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暗黒騎士と鏡の剣  作者: 十奏七音
ミラーソードの家族
72/502

72. 1日目 - 悪霊

 母を拘束したまま父はやる気のなさそうな声で大君の館へ呼び掛けた。


「あー、茶室だよー。シャンディがさっき入って来た茶室ー」

「そうだ、スプーンとおたまもつけてー」

「ヤン・グァン以外は入って来ちゃダメよー。

 腐敗に完全耐性のある子ならいいけど、いないでしょー?」


 もう少し要領よく指示してくれれば俺に染められたリンミニアン達はもっと早く応えられたと思うのだが、いかんせん父なのでそんなまともさは期待できない。


「ヤン・グァンとシャンディが参りました。入室させて頂いても?」

「ヤン・グァンだけ入って頂戴な。死にたければシャンディも別にいい」


 父に言われてヤン・グァンが鍋を乗せた配膳車を茶室に入れようとし、室内を満たす悪霊と吊るされた俺の肉体を見た。ヤン・グァンは父の分体に会った事はない。客観的な状況は『見知らぬ魔術師風の男が大量の悪霊を従えて主君のミラーソードを吊るしている』だろうか。扉の前にはシャンディの他にもヤン・グァンが率いる聖火教の教団員がいる。


「これは……何奴!?」


 老いた司教が俺に与えられた杖を構え、浄化か退魔の神聖魔法の為に呪文を口にしようとした。残念ながら、逆らうには相手が悪過ぎる。呪文を唱えようとした時点で既に父に対しては敗北が確定している。多少の守りなど父の手数を前にしては薄紙のようなものだ。詠唱破棄(ノーキャスト)多段詠唱(ステアキャスト)多重詠唱(マルチキャスト)であっさりと精神支配を決められ、ヤン・グァンもシャンディと同じく何の疑問もなさそうに父の言葉を聞くようになった。扉の外にいる者達も支配されたようで動揺が消える。


「初めまして、ヤン・グァン。僕はミラーソードの父だ。

 いつも息子が三人の腹心の世話になっているのを愉快に眺めていたよ」

「ミラーソード様のお父君でしたか。司教ヤン・グァン、参上致しましたぞ」


 ミラーソードとしては頭の痛い状況である。父は相手が悪過ぎるとは言え、腹心のうち二人がこうもあっさりと支配されるのを見るのは気分がよろしくない。もう一杯汲んで来た黒い炭酸水をぐいと呷る。


「君さ、治癒術の最上級行けるのよね?」

「できますぞ。ミラーソード様に授かったこの杖の神通力がありますれば」

「ようし。じゃ、ミラーを治療するから手伝って」

「御意」


 ヤン・グァンを頼ったと言う事は治癒の手数が父だけでは足りないと判断したのかね。茶菓子をポンポンと小気味よく弾かせながら齧り、俺は神に祈る。俺は鏡の剣に永住してもいいから父と母をどうにかしてくれ給えと。


「ミラーにスープにちょっと混ぜ物をして飲ませるからさあ」


 言いながら父が運ばれて来た鍋にぽちゃんぽちゃんと何かを放り込む。変成術で生み出した何かの結晶に見えたが、はっきりとは解らない。俺が創った絶えざる聖釜から無限に湧き出す白いスープは飲んだ者に一日の労働に耐えるだけの活力と滋養を与える魔力を持つが、鍋一杯もの量は必要ない。小さな杯に一杯で充分なものだ。


「死ぬほど苦しむのをちょっと緩和してあげてね」

「苦痛緩和を準備すればよろしいので?」

「いや。内臓とか溶けると思うからなるべく等級の高い治癒か再生がいい」

「……少々、祈りに時間を頂きます」

「いいよ、何発用意できたかは教えてね。僕も加減する」


 確実に“ちょっと”の混ぜ物ではないなと確信する。スープは白から銀色に変わったように見える。吊るされた母は反応せず、肩から翼のような烙印を生やして視線を父へ向けている。


「なあ聞いてくれよヤン・グァン。うちの子がさあ」


 ヤン・グァンの準備術式変更の為の祈りが終わると、父は軽い調子で言いながらおたまで銀色のスープを掬った。そして無造作に母から生えた右肩の翼に向かってスープを浴びせる。


「ぁぁあああ!!」

「悪霊に取り付かれてお母さんだって喜んでたんだよ。信じられるか?

 僕の気持ちにもなってくれよ、居た堪れないなんてもんじゃなかったぜ」


 もう一杯掬って今度は左肩へ。今度も母は高い悲鳴を上げた。烙印の翼は銀のスープを浴びた箇所が束の間白く変色し、有害そうな煙を上げる。まだ赤黒さを保ってはいる。


「その悪霊って言うのがミラーの実母で堕落した聖騎士なんだ」

「……それは真ですかな。狂神の祝福に重ねて悪霊とはなんと御労しい」


 ……ヤン・グァンの頭の中では俺はどれほど憐れまれているのだろう? 幽霊恐怖症はどうにもならなかったが、母の支配は心地よさを楽しんでいたがなあ。ああも憐れむような目と声をされると俺の解釈が何か間違っているのか考え込んでしまう。


「ほーら、浄化の魔力をたっぷり混ぜてやったぞ。

 穢れを清めてやるから大人しく飲みなさい。あ、大きいの用意お願いね」


 軽い調子で言いながら父は鼻をつまみながら不快なものを飲むような顔でスープを口に含み、頬を膨らませて溜め込む。そのまま歩み寄り、吊るしていた母を引き摺り下ろして口移しにした。悲鳴こそなかったが、表情が母の味わった苦痛を感じさせた。ヤン・グァンは指示通りに治癒術を行使する。


「この手応えからすると施術が足りぬかと」

「もう一発入れてやってくれる?

