第4話 繋がりと契約
第4話 繋がりと契約
「痛いわブロン」
「あ、あぁ、悪い」
東区まで逃げ切ることに必死で、にぎっていたフィアの手にまで意識が向いていなかった。
必要以上に力を込めてしまっていた手を離すとフィアはぼんやりしたままで自分の手を握ってはひらく。あの二人組のうち、荒っぽかった方は動けず、軽薄だった方は白目を向いて気絶した。
無理もない。他人から宝霊術を奪い取るなんて芸当、宝霊術を詳しく知らない俺ですら、あの状況とそれを作ったフィアに対して疑問が尽きない。
どうやったのか、なぜ出来たのか。いや、なにをしたのかもわからない。
普通じゃなかった。
結局は騒ぎになる前にここまで逃げてきたわけだが……。
「なぁフィア、お前なにした?」
「私これが欲しかったの。でもあの子達はもう持ってなかったわ――他も探さないと」
宝石がふたつ乗った手をスッと伸ばして見せてくる。透き通った蒼色で、カットはしてない。不恰好で、原石のままの姿をしている。
不恰好なはずなのに、石は妙に妖しい輝きを放っていた。
フィアは変わらず平然としている。
あいつらに絡まれたときもそうだった。
絡まれたときも、俺が男の腹を蹴り上げたときも……俺が水で溺れそうになっているときも。こいつはどれも意に介していかった。ただ宝石を取り返したときだけ、うっすらと笑っていた。
背中に嫌な汗が伝う。
「――他にも、あるのか」
気付けば舌が渇いている。
表情は作れてるのか。怯えてないか。
張り付いた喉を剥がしたくて、必死につばを嚥下した。
「ええ、もっと沢山あるわ。ぜんぶ欲しいの。はやく取り返さなきゃ。そうだわブロン、あの人たち同じ服を着ていたわ。それならあの服を着ている子達のお腹を全部見てみれば、わかるかもしれない。行きましょう」
そう言うと先ほど走ってきた西区への道を戻ろうとする。
「待て待て落ち着け、今は無理だっ」
自分が襲われる心配も、誰かを傷つけるかもしれない心配も考慮しない。
たぶん今頃あの男たちが騒いでいるだろう。いま俺達が西区に行くのはその渦中に突っ込んでいくことになる。
「でもブロン、欲しいの、私」
「だから少し待て。いいか? もし生徒がフィアの欲しい物を持っていたとして、特別学校に乗り込みでもすれば宝霊術を使う生徒や教員が少なからずいるんだよ。――仮に、どうやったのかわからないが、フィアが宝霊術を無効化できても、数百人規模の人間相手に正面からじゃどうしようもない。今は一旦隠れる。騒ぎが収まるまでは大人しくしてろ」
「……わかった」
フィアは表情を変えなかったもののどことなく不満そうではあった。悪いが気にしてはいられない。
慎重に、途中で尾行されていないかを確認しつつ、遠回りをする。普段の倍以上の時間をかけて家まで辿りつくころに空は夕焼け色になっていた。
「走って汗かいたろ。体でも拭いておけ。俺は飯作っておくから」
半分はいい訳だ。受け取った濡れタオルをもって部屋にいくフィアを尻目に、ひとりになれるキッチンに向かう。
まだ温かさの残る石窯に火を入れて、息を深く吐いて座り込む。
この家が突き止められることはないと思いたい。絡んできた男ふたりは良い家の出だ。面子がある。あまり大事にはしたくないはず。しかも宝霊術を破られたなんて事実は大きな傷になる、学校側も伏せたいだろう。
なら向こうから絡んでくることはまずないし、あっても示談か何かのはず。
それにあいつらが学校に伝えたかはわからないがフィアの存在もある。向こうから見れば――いや、俺から見てもだが、フィアの正体は計れない。奪われるかもしれないのなら避けたいだろう。
だから男達のほうは問題ない。問題なのは、俺の部屋で体を拭いているはずの、フィア本人だ。
――あいつは何したんだ……?
