばならない。この聖水は『勇者』や『聖女』と同じ──といっても、力は大分劣るが──光の力を有しているとされる。つまり、魔族や魔物を弱らせる力がある。人間に偽装した魔族の炙り出しにも使われるものだ。


 (くだん)の少年と男にも盃が手渡される。

 彼らは問題なく、美味そうに盃の聖水を飲み干した。それを見たゴズリング司祭が満足げに頷く。──彼は気づいていなかったが、件の少年と男が含んだ聖水は、彼らの口の中に広がる闇の中へ吸い込まれて消えたのだった。


 朝の祈りの儀を終え、信者、そして新たに信者となった者たちが教会の広場へと出ていく。彼らは立ち話をしたり、サンドイッチを食べたりと思い思いに過ごした後、街へと帰っていく。


 そんな中、あの美しい貴族の少年はある場所に佇み、空を見上げていた。

 そこは広場の中央、十字に板が打たれた魔族の処刑場だった。十字の板が刺さる地面の周辺は黒い地面が覗き、近くの草花は焦げ付いている。

 ゴズリング司祭は少年に声をかけようとして、ふと歩みを止めた。少年が泣いていたからだ。声は上げず、柔らかく弧を描いた頬に一筋の涙がつたい落ちていく。太陽の光に煌めく雫に、ゴズリング司祭はしばし見とれた。しかし、次の瞬間にはハッと意識を引き戻し、自分を戒める。

 少年の行為は危険なものだった。彼がもし魔族のために泣いているのだとすれば、魔族信仰の邪教徒として詰問されかねない。セイレーン・エウロ信教は、他の神の信仰はある程度許すが、魔族信仰だけは絶対に許さない。

 ゴズリング司祭が少年を(とが)めるために声をかけようとしたとき、先に少年が声を上げた。


「どうして魔族は愛すべき隣人に含まれないのでしょう」


 少年はゴズリング司祭に気づいていたようで、けれど司祭の方を向かずに彼に問うた。


「それは魔族が、この世界に存在を許された生き物に含まれないからです」


 ゴズリング司祭がそう答えると、少年はゆっくりと司祭を仰ぎ見た。


「なぜ存在を許されないのですか」


「魔族は神の子たる人間を食い殺す、不浄の存在だからです」


「誰が決めたのですか」


「神です」


「神……」


 少年は感情の見えない顔を、再び空へと向ける。


「傲慢ですね。憎むべきものだ」 


 独り言なのか、問いなのか、ゴズリング司祭には判断がつかなかった。もっとも、問いだとしても、返答に詰まっていたが。

 ──この少年は、神を傲慢というか。


「──神が決めたことは絶対なのです。この世界を創造した神には、それが許されるのです」


 ゴズリング司祭は最後にそう説いた。


 少年は曖昧な微笑みを残し、去っていった。太陽の光が少年の目に映り込み、金色に輝いていた気がした。


 ──不思議な少年だった。彼が涙する様を見たときは思わず彼の足元へ(ひざまず)きそうになってしまった。

 奇妙な感覚に疑問を抱きつつ、ゴズリング司祭は聖堂へと戻っていく。



 ゴズリング司祭が司教となる日は近い。全ての真実を知らされた彼は、そのときどのような顔をするのであろうか。

 魔族の処刑場を目にし、涙を流した美しい少年を、どのような想いで思い出すのであろうか。


 そのとき、少年が「傲慢だ」と非難を向けた先は"神"ではなく"人間"だと気づくといい。


 

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