第19話 ワイバーンのルル
翌日、ぼくとアルティアは約束通り、北の森にある竜舎へとやってきた。
アルティアがピクニックと騒ぐから、ちゃんとお弁当も用意して。
サラも途中まで一緒に来ていたけれど、彼女はワイバーンが苦手なようで、竜舎には入らず、その近くでピクニックの用意をして待っている。
今日はワイバーンに乗るからと、アルティアとぼくは乗馬用の服に着替えてある。
アルティアのズボン姿など初めて見たけれど、なかなか様になっている。
ぼくは例によって彼女の兄上、アデルのお下がりを着ている。
「ジェシー、なんだか眠そうね。昨夜は眠れなかったの? クマができているわ」
アルティアが心配そうにぼくの顔を覗き込む。
「ああ、ちょっと……本を読んでいたら止まらなくなってしまって」
昨夜はあのあと、古い書籍に載っていた闇魔法を見つけてしまったのが悪かった。面白い理論だったので、それについてノアと議論しているうちに、二人とも変なテンションになってきて、いつの間にか新作闇魔法まで作り出してしまい、屋敷の外でこっそり試し打ちしたりして……
気づけば朝方だったので、結局一睡もしていない。だけど、後悔はしていない!
……ちょっと楽しかったし。
そのせいで、今朝から始める予定だったノアとの戦闘訓練は流れてしまった。
人間として生活しているうちに体が鈍ってしまい、魔界にいた頃のように動けなくなっていたので、その改善のために予定していたものだったのだけど。
ノアは満足して燃え尽きたのか、珍しく眠いと言って、今はぼくの影の中で眠っている。自分だけずるい。
バンパイアはそんなに眠らなくて平気なくせに。
「まぁ、そんなに面白い本だったの? 私も読みたいわ!」
「いいですよ、読みますか?『数学の原理と証明について~ゼロの概念~』貸してあげますよ」
「あ、えと、やっぱりいいわ。まだ読んでいない本が溜まっているんだったわ。それを先に読まないといけないもの」
「そうですか、残念ですね。面白かったのに」
アルティアは頬を引くつかせている。
すみません、そんな本持ってませんけどね。
とりあえず、アルティアが嫌がりそうな題名をでっち上げただけだから。まさか、闇魔法の本を読んでて~なんて、正直に話せるわけないし。
ぼくが魔族であることは、誰にも知られるわけにはいかない。
監視対象であるアルティアやマリアベルはもちろん、周りの人間たちにも。
アルティアたちにバレたら監視は続けられなくなるし、周りの人間たちにバレたときには……
教会に突き出されて殺されるだろう。これまでの、多くの魔族のように。
よくて、力を利用されるか、研究材料にされるかだ。
ノアは生命感知や隠蔽など、隠密系の魔法にも優れているから、誰かにぼくの正体がバレることのないように、うまく取り計らってくれるとは思うけど。
ぼく自身も気をつけるに超したことはない。
今一度、気を引き締めよう。
竜舎には、たしかに三体のワイバーンがいた。
だけど……
これが、ワイバーンか……?
魔界にいるものより、ずいぶん小さく、優しい顔立ちをしている。
三体中、一体はさらに小柄だ。小柄といっても、大人の人間の背丈よりは大きいけれど。
飼育員に連れられ、小柄なワイバーンがノシノシ歩いてくる。
これをレシド先生が怖がっていたのだとすると、魔界のワイバーンを見たら一瞬で気絶するだろうね!
「ルル!久しぶりね!」
アルティアはルルと呼ばれたワイバーンに走りより、その頭に抱きついた。
いくら飼いならされているとはきえ、ワイバーンは凶暴だ。魔界のワイバーンを知ってるぼくからすれば尚更。
なのに、そんなに強く抱きついたりして。
まったく、ハラハラさせられる。
だけど、ぼくの心配をよそに、アルティアはワイバーンにすり寄られ、くすぐったそうに笑っている。強い女の子だ。
「ジェシー、この子が私のワイバーン、ルルよ。なに怖がってるのよ。ルルはいい子よ、噛んだりしないわ。こっちにいらっしゃい」
「こ、怖がってません!」
ぼくはアルティアに手を引かれ、ワイバーンの目の前に連れ出される。
目の前に来ると思った以上に大きい。小柄とか言ってごめん。
ぼくがビクビクと直立不動でいると、ワイバーンは「きゅ?」と鳴きながら頭をかしげた。
だれ?と言われている気がした。
「ルル、この子は私の従者……っていってもわからないかしら? えーっと、お友達よ!ジェシーっていうの。この子とも仲良くしてあげてね」
アルティアがぼくを紹介する。
お友達と紹介されるのはなんだか複雑だけれど。
『お友達ですって。よかったですねぇ。我が君の初めてのお友達ですね』
と、ノアが念話を飛ばしてくる。
『……ノア、寝てたんじゃないの?』
『聞き逃せないキーワードが聞こえたものですから』
『失礼だな。ぼくだって友達くらいいる……』
……あれ? いたっけ?
