99. 夏殺しとミラーソード
「命とはどうしてこうも脆いのだろうな、ミラーソード」
俺はどうして意識を持っているのか解らなかった。
赤毛の夏殺しは本性を現して死んでいる漆黒のスライムに触れながら語り掛けて来た。
「小生は十九代目の夏殺しだが、死んだ回数となると十九では収まるまい。二百か、三百か……。恥ずかしながら次代に継承できずに死んだ初めての夏殺しでもあるのだ、命喰らいの幼生よ」
何を話されているのか理解できるようになるまでには随分と時間が掛かった。
「小生とミラーソードの実力差は大きかったのだぞ。ミラーソードとその親子連れの方が純粋な意味において強かったのは本当の事だ。
今回の結果は夏殺しの本懐は宿敵と定めた格上の狩りであればこそだ。全知によって結果は知れていたからこそ招いた。脳を焼いてしまった後で何だが、理解して貰えたかな」
最初に疑問に思ったのは父と母の事で、その次が化け物。それから化け物の師だった老人。静か過ぎる。
「混乱しているな。ミラーソードが経験しているのは死だ。
小生が捕らえていなければ相応しい冥府への旅立ちを控えた魂に過ぎない」
負けちまったのか、俺は。
理解が浸透して来るに至り、頭を抱えたくなった。父と言い俺と言い夭折にも程があろうよ。親子揃って享年1歳か。笑えねえ。
「蘇生を拒み、このまま冥府への旅に出ると言うのなら小生としても止めはしない。だが、まだ生きたいのではないかな」
どうだろう?
俺は考える。この先生きていていい事ありそうかな、と。初恋の彼女は黒髪のダラルロートになっちまうし、邪神の命令を欺いた今でさえ金髪の母は怖いし、銀髪の父に至っては「そうかあ、君も2歳になれずに死んだんだね!」と手を叩いて快哉を挙げる姿が想像できてしまう。あ、別にいいわ。俺、特に執着している事がない。支えている手を離してくれると嬉しいな。
「……生への執着が驚くほど薄いな。生後1年ではこんなものなのか」
ああ、アステールだけは理由があったか。だけどいないみたいだし、いいんじゃねえかな。あいつはアガシアの所へ行けるのか俺の道連れになるのかは気にならんでもない。
「スタウロス公しか生きる理由を持っていない……。殺害したのは早計だったか」
嫌いな奴に頭下げさせられそうな匂いしかしねえもの。何が悲しくて貴様の思い通りにならねばならん、アガシアの血統め。神族だと気付いてさえいたなら僕がもっと警戒すべきだった!
「嫌われたものだ。小生がミラーソードを憎悪する理由はあってもミラーソードから憎悪される理由があったかな」
殺してくれただろうが、俺諸共に両親を。解っていないとは言わせんぞ。
「違いない。どうだろう、小生の子を産む道具として蘇ってはくれないかな」
やなこった! 爺さんだか婆さんのいる地獄へ行く方がどう考えたって気楽そうじゃねえか。享年1歳上等だぞこちとら。800年か900年か知らないが長生きのし過ぎは考え物だな、夏殺しめ。
「小生とてもそれほど長くは生きていない。正真正銘、見た目通りの32歳だ。アガシアが使徒と交わって小生の祖を産み落としたのは約500年前の話だ」
五世紀かよ! 薄汚い手を離しやがれ、化け物め! 俺は貴様の権能で復活なんぞ受け入れねえからな。生きる意志のない者を復活はさせられんはずだ、違うか?