 この汚いのは烙印って言うんだけどさ、肉体と精神の両面を穢しながらでないと腐敗と堕落の一式を揃えて刻めないんだ。ミラーは消すなって言うし、悪霊は抜け抜けと成人の儀式だとか言うし。本当にろくでもない悪霊だよ」


 嫌そうに言いながらぷうと頬を膨らませ、また父が口移しでスープを飲ませる。母は抵抗しようとしてはいるようだが、全身を呪縛されて動けないようだ。


「僕って善性がないからさ。中立と中庸までしか戻せないけどいいよね?」

「いいも何も、聖痕や烙印を刻むのは神々の秘儀のはずですが……

 お父君は一体どなたを信仰しておられるので? 何処かの使徒とお見受けします」

「強いて言えば僕自身かね。神子(みこ)だから、僕」


 ヤン・グァンが何やら改めて畏まった様子を見せるのが納得行かないぞ、俺は。そんな有難いもんかね、俺の父は。


「悪霊もさ、悪霊なりにミラーを愛してはいるんだろうけど」


 苦痛から逃れようと母が内側に逃げ込んで来ようとしている気配は感じているが、俺は経路の遮断を維持している。少なくとも今のまま繋げたら俺は母に殺される。間違いなく確実に殺られる。父にある程度の決着を付けて貰うまでは絶対に繋げたくない。


「烙印を刻んだ時にもこういう痛みを味合わせたはずよ、この馬鹿は」


 ぱしゃりと銀のスープを浴びせられれば烙印の翼が赤黒い脈動を失い、濁った。

 ……烙印の時は母に呪縛されたせいか精神の方はさほどでもなかったのだ。まあ、肉体は父の言うような事になっていたが。


「ヤン・グァン。そろそろ中立域に入れると思う。

 アディケオに祈ってもうちょっとだけ正へ傾けてくれる?

 君の第三使徒を助けてちょうだい、と祈ってくれるだけでいい」

「はは」


 聖火教を率いる司教であるヤン・グァンはアディケオを熱心に奉じている。敬虔な信徒の祈りにアディケオが応えたのか、烙印の赤黒い翼が灰色に変わって行った。やれやれ、後で蛙地蔵の一つや二つは手彫りしてアディケオに謝意を捧げないとならんな。


「そのへんの権能を捕まえて来て烙印を消し飛ばしても良かったけどさ」


 父はぶつくさ言いながらもスープを少量ずつ手に取り、烙印の翼に塗り伸ばしている。父の手に触れられると微かに母が呻き声を上げ、苦痛を感じさせる。


「それじゃ悪霊が反省しないよなと思った訳よ。聞いてる?」

「はっ」

「君じゃなくて悪霊の方だ。やーい、お化け。反省する気はあんのか」

「いやだ」


 苦しそうなのによく即答できるものだ。母は何故俺や父と違ってここまで強いのだろう? 俺ならとっくに土下座して侘びを入れている。黒い炭酸水に飽きが来たのか他の飲み物が欲しくなり、俺は家の中で他の飲み物を探す。くるくると回すと橙色の果汁の味がする液体を噴出させる混ぜ棒を見つけたのでそれにした。


「しゃあねーな。ヤン・グァン。退魔術も最上級行けるのよね?」

「ええ。よく御存知で」

「ミラーが知ってる事なら何でも知ってるのよ、鏡は」


 鏡? と怪訝そうに呟くヤン・グァンは魔術師が誰なのか察してくれただろうか。鏡の剣に宿っていた父の念動力で茶を淹れられていた時も、俺が淹れたと思っていたからなあ。


「軽く全体を浄化してくれる?」

「はっ」


 灰色になった烙印に対してヤン・グァンが杖を手に呪文を唱えれば、清められた空気が場に満ちる。灰色になった烙印の翼は震え、くたりと萎れたようになった。それで烙印の処置に一段落着けたのか、父は再び母を脅し始める。


「請願契約に応じないなら聖火堂の油壺に吊ったまま投げ入れてやるぞ」

「……ぁあ……」

「臣の見る所、まだ抑え切れていないのでは?」


 父にヤン・グァンが私見を述べる。母でなければここまで頑強に抵抗はできないと思う。


「そうなのよ。嫌だ、死にたくないと強情でさ」

「悪霊めは何に執着しているのです」

「うちの子と僕だな。正確に言えばうちの子は踏み台で僕が目当てか」

「望みを言えば契約と引き換えに叶えられるかも知れぬぞ、悪霊よ」


 杖を鳴らしながらヤン・グァンが言えば、俺の肉体に幽閉された母が苦しげに呻く。正しき悪の司教ヤン・グァンは、必要ならば魔性との取引に応じる事があるとは聞いていた。


「……神子(みこ)をくれ」

「そんな残り少ない魂で何を言うとるか! 邪神に売り渡した時点で君が僕に売れるほど値打ちのあるものは何もないんだよ、痴れ者めが!」


 微かに絞り出された母の声に甲高い声で怒る父を鏡の中から眺め、俺は果汁らしき橙色の液体を吸いながら当分無理そうだぞと独りごちた。

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