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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードと夏殺し
89/502

89. パラカレ城砦

 パラカレ城砦の良し悪しは俺にはよく解らない。戦槌を担ぎ上げ、黒塗りの板金鎧を着込み大股で意気揚々と先行する母の後ろを着いて歩く。建築されて長い歳月を経てはいるが、朽ちを感じさせない程度には定期的な補修を繰り返されて来た痕跡があるなと見て取れる程度だ。アステールならばもっと詳しい歴史を語ってくれただろうが、俺の母は暴威の化身である。


「暗黒騎士ミラーソードだ。

 ミーセオ駐留軍の現指揮官は直ちに出頭し現状について申し開きをせよ」


 門前で呼ばわれば母の声がそれほどの大声とは思えないにも関わらず響き渡り、門番やら見張りが相次いでその場で倒れるやら正気を失って呆けるなどした。暗黒騎士の存在そのものが恐ろしいのだ、意識を手放さねば狂いかねないと本能に悟らせるほどに。俺は母が発する闘気の悪影響を受けていないが、兵どもにはさぞ辛かろう。目視する以前の問題でばたばたと兵が倒れる音ばかりする。

 母は取次ぎなど一切待たず、ずかずかとパラカレ城砦へ踏み込んで行く。俺は飛び道具を弾き返す結界の類を展開してはいるし、鏡の剣に一人宿る父もそうだろう。母を護る為に息子としても力を尽くす。だが、母の肉体を傷付けられる者は果たしてこの世にどれほどいるのだろう?


「嘆かわしい軟弱さだ。闘気に触れただけで倒れる兵が夏の権能に(あらが)えるのか?」

「様子を見る限りじゃ無理だったんじゃねえの」


 少々投げ遣りな答えになったが、俺のリンミニア兵も母を前にしては騎士を含めて同様の反応だった。職務に忠実だった俺の臣下が母の手で見舞われた悲運を思えば、ちと言葉が荒れてしまった。


「ミーセオ兵はそなたの臣下ではない、そうだろうミラー」


 甘い毒が耳を伝って脳へと這い上がって来る。俺の母の属性は狂った悪だ。やりたい事の為ならば平然と道理を無視し、法に背く。中立にして悪の俺よりも更に深い所へ堕ちた凶暴で飢えた魂だ。より深みに在る悪の声は心地よいが、従えば何が起こるか俺は身を以って知っている。俺が決めた規律の枠に嵌めたいならばより強い魔力と意志で御さねばならない。母の形をした邪悪を。


「一定の配慮が必要だと言う立場ではある」

「戦えぬ兵になど何の価値もない。私は死霊術を扱えるぞ。肉体を持った屍兵にでも変えてやってはどうだ? 何者を恐れる事もなく、ただ命令に従う」


 肉体を持った、と強調されてなお俺は死霊術と言う単語に身を震わせた。

 俺と父は大魔術師だが、親子揃ってどうしても使えない系統術が二つある。死霊術と精霊術だ。死者の魂を扱う死霊術を扱おうとすれば俺はそれらの術が何を引き起こすか知るが故に恐慌を来たし、精霊はと言えば何を試そうとしても全く制御できずに暴走する。あの忌々しくけしからぬ者どもへの超重篤な恐怖症のせいだと自覚はしている。


「俺達には扱えないぞ。母には行使できるのか?」

「地獄を(そぞ)ろ歩くうちに邪神の教えを受けてな。

 心術と死霊術を習得した。もちろん治癒術と退魔術も失ってはいない」


 魔法操作(メタマジック)に理力術や元素術と言った魔術師らしい技には不案内な母だが、そんな芸当もあったらしい。詳細鑑定した時には母に死霊術が使えるとは認識していなかった。邪神に教わったと言うのは暇なんだろうか、爺さんだか婆さんめ。


「恐怖せず、休憩や昇進を要求して来ないのはいいがね。退魔術一発で灰になる手合いを下僕にしたいとは思わねえよ」

「建前だな。遠慮など要らぬと言うのに、我が子よ」


 母が城砦の広い中庭で足を止めて振り向き、小手を着けた手で俺の髪に触れて来る。美しい、と感じる程度には既に呑まれていた。


「はいはい、うちの子に何をさせる気?」


 鏡の剣から父の術が飛んで来て俺の意志を一時的に支えてくれた。

 俺の母は危ねえな、本当に。油断も隙もあったものではない。心術が使えると自己申告されたのはそう言う事かよ。精神耐性は精神に影響を与える術への耐性を約束するが、俺の場合は恐怖症を喚起されると抵抗と耐性を全て剥ぎ取られる。母が死霊術の話などしたのは明らかに抵抗と耐性を剥ぎに掛かって来ていた。俺の金の髪を掬い取り、ほんの戯れだとばかりの態度で母は言う。


