97. 夏殺しの歓迎
エピスタタが墓所と呼んだ管制区域は一層目から悪意に満ちていた。俺達を待ち構えていたのは迷路めいた水路と細い通路の続く暗い道程だ。転移による脱出は施設全体に刻まれた術式によって禁じられているようだ。俺の首飾りも発動できそうにない。
「探査に害意が大量に反応してるぞ。ダラルロートに変えるべきか?」
「術と血の力を消費させたいんだと思う。なるべく消耗の少ない変成術で対処して、ミラー。
魔素をパラクレートス線に独占吸収されている事にも気を付けてね。いつもよりずっと魔力を抑えられた状態で進まなきゃいけない」
「解った」
平時、俺は魔素吸収を常時行って俺自身の魔力を補充している。俺と父よりも吸収能力の高い敵など今まではいなかったが、エピスタタが待つ管制区域内ではパラクレートス線の魔素吸収力が異常に強い。俺から魔素を奪われる事こそないが、入口にあった警告の意味は理解できた。魔素吸収力の低い者が踏み込んだら魔力を魔素に変えられて奪われるぞ。耐えられるのは俺、父、アステールの三人だ。
「アステールは耐えられそうか? 消耗があるなら一度俺に吸収するが」
「問題ない。ティリンス侯は全知によって我々の状態を常に把握している。我々がティリンス侯に面会を許されるのは彼が望むだけ消耗した後になるだろう」
「罠の中に踏み込んだ気しかしねえな」
「実際、その通りだろう」
話しながらも俺は術を扱っている。槍が飛び出して来そうな壁の穴に詰め物を塗り込んで塞ぎ、天井から何か降って来ると解れば開閉式になっている天井を完全に固定し、酸の中を歩かせようとする水場には橋を架けると言った地道な変成術だ。占術で罠の存在と種類は看破できている為、対応してやっている。
俺の変成術の消費魔力は一般的な限界を超えた熟練によって極小化されてはいるが、それでも魔素吸収ができない管理区域内で魔力を遣り繰りすると言うのは不慣れな経験だ。いつもの調子で垂れ流していたらすぐに枯渇しそうだ。
「逆に言うと魔力さえ枯渇したら先方から出て来てくれるのかね?」
「夏殺しの家系はそのような甘いものではないぞ、ミラーソード」
床が回転して俺を酸溜まりに放り込もうとしてくれたのは術での対応が間に合わず、身を捻ってかわした。俺が丹精込めて作り上げた武具を傷付けようとしてくれているのは感じるぞ。俺が持ち込んでいる武装の中で《非破壊》付きは鏡の剣と母用の鉄槌だけだ。他の武具には耐久性能の限界が存在する。
「《復元》で保たないほど壊されたくはねえな」
「いっそ脱いじゃうのはどうなの?」
「ティリンス侯が弓を射掛けて来た時に丸裸ではおそらく死ぬ事になる」
俺はその時、鉄格子で塞がれた通路を前にして鉄格子を解体していた。探査が突然現れた強烈な害意を俺に報せた時、反応は非常に遠かった。
「遠いが、来る」
「ハーッ!!」
俺が言うか言わないかの呼吸でアステールが雄叫びを上げ、俺の前に立ち塞がった。手には神業めいた速さで抜刀した十字双剣。詠唱破棄された元素術が張り巡らせた渦巻く風の壁は俺達を守ろうとしたが、しかし飛来した矢は護りを貫いた。アステールの防御の構えの上からくすんだ白銀の甲冑を矢は貫き、アステールに出血を強いた。四本もの矢がアステールに剣山めいて突き刺さっていると気付かされた時、俺は反射的に治癒術の上級術と矢を消滅させる変成術を行使してしまった。害意は俺達に追撃せず、鉄格子の向こうの遥か遠くから離れて行く。堅い音に視線を動かせば、外れたらしい二本の矢が壁に突き刺さっていた。
「ミラー、今のは下級術に抑えるべきだった」
「そうは言うがな、父よ。アステール、追加は要るか」
「……問題ない。ティリンス侯で間違いあるまい」
俺は罠には対処できるが、アステールに庇われなければ今の矢だけで死ねたのではないのか? 手応えからすると癒した傷の深さが只事ではない。
「ティリンス侯に対して矢返しや矢避けと言った魔術は通用せぬ。今のように貫通されるので過信するな」
「大した弓手だ。宿敵と定められているのは確かなようだぞ」