「どういう――」
「ブロン」
「……! と、どした?」
伏せていた顔を上げると、眠そうな顔をしたフィアがいた。
「何で、服ぬいだままなんだ?」
上から垂れる髪以外、何の遮りもない。ついでに警戒もない。
下はさすがに隠しているが飾り気の無い無地のパンツ、――パンツ、パンテイー、ランジェリー……、とりあえず呼び方は知らないが下だけは布地で隠れている。
他の部分は当然のように、惜しげもなく透き通ったミルク色の肌が晒されていた。
浮き出たアバラ。細く、沈むように小さなヘソ。
「背中が拭けないわ」
フィアは手を後ろに回して髪を持ち上げながら、こちらも染みひとつ無い丸い背中を見せてくる。
「拭いてブロン」
「…………なあ、恥じらいを持てとまでは言わないが、多少警戒はしようぜ」
自然と詰めていた息が逃げていく。
ひらひら揺らされる濡らしたタオルを受け取った。改めて見ると相変わらず細い。元々フィアは小柄で細身のようだが、それを除いても異様に華奢だ。
昨日腕を掴んだときも感じたが、背中も細く、一切焼けていない肌の白さも相まって、もう少し細くなればそれこそ病人のようにも見える。
「拭くぞ」
気を取り直して断りを入れ、力を加えれば壊れてしまいそうな背中にタオルを当てる。まずは腰の上辺り。冷たかったのか、体を震わせていた。
薄いタオル越しに肌の滑らかさが伝わってくる。
少し強めにタオルを当てると、ほんのりと肌が沈む。筋肉質とは程遠い。背骨の凹凸に沿って脇腹の手前まで。身長差から中腰になって拭いた。
体が細いせいですぐに腰の辺りはすぐに終わった。
続いてもう少し上。
髪を持ち上げているから浮き出ている、肩甲骨の辺り。
「んんっ」
「じっとしてろ。あとちょっとだから」
くすぐったいのか身を捩るフィアをタオル越しに抑えながら、なるべく手早く拭いていく。腕や腋は自分でできるだろう。なので背中と、最後に髪がどいて見えている首も拭き終えたところで、「もういいぞ」と声をかけた。
パサリと髪が降りてきて、銀の幕が背中を隠す
「待て!? 振り向かなくて良いから服を着てこい」
「わかったわ」
上半身丸見えのまま振り返ろうとするフィアの肩を押し止めて、軽く髪越しに背中を押す。とてとて、と前に出たフィアは俺の部屋の方に消えた。
本来は食材を買ったあと何着かフィアの服を買ってくる予定だったのだが、男達のせいで予定が狂った。申し訳ないがまた俺の服を着てもらうしかないだろう。
――というかミサさんに下着も貰ったのか……?
疑問も出たが、考えてみればミサさんも何と言うか、身長こそ違えどフィアと似た慎ましやかな体つきをしている。最初からフィアが持っていたのでなければ、貰ったのかもしれない。何にせよ改めて御礼を考えながら、取ってきた水でタオルを洗って干しておく。
夕飯の準備や明日の仕込みをする傍ら、フィアにする質問内容を固めていった。
もぐもぐと肉のピカタを食べていくフィアを机越しに見ながら、俺も少しずつナイフを動かした。厚めに切った肉を使ったが固くならずに済んでいる。酸味のある果汁を数滴たらしているので、しつこさもそんなにない。
フィアはお気に召したのか大きめに切り分けて一気にほお張っていた。パンも俺の食べ方を見て学んだのか丸々落とさずに、少し千切っては野菜スープにつけながら食べている。
どうやらスープに入っている豆はいくらか平気らしい。嫌がる素振りもあまり見せずにスプーンで掬っては口に運ぶを繰り返す。
「……俺のも少し食うか?」
「ん、食べる」
俺の分を半分切って皿ごと押し出すと、フォークで刺して持っていく。
「なあ昼間、宝霊術にやったこと、あれについて詳しく教えてくれ」
スープで口のなかのものを飲み込んだときを見計らい、話を持ち出した。すると、手を止めてフィアは首をかしげる。
「ほうれいじゅつ?」
「まさか、知らないであんなことやったのか?」
「名前は知らないわ。でもあの石は元々私のよ。取られたのだもの」
「………………わかった。じゃあ宝霊術、精霊を操ったフィアはそもそも何者で、どこで学んであんなことが出来るんだ?」
「私は神よ。精霊たちだって私が持っていた物だもの」
まじめに言ってるのかさすがに疑問を覚える。胡散臭いのが集まってる東区なので、自称神を名乗る人間もたくさんいる。ほとんどは新興宗教かなにかで、違うなら詐欺だ。
たいていは無視する。やりすぎれば教会からの圧力がかかることもある。
決定的に違うのはインチキどもは宝霊術なんて使えないこと。
何より、フィアに嘘をついている気配が一切ない。
仕草も大げさなわけじゃなく、そもそもこっちを信用させようとしている風に見えない。聞かれたから、淡々と真実を答えているだけ。そんな態度だ。
「…………」
フィアが自分でも本当だと信じ込んでいるのでなければ、真実を言っているのだろう。フィアは神で、宝霊術は元からフィアのもので、それを誰かに奪われた。
