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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードの家族
74/502

74. 2日目 - 司教と暗黒騎士

 夕刻、日没頃。


「―――こうして、ホウ・ガイウスは僧が経文を書き忘れた耳を悪霊どもに見つけられてしまい、耳から命を貪り食われて死んでしまったのですじゃ」

「ぐっ……うっ、あぁぁぁ!」


 午前に較べれば余裕ありげな母も、ヤン・グァンの読み上げる説話のクライマックスはどれも辛かったらしい。今、締めに入っているのは墓を荒らした後、悪霊に悩まされた者の話だ。


「この説話は墓は暴くな、僧の話は聞くもんじゃよ、と言う警句と共に悪霊への対抗策を示すものでもあります。臣のような司教に限らず、高司祭が務まる程度の僧なり司祭であれば説話の主人公に経文を書いた僧のような術式は実際に可能でございます」

「救いになりそうな部分は解説しなくていいよ、ヤン・グァン」


 二つに増やされた書見台にはヤン・グァンと父が座り、父が創造した大きな本棚と茶棚が設置されている。魔法陣が描かれた磔刑場の中心の光景としては些かならず混沌としている。


「くっくっく、どうよ悪霊。

 僕らの心尽くしに請願契約を受け入れる気になってくれた?」

「嫌だ!」


 予想通りと言えば予想通りの答えと、母の拒絶の力強さに俺は渋面になった。幽霊恐怖症の影響下で弄ばれてもなお気丈さを保つ者に対し、一体何をしたら心を折れると言うのか。俺には分からない。後ろに控えていたシャンディが父の横に跪き、何やら報告する。


「お父君、よろしいでしょうか。

 リンミの主席補佐官がお父君を夕食にお誘いしております。如何なさいますか」

「あん? 僕を?」

「はい。偉大なる魔術師であるミラーソード様のお父君を是非歓待したいと」

「そうなの、へえ。行く行く」


 母に対してどうでもよさそうな態度を見せ付けるのが本題であって、夕食の招きを喜んでいるのは嘘だろうと思いたいのだがな。父の事だ、手放しに賞賛してくれそうな弱者からの接触を歓迎していると言う可能性が高い。父を見つめる母の視線からは感情を読み取れない。父はさっさと席を立ち、シャンディを連れて去って行く。


「夕食ってミーセオ料理? それともアガソス料理なの?」

「大君お抱えの料理長の得意料理はミーセオ料理ですが、アガソス料理を得意とする者もおりますね。御存知の通り、大君が料理人の育成に熱心ですので」

「そういやそんな話も聞いたな。いやあ、楽しみだな!」


 ……母の事なんて本当に眼中にないのではなかろうな? 息子としては父の能天気さに不安しか感じない。俺に残された希望はもはや、磔にされた俺を思案するように見ている正しき悪の司教ヤン・グァンだけかもしれない。書見台に座したまま絶えざる聖火を抱く杖を手に取り、母を幽閉した俺の肉体に言葉を向けて来る。


「悪霊よ、ミラーソード様を解放する意志はないのか」


 母が視線をヤン・グァンに向けた。俺が試した時は一瞥だけでシャンディの腰を砕けさせた暗黒騎士の凝視だ。ヤン・グァンは何の圧力も感じていないかのように言葉を続ける。


「お父君に守られておる臣には効かぬよ。

 奴隷として隷従させられておる、と言うのが実際だがの。ミラーソード様の腹心としてできればこの状況を早期に解決したくはあるのだ、悪霊よ」


 父は精神支配に際して俺の予想よりも強い術を腹心らに施していたらしい。隷従している、と自覚できていると言う事は父が現状把握を許したのだろう。何の疑問も持たない奴隷に仕立て上げる事もできたはずだ。しかし俺が母を幽閉した事までは知らないようだ。ヤン・グァンには父に説明された通り『ミラーソードが悪霊に憑依された』と認識されているのだな。


「……私が我が子を解放しないのではない。我が子が私を肉体に幽閉している」

「そりゃまた受け入れ難い主張じゃの、悪霊よ」


 悪霊と呼ばれる度に感じているのだろう苦痛に耐えながらではあるが、母はヤン・グァンとの会話には応じた。そして母は何も嘘を言っていない。鏡の中でスライムの上に寝そべり、橙色の果汁を飲み、むにむにとした食感の紫色の茶菓子を噛み千切りながら外の世界を眺める俺の手で母は幽閉されている。


「事実だ。今も私の声を聞きながら様子だけは見ている」


 俺は暗澹たる気分になり果汁を啜った。母は俺が傍観を決め込んでいると知っているぞ。何の干渉もせず、引き篭もりに徹していると言うのにどうして解るんだ。母が俺に向けて言葉を口にした。


「ミラー。私の影響を廃したそなたの思考は察しが付いている。怯えているのだろう、そなたの父のように」

「ミラーソード様、聞き入れてはなりませんぞ!」


 ……大正解!! 母には完全に俺の心理を見透かされていた。俺はもう、正直怖過ぎて外になんて出たくないんだよヤン・グァン! 力なく正解者に拍手すれば、寝そべっていたスライムもぱんぱんと触手と体躯を叩き合わせた。父の住まいにあるものが何をしても俺は驚かない。


「ミラーソード様。もし可能であるならば早急にお戻り下さい。

 臣の見る所、悪霊めの説得は極めて困難でございます。この者の精神は易々と折れるものではなく、お父君も完全に精神を砕こうとはしておられませぬ」


 ヤン・グァンが母に向かい、言葉は聞いていると言われた俺に向けて言って来る。俺は当初、幽霊恐怖症から解き放たれた休暇に父母の様子を眺めて楽しむ気だったのだがな。

 俺は嫌だよ、ヤン・グァンは母がどんな恐ろしい存在か知らんからそんな事が言えるのだ! 俺は出て行かないからな!!


「ミラーは私の接触を固く拒んでいる。恐れているからだ。

 鏡の剣に封じられる安穏が望みならば、永遠に肉体を譲って欲しいのだがな」

「……悪霊めが! ミラーソード様に何の利もない取引を持ち掛けるか!」


 提案自体には利しか感じないが、母には絶対に殺される確信があるんだよヤン・グァン!


「利があるかどうかは請願契約を持ち掛けられた者が判断する事だ。

 肉の一片の値打ちが富める者と飢えた者で異なるように」


 ……なあ、母には全てを見透かされているのか?

 10日で父の気が済み、俺が母との接触を回復させる日を迎えるのが怖過ぎる。できれば永遠に先送りしたい。俺と母のどちらも困らぬではないか。


 それきり母はヤン・グァンとの会話に応じなくなり、ヤン・グァンも気遣わしげに俺を見てはいたがやがて磔刑場を後にした。その夜も母は沈黙を守り、ただ静かに磔に甘んじた。俺には折れぬ母が恐ろしくて堪らなかった。

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