88. 城下町パラカレ
夏喰らいを産み落とし、密林を喰らい始めた様子にアステールも気を鎮めてはくれた。
俺達は飛翔で険道パラクレートスから最寄の前線拠点へと戻って来た。パラカレ城砦とその城下町だ。街中へ降り立ち、先導するアステールの後方を俺が着いて歩く。アステールはアガソニアンに見える住民から注がれる好奇ばかりではない視線などお構いなしだが、俺は鞄から取り出した眼鏡を掛けて少々鑑定を使いながら移動した。
「様子がおかしいなどと言うものではないぞ。異常じゃ」
鎮めた、とは言えアステールはリンミで演じていた役柄を思い出すほど沈静してはいないようだ。言動が“御老公”だ。スタウロス公爵アステールの名は旧アガソスでは間違いなく著名ゆえ、拠点内で名前を口に出すのは避けようと思ってはいた。着用を命じた仮面の魔力でどれほど強い認識欺瞞を纏っていようとも、真実を確信した者の認識は欺かれない場合がある。
「どう言う意味だ、御老公」
「……久方振りに聞いたの。あまり弟子には似てくれるな」
アステールが弟子と呼ぶのは整えた長い黒髪に黒い瞳の中年―――だと最近までは思っていた人の皮を被った化け物の事だ。ダラルロートが65歳だなんて知らなかったぞ。俺はもっとこう、そう、俺と年回りの近い可憐で可愛らしいスライムの嫁が欲しい。理想の嫁は俺の手で創るしかないのかもしれん、とは思い始めている。一時の血迷った感情に引き摺られたまま妥協したらきっと俺が後悔する。
「ダラちゃんも悪くはないんだけどね」
……なあ。鏡の中の父が今、恐ろしい言葉を口走ったぞ。ダラルロートめ、一体どんな甘言を父に弄した? 父が褒め言葉や煽てに弱いのは知っていたが、まさかダラルロート相手にここまで気を許す日が来るとは思っていなかった。毛嫌いしていた頃の父に戻って欲しい。
「ダラルロートでは気が休まるまいに」
「解ってくれるか」
そうだ! 俺に残された防波堤と言う名の希望はまだ母がいるぞ! 恐ろしい現実にはさっさと蓋をしてしまおう、速やかに分体をアステールから母に交代させてやる! 決意する俺を他所に、アステールが話を本題に戻した。
「パラカレに引っ込んで遊んでいる余裕などない侵食度合いじゃと言うに、森のどこも焼かれてはおらなんだ。
ティリンス侯が健在だったならばパラカレ城砦はあくまでも後方支援基地であり、パラカレは兵士とその家族を住まわせる為の町だ。最前線として想定された城砦ではない事は城下町を見て貰えれば解ってくれような」
「ああ。町に要害と言う印象はない。最前線はもっと兵士や傭兵の類がいるものだ。兵らしき者どもの数が少なく、物々しさがない。俺達に誰何して来る兵も、通報に走る市民もいない」
ティリンス侯とやらはよほど有能だったのか、アステールが度々名を出して来る。
俺とアステールの二人連れはパラカレに入り込んだ異分子だ。仮面で顔を隠したくすんだ白銀の甲冑の老騎士に付き従う、軽装で戦槌を背負い剣を腰に佩いた俺だ。パラカレを満たすアガソスの冬の空気が晒した両肩に涼しいったらない。
気温は不快ではないし凍死もせんよ、俺ほど優れた元素術師は目の前以外にはそういない。空気の暖かさなど好きなように操作できる。アステールを喰らって知識と経験を奪わなければ俺の元素術はもっと未熟だったがね。信奉する治水の君アディケオから水の恩寵を加増された今ではアステールさえも上回っている。
俺は既に師を越えた弟子だ。ダラルロートとは違う、とまで考えて思考に疑問符が点灯した。師を越えたと言う意味では俺とダラルロートは同類なのでは、と。ダラルロートめ、視界内にいないならいないで思考に出しゃばって来やがる。化粧をした男の顔を頭から追い出す。俺は初恋の女性のようなスライムを見つけるんだ。
「ミーセオ駐留軍が前線として留まるべきなのはパラカレではなく、アステールが線と呼んでいた石壁の周辺だ。森に侵食されて倒壊していたが櫓の痕跡はあった」
「そうじゃよ、暗黒騎士殿。夏の権能は一刻も早く押し戻さねばならん」
アステールは鏡の剣に意識を宿らせる母に対して言ったのだが、奇妙な二人連れを注視している住民にとってはそうではない。暗黒騎士と呼び掛けられたのは俺に見えよう。注視が一段と強まる。俺の人型に化けた姿はそれなりに有名らしいぞ? リンミの大君と共にアガシアの花を打ち倒したアディケオの使徒、暗黒騎士ミラーソードとしてな。
相互監視の網を張り巡らせたリンミニア領内の雰囲気に似てはいる。道すがら雑に鑑定したパラカレ住民の属性は多くが正しき悪。種族はアガソニアンではなく、俺の属性転向毒を受け入れて悪へ転向したリンミニアンが多かった。リンミニアと違うのは情報を吸い上げて束ねる監察官がいない事だが、俺が支配して命令せずともそうした仕事に向いた気質を持つ者はいる。正しき悪の属性の者には特に多い。
