86. 出征
どうでもいい話なんだがな。欺瞞を禁じて分体を詳細鑑定した結果、ダラルロートのあの顔はかなり化粧をしているなどと知らなくて良かった事を大量に知ってしまった。
中年に見えていたダラルロートが65歳だとか、初老に見えていたアステールは182歳だっただとか、父はあれだけ偉そうにしているのに2歳でしかなかったなどと言う情報はあまり知りたくなかったよ俺は。親子と言うより兄弟ではないのか。青年に見える1歳のミラーソードとしては、青年に見える母が42歳と言うのが一番まともなんじゃないのかとは思う。
出征準備を進めているのは大君の館にある俺の私室だ。卓上に旧アガソス領内の地図を広げ、スコトスから伝達されたティリンス地方の前線状況を駒で示している。ミーセオ駐留軍は劣勢であり、ティリンス地方はかなり広く南から浸透したエムブレポの軍に侵食されてしまっている。使徒の干渉なしに押し返すのは容易ではあるまいが、暗黒騎士ミラーソード自ら出向く以上は劇的な変化と言うものを見せてやらねばなるまい。
とは言え、まだ朝が早い。俺は軽い雑談を振った。
「アステールは本当に182年も生きたのか?」
「もしもスタウロス公爵領の歴史書が現存しているなら、容易に事実と知れる事だ。儂はアガシアに長く仕えていた」
アステールは今でもアガシアに仕えてはいるのだがな。地上への影響力を失ったアガシアから愛と美の恩寵を受けられなくなり、俺の母のように恩寵を与えてくれる神へと乗り換えてもいないと言うのにアステールは相当に強い。生きた年数の違いのせいだろうか。
「どうやって?」
俺には疑問だった。まだ1年しか生きた経験のない俺にとって、182年と言うのは想像を絶している。
「アステールは俺の血統のように命を喰って過ごした訳ではないのだろう?」
「……そう言った意味では卿には基本的な常識がないのだな。
使徒には不老の異能が授けられる。才能を損なわず、長く神に仕えられるように」
それでも不思議なんだよ。俺はアステールを相手に質問を重ねた。
「俺は不老は不死を約束するものではないと父に言い聞かされて育った」
「アガシアの愛の権能が儂を長く生かし続けた。愛は強い護りだ。
剣は幾百度振るおうとも折れず、鎧が砕かれるとなれば完全に復旧させる」
アステールの言う事には心当りがある。かつて戦った時にアステールの身を護っていた鎧を破壊しようと魔力解体を試みたが、アガシアからの干渉で無効化されてしまった。話の流れでアステールに渡した装備の話をする。
「貴様の新しい鎧には《耐久力》と《復元》の魔力回路を刻んだ。
アガシアの愛ほどではないが着用者をよく守るだろう。後は理力防御だ。
今の貴様に属性防御は要るまい。俺の血肉が毒や腐敗を完全に防ぐ」
全体的な意匠は生前にアステールが使っていたものを模倣している。輝かしい白銀ではなく、くすんだ白銀にしてあるがね。《耐久力》を刻まれた物品は容易くは壊れず、《復元》はある程度までなら破損部位を自己再生させる。鏡の剣に刻んでいる《非破壊》を刻んでやれば壊れなくなるのだが、《非破壊》を刻んでしまうと他の回路と付与の余裕がなくなる。
「予備武器は要望通り《火炎魔装》と《炎上》付きの弓にしたが、出来はどうか?」
アステールには弓の心得もあり、出征前に作ってくれと言って来ていたのだ。エムブレポとの境界の押し返しには火矢が必要になるだろうとの話だったが、指定された魔力回路を刻んだ長弓は結構な強弓だ。弓術の心得を誰からも借りていない俺には満足に扱えまい。もちろん、望めば俺自身をある程度再構築できるがね。
《火炎魔装》は番えた矢を火矢に変え、《炎上》は着弾した火炎を通常よりも長く存在させる。家畜の餌として蓄えられた藁束にでも打ち込んだら派手な火災を引き起こすだろう。アステールが要望して来たにしてはかなり攻撃的な品だ。
「……良い弓だ。これほどの品を預かれるとは期待していなかった」
「そいつはどうも。製作した元素術師としては喜んでおく。
十字双剣に関しては現状以上に強化するには時間が足りない。元の性能のままだ」
アステールが元々使っていた一対の剣は返してやった。第一使徒の得物に相応しい業物で付与も只事ではない。アステールは二刀流で戦いながら詠唱破棄した二重詠唱で元素術の最上級術を放っていた。望まれただけの力を返してやった今、同じ事ができる。
「アステールは調整すれば多重詠唱に手が届くのではないか、と父は言っていたがどうする? 俺の手で再調整してみるか?」
「……いや、元々の儂の才覚の方が馴染みはよかろう。儂に多重詠唱はちと高度過ぎるようだ。概念として理解できても頭が着いて来ない」
装備の確認ついでに分体の自我を構成する要素を弄ってやっても良かったのだがな。アステールは二重詠唱で良いと言うので容認した。俺からすると二つ同時が行けるのなら三つも六つも変わらんだろうよと言う感覚だが、少し前にレベル2まで弱体化して魔法操作が碌に使えなくなった時の俺はいちいち集中しては呪文を唱えていた。あの貧弱で非力な感覚に近いのではないか、と思えばアステールの言う事も理解はできた。あんな思いは二度と御免だがな。
「後は細々とした術具だな。宝飾品の趣味が合わぬかもしれんが勘弁しろ」
「選り好みはせぬ」
「貴様の弟子の選り好みが酷かったので言っている。やれ意匠が有り得ない、金属と石の合わせ方が無個性、素人考え丸出しの粘土細工だなどと詰られて何回作り直しをさせられた事か」
俺は渋面を作って言ってやったが、正体を偽る欺瞞の仮面を身に着けた老騎士は認識欺瞞の上からでもそうと解る苦渋の声音を発した。俺の作り顔などより余程深刻だ。
「……儂は道を誤った弟子を正してやれなんだ」
「ダラルロートは化け物だ。アステールが非力だった訳ではあるまいよ」
「ダラちゃんだからね。アステールは真面目に考えすぎよ」
鏡の声もアステールには比較的優しい。いい加減な父だが、アステールの経験は買っているようだ。何しろ1歳の息子と2歳の父では世間と言うものを知らなさ過ぎる。
「それでも、あれを正してやれていればと思う事はある」
「懺悔なら平時の持ち時間の中でやってくれ。今は戦時だ。
スコトスに指示された前線の中でも最前線はここだが、長距離転移で転移できるか?」
「……可能だ」
地図を叩いて示した俺にアステールが短く答えた。
「ティリンス侯爵領の中でも一番の要害、険道パラクレートスだ。
突破されればティリンスは陥ちたも同然だぞ。何故ここまで押し込まれている」
「さてな、俺に怒るなアステール。まずは現地の様子を見よう。
ミーセオ軍の報告書は表現に虚偽と誇張が多くて当てにならん」
「嘆かわしい事だ」
公爵の怒りを向けられるべきなのは俺ではなく、ミーセオ駐留軍だと思うぞ。俺はアステールを宥め、大量の荷物を収めた魔法鞄を手に転移できる最寄の地点へ送って貰った。




