第百一話 祝福とは
「っと」
鳥居を抜け、地面に足をつけると俺は少しふらついてしまった。
なんだか妙に疲れている気がする。
いや、気がするどころじゃないな。
この全身を襲う疲労感はまるで何時間も訓練を続けたかのような……。
「ん? 神無月、どうした?」
「い、いえ、妙に疲れてしまって」
神宮寺先輩が怪訝そうに聞いてきたが何でもないと答えておく。
社の管理者達を前にして神域近くで変なことが起きたと口にするのは、少し憚られるしね。
「ふむ。それは鳥居を抜けた瞬間か?」
「え、そうですけど。知っているんですか?」
俺の答えに、今度は眉間にしわを寄せて頷く神宮寺先輩。
「極稀にそういう者が居るらしい」
「極稀、ですか」
そしてそうなった者は狂信的に神を崇めるようになるらしいのだが。
と神宮寺先輩は続ける。
「神無月は大丈夫そうだな」
「ええ、まぁ」
かなりの疲労感に苛まれているものの、神様がどうのという思いは一切ない。
むしろクソ食らえという思いが何故か強くなった気がする。
「まぁ、めったにないらしいし眉唾物かもしれないな」
「だと良いんですけどね」
これから祭壇の清掃と思うと憂鬱だ。
さっきまで特にそんな思いもなかったのになぁ。
俺はそんなこと思いながら石畳を歩いていった。
祭壇の清掃を終え、上を見ると満天の星空が広がっていた。
「すごい……」
「ん? ああ。人口の明かりが少ないからな。よく見えるだろう?」
俺の呟きに神宮寺先輩が笑いながら答える。
なるほど、周囲を見渡すと遠くに俺達が宿泊している施設の光が見えるだけ。
マップを確認してもそれ以外の建物等はないようだ。
山道を蛇行するように続く参道にある灯籠から、ほのかな光が溢れ幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「灯籠の光も蝋燭なんですね」
最近だとLED等が使われていることが多いのに。
「わかるか?」
「ええ、まぁ」
匂い、そして光の揺らぎ。
それは祭壇を訪れる者をの心を落ち着かせてくれることだろう。
尤も、俺の心拍数は一気に跳ね上がったのだが。
「コウか」
「坊ちゃま、祭壇を清めに来られたのですか?」
神宮寺先輩と話す俺の背後に急に現れた気配。
その正体は来る途中の食事処で給仕をしていた元巫女長、コウさんだった。
気配なさすぎ。
いや、その表現は甘いな。
俺はつい今しがたマップを確認したばかりだ。
その時には俺達の周りに誰も居なかったはず。
俺はついマジマジとコウさんを見つめる。
わずか数秒でマップの表示圏外から俺達の後ろまで移動した?
何かしらの能力、例えば瞬間移動系の能力持ちなのだろうか。
普通それでも気配で気付きそうなものだが。
「ああ、後輩達の指導の為にな」
「なるほど、良い心がけでございます」
あ、そう言えばシス達の罰なんだっけ、これ。
すっかり忘れてたわ。
「ところで、こんな所に一体何用だ? コウは既に隠居の身だろう?」
「ほほ、少々訳がありまして。こうして老骨にムチを打ってやって来たのでございます」
そう言うとコウさんは俺の方をぎろりと見据える。
「神奈月様、神託がございました」
「へ?」
コウさん曰く、俺が明日の神事にて催し物をするよう神託があったそうな。
「と言いましても行うことは決まっております」
「はぁ……」
「何、神無月様でしたら朝飯前でございましょう」
無事成し遂げられれば祝福が与えられる、そう言ってコウさんは目を伏せた。
祝福、ね。
祝福じゃなくて呪いの間違いじゃないかと思わないでもないがそれを聞くわけには行くまい。
「どういった内容なんですか?」
「それが……」
らしくもなく口籠るコウさん。
この人、割とサバサバした人のはずなのに、何だというのだ。
「コウ?」
「坊ちゃま、それがおかしいのでございます」
「ふむ? 話してみろ」
「はい……」
神宮寺先輩に促されたコウさんはぽつりぽつりと話し始めた。
曰く、例年であれば事前に行うことが通知されるのに今年はそれがない。
曰く、普通は身内が指名されるのに何故か今回は外の者が指名された。
曰く、神託が記された札が黒く染まった。
「それは変だな」
「あの、それ断ることは?」
前二つはともかく、最後のはやばすぎるだろう。
少し、いや、かなり勘弁して欲しい。
「そのような考えを持つ者など今までおりませんでしたので」
俺の背中から流れる冷や汗を知ってか知らずか、コウさんがピシャリと否定の言葉を投げかけてくる。
あの、俺ゲストですよね?
なんか扱いが酷くないですか?
「まぁ、問題なかろう」
「だと良いんですけど」
「はは、相手は神様だぞ? 失礼なことをしたのならともかく、面識のない神無月に酷いことをするとは思えないな」
「それもそうですね」
とは言ったものの、俺は謎の悪寒を覚えるのだった。
いや、心当たりなんて全く無いけどね。
毎年正月三が日過ぎたあたりに初詣行く程度には信心深い俺だ。
今日も祭壇の清掃をしたくらいだし。
「それでは私めはここで失礼致します」
「うむ、ご苦労」
神宮寺先輩が労いの言葉をかけると同時にコウさんの姿は闇へと溶けていった。
何者だよ。
あ、元巫女長でしたか。
巫女って言うより忍者、くノ一って言ったほうが良い気がするなぁ。
「悟、私達の巫女服姿十分堪能できた?」
「え? あ、ああ」
「もうすぐ見納めだからね、しっかり目に焼き付けておいたほうがいいよ?」
「うちは普段着が巫女服やけどな!」
シス達が奥の方からパタパタと足音を立てながら戻ってくる。
うーん、似合ってはいるけどそこまでテンション上がるほどのもんじゃないなぁ。
はて、なんで来るときはあんなにもテンションが上ったのだろうか。
俺、巫女フェチってわけじゃないのに。
まぁいいか。
「少し汗かいちゃったわね」
「ですねー。またお風呂入らないと」
「お、おい、また罰ゲームは勘弁だぞ?」
「大丈夫、次はバレない……」
「そういう意味ではないのだが……」
聞こえてるぞー。
まったく、何考えてるんだか。
ま、今日のところは早く返って寝たいかな。
「ああ、そうだ。洞窟風呂を貸し切っているから皆で行こうか」
「え? そんなこと出来るんですか?」
人気の洞窟風呂を貸し切るなんて、流石本家の人間ということかな?
「祭壇清掃の報酬みたいなものだ。遠慮なく受け取ってくれ」
「わー! 楽しみ!」
「パパ、背中流してあげるね」
「ほんじゃうちはお腹流したるわ!」
お腹流すって何だよ。
と言うか、君達は女湯です。
「え、もしかして混浴?」
「それはちょっと勘弁かも……」
「う、うん、私達は普通の温泉に入ってるよ」
「うーん、ちょっと抵抗あるかなー。あ、でもどうしてもって言うなら考えないでもないよ?」
んなわけ無いでしょ。
「ちゃんと二つに分かれている。覗かれる心配はないから安心しろ」
そう言って神宮寺先輩が俺の方を叩いた。
言う相手、間違っていませんかねぇ……。
「それじゃ、男の友情を深めようぜ!」
「そうだね、悟、背中流してあげるよ」
「お、それじゃ俺はお腹をゴフッ!?」
急に腹を抱えて蹲る山下を置いて俺達は洞窟風呂へと向かった。
諸事情によりしばらく不定期更新になります。
とりあえず1月中旬くらいまでお休みします。