二の三 わしは眼が醒めた
わしは眼が醒めた。水の流れる音がする。明るい。寒い。雪を降らせそうな雲が西の山に被さっていた。
わしは橋の上にいた。流された筈の橋の上だ。しかしちと違うのは、橋の材がまさらな檜であることだ。
大人衆は橋を架け終えたのだろう。立派な橋である。
姫はご無事か。わしははたと心配になり、姫の屋敷に向かった。向かったは良いが、ちと様子が違う。姫の屋敷が見当たらぬ。それだけではない。村の人間が、みなわしの知らぬ顔なのだ。
わしは村じゅうを駆け回り姫を探したが、やはり見当たらぬ。宛てもなくさまよっていては埒があかぬので、わしは川向こうの殿の屋敷を目指すことにした。
橋のたもとに、見覚えのない祠が建っているではないか。苔むした小さな祠であった。
そして、祠の傍らに立つ人影がある。まごうことなき姫であった。
「姫!」
わしは喜んで大声をあげた。
「姫ではありませぬか」
姫は右に首を傾げて。
「あなたは?」
と言った。
「わしは」
そこで気づいた。わしには人間のような名がない。名乗ることができぬのだ。
「姫様の好きなようにお呼びくだされ」
わしも姫を勝手に姫と呼んでいるのだ。だから姫も、わしのことを好きに呼んで良いのだ。わしの頭ではこの答えしかでてこない。
すると姫は、今度は左に首を傾げて。
「じゃあ、平蜘蛛」
と言った。




