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第1話 主従の出会い

雨が降っている。


貧民街の地面は、表通りのように石畳なんて敷かれてなくて、降った雨は泥となって溜まっていく。


ぼくは崩れかけた建物の石壁に背を預け、泥水の中に座り込んでいた。

雨粒が容赦なくぼくのからだに降り注いでくるけれど、雨の冷たさは感じない。ううん、それだけじゃない。ついさっきまで感じていた空腹も、一人ぼっちの寂しさも、何も感じなくなっていた。

いまはとっても静かな気持ちだ。

目を閉じると、かあさんの柔らかい笑顔が浮かぶ。


ああ、そっか。ぼくは死ぬんだ。


そう気づいたら涙が出てきた。

悲しいんじゃない。

嬉しいんだ。

もう、頑張らなくていい。

かあさんが生きろって言ったから、今日までぼくは必死になって生きてきた。

残飯を漁って、泥水をすすって。

けど、もういいんだね?

ぼくもう、頑張ったよね?


かあさんがぼくの頬を撫でる。

さらさらしててとても暖かい。

それに、なんだかいい匂いがした。


「かあさん……」


「あら、私はあなたのお母様ではなくってよ」


近くで鈴のような高い声が響いて、ぼくはびっくりして目を開けた。


そこにいたのは女の子だった。ぼくより、たぶんいくつか年上の。ふわふわの金の髪に、目がチカチカした。

女の子の青い目がぼくを覗き込む。


「金の目……キレイね」


「あ、あう……」


女の子の顔が視界いっぱいに広がって、あわあわしてしまう。

この子は、天使様だろうか。

これからぼくを天界に連れて行くのかもしれない。かあさんのもとへ。


「喋れないの? 少なくとも、7歳くらいかと思ったのだけど……7歳ってこんなだったかしら?」


「お嬢様、ここは貧民街でございます。ここに住まうものは人とも呼べぬ獣でございます。この年端の子供が喋れぬとしても、何ら不思議はないかと」


別の女の人の声。

黒い服に白いエプロンをつけた女の人が、金髪の女の子の隣に立っていた。女の子が雨に濡れないように傘を差し出している。

女の人は怖い顔でぼくを睨んでくる。ぼくはドキリとして、それから気づいた。

女の子はとても高そうなドレスを着ていた。首や耳にも、高そうな宝石。

それでわかった。

この子は天使様じゃない。お貴族様だ。


ああ、ぼくはやっぱり死ぬみたいだ。

ここのみんなが言っていた。

お貴族様は誰も彼も、貧民街の人間を人とも思わず、玩具のようにいたぶって殺すのだと。お貴族様とは絶対に出くわすな、目を合わせるな、話しかけられたら最後─────


「……冷たいわね」


女の子は静かに言った。

ぼくはびっくりした。

女の子が、ぼくの手を握ってきたのもだけど、その言葉に込められた意味に気づいたからだ。


「……は?」


女の人は、呆けた顔をして女の子を見た。


「この子の手が、よ。すごく冷たくなってるわ。きっと、長い時間雨の中にいたからね」


ああ、と女の人は納得した顔になる。

貴族が貧民の肩を持つはずがないわよね、と。


女の子は横目にそれを確認すると、ぼくに向き直り、シーッと指先を口に当てて笑った。

いたずらが成功したのを喜ぶみたいに。


『冷たい』は、女の人の発言に対しての批判だったのだ。


この子は、貧民を庇ってみせた。


それとも、こちらの油断を誘う罠だろうか。



変なお貴族様もいるんだな。


ほくはおかしくて笑ってしまった。

力が入らないせいで、薄い笑みになってしまっただろうけど。


そしたら、女の子は目を丸くした。

頭のいい子ね、とつぶやく。そして、ぼくに聞いてきた。


「名前は?」


「……ジェ、シー」


もう声も出ないと思っていたけれど、絞り出せば出るものだ。

声を出すと不思議なもので、体の力も戻ってくる気がする。


「そう、ジェシー。あなたのお母様か、お父様は? どちらにいらっしゃるの?」


「かあ、さん……死に、ました。とお、さん、……いない、です」


「そう……。ジェシー、では、私といっしょに来なさい」


「え?」


この子は、何を言っているのだろう。


そして、すっと立ち上がると女の人に言った。


「この子を連れて帰ります」


「お嬢様!?」


「準備なさい。これは命令です。それとも、父の寵愛を受けぬ私の命令など、聞くに値しないかしら?」


女の子は、さっきまでの柔らかい雰囲気を消し去っていて、その声はひりつくように鋭かった。


なるほど、高貴な人の威厳というのは、こういうものなのかもしれない。


「め、めっそうもございません。すぐに」


女の人は青くなって頭を下げると、ぼくを抱き起こした。

ぼくに対する視線は相変わらず冷たかったけど、女の子の手前、扱いだけは丁寧な気がした。


「私の馬車へ」


「しかし」


「二度は言わないわ」


「……かしこまりました」


道には、艷やかな黒い馬車が1台止められていた。その周りを、馬に乗った二人の騎士が守っている。


女の子が馬車に乗り込み、ぼくも抱えて乗せられる。


「横に寝かせて」


「しかし、それでは私が乗れません」


馬車は華奢で、四人乗りといったところ。

女の子は一人でスペースを広く座るようで、その向かいの席にぼくが横になると、女の人は座れない。


「あなたは護衛の馬に乗せてもらいなさい」


「ッ!……しかし!」


「なにか?」


「いえ、かしこまりました……」


女の人はせめてもの反撃か、馬車のドアを音を立てて閉めていった。


「あっはは!」


二人きりになって少しして、女の子……そう呼ぶのも失礼かな? お嬢様は、お腹を抱えて笑いだした。


さっきまでツンと澄ましていたのが嘘みたいに口を開けて笑うから、ぼくは呆気に取られてその姿を見ていた。


「私、あんな風に偉そうに命令したの、初めてよ!いかにも貴族らしかったわ!なかなか爽快ね。貴族がみな偉ぶるのも頷けるわ!」


女の子は、「あー、おかしい」と笑いながらもドレスをゴソゴソしだしたかと思うと、甘い匂いのする包み紙をぼくの鼻先に差し出した。


「チェリーパイよ。キッチンからこっそり持ってきて、隠していたの。特別に、あなたにあげるわ」


そう言って、にんまりと笑顔を向けてくる。


このお嬢様は、なかなかお転婆らしい。


お貴族様からもらうものなど、毒かもしれない。それを食べたぼくがもがき苦しむ様を楽しみたいのかもしれない。


だけど、


その美味しそうな甘い匂いに、耐えられるわけもなく……ぼくは包み紙をお嬢様の手からもぎ取って、急いで口に頬張った。


サクサクとした食感の次に、甘酸っぱい味が口と鼻を幸せで満たしていく。


気づいたら泣いていた。


少しの食べ物を得た内蔵は喜びに震え、ああ、ぼくはまだ生きていたいのだと思った。


「食べたわね」


女の子が、ふふふと悪い笑みを向けてくる。


ああ、やっぱり、毒か……

でも、こんなに美味しい味を知れたなら、この次にくるはずの苦痛も耐えられる───


「これで共犯ね。わたしがキッチンからこのパイを盗んだこと、内緒よ?」


あまりに可愛らしい企みに、ぼくの体から、せっかく戻ってきた力がまた抜けていった。


このお嬢様は……


お貴族様の馬車の中という敵地にも関わらず、ぼくは妙に安心してしまって、そのままゆるゆると眠りに落ちていった。

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