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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードと夏殺し
95/502

95. 押される境界線

 ティリンス外征を開始して十日が経過したのか。

 俺がパラカレ城砦とパラクレートス線の面倒を見るべく自宅から長距離転移するのは、パラカレの城下町にある宿の一室だ。かつては公爵だの侯爵が逗留した事からも安い宿ではないようだが、俺の小遣い程度の金銭ならミーセオ皇帝家に宝玉だの術具を売却すれば際限なく湧いて来る。金払いはいいしダラルロートほど審美眼が厳しくもない。いい客だぞ、皇帝は。所望されて宝玉の塊を創ってやる事もある。長期滞在を契約して一室を押さえていても気になる支出ではない。

 鏡の中で同居を始めた両親が互いを構っている間、息子の俺は放置されがちになっており朝食と昼食を外食する機会が増えた。今も腰に佩いた鏡の剣からは特に声が聞こえて来ない。夕食だけは鏡がいそいそと琥珀の館の厨房で作ってくれるのだがね。あれはあれで強迫観念めいてはいる。


 長距離転移を行使した時にはリンミの河辺に面した飯屋で腐魚の煮付けか唐揚げを食いながらダラコーラでも一杯やるかな、と言う気分だった。ダラコーラは悪属性でない者が飲むと毒物でしかないが、甘くて喉越しがいい黒い炭酸水だ。だが気が付けばパラカレの宿へと転移してしまっていた。そんなに仕事がしたいのか、俺は。部屋を出て宿の食事処に足を運ぶ。


「昼食を頼んでも良いか」

「はいな、ミラーさん」


 パラカレの宿が出す昼食はアガソス料理ばかりだが、雰囲気の良さもあって気に入っている。温和な女将にミラーソード様と呼ばれるのが何となく気に入らず、人格に悪影響を及ぼさぬ程度の軽い意識操作を施してミラーさんと呼ばせている。部屋で眠っている様子のない俺と室内で入れ替わる同行者が普段はどこにいるのか、何をしているのかなどと疑問に思う事もない。

 俺が創り、ミーセオの宣教師どもが撒いた属性転向毒に汚染されずリンミニアンに転向もしていない者はそう多くはない。宿の女将は善属性を保ったアガソニアンだ。善性がなければ心地よい給仕や気配りと言うのはできないのか、などと女将の観察を通して考察しているが明確な答えは出ない。鏡の給仕も快適だが、パラカレの宿の女将は鏡にはできない芸当を時折ながら見せる。属性について研究する上で興味深くはある。


 女将は俺の好みを数回の食事で見切ったようで、俺の好みでないものは出して来ない。壺で煮込まれた鶏肉と根菜のシチューの煮込み具合が外れだった事はないし、宿で焼いていると言う白パンは鏡が焼いてくれるパンにはない柔らかみがあり幾らでも食いたくなる。叩いた肉と刻んだ野菜を詰めた饅頭を捏ねて蒸させても美味いし、麺を打たせれば食べ応えのある太い麺に旨味の濃厚なソースを合わせて来る。最近は手に入り辛くなっていると言われ、名を挙げられた種類の小麦粉をリンミの大君の館の厨房から貰って来てやった事もあったか。

 ティリンス地方の特産だと言う甘いワインは少量でも随分と高価らしいが、俺の財布はミーセオの皇帝だ。構わず注げと事前に大枚を払ってボトル毎俺用に押さえた。食前と食後を問わず愛飲している。俺が自宅で醸造する山葡萄の葡萄酒とは物が違う。


 ……全体的に劣勢のティリンス地方の中にあって、俺が真剣にパラカレを守ってやっているのは半分以上ここの女将とワインの為じゃないのかね。大君の館では食べた事のない味わいのスープの素材について質問などして軽い話題を振った後、俺は女将に訊いてみた。俺にとっては既に六回目の質問だが、女将にとっては一回目の質問だ。


「女将はパラカレを離れる気はないのか? ティリンス地方の情勢はあまりよろしくない。イクタス・バーナバの勢力圏が拡大している」

「わたしはパラカレの外を知らないからねえ」


 情勢の悪化を物流の悪化によって肌で感じてはいるだろうに、今回も女将の返事は変わらなかった。この質問をするといつも態度がどこか硬く、強張ったものになってしまう。心術で精神操作し、俺に質問をされた記憶を消してやる。善良な女将に精神操作の痕跡を残さずに操れるのはダラルロートの知識と経験の賜物だ。今日はもう一つ、深層意識に命令を埋め込む。