部下はいたけど友達は……
やめよう。悲しくなってきた。
「ワイバーンは猿よりも頭がいい。簡単な言葉だったらちゃんと理解できるんだわ」
横から、ワイバーンを連れてきた飼育員の男が言った。
「へぇ、そうなんですね」
たしかに、ワイバーンは魔物の中では頭のいい部類だと聞く。
だからこそ、荷運びや飛行に活用できるのだ。
「きゅ!」と、ワイバーンがぼくの頬を口先で小突いてくる。よろしくって言ってるのかな?
「ぼくはジェシー。よろしくね、ルル」
「きゅ!」
撫でてやると、ルルは頭を擦り寄せてくる。
おお、なかなか可愛い。
レシド先生はビビりすぎだな。
全然怖くないじゃない。
「ルルはワイバーンの中でも大人しいんだ。本当にワイバーンか疑わしくなるくらいにな。人間にも懐いてるしよ」
飼育員が言う。
なるほど、ほかのワイバーンもこんな風に好意的だと思っていると痛い目みるぞ、ってことかな。
「ビリー、今日はジェシーをワイバーンに乗せたいの。いいかしら?」
アルティアが聞く。
飼育員はビリーというのか。
「構わねぇが、いきなり空を飛ぶのはおすすめしませんよ。今日はルルに乗って歩いてもらうだけの方がいいでしょうよ」
「私が一緒に乗るから大丈夫よ。ルルは一度も人を振り落としたことなんてないし。風よけの魔道具もあるから、どんなに速く飛んだって大丈夫!」
「ううむ。んなら、飛ぶにしても10メートルより高く飛ぶのは禁止だ。そんで、速く飛ばすのもダメだ」
「むう、わかったわ」
「ルル、乗るわ。ジェシーもね」
アルティアがそう言うと、ルルは背中を落としてぼくらが乗りやすいように羽を地面につけてくれる。
ぼくらは羽を伝ってルルの背中に飛び乗った。
アルティアが前で、ぼくが後ろだ。
「しっかり掴まるのよ、ジェシー」
「はい」
アルティアの乗馬服の上着をつまむ。
「もう、こうよ、こう!」
すると、彼女がぼくの腕を引っ張って、自身のお腹に固く巻きつけた。
「うわ、アルティア様! ち、近すぎます」
「こうしないと落ちるのよ。我慢しなさい」
アルティアの体温と、甘い匂いをもろに感じて、頭がくらくらした。
と、
「行くわよ!飛んで!」
パン、とアルティアがルルの腹を足で蹴ると、ルルは一気に上空へと浮上する。
おお、初フライトだ、と感動する間もなく、どんどん地面が遠のいていく。
「アルティア様!? 10メートルより高く飛んではダメなのでは!?」
「大丈夫、落ちやしないわ!」
「ちょ、えーーー!高い高い高い!!」
ぼくは落ちないようにアルティアにしがみつく。
「あっはははは!」
彼女は狂ったように笑い、どんどんルルのスピードを上げていく。
まるで戦場をかけぬけるバーサーカー(狂戦士)だ。
「うわぁぁぁぁぁあ!」
ふわっと大きな浮遊感の後、ルルが上空の一点で止まった。落ちないように絶えず羽は動かしているが。
ぼくはいつの間にか瞑っていた目を、恐る恐るあける。
すると、真下にはたくさんの建物が広がっていた。
「うちの領地の中で1番大きなヒージョアの街よ。私はあまり来たことはないけれど。オステンブルク王国の中でも有数の観光地なの。きれいな街でしょう?」
街の建物は白い壁と茶色い屋根で統一され、道は全面石畳だ。露店も多く出ていて、人々が絶え間なく行き交う。街の向こうは海も見える。海、初めて見たな。魔界には海がないから。
「活気がありますね」
「ええ、ここは王都へ物資を運ぶ貿易路の集結地点でもあるから。物と人がたくさん集まるのよ」
ざっと見たところ、王都の貧民街のような場所は見当たらない。
「ここには、貧民街はないのですか」
「この街にはなかったと思うわ。でも、福祉が充実しているからというわけではないのよ。ここが貿易の街だから、単に仕事に困らないだけ。商人たちはいつも人手を欲しているわ。"仕事にあぶれたらヒージョアの街へ行け"っていう格言があるくらい。みんな仕事があってお金もある程度あるから、貧民街ができないのよ」
「海を渡って他国からも物や人が集まるとしたら、たしかに忙しい場所ですね」
「海?」
ぼくは街の向こうにキラキラ輝く青い海を指す。
アルティアはくすくす笑いだした。
「違うわ。あそこに見えるのは湖よ。海とは大きさが全然違うじゃない」
え、湖?
