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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードの家族
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76. 3日目 - 美食の計

 3日目の夜。


 ミーセオの兵学が教える美食の計は運用法にもよるが、拷問にも使える。

 誰しも美味い料理は好きだ。人食いスライムの俺だって好きだ。どうせ食べるなら美味いものがいい。強大で上質な命など滅多に御馳走になれないが、美味い料理は腕のいい料理人と適切な素材があれば楽しめる手頃な娯楽だ。そして俺は変成術の権威と呼ばれるべき魔術師だ。知識さえあれば素材を好き放題に創り出せる。料理人さえ確保すれば美食に耽って暮らせる身分だし、料理の振興だの保護と言った面倒な仕事は分体を大君ダラルロートに化けさせてやらせれば済む事だ。


 善なる者が使う美食の計は大人しいものだ。閉じ篭っている者を炊事の煙やら、宴席の楽しそうな雰囲気で釣り出す。それこそ、鏡の剣に閉じ篭っている今の俺のような者に使う術策だ。

 悪なる者が使う美食の計はもうちと邪悪さが加わる。捕らえた者を飢えさせ、食事を与えずにおきながら美食の匂いのみを嗅がせ、時には美食を愉しむ様を眼前で誇示する。まあ、俺の母は自ら食事を拒んだのだが選択された計略としては妥当であろう。ヤン・グァンは俺の肉体に食事を摂らせたいのだからな。


 鏡の中で俺は外界の映像と音のみを感知している。匂いは解らない。だから、磔にされた母の周囲に送って来られている空気がどんな匂いなのかは知らないし、味わう事もない。だが、ミーセオの守護神は正しく悪なるアディケオだ。美食の計を悪なる者が用いればこのような事になる。



 ジュワッ!! と音を立てて熱された鉄板が脂を焼く音がした。肉汁の滴る音だ。


「いいですねえ。ステーキの焼き加減が改善したのではないですか」

「そお? ダラちゃんにしては温い評価だと思うけどもっと褒めて?」

「よろしいですよ。では、頂くとしましょう」

「僕の手料理、楽しんでね」

「バシレイアの水牛の中でもミノス地方の水牛は特に上質ですからねえ」


 父とダラルロートの愉しげな声と食事の音が母の周囲に届いている。何をどうやっているのか、父とダラルロートの声がするのだ。ダラちゃんなんて呼び方は初めて聞いたぞ。あれほどダラルロートを嫌っていたはずの父に一体何があったのか。そもそも、俺は分体を一つしか作っていないし俺の意思でしか支配する人格を交代させられないはずなのだ。一体どこから引っ張って来たダラルロートなんだ。俺には不思議でならない。

 聞こえる声から判断すると父が何がしかの料理を作り、リンミの大君ダラルロートに品評させている。母は暫く前から眉間に皺を寄せ、両目を閉じたまま黙り込んでいる。


「はい、あーん」

「……ああ、柔らかいだけではないのがよろしいですな。

 こうして噛むとお父君の叡智に触れる心地が致しますねえ」

「僕、素直なダラちゃんは好きだよ」


 しかも父が取ってやって、ダラルロートに給仕までしているらしい。俺には磔刑場の外でどんな地獄が繰り広げられているのか全く想像できない。全部、幻術なんだろう? そうだと言って欲しい。でないと俺が悪夢と母への恐怖で狂いそうだ。震えていると寝転がらせてくれているスライムが俺の背をぽむぽむと撫でてくれるのがせめてもの慰めだ。


 そう思っていると磔刑場の中心に皿を持ってシャンディがやって来た。

 切り分けられ、一口噛んだ跡のあるステーキの肉片と幾らかの野菜が載っている。シャンディの血色は蒼白に近いが、父に術で支配されているシャンディは忠実に伝言を言った。続けて姿を見せない父の声もする。


「こちらはお父君から暗黒騎士殿へと申し付けられた皿でございます」

「やっほ。ハンガーストライキ始めたって聞いたから乗っかる事にした。

 一口は僕が齧っておいたから、舐めたら僕の味がするぞ」


 俺はスライムに頭を突っ込み、耳をできるだけ塞ごうとした。だが神は非情だ、情け容赦なく外界の音を伝えて来る。母が両目を開き、シャンディに一瞥をくれる。眉間の皺は相当に深い。


「そなたの手ずからでないなら要らぬ」

「そう言うと思ってさあ」


 ぱらぱら、と紙を捲る音がする。


「徹夜して君に受けが良かった箇所を厳選したの。ダラちゃん、読んでくれる?」

「はい。

 ―――国許に帰った騎士は土産にと持ち帰った涼み袋を国王に献じました」


 ダラルロートの声が何やら読み上げ始める。涼み袋、と言う単語に反応して母が全身を震わせ、眉間の皺は恐怖の表情に取って代わられた。


「例年にない酷暑に悩まされていた国王はその夜、早速涼み袋を開けてみました。

 開放された死霊の王(レイスロード)はたちまちの国王を生きたままレイスに変え、契印を守っていた国王の死と同時に封じられていた冥府の扉が大きく開いてしまいました」

「ぁぁあああ!!」


 幽霊恐怖症を喚起された母が高い悲鳴を上げる。シャンディは決死の形相で耐えながらもフォークで肉片と野菜を刺し、開かれた母の口に押し入れた。どんな拷問だ、これは!? 俺の知っている美食の計とかなり違う気がする。


「冥府の扉からは続々と亡霊や悪鬼の類が溢れ出し、留まる事を知りません。

 現在でも禁足地とされるタナトス地方においては冥府と現世が接続してしまっており、現世へと漏れ出し続けているのです……これは創作ではなく実話ですよ、暗黒騎士殿」

「……ぅっ……」


 ……実話!? 涼み袋の話は実話なのかよ!? 俺、絶対にタナトス地方とやらには行かないからな! 父の声で言われたら「嘘だ!」と叫んでいたと思うが、ダラルロートの声には説得力がある。あの化け物は大嘘吐きだが、ミーセオの大君として君臨できるだけの説得力も伴っているのだ。俺には真偽が解らなくなった。真実でも虚偽でも、どちらでもおかしくない。


 恐る恐る母を見れば、悲鳴を堪えてシャンディの手で口に入れられた肉と野菜を飲み下していた。どんな強さがあればそんな真似ができるのだろう? シャンディは腐敗させられずに引き抜けたフォークを今にも卒倒しそうな顔で見ている。


「ほーら、僕は嘘は言わなかっただろう?

 手ずからの食べ物しか受け取らないと言うならこうしようぜ。嬉しいか?」

「……これだけでは足りぬ」


 母は追加を要求した。信じられねえ。俺はもう、何を信じたらいいのだろう? 母が強過ぎて俺として存在するのが辛い所まで来ている。どれだけ深く支配されたとしてもシャンディの正気が長くは持つまいと言う気はする。恐ろしいのだ、望まぬものを腐敗させる母の間近に立つのは。俺には恐怖で怯える者の心は痛いほど解る。


 結局、3日目の夜に母は幾らかの食物を摂った。そう多くはなかったが「僕が一口飲んだスープ」を満たした杯があったので飢える事はないと思われる。まさかあと7日もこの調子なのか? 俺は震えながら鏡の中で父の住まいのスライムに抱かれて眠った。

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