81. 4日目 - 暗黒騎士の急襲
リンミはアガシアの第一使徒に襲撃された事がある。
俺とダラルロートがアステールを相手に戦ったからな。忘れるはずもない。今日はリンミにそこらの第一使徒に匹敵するか凌駕する強さの母が、第二使徒には匹敵するであろう強さのお供を連れて遊びに行く。本体の母は左肩から灰色の翼を生やしているが、姿はどちらもほぼ暗黒騎士ミラーソードだ。ミラーソードとしては泣きたい。
「乗騎の招来ができないと言うのは不便なものだな」
「下手なものを呼べば身動きできなくなるであろうな」
山道を降りる母二人は徒歩でリンミへ向かっている。雑談の中、翼のある母が身を震わせて足を止めた。
「……」
「……想像したな? 考えるな。暗闇の腕に抱かれよ。沈静」
翼のない母に宥められ、恐慌状態に対して沈静化を受けたようだ。乗騎となる生物の中でも不味いものを想像してしまったのだろうな。それこそ、透けていた聖獣どものような手合いを。幽霊恐怖症の影響は色濃いが、今や本体の母には行動不能中の手足となれる分体の母がいる。俺の細工のせいで卒倒する事もない。
「すまぬ」
「よい。神子と戦うのは私の役目となろうが支援はして貰うぞ」
「持てる限りの力を尽くす」
「期待している」
再び歩き出した二人の歩みは速い。重装鎧を着込んでの行軍に耐える騎士職の体力からすれば軽装での山歩きなど散歩にも等しいだろう。街門などすぐだった。
「ミラーソード様ではないのか。なんと神々しいお姿」
「わあ、ミラーソード様だ!」
市民の声がする。俺に『よく働き、よく眠り、よく見よ』と刷り込まれたリンミニアンは日常に侵入した異物に対して目敏いのだ。リンミでは相互監視を美徳とし、区画を受け持つ監察官がリンミ市民のあらゆる情報を握っている。今も監察官の一人が異常を察し、二人連れの暗黒騎士に接触して来た。分体の母は従者めいて一歩下がり、本体の母が監察官に対応する。
「おはようございます、ミラーソード様。如何なさいましたか」
「他神の遣いによる襲撃に対応していた。この上の磔刑場だ」
「磔刑……あのお父君が建てられた施設ですね。衣類の手配を致しますか」
「要らぬ。乗騎を二頭貸せ、大君の館に戻る。先触れは不要」
「乗騎を? 畏まりました」
母は嘘を言っていないが、事実ばかりでもない。監察官は翼を生やした俺と俺そっくりの者がやって来て珍しい指示を出した事に戸惑ってはいたが『ミラーソード様の御命令だから』と疑問を口にするのを思い留まったようだ。俺の姿さえしていればやりたい放題なんじゃないかね、リンミニア。後で対策を考えよう。……無事に事が済んだらな。
二人の母は黒鱗の細首竜を慣れた様子で駆り、大君の館へと走らせた。
騎乗技術は危な気なく、脚力がある代わりに気性の荒い黒鱗種が実に従順だ。俺にもできるが、母由来の経験だったのだなと改めて実感する。俺の場合は飛翔と転移で飛び回るのが常で普段は乗らないが、騎乗自体は好きだ。騎士と名乗るなら騎乗技術は必須だと心のどこかで考えていた。きっと母の思考だったのだろう。父の住まいの中で作業を進めながらではあったが、細首竜を駆る母の姿を見るのは心楽しかった。
だがな、俺は支配下の市民に対して果たすべき責任があるんだよ。特に罪のない勤勉で非力な市民の命を七つも母二人に喰らわれた以上、ミラーソードとしてやらねばならん。母は恐ろしいし、幽霊恐怖症も嫌だ。それでもやらぬよりはまだ恐ろしくない。二匹目の分体を創れたのだ、精神体の俺にも異能は使える。俺には術こそ四つしかなく血の力も触れられないが、異能に触れる事はできた。今の俺はレベル2かもしれんが、おそらくレベル2としてなら最強だ。母に屈してなるものかよ。……怖いけどな。
