71. 1日目 - 強制された告白
「脳味噌の出来が著しく悪い筋肉達磨め!」
どうして肉体に執着したんだい、賎しいお化けよ」
甚振るように言いながら父は母の服を引き剥がしに掛かる。父よ、その肉体は俺のなんだぞ。少しは情けを見せてくれてもいいのではないか?
上着を奪い取られ、装身具でもある術具を奪われ、下着も剥ぎ取られて上半身が露になる。両肩に刻まれた黒々とした紋様は邪神の神力によって刻まれた烙印だ。腐敗と堕落の烙印は意志を持っているかのように黒く闇を蠢かせる。母に刻まれた烙印が伝える神力は俺には心地よかったのだが、父に言わせると裏切れぬように刻み込む呪いの首輪なのだそうだ。
「同じ質問がもう三回目だぞ。神子に答えよ、無能者」
「……ぁ、いや……だ……」
俺は黒い炭酸水をちびちびと飲りながら首を傾げた。父は託宣だと言った。最上級術の効果は弱くない。考えられる限り最大限に強いと言ってもいい。回答を拒絶できるはずがないのだが、母は「嫌だ」としか口にしていない。どれほど意志が強ければそんな真似ができるのか、母抜きでは生来の気質がそれほど勇敢ではない俺には理解できない。
「何が嫌だったんだい。僕に教えて?」
ころりと口調を変えた父がその手で烙印に触れる。おそらくは腐敗と堕落に由来する魔力を流し込んだのだろう、母の表情から苦悶が減じて陶酔で染まる。それでもまだ遠巻きに包囲する悪霊が恐ろしいらしく、半ば以上正気ではなさそうだ。
「……死にたくない……」
「それだけか? 本当に?」
「嘘……では……」
「最上級術で縛られて嘘が言えるものか!
それだけじゃないだろう、君の願いと目的とやりたい事を全て吐け!」
すすり泣くように母の溢した言葉が父にはいたく不満だったようで、優しげだった言葉が一転して怒りに染まる。母を助けるべきなのだろうかと思わなくもないが、下手に横槍を入れたら父は俺と母を諸共に殺すと思う。そうすると、かつて父が俺に言った言葉が真実なら三人とも死ぬ。
超重篤な幽霊恐怖症のせいで抵抗力の殆どない母に父が容赦なく複数の魔術を突き立て、言葉を搾り出そうとするのを俺は傍観した。俺の態度を母に知られたら間違いなくただでは済まされない。治療を施しながら五体をバラバラに引き裂くくらいの事はされると思う。ああ、戻りたくねえな。鏡の剣の中に永住したいよ、俺は。
「嫌だ、嫌だ! 言いたくない!」
一体どこからそんな力を振り絞っているのか。吊るされ、母の意志を幽閉した俺の肉体が叫ぶ。両肩の烙印が黒から赤に変じかけているのを見て俺は不安を感じた。今、大きくならなかったか? 母に刻まれた烙印は俺の下腹部には届いていなかったはずだ。
「我が神よ、足りない! もっと……」
「馬鹿言ってるんじゃありませんよ」
また口調を変えた父が手の中に黒く粘液質の塊を生み出し、叫び声を上げようとする口へと捻り入れた。原始的な命と命令を聞く程度の意志を与えられたスライムが母の口を塞ぎ、口から体内へと潜り込む。有害なものではないな、と俺には解った。俺も軽食でも作ろうかと厨房を見に行く。真面目に考えたら発狂しそうな現実からは目を逸らすに限る。
「予想よりも重症だなこりゃ。請願契約では不足かね」
父は吊るした母の肉体から一歩下がり、思案顔で腕を組んでいるようだ。
父の住まいの厨房には変なものしかない。鍋のようなもの、おたまのようなもの、包丁のようなものがあるのだが、どれもぷよぷよとして頼りない。調理道具としては使えそうにない。
「……ぁあ……」
「僕の魔力の一部で多少の飢えは癒えたかい。
残り少ない君の魂を売り渡した所で新たな力など得られないぞ」
「……は……る」
「あん? 聞こえなかったぞ、言い直せ」
父が問い質す声が聞こえる。母は諦めたような、喰らい付くような弱々しい声を絞り出した。
「……贄であれば……」
「君ってそこまで馬鹿だったんだ!!
やれば君は貪り尽くされて消滅する」
上を見てみれば母は吊るされたまま父を見ていた。烙印は巨大化し、立体的な実体を持った。両肩から飛び出した赤黒い烙印が広がる。
……あれえ、俺が台所を物色していた間に真剣に不味い事になったのでは? なんだよアレ。俺から翼みたいなのが生えてるぞ。
「かーちゃんめ……畜生、やるしかないのか」
父が毒付くのが聞こえる。かーちゃん、と父が言うのは腐敗の邪神の事だ。神の手で直接産み出された神子である父は機嫌が悪いと神をそう呼ぶ。
「あー、あー。テスト、テストー。よし、テスト良好。
誰でもいいから聖火教司教のヤン・グァンを呼んでー?
ついでに絶えざる聖釜から鍋一つ分ばかりスープを掬って来て頂戴」
父は何やら自身の声を拡声し、大君の館全体に呼び掛けたようだ。ひょっとするとリンミ市民にも聞こえたかもしれない。何をする気なのかは解らなかったが、俺は黒い炭酸水を一息にぐいと飲んだ。




