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第2話 サンロード公爵家


馬車に揺られてどれくらい経ったのか、お嬢様に起こされ外に出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。


お嬢様が当たり前のように入っていく屋敷は、見上げるほどに大きく、まるでお城だった。


お貴族様なのはわかっていたけれど、これは……


すごい人に目をつけられたかもしれない。



青くてきれいな刺繍(ししゅう)の施された絨毯(じゅうたん)の廊下を進む。


お嬢様が使用人に指示をだし、ぼくは1人どこかへ連れて行かれる。


大きな部屋だ。


ぼくはそこで身体を清められ、新しい服を着せられ(どういうわけか、サイズがピッタリだ)、髪も切られ、たくさんの使用人たちの間をぐるぐる回された。


再びお嬢様の前に連れて行かれたときには目が回って少し気持ち悪かった。


「まあ!見違えましたわ!」


雨に濡れたからか、お嬢様も着替えていて、水色のワンピース姿だった。

耳や首についていた宝石もない。


お嬢様はぼくの頬を両手で包み、まんまるの目でしげしげと見つめてくる。


ぼくはなんだか恥ずかしくなって視線をそらした。


「黒髪でしたのね。てっきり汚れて黒くなっているのかと……。金の目もだけど、この国では珍しい色よ。あなた、よく人攫いに捕まらなかったわね」


その言葉で、かあさんの言葉を思い出す。


黒髪はまだしも、目はなるべくばれないように。


ぼくはその約束を守るべく、前髪を長く伸ばして目を隠した上で、フードを目深に被って過ごしていた。


ぼくは慌てて前髪で目を隠そうとするも、使用人から切られた髪ではうまく隠すことができない。


「一応危機感は持っていたようね。でも、もう大丈夫よ。あなたはサンロード公爵家の者になるんですもの。何人も、あなたを害することはできないわ。だからこれからは、その黒髪も、金の目も、隠さずに堂々としてなさい。せっかく美しいのだから」


お嬢様はぼくの鼻をちょんと突く。


その仕草は、昔かあさんにされたもので、なんだか小さな子供扱いされたみたいで恥ずかしい。


ぼくはもうすぐ8歳になるんだぞ。


あらためて並んだお嬢様は、ぼくより頭一つ分背が高かった。


「そうだ、まだ名乗ってなかったわ。私はアルティアよ。アルティア・ディ・サンロード」


「ぼくは……」


名乗ろうとして、はたと気づく。もう既に名乗っていたのだった。


ただのジェシーと。


ぼくには家名がある。父の姓だ。けれど、これは口にしてはならないと、かあさんから言われている。

本当に困ったとき、もうどうしようもなくなったそのときまで口にするなと。


この話を聞く限り、ぼくの父は、どこかの貴族なのかもしれない。

父も黒髪だったそうだから、どこか違う国の。


たしかに、父が貴族なら、ぼくを貧民街から救い出してくれるかもしれない。


だけど、ぼくは父の家名を口にすることは一生ないだろう。

たとえ、貧民街で死にかけることになったとしても。

かあさんを捨てた人の世話になるなど、絶対に嫌だからだ。

ぼくに父はいない。ぼくの親はかあさんだけ。それでいい。


と、そのとき。

ぼくのお腹が盛大な音を立てた。

久しぶりに聞く音で、一瞬お腹の音だと気づかなかった。

チェリーパイを食べたことで、お腹がびっくりして起きたんだと思う。


立て続けにグーグー鳴り、お腹を抑えても鳴り止まない。


「うふふ、お腹の中にドラゴンでも飼っているのかしら?」


お嬢様がにやにやと笑ってくるから、ぼくの頬は熱くなる。きっと赤くなっているだろう。それなのに、顔を隠す前髪もない。


「お腹が空いているのね。そうだ、私の部屋に食事を運ばせましょう。私も夕食はまだなの。一緒にたべましょう?」


お嬢様はぼくの手を引き歩きだす。


途中、お嬢様は使用人に何か指示を出していた。


長い廊下を歩いて突き当りの部屋へとたどり着く。


「ここが私のお城よ」


お嬢様はドアを大きく開いてぼくを手招く。


部屋の中はピンク色の品で溢れていた。ベッド、カーテン、絨毯やテーブルまで。

あまりにピンクばっかりで酔いそうだった。


「どうかしら? 殿方を招くのは初めてなのよ」


お嬢様がわざとらしい仕草でもじもじしながら聞いてくる。


「可愛い、お部屋だと……思います……」


「嘘ね。口元が引くついてるわ」


「あ、えっと……」


お嬢様にじっとりと見られ、ぼくはたまらず視線をそらす。


ピンクばっかりで気持ち悪くなりそうです、なんて言えなかった。


お貴族様を怒らせるのは怖い。


「ふぅ、やっぱり変よね。10歳にもなって、こんな部屋なんて。お母様の趣味なの。といっても、亡くなったのは3年前だから、そのときからそのままの状態。お父様に変えてもらえるように何度か頼んだのだけど、あれは忘れてるわね。しかたないわ。お父様は私に興味がないもの」