「私はただ我が子を外敵から効率的に護りたいまでだ」

「勘弁してくれ、俺は母を愛している。無理矢理でない限りにおいてな」

「その言葉を忘れるな、我が子よ」


 満足げに再び背を向けた母をよそに、父が褒めろと強請(ねだ)る声。


「ねえ、ミラー。お父さんは?」

「もちろん父も愛してはいる」

「よしよし、いい子」


 表現の微妙さなど父は構い付けなかった。褒め言葉でありさえすればいいのか、父よ。母は真っ直ぐに城砦の中を突っ切って行く。練兵場にはいないと判断し、構造に見当を付けた指揮官がいるであろう部屋を目指しているようだ。

 正気付いた俺は思考をミーセオ駐留軍に対して向ける。城砦は無人ではない。母の闘気に撫でられただけで倒れた兵も相当数いる。


「……指揮官級の将校がいねえ感じか?」

「私に訪問されればこんなものかも知れぬが、気骨のある者もいるようだ」


 言われて占術で周囲に探査を走らせば、なるほど。気絶も発狂もせず、着いて来ている何者かがいる。熟練した隠密か密偵だろうか。喰ったら美味そうだ、などと益体(やくたい)もない事を考える。


「パラカレ城砦の指揮官は在室か」


 叫ぶ様子もなく、母はただ鉄扉に対して蹴りを入れた。ノックではない、母は初っ端から蹴った。魔法的に封印されてはいなかった扉は板金鎧を着込んだ脚が接するやぐにゃりと有り得ない歪み方をし、そのまま破壊され内側へ向けて倒れ込んだ。

 母ならできると頭では理解してはいるが、少々のやるせなさはある。戦槌に《非破壊》の魔力回路を刻ませたのは徒手と脚で戦うのが億劫だからではなかったのか、母よ。どうせなら戦槌でやってくれたら息子としては幾らか喜べた。破壊が過ぎ、部屋どころかこの階層が崩れたかもしれんがな。


「わあ、からっぽだ」


 父の言う通り、母が扉を蹴り空けた広い部屋には机や椅子に棚、旗立てと言った調度品はある。しかし、(もぬけ)の殻だ。人気はなく、室内の空気は何日も締め切られていたかのように淀んでいる。手掛かりになりそうなものをと思っても書類や文書の類が全くない。見当違いの部屋と言う訳でもなさそうだ。


「過去探査の占術は扱えるか? 何日前からこのような有様だったのか知りたい」

「ああ、できるぜ。準備できたら視よう」


 魔術師であれ神官であれ、高位の術師であれば術式の準備は手早くやれる。全く熟練していない初心者に近い術師だと精神集中に時間を費やして二つしか術式を準備できない、などと恐ろしい遅さなのだがね。

 俺が準備しておける術式の総数はさて、数えた事がないので知らぬ程度には多い。それでも全ての術を準備はしておけるほど習得術の総数が少なくはない為、今のように現場で準備術式を変更する事はある。


「それとも貴官が説明できるか?」


 母が後方へと声を掛ける。俺達の後を着いて来た者へ。ミーセオ士官の軍服を着用した黒髪の男が姿を見せる。どこかリンミの大君に似た艶のある長髪だ。


「忠実なる上級監察官よ」

「ええ、暗黒騎士殿」


 ミーセオ駐留軍の者だとばかり思っていたが、母は顔見知りだと言う。大君の館に詰める上級監察官はそれほど多くないし、黒の長髪のせいで覚えていた。ダラルロートの親族だ。


「上級監察官ワバルロートよりミラーソード様と暗黒騎士殿に御報告致します」

「聞こう」


 名前も何やら似ている。認識欺瞞を纏っているが、ダラルロートやアステールほど強い欺瞞ではない。邪視を抑制する眼鏡の枠外でワバルロートを見ればリンミニアンらしい構造の臓器と血管の束が視える。この男は生身だ。そして俺と母のどちらが真のミラーソードかを知っている。

 俺に向かってリンミニア式の敬礼を遣した臣民に俺は返礼し、報告を促した。

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