鏡からは感心したような母の声。正しい道を占術で暴いた上で進んでもいるのだが、どうやら遠距離からの射撃は正しい経路上で予定された遭遇であるらしい。
「どれだけ疲れさせられたら面会できるんだろうな」
「道中で殺しても構わぬとは考えていよう」
そんな調子で一層目は突破したが、二層目の入口は下水の蓋のような雰囲気でな。開けると水しかない。泳げってか? 水の恩寵を手厚く受けている俺は当然泳げるが、水泳しながら戦った経験はないはずだ。機動力に難があるんだよ。コラプション スライムは呼吸をしないが、それほど素早くは泳がない。
「水か風の元素術が必要じゃろうな。水中呼吸と水中機動、もしくは結界化した風の護りだ」
「ねえアステール、君もスライムなのよ? 水中呼吸は要らないんじゃない」
鏡の中から父が言えば、アステールは首を横に振った。
「儂には要る。与えられた分体を無呼吸の肉体として象っていない」
「アステールは不必要な人間性への固執を捨てるべきだな」
母は母で、本質が悪ではない者への侮蔑を隠さない。アステールには空気が要ると言うのなら、障壁なり結界くらい張ればいい。俺達は大魔術師と魔法騎士だぞ。大した消費魔力ではあるまい。
「何れにせよ、準備術式を水中向けに変えないと不味いな?」
「そうだ。移動中に射撃される可能性に考慮が必要だ。三代前のティリンス侯は、魚を捕りに潜った水鳥を矢で射殺す芸当の持ち主だった。水中での出血は空気中よりも痛手となる」
「ぞっとしねえな! 俺が水中呼吸と水中機動を掛けてやるから、アステールは結界を張ってくれ。鴨狩りがティリンス侯の得意技なら、用心はしておこうぜ」
俺と父とアステールは各々の準備術式を一部変え、水中活動用の術も行使して第二層へと潜り込んだ。大きな泡が俺とアステールの周囲に発生して水を弾きながら、新鮮な空気を供給する。
第二層を泳いでいる間、エピスタタは射撃を二度仕掛けて来た。一回目は広い空間を下へ下へと泳いで、底に到達した時だ。床に見えていた一部が開放されて排水が始まったと思ったら、俺はそっ首を二本の矢で貫かれていた。俺自身驚いたぜ、痛みはないのに矢を受けてしまっていた。痛みのようなものは認識の後から来た。
「ミラー!」
鏡から術が飛んで来て俺を癒してくれたが、血の力を介して治癒術の最上級術で対処されたのではないのか? 俺には上級の使用を咎めた直後でこれだ、父は適当でいかん。矢は消え、死を覚悟させられた冥府の気配は跡形もない。
「……今のはどう考えても死んでたよな、俺。助かった」
「こんな事でうちの子を死なせはしない」
殺気立った父の声はエピスタタに反撃したがったが、姿は見えず探査にもちらりとしか引っ掛からない。よほど遠くから射撃して来ているらしい。そう認識した直後、アステールが呻き声を上げたと思えば矢襖にされていた。六本の矢がくすんだ白銀の鎧を貫いて突き刺さり、アステールがその場に倒れ込む姿には現実味がなかった。どこから矢が飛んで来たのかさえ、俺には解らなかった。排水される水に混じり、アステールの肉体から黒い血が流れ出す。
「クソが!」
悪態と共に治癒術の下級術と中級術を複数浴びせ掛け、無理矢理にアステールを回復させた。絶命こそ免れてはいたものの、アステールの意識は一撃で刈られてしまっていた。
「弓手としての評価を修正すべきかもしれぬ」
「上に?」
「私では接近する前に打ち倒される可能性がある」
「わーお」
父と母が言う通り、エピスタタの弓術は凄まじい代物だ。
正直な所俺はもう帰りたいと思い始めていたが、意識を回復させ認識欺瞞の仮面を脱いだアステールが言った。嘘や偽りは感じさせてくれない。
「これがティリンス侯が継承し続けて来た夏殺しの力だ」
「アステール、どうすりゃ反撃できるんだ。遠過ぎる上に害意を伴わないのか隠しているのか……今のように攻撃されては捕捉できん」
「ティリンス侯が面会に応じた際には、おそらくは」
侵入前に覚悟していたよりもおっかねえぞ、エピスタタ。どんな面して俺達を全知の異能で見ているんだろうな?
「くそったれが、直接会ったら黙っちゃいねえぞ俺は」