お嬢様はカラカラと笑いながら、テーブルへとぼくを案内する。


ぼくには貴族の家の事情はよくわからないけど、お嬢様はすでに亡くなった母親や、自分に興味がないという父親の話をしても平気そうに見えた。


ずいぶん冷めてるな、と思った。


貴族の子供は両親ではなく、専門のメイドたちに育てられると、かあさんから聞いたことがある。

冷めた家族関係になるのも当然かもしれない。


タイミングよく、メイドが紅茶を、お嬢様とぼくの前に置いた。


ぼくにも紅茶が出てくるなんてびっくりだ。


このメイドは、外でお嬢様に付き従っていた者とは別の人だ。

この人はぼくが貧民だと聞かされていないのだろうか。

その視線も、どちらかというと好意的に見えた。


「サラも平民出身なのよ」


ぼくの疑問に答えるように、お嬢様が言った。


サラ、と呼ばれたメイドがぼくに微笑んだ。


「12歳の時に市井で拾われて以来5年間、お嬢様付きのメイドをさせていただいております」


なるほど。だから、貧民の孤児のぼくにもある程度理解があるのか。


といっても、貧民街の住人は平民からもさげすまれるような存在だ。

それを思えば、このサラの対応は平民の対応としてもとても親切だ。


「さあ、飲んで。サラの紅茶はとても美味しいのよ。それに、生姜も入れてもらったから、雨で冷えた体も温まるわ」


紅茶はちょうどいい温度で、香りも豊かで、たしかに美味しかった。


紅茶は、かあさんが生きていたときにたまに飲ませてもらった。こうして美味しい紅茶を飲むと、かあさんの紅茶は紅茶じゃなかったんだなと思う。だって、渋いし苦くて、こんなに甘くなかった。うん、かあさんには悪いけど。


ティーカップがすっかり空っぽになった頃、料理が運ばれてきた。

ちゃんとぼくの前にも料理が置かれる。

みんなキラキラしていて、見たことのない食べ物ばかりだった。


パンを頬張ると、その柔らかさと甘さに驚いた。

スープが水っぽくなくて、さらに驚いた。

肉が塩辛くなくて、柔らかくて、とにかくどれもこれも、初めて食べる美味しさだった。


そこでふと、メイドのサラが不思議そうにぼくを見ていることに気づいた。


お嬢様も気づいたらしく、「どうしたの?」とサラに問う。


「いえ、その、ジェシーさんは貴族のテーブルマナーがお出来になるのだなと。貧民街の者であれば、知らないはずなのに、と……。パンだって、ちぎって食べるのではなく、かぶりつきます、普通は……」


「そういえばそうね。ジェシー、あなた貴族のテーブルマナーをご存知なの?」


「かあさん……母が、教えてくれました」


貴族の、なのかは知らないけれど。

かあさんはテーブルマナーにとにかく厳しかった。


なるほど、とサラが頷く。


「もしかして、ジェシーさんのお母様は元貴族なのかもしれませんね。没落した家の者が、逃れ先として貧民街に……などという話も聞いたことがありますし」


「サラ。人の家の事情をあまり邪推するものじゃありませんわ。品がありませんわよ」


「失礼しました」


サラは頭を下げる。まったくもう、とお嬢様は腕を組むが……


「それで、実際どうなんですの?」


と、お嬢様自身が探りを入れてくる。その目は好奇心に輝いていた。


さっき、品がないですわよって言ってたくせに。


「そのような話は聞いたことがありません。ですが、母の言動をよく考えてみると、そういう可能性もあるかもしれません」


ぼくとしては、かあさんは元、貴族の娘だったのではないかと、この家に来てから思いはじめている。

言葉遣いや仕草がさが、この目の前のお嬢様にそっくりだもの。

それに、ここに並んでいるわけがわからない料理の説明を受けたとき、その料理名をかあさんから聞いたことがあったと思い出した。


「言葉遣いも、きちとしてるわね。それもお母様から?」


「はい」


「まぁ。お母様の家名は聞いていませんの?」


「わかりません。ただ、名前はジャクリーヌと」


「ジャクリーヌさん。たしかにそれだけではわかりませんわね。ジャクリーヌといえば、美人の代名詞として呼ばれる名前ですもの。市井でもありふれている名と聞きますわ」


そういえばかあさんは、周りには『リーヌ』と名乗っていた。

他と区別がつくように、そうしていたのかもしれない。

ありふれた名前を持つのも大変だ。


お腹がいっぱいになると、眠くなってきた。

馬車でも寝ていたのに。

ふらっと頭が揺れて、右手に持っていたフォークを皿の上に落としてしまう。

サラが、倒れそうになるぼくの身体をすかさず支えてくれた。


「すみません」


慌ててサラとお嬢様に頭を下げる。


お貴族様の前で居眠りするなんて、首を飛ばされても文句は言えない。


お腹がいっぱいになって、頭がまともな思考を取り戻してくると、改めてこの状況に戦慄する。


このお嬢様は、なんでぼくをここに連れてきたんだ?

何が目的だ?

ぼくには何もない。金も、地位も、利用できるものなんて………


『金の目は、特別の証なの』


かあさんの言葉が蘇る。


ああ、そうだ。


お嬢様は言った。

ぼくの金の目がきれいだと。


ぼくの目の色に気づいたから、お嬢様はぼくをここに連れてきたんだ。


貴族は珍しい物好きだと聞く。


ぼくの黒髪や金の目は珍しいようだから、そのコレクションに加えられるのだろうか。


だとしたら、すぐに殺されることはないのかも。

貴族だって、コレクションに死なれたら困るはずだから、食事や寝床もきちんと与えられるかもしれない。


いや、目玉を取り出して、それで終わりかも。

だったらどうして連れてくる必要がある?食事を与える必要がある?


考えれば考えるほど、わからなくなる。


「サラ、ジェシーを私のベッドに寝かせてあげて」


「かしこまりました」


サラが、ぼくを赤ん坊のように抱き上げて、ベッドに連れて行く。


やめて、下ろして。

ぼくをこれからどうするつもり?


そう言おうにも、サラさんの柔らかさが気持ちよくて、ぼくの眠気は更にひどくなる。


そうしてベッドにたどり着いた頃には、すっかり意識を失っていた。

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