アガシアの花が必死こいて第四王女を死なせまいとしたのは、死なせた瞬間に契約終了の状況だったせいばかりじゃない。絶望しきった王女が死んだら拒まれて復活させられないと知っていたからだ。僕は毒と病を垂れ流して何度も何度も、本当に何度も殺したんだぞアガソスの王族どもめ。
「その通りだ。ミラーソードはそんなに死にたいのかね」
是非とも死にたいね、アガシアの手下になんぞなったら間違いなくダラルロートに指差した上に腹抱えて笑われるわ。そんでもって格下扱いされて夜這いされて好き勝手されるぞ。目に見えてる。ええ、そうしますよ。
「ミラーソードがもう少し幸福な人生を送ってくれていたなら小生の提案を受けてくれたのだろうか」
どうだかな。貴様も生後1年経った頃に初恋の女性を宦官に寝取られてみれば解るんじゃねえの。
「記憶を消さねばどうにもならんのか……? 蘇生を拒む心的外傷が深過ぎる」
うるせえよ、貴様は欲情した相手が宦官だった経験もなさそうだからな。俺の共感なんざ得られる訳がなかろう。さっきからずっと嫌な記憶ばかり穿り返しやがって。
「リンミニアはどうだろう、まだミラーソードの庇護が必要なのではないか」
ワバルロートがどうにかするだろ。シャンディとヤン・グァンが補佐してくれるならよろしくやると思うぞ。ワバルロートが嫌がらなければ嫁はシャンディで仲人がヤン・グァンだな。……だが待てよ、まさかワバルロートの奴も宦官じゃなかろうな。違う? なら良かった。
「どうしてミラーソードはそうまで未練がないのだね」
困り顔で言って来る夏殺しに俺は何でだろうな、とは思った。俺の中に答えはなかった。さあ、としか答えられん。超重篤な幽霊恐怖症のせいで嫌な事の方が多かったせいかもしれんがな。貴様は俺に幽霊だの透明なもんを見せて楽しむ気だろ。
「根本的な原因は幽霊恐怖症か。幽霊恐怖症さえ癒してしまえばよいのか?」
狂神の恩寵を癒されたら俺なんぞ初恋の人くらいの大きさのスライムに過ぎんわ。弱々しいスライムに使えるほど愛の権能は安売りできるのか、夏殺し。
「……駄目か……」
さっさと諦めて手を離しやがれ。俺は爺さんだか婆さんに土産話をしてやるのが楽しみでならん。腐敗の邪神なんだがな。
「小生は全知であるがゆえ、ティリンスに踏み込んだ者の過去の全てを知ってはいる」
けっ。俺の母と父が揃って嫌がりそうな台詞まで吐いてくれやがって。全知なんざ賢察の縁戚じゃねえか。僕には全ての権能についての知識があるぞ。ただ一柱しか崇めていなかった信仰神に見捨てられた私が味わった絶望も知っていると? そうか。
「説得できる取っ掛かりがまさか全くないとは。苦しめて生への執着を植え付けた上で殺さなかったのは失敗だった」
ますます蘇生なんぞされるもんじゃねえと確信させてくれて有難うよ。
「小生が何を呑めば取引に応じてくれる? 小生はミラーソードを殺す事はできても、イクタス・バーナバとアディケオを討てるほどの力はない」
俺と僕と私は揃って貴様が大嫌いだ。それだけだ。神殺しなら一人で寂しくもう五百年ばかり頑張れや。アディケオに従ったのは俺にとっては成り行きに過ぎなかった。庇護を与えてくれるのならどの神でも特に選り好みはしなかったろうよ。
「アガシアが囚われた今、小生には次代を継がせるべき血統がいないのだミラーソード」
やらせたい事は察しが付いたな。だが、嫌いなもんは嫌いだ。俺は俺を尊重しない奴には手を貸さねえ。
「毛嫌いされたものだ」
命のない動く死体なんざ、俺の食指は動かねえよ。
「生きた小生ならばよいのか?」
生きた夏殺しの命はさぞ美味かっただろうな。ま、命のない貴様に何を言われても……あん?
何だ、夏殺しが嫌な目で俺を見ながらアステールだった分体の死体を撫で回し始めたぞ。スコトスが化けたダラルロートに組み敷かれて受け入れようとした時の感覚が一番近い、アレだ。あの時は三人目のダラルロートが摘み出してくれたが、今は。
「よし、こうしようではないか。エピスタタは生きた小生をミラーソードに一つ譲渡する。ミラーソードは中立にして中庸に属性を変更する。ティリンス全域を夏殺しと共に奪回し、できればアガシアが良いが他の神でも構わないので子を成してくれ。夏殺しの継承には神の血を受け継ぐ後継者が必要なのだ」
命一つと引き換えに随分な条件を突きつけて来たぞ! 俺はこいつが嫌いだ!
死んでいた分体だったはずの何かが蘇った。そいつは赤毛の男の姿をしているが、もっと若い。俺の魂を掴んでいる亡者とは違って生気がある。芳醇で美味そうな命の匂いがした。
「エファと愛称で呼んで欲しいな、ミラーソード。契約を受けてくれるね」
受けてもいいと思うな。反対だが、意思は尊重しよう。よろしいのではないですか。
賛成1、反対1、中立1と言う有様に俺は泣きたかった。決断したのは俺って事にされるのかよ。畜生、喰って産めばいいんだろうが!
「ああ、愛してくれるんだね」
―――これが俺の死体に赤毛の男が頭から突っ込んで来て、死んでいた俺に命を注ぎ込んだ顛末だ。