かぁ、と頬が熱くなる。
「仕方ないでしょう!見たことがないんですから!」
「ごめんなさい、そうよね。ジェシーは物知りだから、つい知ってる前提で話してしまうわ」
アルティアにフォローされ、益々顔が熱くなる。
よく考えれば、海など知らなくとも別に恥ずかしいことじゃないのに。
ついムキになってしまって、恥ずかしい。
「サンロード領はたしかに海にも面しているけれど、ここからは見えないわ」
「……地図を見た感じでは、海はずいぶん近く感じられたのですが……実際は遠いのですね」
「そうね、ここから馬車で3日も行けば港町に着くわ。このままルルに乗っていけば数時間もせずに行けるけれど。さすがに、そんな遠出は許されないわよね。ビリーとの約束も破っちゃったし。お父様に報告されたら、またしばらくルルに乗れなくなるわ」
「"また"というと……アルティア様、以前にもビリーさんとの約束を破って遠乗りしたのですね?」
「あの頃は子供だったから、我慢がきなかったの。あ、今も子供でしょう?なんて言わないでね。私だって成長してるのよ」
「ぐっ」
言わんとすることを、先に制されてしまった。
「ジェシーに見せてあげたいわ、海。とっても大きくて、信じられないくらい青くてきれいなの。いつか一緒に行きましょうね」
湖の水面に光が反射する様を眩しく見つめる。
「そうですね……」
一緒に、か。
そんな日は来るのだろうか。
それでなくとも行動の制約の強いアルティアだ。そしてぼくも、一緒に海を見に行こう!と気軽に浮かれられる立場じゃない。
アルティアの側にいると忘れがちだけど、あくまでぼくは魔王の命令で、仕事としてここにいるのだ。
「よし、決めたわ!今年の夏は港町にある別荘で過ごしましょう!ヨットに乗って、お魚を釣るの」
……けっこう簡単に行けるのね、海。
ちょっと陰鬱になりかけたさっきまでの気分を返してほしい。
「……って、ジェシー!?あなた、鼻血が出ているわ!」
「え…、あ」
指先で鼻下を触ると、ぬるりと嫌な感触がした。
「たいへん、どうしましょう!」
うそでしょ、鼻血なんて初めて出した。
手のひらに付いた血を見てさっと血の気が引く。
『アルティアさんの匂いに興奮されましたか、我が君?』
くくっと、ノアの笑い声が頭に響く。
「ジェシー?」
「べ、別にアルティア様の匂いに興奮してとかじゃないですからね?!」
「何言ってるのよ。はやくこのハンカチを鼻に当てて!戻るわ、ルル!」
竜舎に戻ったアルティアとぼくはビリーさんにこっぴどく怒られ、彼女はまたしばらくワイバーンの搭乗禁止に……ということにはならなかった。
ぼくが血だらけだったから、何があった!? とビリーさんを慌てさせてしまって、それどころじゃなかったのだ。
高所に酔って、鼻血が出ただけだと言うと、今度はぼくの鼻の治療をしてくれて、結局、お叱りはないままに終わった。
ぼくの鼻血の功名というやつである。
アルティアには感謝してほしい。