「頭痛くなってきた」
悩んでいる間に話は終わったと思ったのか、対面の自称神様は食事を再開させている。
パンで頬を膨らませている少女が、神様らしい。
本物の神様なら――――いまさら。
「ほんと、何の因果だよ……」
馬鹿らしい。無駄な想像だ
浮かびそうになる昔の記憶を押し込んで、髪をかきあげることで気分を切り替える。
「フィア、悪いんだが宝霊術――精霊を出してくれるか?」
何も言わないまま、フィアは着ていた服のポケットから宝石を取り出した。
一度動きを止める。なにかを考え込むように。
「…………そうね」
もぐもぐと肉を咀嚼し飲み込むと上を向く。
からになった自分の口に――宝石を落とした。
あまりの光景に唖然としていると、椅子から立ち上がって俺の前までやってくる。宝石はまだ口のなかだ。
「ブロン、もっと」
顔に手が伸ばされる。
言われるがまま見上げてしまう。
手招きされて、座ったままの俺よりもまだ少しだけ低いフィアと目線を合わせる。
フィアの顔が近づいてくる。
唇が重なった。
「いすあっ!?」
あんなに痩せているのにくちびるだけは弾力があってやわからい。
唐突なファーストキスは、両者共に眼を閉じないままで行われた。華奢な手のひらが颯爽と俺の顔を持ち上げる。
強制的に顔を上向きにされ、なんにせよ、ほぼゼロ距離で眼が合った。
綺麗で透明。
湖面に似た美しい眼球と向かい合う。
「――――熱ッ!」
見惚れていた。触れたやわらかい感触から信じられないほどの高熱が伝わってきた。
唇を離して立ち上がる。
なにかを飲まされたわけじゃない。純粋にキスをされた。それなのに熱した鉄を口の中に流し込まれたような高熱に体全体が襲われる。
「もう少しよブロン」
「ッッ!」
フィアが俺を蹴倒した。
悲鳴が声にまで至らない。
服を脱ぐ。床で転がりまわる。熱い。それ以外の感情が弾け飛んだ。
「ブロン、動いちゃダメよ」
転がろうとしたところに馬乗りで体重をかけられる。
無感情に見下ろしながら。長髪が垂れる。顔に影が差している。
「―――――」
――熱い熱い熱い熱いッッッッッッッッッッッッッ!
肌を爪で掻き毟る。爪が肌に血の道をつくる。傷口が開いても熱は逃げてなどくれない。頭が机の脚にぶつかった。痛みは無い。熱以外の一切を感じない。
誰かが俺を見下ろしていた。
フィアかと思ったがそうじゃない。フィアはここまでちいさくはない。
「ぁ…………?」
そもそも飛んでいる、蒼くちいさい人間に似た身体。
自由な手で眼をこすって飛んでいる、そう、精霊に手を伸ばす。精霊は宙で腰を引くと、勢いをつけてぶつかってきた。
バシャリ! 跡形もなく弾け飛ぶ。
まるで俺の意思を汲み取って、精霊が水を用意したかのようだった。
くすぶっていた熱が引く。文字通り頭が冷えていく。
倒れたまま体を見下ろすと、濡れているばかりで火傷の痕などは一切ない。
必要以上に繰り返した呼吸を整える。頭のなかのモヤが引いていく。
フィアは、俺を冷やした蒼色の精霊を指差すと。
「ブロン。貴方が出したのよ」
無感情にそう言った。
体に広がっていた水が独りでに離れると、ぼこぼこと寄り集まって形を空中で取り戻す。
「――――なにした?」
なんで俺が宝霊術を使っている?
「宝石はあげられないから、私のものを、貴方も使えるようにしたわ」
掻き毟った胸から血が流れている。かすかに残った水で薄まり、にじんだ血が床に垂れていく。
辺りは酷い有様だった。ぶつかったときだろう。机に乗っていた皿が落ちて割れ、床に散らばっている。割れた音にも気付けなかった。
――ありえない。
「ありえないだろ。宝霊術はこの街にだけある特別学校の専売特許だ。高い金と地位をもった生徒がわざわざ集まって専門的に学ばないと授けられない」
なにより。宝霊術を使えるようになる最後の一手はこの世界に宝霊術をもたらした英雄であるツェヅ・ガルダ本人による施術が必要だと聞いている。
「その子を見ても?」
ありえない。その判断を裏切って、精霊はフィアでなく俺に寄り添う。いまだ倒れたままの俺を気遣っている。
至近距離で見ても間違いない。この精霊は昼間の学生が出していた奴と同種。
精霊は、明らかに俺に従っていた。
「でもよかったわ」
「…………よかった?」
「ええ。これで残りの石も取り戻しやすくなったでしょ?」
またしても、やんわりと笑う。
この幼い少女に感じていた得体の知れなさ。その意味を避けようもなく理解した。
フィアは一切悪いと思っていない。それだけじゃない。自分本位なのともまた違う。
そもそも善悪を知らないような、フィアはそんな少女なのだ。
悪意が一切含まれていない笑みは、いっそ悪意がないからこそ、酷く不気味に思えた。
「残りもはやく、取り返しましょう?」