「これは、ミラーソード様!」
「おかえりなさいませ、ミラーソード様」
大君の館に着いてみれば慌しく対応される母二人。どちらに敬礼をしたものか悩む様子が伺えたものの、分体が一歩下がって控えた事で左肩から翼を生やした本体がミラーソードとして扱われた。もう少し疑問に思ってくれてもいいのではないのか? 俺のリンミニアンはミラーソードの顔をした者に対して素直過ぎる気がする。
「父はどこか? 早急に話し合う必要があり戻って来た」
「ミラーソード様のお父君ですね? 補佐官に所在を問い合わせましょうか」
「いや。上級監察官はいるか?」
「お呼びでしょうか、ミラーソード様」
手馴れた様子で母が上級監察官を呼べば、影めいて存在感を消していた黒髪の男が姿を見せる。確かダラルロートの親族だと聞いた男だ。髪の質感が似ている。
「父は今どこにいる?」
「昨晩からお父君は腹心の御三方と共に過ごしておられます」
「急ぎなのでな。案内せよ、先触れは不要」
「しかし、入口は封印されています」
「封印か。構わぬ、私が解除する」
「大君の私室へ御案内致します」
……三人の腹心と一緒に? 確かに昨晩、ダラルロートの声は聞いたがあれは幻術ではなかったのか。
分体はと言えば、詰め所で騎士隊の予備武器など借り出している。弱いが、多少の理力術を永続付与した騎士用の鉄槌だ。魔力回路《非破壊》による保護で武器としては壊れないが、それだけでしかない鏡の剣よりかは武器として頼れるだろう。
案内されているのは勝手知ったる慣れ親しんだ大君の館のはずが、鏡の剣の中からは目新しく感じられた。俺の知らない部屋が幾つもあり、上級監察官は俺の知らぬ通路も使ってみせた。ダラルロートの采配だろうな、間違いなく。
「防音と人払いの結界に加え、封印された扉は材質が強化されています」
上級監察官が報告する事には、父と俺の腹心三人は昨晩から大君の私室から出て来ていないそうだ。中の様子が解らないなりに監視はしていたと言う。ダラルロートの親族なだけに有能だな。上級監察官と筆頭監察官であれば人払いの結界の影響に抵抗して近付けたと言うから、抵抗力の弱い者を追い払う中級術は母には通用しないだろう。多少の騒ぎになっても救援はない、と言う意味でもある。
「こちらです」
「下がっていろ。手出しは無用」
「下がらねば身の安全は保障できぬ」
なるほど、案内された大君の私室の扉は厳重に封印されていた。傍目にも触れたら不味い反応があるだろうな、と解らせるような波紋が扉の表面に脈打っている。母二人は呪文やら祈りを捧げ、どう見ても戦闘準備をしている。母の頭の中の辞書で『説得』とは一体どのような定義がされているのか。
ともあれ、母の『説得』が『武力による解決』なのは明らかだ。邪神に請うた祝福で士気を高揚させ、鉄槌と灰色の翼から変じた槌は濃密な邪気を帯び、暗黒騎士二人の総身からは堕落の闘気が放たれる。腐敗の瘴気が周囲に漂い、布張りされた大君の館の内装を腐らせた。
扉の前で筋肉を緊張に漲らせ、灰色の槌を操る母は分体に言った。
「突破後の委細は任せる」
「ああ。全力を尽くす」
邪神が応えたのが解った。母が今まさに振るおうとする邪気を帯びた灰色の鉄槌に更なる腐敗の神威が宿る。神威の一撃だ。聖騎士なり暗黒騎士ならば、下位であっても神に借り受けた神威を武器に宿して敵に叩き付ける事ができる。母は封印された扉は攻撃しなかった。
腐敗の恩寵を受けた槌が壁を紙か砂糖菓子めいて打ち壊し、母らが私室へ突入して行く背中を俺は鏡の剣の中から見た。暴力による母流の魔法解除と言う訳だ。ああ、俺の母はどうしてこんなにも強いのだろうな?




