表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/28

一の五 僕は逃げ切った

 僕は逃げ切った。なんとか無事に自宅に帰り着くことができた。温かい夕食にありつけたし、温かい風呂にありつけたし、温かい布団にありつけた。おかげで体調を崩すことから免れた。

 幸いなことに、その日以降あいつとは遭遇しなかった。僕は平穏な日常を取り戻したのだ。

 それからも彼女は祠の傍らに佇んでいた。僕を気味悪がって姿を隠すような素振りがなくて、少し安心した。なにもかもが平穏だ。

 僕はもう一度、彼女に会うことにした。彼女との合意事項だ。なにも悪いことはしていない。

「や。こんにちは」

 外は暑い。祠の周りは枝垂れ柳が西日を和らげてくれているけれど、柳葉を揺らすような風はない。いつも騒がしく鳴いている筈の蝉でさえ、蒸し暑さでだんまりだ。そんな雰囲気でも彼女の顔は平然としている。

「私が見えるのですね」

 彼女がちらりと僕を見た。彼女の眼が、僕を見てくれた。

「他の人にはきみが見えないの?」

「見える者は、ほとんどおりません」

 どきりとした。僕は嬉しい。彼女の姿をひとり占めしているようで。けれど。

「『ほとんど』ってことは、他にもいるんだ」

平蜘蛛ひらぐも

 彼女の唇に紡がれた言葉が、蒸した湿気に乗って僕の鼓膜に染み込んだ。平蜘蛛。きっと、あいつのことだ。彼女と同じく、着物姿のあいつ。彼女と同じく、自分が見えるかと訊いてきたあいつ。彼女と同じく、雨に濡れないあいつ。

「もしかして、手足で走る奴のこと?」

 彼女は頷いた。

 なんなんだよ、あいつ。あいつが彼女のなんだっていうんだよ。

 彼女は僕のことを知らない。でもあいつのことを知っているみたい。なんだこれは。嫉妬か。この感情は。

「一緒に、どこか行かない?」

「私はここを離れない」

 悔しい。デートを断られたことじゃない。僕は彼女を知りたい。彼女に僕を知って欲しい。どうすればそれができるのか。解らなくて悔しい。

 彼女が僕を観る。彼女の真っ黒な両の眼が、まばたきひとつなく、じいっと観てくれている。

「ここから離れようとすると、脚が重く動かなくなるのです」

 蝉が騒ぎ始めた。

 解っていたつもりだったけれど。彼女はやっぱり、地縛霊だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