「ミーセオ駐留軍の現状把握が先だ。御老公、宿はこの先かい?」
「そうじゃ。以前、パラカレを訪問した際にティリンス侯と共に逗留した宿がある。暗黒騎士殿の着替えは城砦に殴り込む前の方がよかろうて」
「あぁ」
愉しげに応じたのは母だ。暗黒騎士としての力強い声が響き、俺の精神を高揚させながら質問して来る。
「我が子よ、ミーセオ兵はそなたの臣下か」
迂闊な答えを返せば母は何かしら仕出かす。俺は言葉を選ぶ。
「俺の臣下ではないが、アディケオを守護神として奉るかミーセオ皇帝家に忠実な者ならば使徒として庇護を与えてやらねばならんぞ」
「では、皇帝の命なり信頼に背き敵前逃亡もしくは逃亡を幇助した兵どもについては断罪が必要だと理解してくれるな?」
もし「有罪だ、好きにしてくれ」などと言ったら、母はミーセオの駐留軍を単独で殲滅して命を喰らえと俺に投げ与えて来るぞ。母は督戦だと言っていたのだから、正しい答えは。
「……軍規に則って頼むわ」
「そうか。ミーセオの軍規に詳しい者が欲しいな」
……何やら母が術だか血を準備し始めた気配がするぞ。俺と繋がる経路に母から干渉がある。暗黒魔法に分類される心術か何かで手頃な者を支配する気だろう。母は敵前逃亡だとも言った。パラカレの様子を見ての推測なのだろうが、口にするからにはほぼ確定なのであろうな。
俺達はパラカレのような小さな町で経営されるものとしては随分と格式の整った快適そうな宿に部屋を取り、アステールの武装を解かせた。俺の両肩にある灰色の烙印に支援を受けて異能に触れ、分体を支配する意識を入れ替える。
「アステール、母に代われ」
「精神体も悪くはないが肉体はいい。存在している意義を感じられる」
分体は老人から鎧下を着用した俺そっくりな金髪の青年に姿を変え、形成した肉体で満足げに拳を握った。魔法鞄から取り出した母の専用装備は二つ。両手で扱う大型の戦槌と漆黒の板金鎧だ。鎧は俺が造らせて着ていたものだが、板金鎧を一から造らせて付与までする時間がなくてな。体格がほぼ同じなのだからと母に召し上げられ、母に合わせた調整もされてしまった。俺用の新しい鎧が仕上がるのはまだ当分先だ。
着付けを手伝ってみると母と俺の体格の差を改めて感じた。俺の方が筋肉の質が低いと言うのかな。俺の金銀混淆の髪に入った銀色を除けば見事な鏡写しなのだが、触れると感触が違う。
「要望通り戦槌には《非破壊》を刻んである。母が触れても腐敗はしない」
母には命中や威力の補助よりも壊れない武器が欲しいと言われてな。母の予備武器として格上や同格を相手にする事を想定した攻城兵器めいた大槌も準備しているが、完成には魔力付与に費やす時間がもっと欲しい。時間さえあれば俺はアステールの十字双剣を超える武具を造れるはずだ。鏡の手を借りてさえ時間が足りない。
「《非破壊》で良いのだ。武器を失い、徒手と脚で戦うのは億劫な事だからな」
アステールとの考え方の違いであろうな、とは思う。母の戦い方は暴力による蹂躙だ。一人でどれほど多くの者を殺す気なのか知れない武芸が母の人格には詰め込まれている。
「鎧は以前説明したが《耐久力》と《復元》に理力防御。属性防御はない」
「充分だ」
多少の予備武器と防具が容量を大きく拡張した魔法鞄の中には納まっているが、母は戦槌と板金鎧があれば良いそうだ。身を守る為の術具はある程度持って貰うがな。
俺も緊急脱出用の首飾りやら、魔術を封じるなどした指輪に魔力を流して正常に動作可能か確かめる。何しろ軽い気持ちで術具に作動不能の悪戯をしてえらい恐怖を味わった後だ、慎重にはなる。もし俺が忌まわしい手合いを目撃して行動不能に陥った場合、首飾りは長距離転移を起動して俺を自宅に連れ帰る。出征先で恐怖症の発作を起こし、泣き叫ぶ無様を晒す事はないはずだ。……敵前逃亡はするかもしれんが。
「なあ、母よ。敵前逃亡と言うのは母の知る法ではどれほどの重罪なのだ?」
「バシレイアの軍規であれば例外なく処刑だ。幇助した者は目を潰される」
「そうか」
……俺、エムブレポの精霊徒が操る精霊なんぞに遭遇して首飾りで撤退したら母に縊り殺されるんじゃないのか?
「そしてバシレイアの兵にノモスケファーラは剛力の恩寵を授ける代わり、戦いの中で死ぬ日まで勇敢に戦い続ける事を求める」
「そりゃまた過酷な国柄だな」
「……そうだったね」
鏡の中で一人になった父の声はどこか心細げに響いた。母がいないと寂しいのかね。一抹の不安は心の中で握り潰し、俺達はパラカレ城砦へ向かった。