「パラカレ城砦が非常警報を出した場合は避難誘導指示には従わず、俺の部屋の鍵を開けて机の上に置いてある水晶球に触れろ。逃がしてやる」

「わかったよ、ミラーさん」


 ……俺の血統に善性などない。俺自身は中立にして悪、父は狂った中庸、母は狂った悪。善性などと言うものを持っているのは俺の中には一人しかいない。




「出ろ、アステール!」


 女将の心尽くしの食事を終えた後、俺は部屋に戻り分体を切り離すと両肩の烙印の力を借りて魔法騎士に化けさせた。


「あれは貴様の干渉か?」

「ハッ。儂がやるなら心術なぞ使わず、避難するよう言葉で説得しとるわ」


 魔法鞄から用意した武具を身に着けながらアステールは否定した。仮面をまだ着けていないので認識欺瞞はない。


「そうよな。……つまらぬ事を訊いた」

「皇帝はまだ消極策のままか?」


 俺に構わず、アステールはアディケイアの皇居で会って来たミーセオ皇帝との会談結果を聞きたがった。アディケオの注視が強い場所でもあり、アステールの意識は俺の深層に引っ込めて隠しておいたせいで成り行きを知らんのだ。直接報告して判断と新たな指示を仰ぐべき事案があり、俺単身で出向いていた。


「ティリンスに対して割けるだけの充分な余剰戦力はない、と。

 他方でもあまりいい展開にはなっていないようでな。俺が単騎でパラカレ周辺をどうにか抑えられなくはないティリンスだが、ましな部類だそうだ」

「……歴代のティリンス侯がここまで押し込まれた事は過去に一度しかなかった。墓の下のあやつでも今の有様には匙を投げるやもしれんぞ、ミラーソード」


 俺が産み落とした夏喰らいの一族は増殖しながら今日も元気に密林を喰らっているのだが、境界線を押し返す為のアディケオの神力が旧アガソス全域を満たせるほどには足りていないのだ。

 夏喰らいはどの神にも支配されていない一時的な緩衝地帯を作る事はできるが、ミーセオの版図として塗り直すにはミーセオの守護神アディケオを信仰する者が定住する必要があるそうだ。そしてイクタス・バーナバにとってどの神も支配していない緩衝地帯へと再度版図を広げるのは容易い事だ。境界線を押し返すのは俺が祈りを捧げた杭を打ち込むだけでは足りていない。パラクレートス線はあまりにも東西に長過ぎた。俺が手を出さなかったパラカレ最寄の拠点が夏の権能の支配下に落ちてしまったと報告されたのは昨日の事だ。俺が守らなかったミーセオ駐留軍の前線が辿った運命になどさほど関心はないが、状況が一歩劣勢になったのは認識している。


「今や突出したパラカレだけを守備する意義はそれほどない。ダラルロートは放棄しパラカレの人口をリンミニアで受け入れろと提案して来たぞ、アステール。

 防げと言うなら夏喰らいどもを俺の手で更に増殖させてでも防いで見せるが、信仰と神力の不足に関する根本的な解決策が必要だ」


 俺達の別案は二つある。一つは父の案、もう一つは母の案。


「別案は二つあるが、おそらく両方とも貴様の好みではない」

「言え、ミラーソードでなければ抑える事すらできてはいまい」

「だそうだ。父よ、母よ。どちらから話す?」


 鏡の剣に呼び掛ければまずは母が口火を切った。


「私の案は夏喰らいが作り出した緩衝地帯を我が神の神力で満たす事だ。アディケオの神力が足りずとも、我らの神ならば生贄さえ捧げれば割いて頂ける余力はある」

「僕の案は支配される大地そのものの消去だね。土で繋がっているからどっちの領域だなんて話になるんだよ。土も岩も命のない砂になるまで削り落とし、広範囲に渡って切り離してしまえ」


 アディケオの神力が足りないと言う事態は俺も想像の埒外でな。

 第一使徒と皇帝の見解を訊ねて来た訳だ。ティリンスからの撤退を許すか、否かを。


「私の案には生贄が必要だが、何も問題はない。アステールよ、貴様の嫌うエムブレポ兵と民を殺して屍を我が神に捧げればいい。二千も捧げてやれば喜んで尊い神力を貸し与えて下さるだろう。生贄と領域を捧げるならば、今や恩寵を与える神なき貴様を受け入れてさえ下さるだろう」

「僕の案は魔素を大量に使う。パラクレートス線を利用して大規模な魔素枯渇を意図的に引き起こすからね。新たに作り出す境界線は生命を育む事のない完全なる死の砂漠と化すぞ」


 俺が思うに第三案もある事はあるがね。


「貴様には酷な案ならもう一つある。アディケオがアガシアの制圧を終えればおそらく神力は足りるぞ」

「……実現不可能だ、永遠に」

「貴様はそう言うと思ってはいたよ。アステール自身の腹案はないのか」


 期待はしていなかったのだが、アステールは認識欺瞞の仮面を手に声を絞り出した。第四案はある意味、母をも上回る非情な代物だった。アステールが協力を求めたのは暗黒騎士の母だった。


「貴様に堕落する覚悟があるならばやってやろう」


 母は酷く愉しそうだが、俺は気が気じゃなかった。アステールがそんな提案をするとは思っていなかったよ、俺は。

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