一の六 どうして彼女は死んだのか
どうして彼女は死んだのか。なにが僕にできるのか。
彼女はしゃがみ込んで、鳴き寄ってきた野良猫の背中を撫でた。
「この子にも見えているみたい」
野良猫は気持ち良さそうに鳴いている。けれど、彼女の指先は毛並みを整えてはいない。整えることも、乱すこともできていない。
「なにか僕にできること、ないかな」
彼女は顔を上げた。
「なにかない?」
「殿にお会いしたい」
無表情に僕を見上げて彼女が言った。
誰だ、殿って。心臓の衝動が強すぎて肺が潰れそうになる。彼女がなんの感情も差し向けてくれないことよりも、彼女の口が別の男との関わりを告げることのほうが、よほど僕の平静を乱す。
僕は彼女を知らない。知らないから、彼女のひとことに心がざわついてしまう。穏やかな心で彼女と関わりたい。だから僕は、彼女を知りたい。
「殿はどこにいるの?」
「川の向こうに」
彼女は立ち上がり、柳葉越しに川向こうを見つめた。それが憧憬の眼差しであるのは明らかだった。
「平蜘蛛が申しておりました。川の向こうに、同じような鳥居があります。殿はそちらに」
「解った。なんとかして連れてくるから。待ってて」
彼女を知りたい。彼女の憧憬の眼を僕に向けて欲しい。殿という人物を連れてくれば、彼女を知ることができるかも知れない。憧憬の眼を向けてくれるかも知れない。なにより、彼女の願いだ。
僕は川向こう、古橋電停のほうを目指した。
川向こうには、なにもない。鳥居もなければ祠もない。あるのは枝垂れ柳の散歩道。僕は川沿いのその道を歩き重ねて、殿らしい人物を探した。殿というくらいだから、ちょんまげに袴姿なのだろうか。腰に刀を差していたりして。
そんな人、いるわけない。もしかしたら彼女なりの冗談なのかも。
結局、なんの収穫もなかった。
「誰もいなかったよ。鳥居もなにもなかった」
「そんな筈はありません」
彼女は震えた声で言った。焦りのような、不安のような色が載った声だった。感情のある彼女の声が聴けて、僕は嬉しくなった。
「おぬし、ちと良いか」
「わっ!?」
右肩のすぐ後ろから、あいつの声がした。手足で走る、あいつだ。